くろちゃんの甲府城つづりⅡ

やまなしの甲府城跡や文化財のようすや活動を、
くろちゃんと仲間たちがなんとなく紹介するため再登場!

安田さん。

2014年12月24日 | 甲府城日記
こんにちは
ちょっと更新が滞ってしましたが(謝)、みなさんお元気でしたか?

のっけから「安田さんってダレ?」って言われちゃいそうですが、今日はずっと話し損ねている安田さんのお話を……(^_^;)
以前、立派な仁王さまがいらっしゃいますよ~とご紹介した甲州市塩山の高橋山放光寺さん。

 



このお寺を創建したのが、安田義定(やすだよしさだ)という平安時代末~鎌倉初期の武将です。
山梨ではそこそこ知られている??とは思うのですが、義定さん、彼の有名な源平合戦(治承・寿永の内乱)で、
同じく甲斐源氏の武田信義(たぶん腹違いのお兄さん)と並んで活躍した武将のひとりデス。
が、いかんせん日本史の教科書などに出てこないので、全国的にはなかなか知名度が低く……
源平合戦というと、やはり源義経や範頼とか、朝日将軍こと木曽義仲の武勇伝や、
平家方では敦盛と熊谷直実さんの件り、能登守教経の奮戦ぶりなどが有名なのでしょうかねぇ。
それに比べて甲斐源氏なんて参戦していたの?って思われちゃいそうですが
水鳥の羽音に驚いて平氏が敗走したあの富士川の合戦、一番の立役者が甲斐源氏だったンですよ~。
治承4年(1180)、以仁親王による平氏追討の令旨が全国に飛ばされて伊豆で頼朝が挙兵~云々と
教科書では習うかと思うのですが、ほぼ同じ時期に甲斐源氏も挙兵して、頼朝が石橋山でコテンパンに
敗退していた頃も次々に平氏を撃退しています。
義定もその一人で、富士川の合戦後も、(義経の逆落としで有名な)一の谷の合戦で(一説には副将として)
搦め手(敵陣の後ろ側などを攻める軍勢)を担当するなど、源氏の勝利に貢献しています


(長くなるので続きはまた今度~)

コメント
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