持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ジキル&ハイド

2005-12-11 23:14:09 | 演劇:2005年観劇感想編
ミュージカル Jekyll & HYDE 『ジキル&ハイド』
劇場:日生劇場
原作:R.L.スティーヴンソン
台本/作詞:レスリー・ブリカッス
作曲:フランク・ワイルドホーン
上演台本/詞:高平哲郎
演出:山田和也
出演:鹿賀丈史,マルシア,鈴木蘭々,石川禅,浜畑賢吉 他


ドクタージキル。精神コントロールを失調した父のため、人間の内の「善」と「悪」を「分離」する薬を作り出す。父に試そうとする彼の行動は、理事会の審議にかけられ却下される。人類の幸せと科学の発展にも寄与できるとの訴えも、死神よりも危険な論理だと否定され。。失意のうちに紛れ込んだ、場末のパブ。出遭った娼婦・ルーシーが彼を誘う台詞、「自分で試して」に。他人への実験でなく、自分自身に投薬することを思いつくジキル。

人の心から悪を分離させれば、争いは消えて幸福な世の中になるはずだった。薬は、ほどなく効きはじめ。身体のなかで、分離されていく精神。切り離されて、現われたのは。残忍な人格者、エドワード・ハイド。彼は、まず。理事会の面々の殺害を実行しはじめる。

善良なジキルを歌う鹿賀氏の歌声は、澄んでいて。分離されて取り出されたハイドの歌声は、まるで裏にジキルがいることを示すように二重に嗄(しわが)れる。迷うことなく人を殺めるハイドの、いで立ちは力強く。けれど、ジキルは闘うことを諦めない。善良なはずの自分の中から取り出された悪への、嫌悪。ハイドを打ち消す投薬を繰り返すあいだ、せめぎあう二つの人格。錯乱し力尽きて倒れ伏すまで続く、激しい人格の入れ替わり。眼前で展開される迫力としか言いようのないそれを、見つめ続けるのは。とても辛くて、とても哀しくて。ひどく消耗する。やってる役者さんの消耗って、計り知れない。。

ジキルが愛する、聖母のようなエマ。ハイドが気に入る、ルーシー。こんなところにも違いは顕著で。ラストだけ反転にて→ハイドは、そのルーシーさえも手にかける。そして、打ち消されたはずが。ジキルとエマとの結婚式に現われる。正気が狂気に変わる様(さま)、エマさえ傷つけるであろう人格を。見つめる親友・アターソンに。「撃ってくれ」と請う声は、なぜだか二つで・・・! そのままでは撃てはしないであろう、実直な親友への切なる懇願。やっと、おとずれた安らかな時。願い叶って倒れた彼に囁く、エマの。許しを告げる「おやすみなさい」の台詞は優しい。(ここでの鈴木氏の声が幼くて、唯一の残念ポイント←辛口ごめん)

カーテンコール。思いのほか、キャストが少なくて驚いた。この人数で、あのアンサンブルの厚みは素敵。再び、カーテンコール。指揮者が、舞台奥から出てきて驚いた。そうだった、始まるときにはオケピが見えないなぁと思っていたんだった。舞台裏から流れる音楽は、とても自然に体に響いてた。別れがたさに続く、カーテンコール。。観劇当日の興奮した感想は→こちら嗚呼、も一回でいいから見に行きたいっ。空席があるなんて、もったいないよ。