鹿児島上映会の日程
と き:2014年11月28日(金)13:00~
ところ:かごしま県民交流センター・大研修室第2
(鹿児島市山下町14-50 鹿児島地裁前)
入場無料
鹿児島上映会の日程
と き:2014年11月28日(金)13:00~
ところ:かごしま県民交流センター・大研修室第2
(鹿児島市山下町14-50 鹿児島地裁前)
入場無料
【Event】 ●講演と祈りのつどい●「被災地から見た『秘密社会』」
と き: 11月29日(土) 午後2時より
ばしょ:東京めぐみ教会(高田馬場駅徒歩8分)
講 師: 川上直哉牧師(東北ヘルプ事務局長・牧師の会よびかけ人)
予約不要・ぜひご参加くださ
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◆東北ヘルプとはー
http://touhokuhelp.com/index.html
復興・被曝と祈りの力(1)(2014年3月『朝祷』誌 収録) | |
2014年8月2日(金)、ドイツからシュナイス宣教師が来仙されました。世界に被災地を伝えること。それが、シュナイス宣教師のミッションでした。8月2日の朝5時、私はシュナイスさんと共に福島県の南端・いわき市中心部にある日本基督教団磐城教会、いわき市在住の母さんたち16名と、保養面談会が行われる会場(礼拝堂)へと向かいました。 |
政治と宗教と支援と原発 | |
半年間、更新できなかったホームページを、ようやく、再開したいと思います。 再開最初の今回は、「FEBC 緊急特別番組「特定秘密保護法をめぐって」3/7です。 |
「直結と密着」 | |
東北ヘルプは、「直結」と「密着」をキーワードとして、「教会の働き」として、支援者を支援しよう、と考えてきました。 |
東北ヘルプの福島支援:密着と直結 | |
東北ヘルプの支援活動は、今、福島を中心に展開しています。 決して沿岸部の津波被害を軽視することはできません。ただ、まず福島を、そして沿岸部津波被災地へ、と、有機的なつながりを作ることが、これからの支援には必要に思われます。 |
被災地の家族を励ますラジオを! | |
東北ヘルプ理事・中澤牧師は、震災直後から今日に至るまで、南三陸町の被災地に体を運び、奉仕のうちに福音の証を立てておられます。 |
「星野富弘 詩画展 in 南三陸」 | |
東北ヘルプ理事・中澤竜生牧師を中心に、 「星野富弘 詩画展」を開催いたしました。 |
教会直接支援の終了にあたって | |
東北ヘルプは、2011年3月18日の発足の際、二つの任務を与えられました。その一つは「教会の再建を支援すること」であり、もう一つは「支援のための情報を収集・整理・発信すること」でした。 |
新しい区切りに向かって | |
東北ヘルプは、2011年3月18日に生まれました。その正式名称は「仙台キリスト教連合被災支援ネットワーク」であり、誕生の場所は「日本基督教団東北教区センター」でした。 |
被災支援ということ | |
東北ヘルプは、WCC総会を目標としてきました。 私たちは、地域のエキュメニカルネットワークに過ぎません。国単位の広域ネットワークでもなければ、大教団の部局でもない。そんな私たちが、数千の教会と団体そして個人の善意を引き受けて、支援の働きに携わる。 |
WCC 世界教会協議会第十回釜山総会 報告(後篇) | |
WCCを終えて、日本各地で報告会が持たれています。このホームページでは、先々週には報告を書き終えるはずでしたが、果たせませんでした。今、ようやく、原稿を書き上げましたので、下記に記します。 |
WCC 世界教会協議会第十回釜山総会 報告(前篇) | |
水曜日、世界教会協議会(WCC)釜山大会は、開催されました。大会は、朝夕の礼拝によって枠づけられています。数多くの色とりどりの礼拝が、共に守られる。その様子は、平和と一致を思い出させる光景となります。 |
WCC釜山大会への道 | |
いよいよ、11月になろうとしています。そして、今日は10月30日。私たちが目指していた日、記念すべき日が、始まりました。 東北ヘルプは、2011年から、今日を目標として定めてきました。「世界教会協議会(WCC)釜山大会」の、開幕の日です。 |
「中外日報」への寄稿と、「東北で新しく起こっていること」 | |
「中外日報」と言う新聞があります。諸宗教の活動を伝える新聞です。この度、私・川上直哉の論説が掲載されましたので、ここに御紹介いたします。 |
寄り添うということ | |
