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なぜ沖縄に基地が集中したか~国民の目にとまりにくいよう(1956年米国務省極秘文書)

2015-09-24 11:31:44 | 沖縄
 
 
棚原 勝也さんFBより
 

米軍基地の存在を(日本本土の国民の)目にとまりにくいようにして反基地感情を減らすべきだ』(1956年の米国務省の極秘文書より)...
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昨夜(9月23日)の『報道ステーション』は沖縄の基地問題。

そもそも、なぜこれだけ米軍基地が沖縄に集中しているのか…。
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そこには、
日本政府が沖縄の人権を無視し、日本本土の『安全』のため、

沖縄戦が終わってもなお、
『捨て石』にされ続ける沖縄の姿がある。
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(VTR)
沖縄県の国頭村と東村にまたがる北部訓練場。
この広大な敷地に海兵隊が持つ世界で唯一のジャングル戦闘訓練施設がある。
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海兵隊は有事の際に
強襲揚陸艦やオスプレイでいち早く戦場に送り込まれるいわば、殴り込み部隊だ。
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ここで訓練を受けた
海兵隊員らの多くは実際の戦場に向かう。
そして、確実に何人かは命を失うことになる。
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沖縄には在日米軍基地の74%が集中する。
そのうち75%は海兵隊の基地だ。
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しかし、海兵隊はもともと沖縄にいたわけではない…。
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岐阜県各務原市(かかみがはらし)にある航空自衛隊の岐阜基地。

以前は『キャンプ岐阜』と呼ばれる
アメリカ海兵隊の基地だった。

海兵隊が日本に来るきっかけとなったのは、1950年に勃発した朝鮮戦争。

朝鮮半島での不測の事態に備えるためだ。
基地の街となったキャンプ岐阜周辺の繁華街は海兵隊員らであふれた。
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当時を知る石田さん。街の風紀は乱れ犯罪も相次いだという。
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●当時を知る地元住民 石田さん(80)
『婦女暴行だとか、殺人事件が起きたりとか、

私の知っている学校の先生も結果的には泣き寝入り…。

家へ帰られる途中で畑に連れ込まれて…。』
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海兵隊など米軍人の犯罪に対して
岐阜をはじめ日本各地で反対運動が激化。
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1956年以降、海兵隊は
本土から追い出されるように沖縄に移っていくことになる。
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しかし、実はそこに 日米両政府の狙いがあった。
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これは、沖縄への移転と同時期に
アメリカの国務省内でやり取りされていた極秘文書。
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●1956年12月の米国務省の極秘文書から『米軍基地の存在を
(日本本土の国民の)目にとまりにくいようにして反基地感情を減らすべきだ。』
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●文書を入手した京都外国語大学菅 栄輝 教授
「日本本土の国民の目から遠ざけるためにつまり、基地を不可視化(見えなく)するために沖縄に移すことが、政治的には好ましいという判断はあったんだと思います。」
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当時、
アメリカの統治下にあった沖縄。
海兵隊の沖縄への移設を日本政府も歓迎していたことを示すアメリカの報告書も見つかっている。
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●1961年12月ケイセン調査団報告書
『現在の日本政府は沖縄から米軍を追い出すことを望んでいない。
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政治問題を生じさせずに
“ 日本の安全 ” に貢献しているからだ』
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●文書を入手した京都外国語大学菅 栄輝 教授
「日米双方とも、基地を不可視化するために沖縄に、言葉は悪いんですけれども
『閉じ込めておく』
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抑止力という観点から、
地理的に沖縄でなければならないという判断では なかったと思います。」
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日米軍基地のうち沖縄の占める割合は
1950年代は1割ほどだったが
その後、逆転し74%になった…。

 

 

 


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