異教の地「日本」 ~二つの愛する”J”のために!

言論宗教の自由が保障され、ひとりひとりの人権が尊ばれ、共に生きることを喜ぶ、愛すべき日本の地であることを願う。

父は原爆ドームの向かいに住んでいた…吉川晃司が原爆特別番組で核兵器禁止条約を拒否する安倍政権を批判!〔リテラ 2017.8.7〕

2017-08-07 21:44:31 | 核爆弾 広島長崎

 

父は原爆ドームの向かいに住んでいた…吉川晃司が原爆特別番組で核兵器禁止条約を拒否する安倍政権を批判!

2017.08.07
父は原爆ドームの向かいに住んでいた…吉川晃司が原爆特別番組で核兵器禁止条約を拒否する安倍政権を批判!の画像1
『NNNドキュメント'17』HPより


 今月6日、広島に原爆が投下されてから72年が経った。今年の夏も日本のみならず世界中からたくさんの観光客が原爆ドームや広島平和記念公園に足を運んでいるが、実は意外な人物がこの場所にとても深い縁をもっている。

 その人物とは吉川晃司。そんな彼とこの場所の縁とはいったいなんなのか? 6日深夜に放送された『NNNドキュメント 4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜』(日本テレビ)でその秘密が明かされ話題となっている。この番組は、広島テレビ製作で今年4月に広島地区ローカル放送されており、前々から別地区での放送も望まれていた番組だった。

 現在、広島記念公園となっている場所は、原爆投下前は「中島地区」と呼ばれる広島有数の繁華街で、1300世帯4400人が暮らしていた地域だった。吉川晃司の祖父は、この中島地区の端、現在は原爆ドームとして知られる広島県産業奨励館の川を挟んだ斜め向かいで「吉川旅館」という割烹旅館を営んでいた。彼の父親もここで生まれ育ち8歳まで暮らしている。原爆投下より以前に旅館を別の人に譲り渡して疎開していたので吉川家は原爆の直撃を受けることは逃れたが、彼の父は原爆投下直後に疎開先から広島に帰っているため、そこで被曝した。

 この中島地区は爆心地からほど近いため、原爆投下により一瞬で跡形もなく消滅してしまった。現在の広島平和記念公園の下にはいまも中島地区の家々の瓦礫が埋まっており、番組ではその発掘調査の模様も放送されていた。そして、ちょうど吉川旅館があった場所に立った吉川晃司はこのように語る。

「父親たちが疎開をしてなかったら私はここに当然生まれてないわけですよ。この距離だから、影も形もないわけでしょう」

 そして彼は、敢えていまこのようなドキュメンタリー番組に参加したことの意図をこのように語る。そこには、過去に起こった悲劇から学ぼうとしない現政権への怒りがあった。

「そこに町並みがあったということも知ってもらいたいというのはあったかな。外国人がたくさん訪れるような街にもまたなったし。オバマさんがいらっしゃった効果というのも、ある角度から見ればそれは素晴らしいことだし、ただ、だからといって日米の地位協定は変わってないわけですよ。先日のね、やっと世界中が核に対してね、『ノーと言おうよ』って手をあげたなかで、なぜ日本はそうしないのかという。だから、『戦争終わってないよね』と思っちゃうわけですよ」

安倍政権が「でえっ嫌い」と率直に語っていた吉川晃司

 

 ここで吉川が「世界中が核に対してね、『ノーと言おうよ』って手をあげた中でなぜ日本は」と語ったのは、昨年10月、国連総会第1委員会において「核兵器禁止条約」に向けた交渉を2017年にスタートさせる決議が賛成多数で採択されたのに対し、米露英仏の核保有国などとともに日本も反対したことを指している。

 唯一の被爆国として国際社会から日本に求められる態度は当然、広島と長崎で起こった惨劇を世界に伝え続け、その悲劇を二度と繰り返さないための交渉を行うことであるのは誰の目にも明らかだが、安倍政権の取り続ける態度はそれとは対極にある。