6月から、東北ヘルプは福島への関わりに専心してきました。これは、11月の世界教会協議会への準備として、必要なことでした。 6月の段階で、世界は福島第一原子力発電所爆発事故を忘れていたように見えました。危機感を覚えていた私たちは、昨年来、「世界に福島を伝えよう」を合言葉に、準備を進めてきたのでした。そして、その仕上げとして、今年の夏がありました。 |
原発の防災 |
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昨日、コミュニティFM局の取材を受けました。仙台市の提供する番組であるとのことです。 フリーアナウンサーの黒田典子さんとのお仕事となりました。仙台市の広報ラジオ番組「せんだい復興日記」。「短い番組ながら、震災後の市民の声を残す記録にもなっています。」というこの番組の概要は、以下の通りでした。 |
二年半目のアキレウス |
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2013年も9月となりました。今月11日には、震災から2年半となります。 震災発災時、2年半後のことを、まったく想像することはできませんでした。今日生きていることの意味が、巨大に思えました。そこに原子力発電所の事故の情報が加わってきました。「将来」は深刻なものとなること。そのことが、肌身に触れるように感じられました。 |
暗闇の中での漸進 ――NPO法人化に伴う寄附受付口座の変更とニュースレターの発行について―― |
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一昨週以来、インターネットの中の「福島」を巡る言説が、変わったように思います。流言飛語も含めて、危険と異変を知らせる情報が、大量に流通し始めました。韓国では、そのあまりの過熱ぶりに、政府が制限を加える事態となったとのこと。気になる変化です。 |
くすぶる灯心を消すこともなく | |
既にご連絡の通り、WCCの準備のために、6月末に韓国へ参りました。それは、韓国全土の核発電所(原子力発電所)をすべて回ろうというツアーへに参加する流れの中でのことでした。 |
相応しい言葉を探して | |
東北ヘルプは、福岡百子さんと協力し、福島への支援を展開し始めました。福岡さんは、震災直後から福島の避難者に電話を用いて支援をし続け、500名を超える人々のコールセンターの役割を担っておられるクリスチャンです。 |
石巻の現場から | |
被災地の今は、どうなっているのでしょう。 もう、多くの支援団体が引き上げました。今は、団体から離れて、被災地に移住した人々が、その土地の人として、被災地の人々に奉仕しています。 |
世界教会協議会(WCC)に向かって | |
6月18日から25日まで、東北ヘルプ事務局長は韓国を訪問し、世界教会協議会(WCC)の準備会合に臨みました。その成果は、以下のようにまとめられましたので、ご報告いたします。 |
一本の杖を持って:福島への支援 第二段階へ | |
東北ヘルプは、2011年3月18日に始まって以来、いつも「短距離」を見据えて活動を続けてきました。 神様が必要とされる限り、続けようと、そう心してきました。 |
人の豊かさ | |
東北ヘルプは、「何もない」所から始まりました。 震災が起こり、津波が来たところでは、全てが「ガレキ」となりました。 それ以外の場所でも、電気、水道、ガス、そしてガソリンが止まりました。 町はただの塊になったのです。 |
名古屋での講演 「震災の備え」 と姉妹教会プロジェクト | |
2013年5月26日、東北ヘルプ事務局長 川上直哉は、名古屋キリスト教協議会の皆様のお招きに与り、講演をさせて頂きました。 |
「宗教者」という役割 | |
2011年の震災は、これまで起こった多くの災害の経験の中で語られるようになりました。 津波は、貞観の大津波を私たちに思い出させました。 原発爆発事故は、チェルノブイリを参照させます。 |
「グランドハウス」報告書 | |
東北ヘルプは、2011年3月18日に誕生します。 当初は、「情報と募金」の集約・整理・分配を目的としていました。その「情報と募金」は膨大なものとなりました。皆様のご支援に感謝の言葉が追い付きません。 |
東北ヘルプ モデルチェンジ3:NPO法人化と「ニュースレター」 | |
