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教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために⑤ ~日清戦争と日露戦争

2015-05-02 21:18:50 | キリスト教 歴史・国家・社会

木下裕也先生の「教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために」記事を連載しています。

木下裕也木下裕也(プロテスタント 日本キリスト改革派教会牧師、神戸改革派神学校教師)

 

教会・国家・平和・人権―とくに若い人々のために
 

日清戦争と日露戦争


江華条約締結後の1894年、朝鮮の独立と近代化をもとめる大規模な農民反乱が起こります【注1】。この反乱をおさえるため、朝鮮の政府は清【注2】に援助を要請します。一方日本も朝鮮半島での勢力を維持しようと、朝鮮政府の意向を無視して軍隊を派遣し、日本と清は朝鮮にとどまって向かい合うことになります。1894年、ふたつの国は戦争に突入し、翌年日本の勝利をもって終わります。

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日清戦争に勝利したことにより、日本は欧米の国々とならぶ帝国主義【注3】国家としての自信を深め、東アジアの国々にあって支配的な地位を得、清に朝鮮の独立を認めさせることにも成功します。これ以後、日本は朝鮮を思うままに支配していきます。

 

日清戦争後、東アジアではロシア、ドイツ、フランスの力が強まり、朝鮮半島でもロシアの力を頼みとして日本の支配に抵抗しようという動きが見られるようになります。これに危機感をいだき、一気に状況を打開しようとした日本は、朝鮮の王妃を殺してしまいます【注4】。王妃をうしなった朝鮮の人々は深く悲しみ、日本に対する民衆の抵抗運動が激しさを増していきます。

 

1904年には日露戦争が勃発(ぼっぱつ)します。この戦争は中国大陸の支配をめぐる欧米の国々のかけひきを背景としていました。日本はロシアによる中国占領を阻むとともに、朝鮮の支配を確固たるものとするためイギリス、アメリカと手を結びました。一方ロシアの背後にはドイツ、フランスが控えていました。

 

戦争は日本がロシアに勝利する結果となり、すでに朝鮮半島を植民地とするための準備をすすめていた日本は、戦争の後欧米の国々との交渉の中で朝鮮支配の承認をとりつけます。日露終戦の1905年に韓国【注5】を保護国【注6】とすることが閣議決定され、続いて第二次日韓協約(もしくは保護条約)が締結されたことによって500年の歴史をもつ朝鮮王朝はたおれ、ここに日本による朝鮮植民地化はほぼ既成の事実となります。

このとき日本国内では日の丸がかかげられ、祝賀行列がくり出されましたが、朝鮮の人々は国をうしなった悲しみに、地をうちたたいて涙にくれたのです。日本政府は朝鮮の全土に巻き起こった激しい抗日運動を武力によって弾圧しました。

 

【注1】東洋の三つの宗教(仏教、儒教、道教)を合わせた東学(とうがく)という宗教と結びついていたため、東学党の乱と呼ばれます。 

【注2】17世紀の初めから20世紀の初め、1912年まで続いた中国の王朝。

【注3】ひとつの国が経済や軍事において他の国々をおさえ、大国となっていこうとする、そのありかた。

【注4】王は日本の支配に抵抗していました。

【注5】1897年に朝鮮国は国号を大韓帝国とあらため、朝鮮国の王は大韓帝国皇帝に即位していました。

【注6】条約にもとづいて他の国の主権によって保護を受ける国。半主権国。外交等の制限を受けます。

 

 


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