 この傾向はいまも変わらず、今年7月の採択の後にも日本の別所浩郎国連大使が記者団に対し、条約に「署名しない」と明言するなど、頑な姿勢を崩さない。これに対し、広島市の松井一実市長は、きのう8月6日平和記念式典の「平和宣言」のなかで、日本政府に対し「日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい」とスピーチした。

 広島で生まれ育ち、ましてや祖父と父が暮らした家が平和記念公園の敷地内にあったという身からすればこの怒りは至極当然のことといえるが、実は吉川晃司はこれ以前から安倍政権に対しことあるごとに怒りを表明し続けてきた。たとえば、「AERA」(朝日新聞出版)16年5月23日号では「年金運用の失敗で5兆円損したとか、川内原発の周辺は地震が起きないとか言ってたけど、ふざけんなよ」と語り、また、「週刊プレイボーイ」(集英社)16年5月30日号では、乙武洋匡氏が自民党から出馬予定であったことに対し(不倫騒動により頓挫)、このように言い切っていた。

「ただ、俺は現政権がでえっ嫌いなもんだから、疑問と残念感は残るんだけど。今、自民党から出るのはやめましょうよって思うだけで」

 もともと政治的な発言が目立つタイプではなかった吉川晃司がこのような発言を行うようになったきっかけは、東日本大震災だった。宮城県出身のスタッフ2人が実家と連絡が取れないということで、彼らを連れて被災地に向かった吉川は、そのまま知人のNPO法人のスタッフに混じり石巻市でボランティア活動に参加する。

 普通、有名人の被災地ボランティアというと、炊き出しなどが一般的だが、水球で鍛えあげ体力に自信のある彼は敢えて瓦礫の撤去作業に加わることになる。そこで見た光景は、吉川の人生観をがらりと変えてしまうものだった。

「おこがましい話ですけどね。僕は被災地で、死ぬまで忘れられない光景をいっぱい見たんです。と同時に、自分の無力さを痛感した。つまり自衛隊の人たちは重機でガーッとやってるし、看護師さんたちは野戦病院状態の中で働いてる。でも、俺はここでできることは何もないんだなと」(「週刊文春」12年4月12日/文藝春秋)

東日本大震災の被災地に行ったことで吉川晃司は変わった

 

 それでも彼は社会のために自分にできることはなにかを探して行く。そこで、11年7月30日、東京ドームにて収益が被災地に寄付されるチャリティライブを開き、21年ぶりに布袋寅泰とのユニットバンド・COMPLEXを再結成させることになるのだ。このライブにより、グッズやDVDでの売り上げも合わせて、6億5000万ものお金を被災地に送ることができた。活動休止前に布袋との殴り合いまであったと噂されるほど遺恨のあったこのグループを復活させることになった経緯を吉川はこのように語っている。

「己の不甲斐なさとか、小ささを痛感させられた上に、さらにもっと違うものを何か感じちゃったんだよね。俺は現場に行っちゃったからね。ずるいっちゃずるいのかもしれないな。何かやっとかないとなって。でも何やればいいんだろうって。ともかくお金が、現金がないんだよ、被災者の方は。そしたら送れるものを考えようと思って、やったんだ」(「bridge」14年8月号/ロッキング・オン)

 吉川の活動はこれだけでは終わらない。3.11をめぐる一連の問題のなかで、ことさら彼に危機感を抱かせたのは、原発に関する問題であった。そこには、先に挙げたような、祖父と父が暮らした街が一瞬にして消滅させられたという事実、そして、もし運命の歯車が一つでも狂っていたら自分は生まれてこなかったかもしれないという思いもあるのだろう。だから、原発の危険性が改めて浮き彫りになったのにも関わらず、それでもこの問題を見なかったことにして再稼働を進めている政府の姿勢は、どうしても不信感を抱かざるを得ないものだった。彼はそのような思いをこう語っている。