東北ヘルプは、2011年3月18日、大震災発災の一週間後に始まりました。 私たちは、一か月で活動を終えるつもりでした。私たちのような「素人」の働きは、そう長く続かないはずだと、そう見積もったからです。 |
東北ヘルプ モデルチェンジ2:事務所の変更と記念礼拝 | |
三年目を迎えた東北ヘルプは、モデルチェンジを進めていました。 ようやく、概ねの決着がつき始めましたから、 引き続き、変更のご報告をいたします。 |
教会の力 | |
震災から2年余が経ちました。 それは、全ての人々に難しい課題となって迫ります。 |
東北ヘルプ モデルチェンジ1:ホームページリニューアル | |
東北ヘルプは、第三年目を迎えました。 この二年間と、新しい三年目は、全く違う課題に向き合うことと思います。 そこで、東北ヘルプは以下のモデルチェンジを行ってきました。 |
「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」その5 | |
韓国での報道 その2 2月のツアーは、驚くほどの反響を、韓国で呼んだそうです。 その連絡を、ツアーの韓国側責任者であった金ミョンヒョク先生が下さいました。 |
2013年度上半期 「グランドハウス」報告書」 | |
東北ヘルプは、「支援者を支援する」働きを担うことをミッションとしています。 それは、他の支援団体と共同して働くことを主な任務としている、ということです。 昨年後半、多くの団体と共に、たくさんの支援をさせて頂きました。 |
「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」その4 | |
韓国での報道 3月11日の「記念」の日が過ぎました。被災地では、この日は比較的静かに過ごすようです。比較的、というのは、他の地域と比べて、ということです。 |
「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」その3 | |
韓国への三つの「お土産」 韓国から無事に帰国して、一週間分の仕事の遅れを取り戻すのに、 実に2週間かかってしまいました。その間、ホームページの更新が滞りました。 |
「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」その2 | |
前回に引き続き、標題の件についてのご報告を申し上げ、皆様の祈りを寄せて頂ければ幸いに存じます。韓国をはじめとするアジアの皆様との交流を考えるとき、いつも政治と歴史の問題は、避けて通れません。 |
「日韓教会交流及び宣教協力増進ツアー」 | |
長らく、ホームページを更新できずにおります。 期待してお待ちくださっておられる方々には申し訳なく存じます。 また、川上の体調を心配される方もおられると聞いております。 |
2012年秋季 自立支援報告 その2 | |
第二回 石巻支援 東北ヘルプには、いくつかの特徴があります。第一に、「東北」全域を視野に入れて活動しているということです。東北全域は、私たちにとって、少々過大な活動領域と思います。 |
2012年秋季 自立支援報告 | |
2012年も間もなく終わろうとしています。この年、東北ヘルプは大きな波の中にありました。 夏、東北ヘルプは、その存廃を決する時を過ごしました。その結論は、11月の全体会を以て一つの結論を得ました。 |
「見えない被災者」の支援 | |
震災以来、東北ヘルプは、他の団体と共に、被災者の支援に勤しんできました。 東北ヘルプは小さな支援団体ですが、150余の団体と共に支援に当たることで、広範な働きに参画しつつ、今日に至っています。 |
不安に抗するために | |
震災から1年半以上の時が過ぎました。気が付けば、2012年の10月も終わろうとしています。時の進みの速さに驚きながら、一方で、発災直後がつい昨日のようにも思われます。 |
シリーズ 福島は今 第四回 相馬・南相馬報告(11月) | |
先月に引き続き、津波と放射能の「二重の被災地」である福島県「浜通り」の方々への支援報告を御紹介します。 |
シリーズ 福島は今 第三回 相馬・南相馬報告(10月) | |
福島第一原発は、福島県の太平洋沿岸部のちょうど「真ん中」あたりに位置していました。その南北には、大規模な津波の被害と共に、深刻な放射能の被害が重なる「二重の被災地」が広がります。 |
11月短期保養報告 | |
東北ヘルプは、「福島HOPEプロジェクト」に参加し、福島にお住いの親子が青森へ短期保養できるようお手伝いするプロジェクトを推進しています。 |
