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天皇アキヒトとリベラリズム 〔Anno Kazuki 怨霊ナショナリズム論(37)〕

2016-08-14 23:09:18 | 昭和天皇 平成天皇 天皇制
 

Anno Kazuki
さんFBより

怨霊ナショナリズム論(37)天皇アキヒトとリベラリズム
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 アキヒトは頑強なリベラルであり、過激右派の安倍政権に危機感をいだき、民主主義をまもる最後の砦となる、という妄想が自称リベラルおよび反安倍政権派だけでなく、左派にさえひろまっている。
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情けない。自由も権利も市民が勝ち取るべきもので、だれかからあたえられるものじゃない。しかも「象徴」にたすけられて、ありがたがるというのはどういうことか。...
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そもそもリベラリズム(経済思想としての自由主義は除外する)に関する誤解がある。たとえば、朝日新聞はリベラルを任じているだろうが、

朝日が奉じているのはリベラリズムではなく、戦後日本の「良識」にすぎない。その「良識」とは、昭和天皇ヒロヒトの戦争責任を糾弾しないまま、朝鮮戦争の勃発からサイゴン陥落までつづいた合衆国による反共産主義25年戦争のあいだに、復興をとげ、高度経済成長をなした日本の「良識」だ。
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合衆国の世界戦略に全面的に協力しながら、一発の弾丸もうたず、一滴の血も流していないとほこる「良識」であり、たんなる欺瞞にすぎない。
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同様に、天皇制を認めるリベラリズムなどあり得ない。天皇制はおよそリベラリズムの対極にある。平和憲法の最大の矛盾は第一条にちがいない。
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ここでリベラリズムの復習をしましょう。
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▽ リベラリズムと保守主義
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リベラリズムの源流は18世紀ヨーロッパ社会に生まれた啓蒙主義です。そして啓蒙主義の反動として18世紀の後半に起きたのがイギリスのエドマンド・バークやドイツのヨハン・ゴットフリート・ヘルダーにはじまる保守主義でした。
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いま日本では「リベラル保守」などというものがあるそうだから、混乱はいかにもふかい。
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啓蒙主義を継承するリベラリズムは人と人をむすびあう理想を訴える。自由・平等・普遍的人権・博愛である。これに反して、保守主義は人と人を分かつ原理を尊ぶ。歴史・傳統・文化・言語・宗教・郷土などだ。
       

人類を分断する原理を奉じるとき、普遍的な価値は意味をなさず、あらゆる価値は相対的なものとなる。人と人を分かつ原理は差別を肯定し、多数派とはことなる人々を分離・隔離・迫害し、やがて虐殺も可能とする。
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すなわち、保守主義こそファシズムの源流である。いま日本社会に鎌首をもたげてきたファシズムに対抗できるのはリベラリズムしかない。
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人と人を分かつ原理ではなく、人と人をむすび理想がいま求められている。

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▽ 玉音放送
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アキヒトの「おことば」は平成の玉音放送だった。広報(プロパガンダ)の手法が駆使されている。退位願望のニュースはあらかじめリークされた。おことば放送があると予告があった。
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この玉音放送を数多くの知識人が試聴し、感銘をうけている。アンケートによると、アキヒトの要望に理解を示した市民は93%にのぼるという。
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ヒロヒトの玉音放送に、あの信じがたいほど醜悪な文言に、ほとんどの臣民が理解を示したこととよくにている。これでは、その凶暴性と破壊力において、ナチズムをもしのぐかもしれない尊皇ナショナリズムがいつ復活しても不思議ではない。
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アキヒトはこう言っていたでしょう。「日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考え」と。いきいきと社会に内在する「象徴」とはなにか。すでに象徴を越えた実在ではないか。

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また「国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井の人々」という。
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傳統・郷土・共同体・同胞とは人と人を分断する原理です。アキヒトはリベラルじゃない。保守主義だ。さらに、架空の傳統である皇統と幻想としての天皇制を守ることを使命と感じている。妄想と幻影のうえになにがなりたつというのか。
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▽ 国民の期待
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わたしたちにも期待はある。退位や譲位ではなく、廃位にしてもらいたい。天皇制は自分限りで止めにすると宣言してもらいたい。いや、その前に、父親である天皇ヒロヒトの戦争責任を認めてもらおうか。
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そうすれば、情けない知識人(新聞をふくむ)たちも議論は避けられなくなる。
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天皇制を批判する人びとのなかにも、「天皇制は自然消滅するのが望ましい」という意見があるらしい。現実的かもしれないが、それはそれで、情けない。
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天皇ヒロヒトの戦争責任を追求するのも、天皇制を打破するのも、安倍政権を倒すのも、ファシズムに抵抗するのも、わたしたち市民に課せられた責務である。

 

 

 

 


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