「このまま何も策を講じることなく死んじゃったら、僕ら、恥ずかしい世代ですよね。放射能のことも、僕らは本当のことを知らず、知識がないゆえに傍観してきた。それは悔いても悔やみきれない」
「次代を担う子どもたちに負の遺産を押しつけて、あとは頼むよじゃ死んでも死に切れないから、やれることはやらなきゃと思ってます。子どもに、墓に向かって「父ちゃん、何もしなかったじゃないか」とは言われたくない。せめて「いや、俺なりに頑張ったんだ」と言い返したい」(前出「週刊文春」)

吉川晃司は原発反対の主張こめた楽曲「絶世の美女」をつくった

 

 その結果、生まれたのが「絶世の美女」という楽曲である。これは、2013年に発売されたアルバム『SAMURAI ROCK』に収録されているが、彼はインタビューなどを通じて自分の意見を話すだけにとどまらず、そういった社会的なメッセージを自分の作品にも反映させるようになったのである。

〈お前は絶世の美女さ/世界は跪くだけ/お前の火照った身体/誰もがお手上げだね(中略)10万年後もpillow talk/熱は冷めないんだろう/魔女も驚くmelting down/お前は全部欲しがる/Oh, No NU Days/Oh, No NU World〉

「絶世の美女」ではこのように、原子炉を悪女にたとえて、その厄介さや悪質さを訴えている。〈何言ってんだー/ふざけんじゃねー/核などいらねー〉と歌った忌野清志郎の一連の作品をはじめ、日本のロックでも反原発や反核をテーマにした楽曲は数多くあるが、そういったストレートにメッセージを主張した歌とは一線を画し、少し捻った、文脈を読み解かなければ反原発の曲とは分からないような構造の楽曲となっているのには、吉川が体験から得た学びが反映されているという。

「とにかくエンターテイナーがエンターテインメントとして、今思うことをそこに映し出せてないと負けになると俺は思ったんです。直接的な言葉を乗っけるのは簡単だと思ったんですよ。それこそ『原発反対』みたいなね。これじゃあ負けだろうなあと思って、とにかく良質のエンターテインメントとして成立させたいという」
「たとえば、震災から帰ってきた時、現地のことを伝えたいと思うんだけど話せば話すほど人が引いていくのを、ものすごく痛感したんです。『ほんとはこうなっているんだよ』っていうことを話すと、みんな『へえ〜、聞きたい聞きたい』って言いながらも、心を遠ざけていくんですよ。それは自分にとってマイナスな情報になるから。なんかやらなきゃいけないと思うと大変だぞっていう目にみんな変わるの。それを見ちゃったんで、ヒステリックに言ったら人には受け入れられないっていうことがわかったんだよね」(「ROCKIN'ON JAPAN」13年6月号/ロッキング・オン)

原発発言のせいで吉川晃司はスポンサーから圧力をかけられていた!

 

 しかし、このように反原発のメッセージを訴え続けていれば、当然、原発スポンサー企業との間で軋轢が起こる。実際、こんな体験までしているようだ。

「リスキーだし、マイナス面も増えますよ。実際にコマーシャルの話が来る時に『原発発言、しますか?』みたいに訊くところもあるわけで。『しますよ』と言うと、その話はもうそこでなかったりするしね」(「bridge」13年3月号)

 ただ、それでも彼は諸々の圧力で発言をつぶしてこようとする勢力に屈することは一切なかった。

「金や権力で人を黙らせようとするものに対しては、自分は絶対に「はい」とは言えません」(「週刊朝日」14年9月19日号/朝日新聞出版)

 また、吉川のように社会的な発言をしていると必ず襲ってくるのが、「何の知識もない芸能人は黙っていろ」といった攻撃だ。そういった「炎上」に対しても、彼はこう言い切っている。

「ミュージシャンであれ芸能人であれ、政治的な発言はしないほうがいいという風潮には疑問を感じています。ひとりのこの国の民として、己が生きのびるために必要な権利を主張しないのは、おかしい」(前出「週刊朝日」)
「一時期、文化人とかエンターテイナーが政治や経済について語ることはかっこ悪いみたいな風潮が日本にもあったと思うんだけれども、今はそんなこと言ってる人がかっこ悪いと思ってますよ。どんどん言うべきじゃないのっていう」(前出「bridge」13年3月号)

