くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

安田さん2。

2014年12月29日 | 甲府城日記
こんにちは。
先週金曜日が仕事納めだったという方は多いのでしょうか?
みなさん、お疲れ様でした!!
ゆっくり休んでくださいねって言いたいところですが、年の瀬が押し迫って参りましたので、
普段やらないところのおそうじとか、買い出しなどなど…バタバタしちゃいそうですね


先日、24日のブログで源平合戦に少し触れましたが、
最近、「忠臣蔵」同様、あまりこのテのTVドラマを見なくなりましたよねぇ。
そのせいか、義経が~義仲が~と話しても(どんな日常会話だ?)、時々通じないことがあります
記憶に新しい方では、某局の●河ドラマ「平清盛」ぐらいでしょうか?それでも、もう3年前ですよね。
タッキーの「義経」も2005年放送だったそうですよ~。もう10年!
そうそう、だいぶ昔になりますが、人形劇の「平家物語」なんてのもありました

ご紹介したように、平氏滅亡は(義経の奮闘もさることながら)甲斐源氏の活躍もあってこそ。
まあ、そんな活躍が目に余ったのか、はたまたその権力基盤が脅威になってきたのか、安田義定(と息子義資)は
後々、頼朝によって色々イチャモンをつけられ(長くなるので割愛しますが、ヒドいンですこれが!)、
最終的に義資は斬首、義定は追討使に攻められて殺害されたとも、放光寺で自害したともいわれています
それだけこの時期の甲斐源氏は強い力を持っていたということなのでしょう。
義経討伐に代表されるように、この頃の頼朝の同族武将の排斥って手段を択ばないとゆーか、何だかエゲツないんですよねぇ
言い方を替えれば、頼朝の方が政治家として一枚上手だったっちゅーことですかねぇ。


放光寺さんのお話からだいぶ脱線しちゃいましたが、お寺には木造の毘沙門天立像があって、
不運な最期を遂げた義定の霊を弔うために彼をモデルに彫られたとも伝えられています。
「義定毘沙門天」とも呼ばれているそうですよ。(なかなかイケメン!?)
宝塔を掲げ、首をちょこっと傾げてかわいいカンジです。
何回かに亘ってご紹介してきたので長くなっちゃいましたが、武力に長けていながら鎌倉時代にメジャーな
名乗りを挙げ損なった武将・安田義定さんと、そのゆかりのお寺・放光寺。
塩山方面にお越しの際は、ぜひ訪ねてみて下さいね。
ではでは
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