昨日の日帰り強行旅行を振り返ってみました。
昨日お伝えした通り4時30分出発という久しぶりに早朝の出発でした。もちろんまだ夜も明けていません。
浜松から東名→伊勢湾岸道→東名阪→名阪国道→西名阪のコースで進みました。途中伊勢湾岸道の刈谷PA付近で朝焼けが真っ赤になっていました。刈谷PAの観覧車がシルエットになっていて幻想的な景色をルームミラーで確認しました。
運転中ですのでしみじみと味わえないのが残念です。
8時着を目途に法隆寺に向かいましたが到着が7時40分頃、拝観時間は8時からですので法隆寺の西側にある「西里の町並み」を見に行きました。
西里は、法隆寺を支える人々の生活する集落で、法隆寺作事に携わった大工が住んでいたと伝えられています。土塀が続いているのが情緒を感じます。
さて法隆寺に入っていきます。
法隆寺
ここを訪れるのは44年ぶりです。中学の修学旅行でも訪れていますが当時の記憶あまり残っていません。でもその間にも何回も「行きたい」と思っていた場所です。
国宝や重要文化財に溢れていますので全部を紹介することができませんし、見落としている部分もありますので気が付いた所を紹介します。
国宝の南大門から入ります。お寺の門は南が正門になっています。現在の門は室町時代に再建されたものです。
参道を進み「西院伽藍」に向かいます。
突き当たるのが「中門」です。
こちらも国宝で飛鳥時代のものです。
日本最古の金剛力士像が法隆寺を守っています。
ここから拝観料を払い西院伽藍に入っていきます。
いきなり法隆寺のメインイベントの「五重塔」と「金堂」が迎えてくれます。
金堂、飛鳥時代の国宝建造物です。中にご本尊が安置されています。
釈迦如来像(国宝・飛鳥時代)の優しそうな顔立ちに癒されました。薬師如来(国宝・飛鳥時代)も凛々しく見えました。
五重塔、(国宝・飛鳥時代)32mの高さがあります。日本最古の五重塔で法隆寺のシンボル的な存在です。
大講堂(国宝・平安時代)925年落雷によって焼失しましたが990年に再建されました。
大講堂側から金堂と五重塔を望む。
西院伽藍を囲む「回廊」(国宝・飛鳥時代)。
ここで西院伽藍を出ます。
コヤチンだけ西室・三経院方面を見てきました。
三経院(国宝・鎌倉時代)。聖徳太子が仏教の経典三種類を注文したことにちなんでつけられました。
西円堂(国宝・鎌倉時代)。奈良時代法隆寺の建立に尽力した行基によって建てられました。平安時代に倒壊した後鎌倉時代に再建されました。
こちらで御朱印をいただきました。
休憩していた妻と合流して「大宝蔵院」に向かいます。こちらには貴重な文化財が展示されています。
そちらに向かう前に東室・聖霊院(国宝・鎌倉時代)でも御朱印を受けました。
細い道を抜けて「大宝蔵院」に行きます。
こちらにもかなりの国宝や重要文化財が収められています。
中でも「玉虫厨子」(国宝・飛鳥時代)は小学校の国語の教科書で勉強した覚えがあります。
「百済観音像」(国宝・飛鳥時代)は背の高い均整の取れた姿で魅了してくれました。
大宝蔵院を出て参道に戻ります。そのまえに
網封蔵(国宝・平安時代)、双倉(ならびくら)という複数の倉を並べて一つの屋根を乗せる工法です。法隆寺の貴重な宝物を保管する為に建てられました。
東大門(国宝・奈良時代)を通って東院伽藍に向かいます。
土塀の続く道に古な感じがします。
正面に東院伽藍が見えてきました。
東院伽藍で有名なのは夢殿でしょう。
夢殿(国宝・奈良時代)八角円堂の建物で、コヤチンの世代には昔の5千円札に描かれていたのを覚えています。
東院伽藍の外にある鐘楼も国宝建造物です。
この後本来ですと中宮寺に行って「菩薩半跏像」を楽しみにしていましたが、現在北海道立近代美術館の「法隆寺展」に出陳されていますので残念ながら見る事ができませんので中宮寺参拝は見送りました。
この後は法隆寺を出て斑鳩の里を散策し「法輪寺」と「法起寺」を訪ねてみました。
法輪寺
法隆寺から北の方角に向かって住宅街を抜けて田園風景の中を歩いて行きます。今日はこの辺のお祭りのようでお囃子や元気の良い声が飛び交っていました。
