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普天間移設先「沖縄と言っていない」 モンデール元駐日大使、日本が決定と強調
【ワシントン=問山栄恵本紙特派員】
1995年の米海兵隊員による少女乱暴事件当時に駐日米大使を務め、翌96年に当時の橋本龍太郎首相とともに普天間飛行場返還の日米合意を発表したウォルター・モンデール氏(元副大統領)が事件から20年の節目を迎えたことを機に、琉球新報のインタビューに7日までに応じた。
モンデール氏は米軍普天間飛行場の移設先について「われわれは沖縄とは言っていない」と述べた上で「基地をどこに配置するのかを決めるのは日本政府でなければならない」との考えを示し、移設先は日本側による決定であることを強調した。名護市辺野古移設計画については「日本政府が別の場所に配置すると決めれば、私たちの政府はそれを受け入れるだろう」と述べ、米政府が計画見直しに柔軟な姿勢を取る可能性にも言及した。
また、少女乱暴事件に対する県民の大きな反発を受け、在沖米軍や日米安全保障条約の存続問題へと議論が発展したことを説明し、しかし日本側が沖縄からの米軍撤退を望まなかったこともあらためて明らかにした。
モンデール氏は少女乱暴事件について「身の毛のよだつような残酷なことで、少女に申し訳ない気持ちになった」と述べ「大衆の怒りが爆発した。デモの人たちが私のオフィス(駐日大使館)の外にもいたことを覚えている。私はとても取り乱した。本当に緊迫していた」と振り返った。その上で、「少女に起きたひどい出来事というだけでなく、日本との同盟条約を維持するかどうか、沖縄の人たちが米軍を周囲に置きたいかどうかの議論に変わっていった」と述べ、米政府が当時、在沖米軍の撤退を懸念していたことを明らかにした。
一方、米国務省系研究機関による退任後のインタビューで、当時日本側が「われわれが沖縄を追い出されることを望んでいなかった」と証言したことについては「日本政府や外務省で関わった人たちのことを引用したのは確かだ」と述べ、日本側が普天間飛行場をはじめとする沖縄の米軍基地駐留の継続を求めていたとの認識を示した。
県内移設の条件が付いた普天間飛行場の返還合意については「完全だったとは思わない」と振り返り、合意から19年たっても返還が実現していない現状に「こんなにも長い時間がかかるとは想像もしていなかった。当惑している」と述べた。
沖縄県が求める日米地位協定の抜本改定については「協定は米軍駐留の基礎だ。私たちがしたように、少しのルール変更は可能だ」と述べ、否定的な見解を示した。