持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

エビ大王 2/2

2005-12-30 22:34:07 | 演劇:2005年観劇感想編
12/30のつづき>
王の息子を産むことのできる女が、国にひとりだけ存在するという。たったひとつの、最後の希望。死神たちが告げた、「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられた女」を捜しさすらう旅は長い。ようやく見つけた女は、なんと昔に捨てた実の娘という皮肉。結ばれる直前に真実が判明し(←結ばれてからでなくて良かったよ)、悲嘆に暮れる王は。みずからが描いた悲劇に幕を降ろすべく、死を受け入れる。

かの国の、親子の情の深さに驚嘆する。因果応報の苦しみから解放されて、死の旅路につく父と。自身を捨て、愛する夫と息子を殺した父と邂逅し。懐かしさに(←想い出は、なにひとつないのに)、すべてを洗い流す娘。
こういう。見知らぬ国の、慣れぬ情念に。照明と音響には最後までなじめなかったなぁ。。そういうものなのかと、納得させてくれたのは。ひとえに、演者の熱。

筧利夫氏の。火をあやつる場面は、非道ぶりを一瞬忘れるほどかっこよく。娘たちに国を追われ、ボロ着姿でさすらえども威厳を失うことのなかった姿から。絶望に、一気に老け込む姿。身勝手が引き起こした悲劇には、一切の同情の余地がないにもかかわらず。身悶える演技には、心地よく呑まれてしまう。
円城寺あや氏の演じる二役は。母性に満ちた王の伴侶と、娘を邪魔に思う義母で。真逆ながら、どちらにも説得力があり。こぐれ修氏は、三役で登場し。優しい義父と、金で小娘を買い取る地主と、国家統一に加勢する役で。これらすべてに、メリハリが効いている。

なにより。死神という役どころの、橋本じゅん氏と河原雅彦氏。お遊びの、独立コーナーありで(←そうしなきゃおさまらない大騒ぎ♪)。作品の重々しさを吹き飛ばしてありあまる激走(←勢い)は、ひたすら楽しい。わちゃわちゃと、二人で騒ぎ立てたあげく。「おれのほうが、あきらかに体力がないんだから!」と、ほんとにへばる河原氏やら。なぜだか突然、筧くんの暴露話を始め。主役(←筧くん、ご苦労さま)を撃沈させて満足げな、じゅんちゃんやら。この、おはがきコーナー。「明日もやるぞー」と燃えてらしたということは、恒例日替わりなんだな。。全部観たいと考えてしまった(←思うツボ)。けれど、要所では。王や娘への、同情や迷いや嫌悪などの、こちらの抱く感情を代弁してくれて。ふたたび舞台に誘(いざな)う、ストーリーテラーとしての役割を。きっちり果たせる実力に、惚れぼれする。

とにもかくにも、これは「第一弾」。はやくも、第2弾が楽しみではある。行くよぉ♪


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