食品放射能計測所 報告 | |
2011年9月、東北ヘルプは、いわきCERSネットの皆様と共に、「食品放射能計測プロジェクト運営委員会」を立ち上げました。 |
日常に寄り添い、取り戻していくために | |
被災地で多くの方と出会う中で気づかされるのは、震災は誰にとっても、日常の生活の中に突然現れた非日常の出来事であったということです。被災者は誰もが、非日常の災害を目の当たりにし、無力の中に立ち尽くさざるを得ませんでした。 |
諸宗教の支援活動の連携を目指して | |
東北ヘルプは、心の相談室の立ち上げに関わりました。 そして今、東北ヘルプ事務局長は、心の相談室の「室長補佐」の責任を担っています。 |
諸宗教者と共に | |
東北ヘルプは、2011年4月、仙台仏教会様と宮城県宗教法人連絡協議会様との協力を頂き、「心の相談室」を立ち上げました。 |
傾聴と伴走と | |
東北ヘルプは、震災に遭った東北地方太平洋側全域の支援センターになりたいと願っています。これは大きな志ですが、東北ヘルプ発足当初からの願いです。その志が、「東北ヘルプ」という略称にこめられているのです。 |
名古屋からのメッセージ | |
去る10月9~11日、名古屋YWCAの皆様が被災地を訪問してくださいました。 訪問は、福島から岩手に至る三県を巡るものでした。私たち東北ヘルプに、この旅のお手伝いを要請いただきました。 |
出会いの連鎖 | |
皆さま、あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。2013年最初の記事をお届けさせていただきますが、この記事はここ数ヶ月の私たちの活動を象徴した、長いものとなりました。 |
「地元」の教会と共に歩む | |
東北ヘルプは、東北の被災各地にある教会を支援することを最初のミッションと定めて始まりました。そして、全国の皆様の献金をお預かりし、教会の働きを支援させて頂いています。 |
生協は「皆さんの協力のおかげです」と感謝した。
生協は10月中旬、ポッキーなどを320個発注しようとして誤発注。今月6日から売り場に「HELP!」「誤って3200個」などと貼り紙をして学生らに協力を求めたところ、学生らがツイッターやLINE(無料通話アプリ)で購入を呼びかけ、支援の輪が広がった。
生協は感謝の気持ちを示そうと、「ポッキー&プリッツの日」にあたる11日に5~63円引きの111円で販売するセールを実施していた。
生協職員の松瀬ちひろさん(27)は「まさか完売できるとは思っていなかった。今後は発注ミスをしないよう、十分に注意していきたい」と反省も忘れなかった。
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大量のポッキーなどが並べられた売り場(北九州市立大北方キャンパスで)
2014年11月11日 18時50分
http://www.yomiuri.co.jp/national/20141111-OYT1T50119.html
北九州市立大学の生活協同組合で、誤ってお菓子を予定の10倍の3200個も発注するミスが起きた。
困り果てた生協職員が売り場で正直に「HELP!」と貼り紙に書いて事情を説明したところ、
学生たちがツイッターやLINE(無料通話アプリ)で購入を呼びかけ、支援の輪が急速に拡大。
これまでの4営業日で普段の100倍近い1700個が売れる異例の展開となっている。
生協によると、アルバイトの従業員が10月中旬、江崎グリコの「ポッキー」や「プリッツ」など
12種類のお菓子を発注。320個注文するつもりだったが、「1セット10個入り」という表示を見落とし、
320セット(3200個)を注文してしまった。
11月11日は「1」という数字とポッキーなどのスティック状菓子の形状が似ていることから、
「ポッキー&プリッツの日」として一般社団法人・日本記念日協会に登録されており、
生協はこの日と前後して店頭に並べる予定だった。
ところが、10月末に届いたのは、想定をはるかに超す量の段ボール箱で、中にはお菓子がびっしり。
そこで初めてミスに気付いたという。卸業者との契約で食料品は返品不可とされ、
「その箱を見て、みんな青ざめた」と職員の松瀬ちひろさん(27)は振り返る。
途方に暮れたが、売るしかない。6日から北方キャンパス(北九州市小倉南区)の食品売り場だけでなく、
食堂や書店にも商品を置いた。売り場には「誤って3200個」「皆さんの声かけよろしくお願いします」