 前掲『NNNドキュメント 4400人が暮らした町〜吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園〜』の冒頭で彼は、「年を重ねるごとに故郷への思いも変わってくるっていうか深くなってくる」と広島への思いを語っていた。

 吉川にはこれからも原爆や原発に関してのメッセージを発信し続けていってほしい。それは、広島や日本のみならず、この世界にとって重要な主張なのだから。

 

 


没後8年、今こそ清志郎ソング 反戦反核「予言」リアルに 〔毎日新聞 2017.5.10〕

2017-08-07 21:39:03 | 平和 戦争 自衛隊

https://mainichi.jp/articles/20170510/dde/012/200/067000c?inb=ysより転載

没後8年、今こそ清志郎ソング 反戦反核「予言」リアルに

 
喉頭がん治療から本格的に活動を再開し、日本武道館で熱唱する忌野清志郎さん=2008年2月10日、カメラマンの西村綾乃さん撮影

 

 季節が巡ると、あの歌声が聴きたくなる。日本ロック界のカリスマ、忌野清志郎さんが亡くなったのは8年前の5月2日だった。反原発ソングだけではない。反戦反核の詞は、北朝鮮が挑発を続ける現代と重なる。今だから言いたい。あなたは「予言者」だったのか、と。【鈴木梢】

ユーモア持った抵抗者、歌い継がれ

 
ライブ「カバーズ2017」では、RCサクセションが洋楽の名曲をカバーした全11曲が演奏された=宮城県川崎町で2017年4月30日、鈴木梢撮影

 まるで「戦争前夜」のような重苦しい空気が、この世界を包む。その一角。日本のコンサート会場で聴衆の耳をつんざいたのは、核戦争の恐怖を描いた反戦歌「明日なき世界」だった。

 <東の空が燃えてるぜ 大砲の弾が破裂してるぜ><世界が破滅するなんて嘘だろ>

 4月末、宮城県川崎町で開かれたライブイベント「カバーズ2017」に出かけた。東北の地はまだサクラが咲いて華やいでいるのに、世界にはきな臭さが漂う。北朝鮮は核・ミサイル開発を諦めず、米トランプ政権は「力による平和」を押し出している。

 清志郎さんが率いたロックバンド「RCサクセション」は1988年、洋楽のヒットナンバーをカバーして意訳し、反戦、反核、反原発のメッセージを込めたアルバム「カバーズ」を発表している。この日のライブではアルバムに収録された全11曲が披露された。1曲目が「明日なき世界」だ。

 ライブには、RCのギタリストだった盟友「チャボ」こと仲井戸麗市さんや、清志郎さんの告別式で弔辞を読んだ甲本ヒロトさんら、当時のバンドメンバーや影響を受けた音楽家が集まった。仲井戸さんはステージ上で語った。「この2017年にこの作品をやる意味合いを感じている。清志郎君は言葉の自由をたくさん探した。唇の自由をだれも奪えないんだ」

 「カバーズ2017」は、01年に始まったロックフェスティバル「アラバキ」の目玉イベント。清志郎さんは喉頭がんの闘病から復活した08年、このフェスティバルに参加した。09年に58歳で亡くなり、一周忌の命日には清志郎さんの名曲選が演奏された。翌11年、宮城県など東北の沿岸部を東日本大震災の津波が襲い、東京電力福島第1原発事故が起きた。

 清志郎さんによって「明日なき世界」がカバーされたのは、米ソの冷戦期だった。それが今になって、現実味を増している。新潟市から伊藤旺佑ちゃん(4)を連れてきた母いづみさん(34)は「この子は4歳にして、テレビでこの曲を知り、気に入って歌っている。今聴く意義を感じるし、子供の世代にこそ大切な歌です」と話した。会場のスクリーンには、こんな問いが映し出された。