ようやく田園の向こうに塔が見えてきました。
ようやく法輪寺到着。
こちらの門から入ります。やはり南側にありますのでこちらが正式な門のようです。
先程まで法隆寺の大寺院を見て来たのでこちらはかなりコンパクトです。
三重塔、斑鳩三塔の一つです。国宝の塔でしたが1944年落雷で焼失しましたが1975年再建されました。
金堂、江戸時代
講堂に寺宝が並べられています。重要文化財の仏像をはじめ貴重な遺産が展示されていました。
こちらも法隆寺同様三重塔が左金堂が右、その後ろ中央に講堂という伽藍です。
法輪寺を終えて近くにある法起寺に向かいます。
途中、現地の方が柿とイチジクを販売していましたので柿を買いました。
法起寺
こちらは国宝の三重塔の他に法起寺の周りに咲くコスモス畑が有名です。
法輪寺から法起寺に歩いて行く途中にはあまりコスモス畑は無かったので不思議に思っていましたが。法起寺の後ろ側にかなり広い範囲でコスモス畑が広がっていました。
三重塔(国宝・飛鳥時代)
講堂
聖天堂
国宝の三重塔が見所ですが、寺の中は朽ちている部分もあって古刹であるが故に寂しい感じがしました。
この後法隆寺方面に戻るのですがコスモス畑を散策してみました。多くの方がカメラでコスモスを狙っていました。
コスモス畑と三重塔のコラボレーションは絵になりました。
可愛い感じのコスモスが癒してくれました。
法隆寺方面まで戻る前に見ておきたい場所があります。
中宮寺跡
創建時の中宮寺跡です。
発掘調査の結果から、塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置をしていたことが明らかとなっています。これは聖徳太子が建立した斑鳩寺(若草伽藍)と同じ建物配置をしています。
こちらにもコスモス畑がありますがまだ咲いていませんでした。
そして法隆寺に戻り車に乗る頃にこれまで辛うじてもっていた雨がポツポツ降ってきました。
この後西ノ京に向かいましたが、西ノ京編は明日お伝えすることにしたいと思います。
昨日お伝えした通り4時30分出発という久しぶりに早朝の出発でした。もちろんまだ夜も明けていません。
浜松から東名→伊勢湾岸道→東名阪→名阪国道→西名阪のコースで進みました。途中伊勢湾岸道の刈谷PA付近で朝焼けが真っ赤になっていました。刈谷PAの観覧車がシルエットになっていて幻想的な景色をルームミラーで確認しました。
運転中ですのでしみじみと味わえないのが残念です。
8時着を目途に法隆寺に向かいましたが到着が7時40分頃、拝観時間は8時からですので法隆寺の西側にある「西里の町並み」を見に行きました。
西里は、法隆寺を支える人々の生活する集落で、法隆寺作事に携わった大工が住んでいたと伝えられています。土塀が続いているのが情緒を感じます。
さて法隆寺に入っていきます。
法隆寺
ここを訪れるのは44年ぶりです。中学の修学旅行でも訪れていますが当時の記憶あまり残っていません。でもその間にも何回も「行きたい」と思っていた場所です。
国宝や重要文化財に溢れていますので全部を紹介することができませんし、見落としている部分もありますので気が付いた所を紹介します。
国宝の南大門から入ります。お寺の門は南が正門になっています。現在の門は室町時代に再建されたものです。
参道を進み「西院伽藍」に向かいます。
突き当たるのが「中門」です。
こちらも国宝で飛鳥時代のものです。
日本最古の金剛力士像が法隆寺を守っています。
ここから拝観料を払い西院伽藍に入っていきます。
いきなり法隆寺のメインイベントの「五重塔」と「金堂」が迎えてくれます。
金堂、飛鳥時代の国宝建造物です。中にご本尊が安置されています。
釈迦如来像(国宝・飛鳥時代)の優しそうな顔立ちに癒されました。薬師如来(国宝・飛鳥時代)も凛々しく見えました。
五重塔、(国宝・飛鳥時代)32mの高さがあります。日本最古の五重塔で法隆寺のシンボル的な存在です。
大講堂(国宝・平安時代)925年落雷によって焼失しましたが990年に再建されました。
