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彼が生きていたら、今、何を語ったか 後藤健二さんの講演音声に聴く

2015-12-28 06:29:39 | キリスト教 歴史・国家・社会

Christian Today, Japan

http://www.christiantoday.co.jp/articles/17987/20151206/kenji-goto-journalist-syria.htmより転載

彼が生きていたら、今、何を語ったか 後藤健二さんの講演音声に聴く

2015年12月6日06時44分
彼が生きていたら、今、何を語ったか 後藤健二さんの講演音声に聴く
講演する後藤健二さん。彼の取材テーマは一貫して「弱い者のメッセージ」を伝えることだった。

今年1月に、過激派組織「イスラム国」(IS)によって殺害された国際ジャーナリスト・後藤健二さんの講演会を録音した資料が、このほど見つかった。

この講演会は、一昨年春に行われたもので、音声からは、ジャーナリストとして生きた後藤さんが、「自分の口から、直接、自分が見たものを伝えたい」と熱弁を奮った様子が聞き取れる。事件から10カ月余り経ったが、さらに悪化の一途をたどる中東情勢、世界情勢に、「彼が生きていたら、今、何を語ったか」と考える人も少なくない。生前の彼の言葉から読み解いてみたい。

宗教と文化について

この日の講演会は、宗教の話から始まった。「世界中で宗教を持っていない国というのはどれくらいあるだろうか? 恐らく、ものすごく少数だと思う」と後藤さんは話した。多くの場合、宗教がその国の文化を作る。世界の取材現場を駆け回っていた後藤さんは、現地の人々に「あなたは神を信じるか?」と聞かれたことが度々あった。「私の場合は、プロテスタントのキリスト教徒なので、『はい、私はクリスチャンです』と答えた。しかし、日本人の多くは仏教徒だと話す。日本の文化は、必ずしも宗教とリンクしているわけではないが、長い歴史の中で作り上げられた素晴らしい文化があるとも話す」という。

ジャーナリストという仕事

彼が生涯をかけて全うしたジャーナリストという仕事を、後藤さんはどう捉えていたのだろうか。ジャーナリストには、二つの大切な視点があるのだと話している。

「物事を疑ってみること。『こんなことをされたら、自分は嫌だろうな』という批判的なものの見方」が必要なのだという。一方で「事実をそのまま伝えるということ」も外せない要素だ。しかし、後者に関しては、事実を伝えながらも、どの事実を伝えるかは、ジャーナリストの力量と洞察力にかかってくるのだと話す。どの背景をどう捉えて、彼ら(取材対象者)が発するどのメッセージを伝えるかを判断するのが、ジャーナリストの仕事だというのだ。10分のレポート映像を作るのに、600分から700分くらいの映像を撮り、そこから、日本に住む私たちにどの人のどのメッセージを伝えるか判断するのは、容易ではない作業だ。

どの事実を伝えるか?

ジャーナリストの仕事について、具体的な一つのエピソードが紹介された。取材先で、後藤さんがある女性にインタビューしたことがあった。同じ質問を1日目と2日目にしたが、1日目には、その女性が泣いている映像が撮れた。2日目には怒っている映像が撮れた。「どちらの映像を、僕は使ったと思いますか? 怒っている映像です。怒っている映像を使うことによって、この女性が『なぜこんなことになってしまったんだ!』と言ったメッセージを伝えたかったのです」と話した。

教育とは怖いものだ

講演では、後藤さんが制作したDVD「ようこそぼくらの学校へ」(NHK出版)を鑑賞しながら、さまざまな世界情勢についても話した。エストニアでは、ソ連崩壊後、経済が立ち行かなくなり、失業率が悪化、食料が不足し、崩壊する家庭も少なくなかった。そんな中、子どもたちは捨てられ、路上でタバコを売ったり、麻薬まで売ったりする子もいたという。ここでも犠牲となったのは、幼い子どもたちだった。チェチェン共和国では、いまだに内戦が続いている。イスラム武装勢力が学校に乗り込み、子どもたちを人質に立てこもり、最終的には学校を爆破。多数の子どもたちが犠牲となった。「戦争だけで子どもが死ぬわけではない。大人たちが自分の意思を通すために、子どもたちを『人質』という武器にして、戦った。しかし、結果、ここでも犠牲になったのは、多くの罪のない子どもたちだった」と話した。

世界には、さまざまな事情を抱えた子どもたちがいる。例えば、アフガニスタンでは、40年以上も戦争が続いていた。戦争が始まってから生まれた子どもは、すでに30代になり、子育ての時期に入っている。「30代のお母さんたちは、『戦争しか知らない子どもたち』なのだ。学校というものを、勉強するということを知らない世代が、子どもを産み、育てている」と語っている。

アフガニスタンという国は、皮肉にも2001年に起きた「アメリカ同時多発テロ」を機に、一躍、注目を浴びるようになった国だ。あれから、十数年が経った現在のアフガニスタンでは、日本を含む世界中からの支援によって、50年ぶりに学校が再開した。アフガニスタンに平和が訪れたのだろうか? 子どもたちに教育が行き届くようになったのだろうか? 後藤さんは、「イスラム過激派の教えによって、女子は教育を受けなくてよいとされている。小中学校では、男子、女子は別々に教育され、高等教育になると、一部共学のところもあるようだ。しかし、女子が教育の場にいると、それを徹底的に排除しようとする動きもある。20代の若いイスラム過激派の男性戦闘員が、彼女たちを誘拐したり、強姦したりしている」と話した。