 <アルバムの作者であるその男が今ここにいたら、何と歌うのだろう>

 作家の吉本ばななさんは、この問いに答える。「早すぎたあのアルバムと同じことを歌われるのではないかと思います。逆に言うと、もう十分遺(のこ)してくださっているのです」。吉本さんは清志郎さんの大ファン。評論家の父隆明さんとも一緒に清志郎さんのライブに通った。

 反原発ソング「サマータイム・ブルース」が収録されているカバーズは、東芝EMIから発売予定だったが、中止された。親会社の東芝が原子炉を製造していたのが理由とされ、アルバムは別会社からリリースされた。20年以上たった東日本大震災で原発の安全神話は崩れ去り、この歌は「警告」として再評価される。

 そして今、その東芝は米原発建設などで債務超過に陥り、存続の危機にさらされている。著書「耳をふさいで、歌を聴く」の中で「清志郎論」を展開した文芸評論家、加藤典洋さんは「まさにアリの一穴です」と切り出した。

 「東芝崩壊への最初の一歩が、あの発売中止だったと思う。健全な批判を受け入れられない企業文化に対し、清志郎はユーモアを持ち合わせた本物の抵抗者だった。権力や金だけでなく、世間一般のいわゆる『善き価値観』も軽々と笑い飛ばしました」

 カバーズだけではない。清志郎さんは「君が代」を派手なパンクにして歌い、「あこがれの北朝鮮」という曲では「北朝鮮で遊ぼう」と皮肉ってタブーを排した。歌以外に今注目されているのが、00年に清志郎さんが書いたメッセージ。今読み返すと、思わず息をのむ。

 <地震の後には戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる。国民をバカにして戦争にかり立てる>

 この文章は、音楽への愛や社会への怒りを語った自著「瀕死の双六問屋」に収められ、ファンの間では「予言」とも受け止められている。「こんな時代になるとは、だれも思っていなかったでしょうね。だからこそ、今、清志郎の得難さをありありと感じる」。加藤さんはそう嘆き、米社会と日本を比べる。

 「アメリカではボブ・ディランがノーベル文学賞をもらい、ほどなくしてトランプ政権が誕生した。片やトランプ、こなたディランだから、均衡が取れてまだ安心なんです。でも、日本には安倍(晋三)首相の対極に、もう清志郎にあたる存在がいないんですよ」

 だが、清志郎さんの歌は生きている。吉本さんはそこに希望を見いだす。「ひとりの人が一生を通じていい音楽を創った。それは残ってしかるべきものだと思うし、これから生まれる世代にも聴き継がれていきます。清志郎さんは考えていることをそのまま生きるということを見せてくれた人です。私は少し歳(とし)が下なので、彼の後を継いでいかなくてはいけない、同じように若い人たちに『こういう大人もいる』ということを見せ続けなければいけないな、と思います」

 <天国は無い ただ空があるだけ 国境も無い ただ地球があるだけ>

 東北のライブはジョン・レノンの「イマジン」で締めくくられた。舞台に立ってマイクを並べたのは、いずれも広島県出身の奥田民生さんと吉川晃司さん。カバーズは当初、広島に原爆が投下された8月6日に発売されるはずだった。清志郎さんはイマジンに独自の歌詞を付け加えている。

 <ぼくらは薄着で笑っちゃう ああ 笑っちゃう>

 憲法で戦争放棄を掲げる日本の軽武装を<薄着>と表現し、軽やかに笑おうと呼びかけるのが清志郎さんらしい。会場は大合唱。全ての演奏が終わり、スクリーンに映し出されたのは清志郎さんのピースサインだった。改めて、清志郎さんが00年に発した「予言」の続きをかみ締めた。

 <この国の憲法第9条はまるでジョン・レノンの考え方みたいじゃないか? 戦争を放棄して世界の平和のためにがんばるって言ってるんだぜ。俺達はジョン・レノンみたいじゃないか。戦争はやめよう。平和に生きよう。そしてみんな平等に暮らそう。きっと幸せになれるよ>

 清志郎さんの命日の翌3日は憲法記念日。この日、安倍首相は「20年を新しい憲法が施行される年にしたい」と述べた。再び東京で五輪が開催される前に、憲法を改めるかどうか<僕ら>が決めることになるのかもしれない。

