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女の平和 6.20国会ヒューマンチェーン
6月20日(土)13:00 - 15:00
国会議事堂周辺
戦争法案に反対のレッドカードを。赤の着衣で取り囲みます。男性も歓迎です
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★富山でも5/31に行いました。全国に広がっているので、心強いです。
★6月13日長野市で一足早いレッドアクションのご報告です。
★沖縄糸満市の女性市議からも、同日行動を実現したいとのご連絡を受けました。今回は、沖縄からも包囲します!!
★大阪での同日行動が決まりました。
呼びかけ人の石田法子さん(大阪弁護士会元会長)からのご連絡がありました。関西からもがっちり包囲です!
★6.20 名古屋のチラシです
★6.20長崎でも
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2015年6月4日(木)(憲法千話)
東京総合教育センターの教育相談で、妻の同僚である小林久枝さんから、チラシと共にお手紙が同封されていましたので、ご本人の了解を得て、彼女の文章を掲載します。
『日本民主主義文学会 杉並支部 20号記念特集「いま、憲法を考える」』(p.76-77)
小林久枝著「日本国憲法と私」
「これから日本は法律で戦争をしないことに決めました。五月には花電車が走ります。」
一九四六年十一月、一年生の私は朝礼で校長の話を聞いた。
田舎の町で、戦争中は空襲もなかったが、友だちは兄や父を戦争で失っていた。
私をかわいがってくれた叔父は、除隊後すぐに結婚したが、無理がたたって若妻を残し一年もたたずに死んでいた。
学校では、弁当も持てずに、昼休みに校庭の隅でブランコに乗っている子、しゃがみこんでいる子、そして弁当箱に入らない『おじや』を食べに家に帰る子がいた。くじ引きに当たった運動靴の切符を川に落とし、飛び込んで大けがをした友人もいた。
校長の話を聞きながら、十一月半ばで素足(すあし)に下駄・モンペの足は寒かったが、心には温かいものを感じた。
その日の帰り道で疎開っ子の久美ちゃんが、
「あのね、戦争でね、空襲から逃げるときにね、川にたくさんの死んだ人が浮かんでいたんだよ」
小さな声で初めて教えてくれた。
「戦争がなくなってよかったね。花電車って何だろうね」
「きっときれいな電車だね!」
二人は顔を見合わせて頷(うなづ)きあった。
やがて久美ちゃんは『小公女』の本を私にくれて東京に帰っていった。
私が生まれて初めて手に入れた『自分の本』だった。
三年生になった音楽の時間に、
「日本の国歌は、これからこんな歌になるかもしれません」
と音楽の教師が私たっちに教えたのは『緑の山河』だった。
「たたかい越えて立ち上がる 緑の山河・・・・・・」
みんなで大きな声で歌った。
『緑の山河』は、教師になってから組合の大会で歌っていたので、びっくりした。
自民層の憲法改正案が出されて以来、憲法制定の頃の、子どもながらに何ともいえず高揚した空気が思い出されてならない。