大講堂側から金堂と五重塔を望む。
西院伽藍を囲む「回廊」(国宝・飛鳥時代)。
ここで西院伽藍を出ます。
コヤチンだけ西室・三経院方面を見てきました。
三経院(国宝・鎌倉時代)。聖徳太子が仏教の経典三種類を注文したことにちなんでつけられました。
西円堂(国宝・鎌倉時代)。奈良時代法隆寺の建立に尽力した行基によって建てられました。平安時代に倒壊した後鎌倉時代に再建されました。
こちらで御朱印をいただきました。
休憩していた妻と合流して「大宝蔵院」に向かいます。こちらには貴重な文化財が展示されています。
そちらに向かう前に東室・聖霊院(国宝・鎌倉時代)でも御朱印を受けました。
細い道を抜けて「大宝蔵院」に行きます。
こちらにもかなりの国宝や重要文化財が収められています。
中でも「玉虫厨子」(国宝・飛鳥時代)は小学校の国語の教科書で勉強した覚えがあります。
「百済観音像」(国宝・飛鳥時代)は背の高い均整の取れた姿で魅了してくれました。
大宝蔵院を出て参道に戻ります。そのまえに
網封蔵(国宝・平安時代)、双倉(ならびくら)という複数の倉を並べて一つの屋根を乗せる工法です。法隆寺の貴重な宝物を保管する為に建てられました。
東大門(国宝・奈良時代)を通って東院伽藍に向かいます。
土塀の続く道に古な感じがします。
正面に東院伽藍が見えてきました。
東院伽藍で有名なのは夢殿でしょう。
夢殿(国宝・奈良時代)八角円堂の建物で、コヤチンの世代には昔の5千円札に描かれていたのを覚えています。
東院伽藍の外にある鐘楼も国宝建造物です。
この後本来ですと中宮寺に行って「菩薩半跏像」を楽しみにしていましたが、現在北海道立近代美術館の「法隆寺展」に出陳されていますので残念ながら見る事ができませんので中宮寺参拝は見送りました。
この後は法隆寺を出て斑鳩の里を散策し「法輪寺」と「法起寺」を訪ねてみました。
法輪寺
法隆寺から北の方角に向かって住宅街を抜けて田園風景の中を歩いて行きます。今日はこの辺のお祭りのようでお囃子や元気の良い声が飛び交っていました。
ようやく田園の向こうに塔が見えてきました。
ようやく法輪寺到着。
こちらの門から入ります。やはり南側にありますのでこちらが正式な門のようです。
先程まで法隆寺の大寺院を見て来たのでこちらはかなりコンパクトです。
三重塔、斑鳩三塔の一つです。国宝の塔でしたが1944年落雷で焼失しましたが1975年再建されました。
金堂、江戸時代
講堂に寺宝が並べられています。重要文化財の仏像をはじめ貴重な遺産が展示されていました。
こちらも法隆寺同様三重塔が左金堂が右、その後ろ中央に講堂という伽藍です。
法輪寺を終えて近くにある法起寺に向かいます。
途中、現地の方が柿とイチジクを販売していましたので柿を買いました。
法起寺
こちらは国宝の三重塔の他に法起寺の周りに咲くコスモス畑が有名です。
法輪寺から法起寺に歩いて行く途中にはあまりコスモス畑は無かったので不思議に思っていましたが。法起寺の後ろ側にかなり広い範囲でコスモス畑が広がっていました。
三重塔(国宝・飛鳥時代)
講堂
聖天堂
国宝の三重塔が見所ですが、寺の中は朽ちている部分もあって古刹であるが故に寂しい感じがしました。
この後法隆寺方面に戻るのですがコスモス畑を散策してみました。多くの方がカメラでコスモスを狙っていました。
コスモス畑と三重塔のコラボレーションは絵になりました。
可愛い感じのコスモスが癒してくれました。
法隆寺方面まで戻る前に見ておきたい場所があります。
中宮寺跡
創建時の中宮寺跡です。
発掘調査の結果から、塔、金堂が南北に並ぶ四天王寺式伽藍配置をしていたことが明らかとなっています。これは聖徳太子が建立した斑鳩寺(若草伽藍)と同じ建物配置をしています。
こちらにもコスモス畑がありますがまだ咲いていませんでした。
そして法隆寺に戻り車に乗る頃にこれまで辛うじてもっていた雨がポツポツ降ってきました。
この後西ノ京に向かいましたが、西ノ京編は明日お伝えすることにしたいと思います。