 

 

 

 


小 沢 一 郎「第3次安倍改造内閣発足をうけて」・・・真に変えるべきは大臣などではなく、安倍総理その人であり、安倍政権そのものである。

2017-08-07 21:17:34 | 政治 選挙 

真に変えるべきは大臣などではなく、安倍総理その人であり、安倍政権そのものである。

第3次安倍改造内閣発足をうけて

平成29年8月3日 代 表 小 沢 一 郎

いま内閣に問われていることは、総理の友人のための便宜供与や総理を守るための文書廃棄、口裏合わせ等の隠ぺい工作、そして、何よりそういうことを可能ならしめている公務員の「総使用人化」である。

「全体の奉仕者」たるべき公務員が「一部の奉仕者」に成り下がっているということである。

「トップ」が腐敗しているのだから、大臣を何人変えようが何の意味もない。内閣改造で人気取りをして何とか支持率を挽回しようという、総理の「さもしい願望」に過ぎず、醜すぎる。

安倍総理は内閣改造などという意味のないことをする前に、即刻「すべて」を明らかにしたうえで、今こそ潔く身を引くべき時である。

真に変えるべきは大臣などではなく、安倍総理その人であり、安倍政権そのものである。

 

 

 


【森友疑惑】その後の報道で次々に明らかに!全納税者が突き付ける佐川国税庁長官辞職勧告 〔日刊ゲンダイ〕 

2017-08-07 18:33:46 | 森友学園疑惑
 
 23:29 - 2017年8月6日

全納税者が突き付ける佐川国税庁長官辞職勧告 財務省も大臣以下幹部の総退陣が必要 

 その後の報道で次々に明らかになっている財務省タヌキたちの国会冒涜の大嘘の数々 やっぱりこの内閣はオシマイだ 税金の元締めがモラルハザードの張本人に 音声データの生々しいやりとり(日刊ゲンダイ)

 

 

 

 

 


若狭衆議院議員「日本ファーストの会」を設立 〔NHK 2017.8.7〕

2017-08-07 18:08:40 | 政治 選挙 

国民がファーストではなく、日本と言う国家がファーストか!

 【都民ファースト】だから【国民ファースト】かなっと思ってたら、
 【日本ファースト】に成ったんだね?
 国民がファーストではなく、日本と言う国家がファーストに成ると言う意味だろうか?
 たぶん、そうなる様な気がする。(N・T氏)

 画像に含まれている可能性があるもの:1人

 

NHK http://www3 .nhk.or.jp/news/html/20170807/k10011091271000.htmlより転載

 

若狭衆議院議員「日本ファーストの会」を設立

東京都議会議員選挙で小池知事が率いる都民ファーストの会を支援し、自民党を離党した若狭勝衆議院議員は、7日国会内で記者会見し、みずからを代表とする政治団体「日本ファーストの会」を設立し、政治塾を発足させることを明らかにしました。

この中で、若狭氏は「自民党でもない、民進党でもない、もっと新しい、内政・外交の諸課題にしっかりと対応してくれる政党を皆さんが求めていると実感した。政治のプロだけによる政治ではなく、幅広い人材のもとで政治が行われるべきだ」と述べ、みずからが代表を務める政治団体「日本ファーストの会」を設立したことを明らかにしました。

そして、政治塾を発足させ、来月16日に開く初会合には小池知事を講師に招くということです。

そのうえで、若狭氏は「政治塾で、小池知事が理念としている考え方をすべからく全国に推し進めるため、同志を募るという側面は極めて大きい」と述べ、政治塾の塾生から国政選挙に候補者を擁立する考えを示しました。

一方、若狭氏は、民進党を離党する意向を表明している細野元環境大臣ら現職の国会議員との連携について「現職の国会議員を含め『自民党の受け皿を作るべきだ』と強く情熱を持っている人とは、これから協議を深めていく」と述べました。

 

関連ニュース

若狭氏 民進離党の細野氏と連携に向け協議したい考え | NHKニュース

8月6日 10時55分