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あきらめない訴えがやがて国政も変える。 ”自衛隊誘致を白紙撤回”=「伊良部の動乱」から全国へ 〔国際ジャーナリスト 伊藤千尋〕

2017-05-02 14:56:02 | 憲法

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伊藤 千尋さんFBより

 明日3日は憲法施行70周年の記念日です。僕は今日これから静岡県藤枝市に行き、新茶摘み真っ盛りのお茶農家杵塚さんのお宅にお邪魔し(文字通りのお邪魔になりそうで恐縮ですが)、明日の朝は昨年8月15日に建てられた市内の山奥にある憲法9条の記念碑を取材させていただいた後、午後からは袋井市の市民のつどいで講演します。以下はカトリックの会を基盤とする「ピース9」の5月3日号に寄稿したものです。

「伊良部の動乱」から全国へ
     
九条の会世話人、国際ジャーナリスト 伊藤千尋

・・・
 9条の大切さや政権の横暴などを街角で訴えても、道行く人々からそっぽを向かれがちだ。この声が届いているのかと不安に思ったことはないだろうか。
 各地にある憲法9条の記念碑を調べている私は3月、沖縄の宮古島を訪れた。街を見下ろす小高い丘に高さ2メートルほどの白いサンゴ石が建っていた。黒い石の板に白く「非戦の誓い」と書かれ、その下に9条の条文が彫られている。市民運動で400人ほどから約90万円のカンパを集め2007年に建てたという。それから10年になる。

 驚く話を耳にしたのはそのあとだ。島の西の海上に信じられないほど細く長い橋が伸びる。バスで窓の直下に海面を見ながらジェットコースターのように上下し、3450メートルを走ってたどりついたのは伊良部島だ。さらに先の下地島(しもじしま)には3000メートルの滑走路を二つ持つ空港があった。
 空港が建設されたのは沖縄返還の前年の1971年だ。当時の琉球政府と日本政府の間で「軍事目的に使用しない」という確約書を交わした。今は国内唯一の民間パイロット訓練場である。ところが2005年、伊良部町議会が空港への自衛隊駐屯要請を決議した。住民への説明もなく、議会の審議もなく、緊急動議によってわずか10分後、9対8の1票差で可決したのだ。

 怒った人々が住民委員会を結成し公開質問状を出した。宮古島に住む「みやこ九条の会」の上里清美さんも連日、フェリーに乗って支援に駆け付けた。しかし、住民の反応は鈍い。訴えを聞いてくれる人はほとんどいなかった。
 その8日後、誘致派は伊良部町を宮古島市から切り離そうと市町村合併離脱を、またも緊急動議によって1票差で可決した。自衛隊に頼るしか生きる道はないと住民に思わせるためだ。
再度の強行採決に住民は怒り、議場に詰めかけた。
 誘致派の議員たちは「島の住民の過半数を夕方までに中央公民館に集めることができたら住民説明会に応じよう」と豪語した。そんなことなどできるわけがないと見くびったのだ。

 2時間後、公民館をのぞいた上里さんは驚いた。会場は人で埋まっていた。おじい、おばあ、部活帰りの中学生もいた。その数3500人。スピーカーをつけた車で島を2時間駆け回っただけで、これだけの人数が集まった。
 「それまで何度、自衛隊誘致の危険性を訴えても、まったく反応が感じられませんでした。何を言ってもダメと思っていた人々が…。信じられませんでした」と上里さんは語る。

 町議全員が舞台の上に並んだ。公開質問状に沿って住民側が議員に質問をぶつける。誘致派の議員はしどろもどろになった。議員一人一人の口から態度を明らかにするよう住民は迫った。
 議員たちが「明日の議会で民意を尊重して審議します」と言うと、会場からは「白紙撤回を約束しろ」と声が飛んだ。議員が「では、明日、白紙撤回します」と答えると、会場の女性がすかさずマイクに飛びついて「4年前にした自衛隊の訓練誘致もいっしょに白紙撤回してくださいね」と言った。議員は「わかりました」と力なくつぶやいた。会場からは万歳の声が沸き起こった。

 翌日の地元紙「宮古毎日新聞」が手元にある。1面に大きく「自衛隊誘致を白紙撤回」の見出しの下、公民館を埋めた人々の写真が載っている。この日、住民が見守る中で議会が開かれ、自衛隊訓練及び駐屯要請に反対する決議が賛成16、反対1で可決された。地元ではこれを「伊良部の動乱」と呼ぶ。この年、宮古島市には革新市長が誕生した。

 それから12年。防衛省は宮古島市に陸上自衛隊のミサイル部隊を配備しようと画策するが、住民は反対運動を繰り広げている。私が島を去る日の新聞の1面は、下地島の空港に国際線の旅客施設を整備することが決まったニュースだった。動乱の民意は生きている。

 上島さんは言う。「通じてないように見えても、通じていたのですね」。そうだ。あきらめない訴えがやがて国政も変える

 

 <FBコメントより>

MMさん
現在は決して楽観できる状況ではないように変化していますから、かってのことだけを書くのだけでは不十分ではないではないしょうか?

LPさん
4月 30日、鶴見で写真のイベントが行われました。
宮古島市から2人の小さい子どもを抱えたおかあさんが2人来ました。


三上智恵さんの新作「標的の島〜風かたか」でも取り上げられていますが、ミサイル配置と自衛隊配備に反対している市民団体の共に共同代表です。

会場は150人のキャパでしたが200人が参加、同じ場所で開かれた懇親会にも50名が参加。
熱気に溢れていました。

彼女たちが本土で訴え始めたのは、今回が確か初めてです。前日の大阪に次いで行われました。

辺野古・高江はある程度知られていますが、既に自衛隊配備された与那国島、配備されようとしている石垣島、宮古島、奄美大島のことは、ほとんど知られていません。
そういう思いが彼女たちの中にあったと思います。

伊良部の動乱も素晴らしいですが、現在の宮古島にも注視してください。

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