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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑩ 十五年戦争期の日本(1)

2015-05-07 11:43:37 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑩
 

十五年戦争期の日本(1)

 

昭和の時代に入るとともに、日本は急激に方向転換します。大正デモクラシーを吹き飛ばすような軍部独走の暗黒時代、戦争の時代に突入するのです。

1929年、アメリカの金融市場から世界恐慌【注1】が発生し、これが日本にも及んで昭和恐慌と呼ばれる大不況となります。国民の生活は深刻な危機におちいり、会社の倒産があいつぎ、失業者が街にあふれます。とくに農民の生活は極度の貧しさに見舞われ、農村は解体の危機に見舞われます。都市でも農村でも労働運動やストライキ【注2】がひんぱんに起こりますが、警察の厳しい抑圧によってその力はそがれていきます。

・・・ 

そうした不安定な状況の中でにわかに台頭してきたのが軍部です。大日本帝国憲法には、国家の権力をおさえるしくみがはじめから欠けていました。軍事作戦等については、国会も大臣も軍に口出しできないことになっていました。もともと軍部の独走を許しがちな背景があったのです。とくに危機の時代には戦争を起こすことで国民の目を行き詰まりの現実からそらせるという短絡的な考えにおちいりやすいのです。

 

軍部の暴走をだれも止めることができませんでした。1931年、満州【注3】にとどまっていた陸軍部隊がいっせいに中国軍に攻撃をくわえ、南満州鉄道沿線のおもな都市を占領します。これが満州事変で、日本が戦争に踏み込んだ第一歩です。新聞等のマスコミはこの軍部の行動を支持し、国民の間にも戦争をあおる空気がひろがります。翌年には満州を日本の植民地としますが、国際連盟【注4】はこれを非難し、このことを契機に日本は国際連盟を脱退し、世界の中で孤立をふかめていきます。

 

国内ではこの前後から軍部による独裁政権の樹立がくわだてられ、1932年5月には当時の犬養毅首相が暗殺されて【注5】政党内閣がたおれ、海軍大将を首相とする挙国一致【注6】内閣が成立します。1936年2月には昭和維新をうたい、いっきに軍部独裁政権の実現をねらった青年将校らがクーデター【注7】をおこし、主な大臣を殺傷し、陸軍省、参謀本部、国会、首相官邸等を占拠し、戒厳【注8】令がしかれます【注9】。クーデターそのものは鎮圧されますが、時の内閣はたおれ、軍部の力はさらに強まっていきます。

 

【注1】経済がパニックの状態になること。商品価格の暴落や破産、失業者の増大等が起こる。 

【注2】労働者たちが働く条件の向上をもとめて業務を停止すること。

【注3】中国東北部。

【注4】世界平和と国際協力を目的として1920年につくられた組織。加盟国50以上。

【注5】5・15事件。

【注6】国民全体が国の方向に染められること。

【注7】法に従わない、しかも急激なやりかたで政権を奪うこと。

【注8】戦時等に国の立法、司法、行政を軍の機関にゆだねること。

【注9】2・26事件。

 

 

 


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