鈴木宗男ランド ブログ by宗援会

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ムネオ日記から

2007年05月22日 | Weblog
ムネオ日記
2007年5月19日(土)
 12時から南青山会館で中曽根康弘先生を囲む会に出席。中曽根先生が拓大の総長をされていた昭和42年から46年までの学生による1週間早い中曽根先生の誕生日を祝う会である。久し振りに同期の仲間とも顔を合わせ、過ぎし40年前からの今日迄が想い出される。
 中曽根先生が総長就任挨拶で、「私学には建学の精神がある。早稲田大学・大隈重信の独立の精神、慶応義塾大学・福沢諭吉の自由の精神、我が拓殖大学は桂太郎の開拓の精神がある」と熱きメッセージを発してくれたことを今も鮮明に覚えている。
 89才の中曽根先生が今日も矍鑠かくしゃくと拓大のこと、日本のあるべき姿を約40分話されたが、まさに歴史の生き証人である。私も心からの敬意を表して中曽根先生にご挨拶したが「よくきてくれた」と喜んで頂き、感激だった。
 私は昭和45年3月、卒業式で中曽根先生から卒業証書をもらい、記念写真を撮ってもらった。すでに中川一郎先生の秘書をしていたので卒業式終了後の謝恩会の席で「中川一郎君は将来あるから鈴木君もしっかり頑張りなさい」と言われたものである。私なりに夢と目的を持って働き、秘書として「鈴木あり」と言われるまでになった。35歳で衆議院議員に当選。49歳で国務大臣を拝命することが出来た。30代で国会議員。40代で大臣と考えていたので、計算通りの歩みだった。更に内閣官房副長官、自由民主党総務局長と順調な歩みをしたが、国策捜査により一頓挫してしまった。
 中曽根先生も殖産住宅事件、リクルートと、証人喚問され大変な経験をされたが乗り切り、天下人になった。エラーとファインプレーは「紙一重」と言われるが、私も小渕総理が倒れなければ、森総理がもう一年続いていればと、詮せん無いこととは知りながら、政治家としての宿命を感じた一日でもあった。5年前、あれだけのバッシングを受けながら国政に復帰できただけでも奇跡を起こしたと思いながら、その奇跡をつくった事を誇りにしながら次の闘いをしていくしかない。
 週刊文春の松山千春さんの記事をムネオ日記に昨日載せたが多くの人から「感動しました」「松山さんの人柄を知りました」「松山さんも鈴木さんも情じょうの人ですね」「鈴木さんも松山さんも義理堅く人間関係を大事にしていますね」「日本人として忘れてはいけない心を知らされました」等々のありがたい声を、メッセージを頂く。あらためて今日あるのは人間関係だとつくづく感じながらこれからも原点を忘れず鈴木宗男なりのドラマをつくっていきたい。
鈴 木 宗 男
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新党 大地 
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