彼らは、「女性は教育を受けなくてよい」と教育されてきたのだ。「これも教育の恐ろしさ。女性も男性も皆が社会に出て、国を作っていくのだといった意識がない。僕は、彼らのことを気の毒に思う」と締めくくった。

イスラムの人々との出会い

イスラム圏での取材が多かった後藤さんは、その先々で多くの人々と人脈を築いてきた。彼が、ブログやツイッターの中で、時折「ブラザー」と呼ぶ彼らとのエピソードを語った。幾つかの数珠のようなものを聴講者に差し出して、「皆さんに、見ていただいて、触っていただきたい」と話した。これは、イスラム社会で「タスビー」と呼ばれ、彼らが大切にしているものだという。幾つか紹介した「タスビー」のうち、一つはシリアで友人からもらったもの、一つはアフガニスタンで後藤さんのドライバーを務めていた男性にもらったものだったが、この男性は後に強盗に襲われ、命を落としたという。「これらは、皆、新品ではない。誰かが身に付けていたものだ。その感触を味わってもらいたい」と話した。この小さな数珠にどんな祈りを込め、何を思い、どんな状況下で彼らが暮らしていたかを参加者にも想像してほしかったのだろう。

ソマリアの子どもたちの夢

30年ほど前から戦争が続き、無政府状態が続いている東アフリカの国ソマリア。海岸線が3000キロも続くこの土地では、マグロ、ロブスター、カニなどが豊富に獲れ、漁業の盛んな国でもあった。しかし、無政府状態になってからは、漁業協定などが結ばれることなく、外国船が勝手にソマリアの海に侵入し、魚などを獲り、散々海を荒らしてきた。自分たちの海を守ろうと立ち上がった漁師たちは、銃を持って船に乗り込んだ。しかし、フランス船とトラブルを起こし、フランス政府にソマリア人が捕まったことが、いわゆる「海賊」と呼ばれるようになったきっかけではないかと後藤さんは言う。この海賊たちも、初めこそ「海を守る」勇敢なヒーローであったが、そのうち、そうした密漁船から金を巻き上げ、そのお金で良い車に乗ったり、家を建てたりと遊び暮らすようになった。そんな彼らを見ていた子どもたちに、「将来、何になりたい?」と聞くと、多くの子が「海賊」と答えるというのだ。後藤さんは、「これも彼らが受けた教育」と話す。

自慢できる父親

イスラム教の聖典である「コーラン」には、幾つかの教えの中に「子どもの権利」と「親の権利」というのがあるのだと話す。子どもの権利には、「大人になるまで、不自由なく必要なものが与えられる」「『愛される』ことを楽しむ権利」などがある。一方、親の権利には、「子どもから尊敬される存在であること」が含まれている。ここで、後藤さんは、自身が父親であることを話し、「私にも子どもがいるが、自分自身の人生を振り返ると、決して尊敬されるような父親ではなかったなと、いつも反省する。子どもにとって自慢できる父親にならなければと思っている」と話した。こうした尊敬すべき対象の「大人」が、子どもたちを撃ったり、嫌がらせをしたり、暴力を振るったりするのを、子どもたちは小さな目できちんと見ている。そして、これが「神様の示した道なのだ」と理解する。それもまた教育なのだと後藤さんは話している。

「自爆ベスト」を着たパキスタンの少年

後藤さんがパキスタンに取材に行った時のことだった。当時のタリバン運動を信じている人々のリーダーに話を聞くべく、イスラム教過激派の一派と、街の片隅で話をしている時だった。そのそばで子どもたちが楽しそうに遊んでいる光景を見ていた。日本と変わらぬ子どもたちの無邪気なその姿に、一瞬、顔がほころびそうになったが、次の瞬間、後藤さんは「絶句した」というのだ。その少年たちは、「自爆ベスト」と呼ばれる爆弾を付けたベストのようなものを身に付けて遊んでいた。彼らは、そのベストを24時間着用し、命令が下れば、市場や人の多いところに行ってボタンを押し、「自爆」するのだ。なんの疑いもなく、「神様のもとにいく」ために。これも「教育」だと後藤さんは言う。かつて、キリスト教にも仏教にも何かしらの戦いがあった。イスラム教だけがこうした戦争をいつも続けているわけではない。宗教が文化と教育のベースになっているとしたら、何も知らない子どもたちは、生まれたその状況、環境からは逃れることができないのだと、力を込めて語った。

後藤さんの取材する目的は、一貫して「弱い人のメッセージ」を伝えることだった。内戦、飢餓、紛争、エイズなどで、一番弱い存在になるのは、いつも子どもたち。しかし、何も彼らのかわいそうな姿ばかりを撮り続けてきたわけではない。そうした過酷な状況下に住む、彼らの日常を伝えることによって、国際社会に多くの疑問を投げ掛けてきたのだ。講演後の質疑応答の中で、「取材中に、一番感動したことは?」との質問に後藤さんは、「アフガニスタンのゴミの山の中で、ゴミをあさっていた少女がいた。その少女は、何かお金になるものはないかと必死に探していたが、しばらくすると、その少女が本を手にしたのを見た。その本を大事そうに一ページ、一ページめくって読んでいる姿に非常に感動した。残念ながら、カメラは回していませんでしたが・・・」と語った。後藤さんのジャーナリストとしての視点は、繊細で温かく、キリスト者としての愛に満ちていた。

「あなたがたもこのように働いて弱い者を助けるように、また、主イエス御自身が『受けるよりは与える方が幸いである』と言われた言葉を思い出すようにと、わたしはいつも身をもって示してきました」(使徒20:35)

 

 

 

 


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