などと書いた紙を貼った。
すると、来店した学生たちは購入するだけでなく、積み上げられたお菓子の前で写真を撮るなどして
LINEやツイッターに投稿。「北九大生協 ポッキーだらけ」「私も3つ買って来た。
お近くの皆さんもぜひ」などと書き込まれ、まとめ買いをする客が続々と訪れている。
お菓子を買いに来た法学部2年生(19)は「ツイッターで話題になっていたので貢献しようと、
5個買いました」と笑顔を見せた。店頭に立つ松瀬さんは「学生のみなさんがこんなに協力してくれるなんて、
本当にありがたい。どうにかして売り切りたい」と感謝しきりだ。(山根秀太)
http://politas.jp/articles/147より転載
2014年11月11日
僕がテレビの番組をやっていても、沖縄問題をやると視聴率がドンと落ちる。沖縄で「朝まで生テレビ」をやったときも、沖縄では盛り上がるのに、本土の視聴率は本当に低くなる。調べてみたら、どこの局でも沖縄問題を扱うと視聴率が低いことがわかった。なぜか? 本土の人間が「あれは沖縄の問題で自分たちには関係ない」と思っているからだ。ここが一番の問題で、だから沖縄の人たちが怒るのだ。
根幹には、日米安保条約と言いながら、結局米軍基地の74%を沖縄に押し付けて、本土の連中は安保の一番美味いところをさらっているという怒りがある。具体的なところでいえば、普天間基地周辺で複数の事件が起こり社会問題となった。「基地が過密する住宅街のなかにあって危険だから何とかしてくれ」という近隣住民たちの要求があり、自民党政権時代に基地を辺野古へ移そうと決めた。普天間と比べると辺野古は人が少ないため、危険度が遥かに低いという理由からだ。そのために野中広務氏、あるいは岡本行夫氏といった色んな人たちが随分努力して、一時は沖縄県知事も、名護市長も、地元の議員たちも大体がOKをした。
ところが民主党政権になって「米軍基地の74%を沖縄に押し付けている状況はまったく良くない。不当である」と鳩山由紀夫氏が述べた。それこそたとえば海外、グアムやそれに近い島に普天間の基地を持って行くのはどうかなど、いろいろ考えたが、結局それはどうやらダメらしいということになった。そこで鳩山氏が最低でも県外に移すと言った。沖縄の人にしてみれば、普天間の基地を沖縄以外の所に持っていくのは全面賛成だ。ところが土壇場になって、実は鳩山氏の「最低でも県外」に根拠がないことがわかってしまった。最終的に鳩山氏は沖縄県民を裏切るかたちで、米国と辺野古移設の約束をしてしまった。こうして地元の怒りが爆発したのだ。
まず大きな構造でいえば、結局国は沖縄に金をつぎ込むことで沖縄の不満を和らげてきた。この裏返しで、沖縄も国からの補助金がないと経済的にやっていけない状況がある。現職の仲井真氏が当初の意見を翻し、辺野古の埋め立て申請を承認したのも、国が沖縄に対し、振興予算として2021年度まで毎年3000億円もの多額の金を注ぎ込むことにしたからだ。しかし、これは沖縄県民にしてみれば、とにかく騙されたということにほかならない。
先日のスコットランドの独立運動は選挙で負けてしまったが、沖縄でも独立運動が一定の支持を得ている。ただ沖縄が独立しても、財政的に成立しないだろうという意見が強い。「沖縄に基地があるから開発や観光誘致など新しいことができない」という声もあるが、そもそも基地があるからこそ国から金がくるということを忘れちゃいけない。地元には基地で働いている人も、基地に土地を貸している人も大勢いる。単純に基地がなくなれば沖縄が良くなるかといえばそうも言えない現実がある。翁長氏の選挙戦略で脱基地依存の経済政策を前面に出しているのはそれを言わないと本当の反対闘争にならないからだ。この点で基地反対運動は反原発運動に似ている。原発というのは危険なものだというのはみんなわかってる。だけれども、原発をなくしたときにはたして再生可能エネルギーで原発の発電分が補えるのかという話になると、誰もが「将来は補うようにしないといけないけれども早急には無理だ」と言う。基地だって将来はなくした方がいいに決まっているが、一気になくすことはできない。結局なかなかこれのクリアな回答が出てこないのだ。
だから沖縄独立運動を、日本の政府はそれほど心配していない。「できっこない」と思っているだろう。だが、今後沖縄独立運動に加担する人が増えていくようならうかうかしてもいられない。それほど本土に対する沖縄の人々の怒りは根が深い。早い話が沖縄は、かつて米軍に占領されていたとき、主権が回復すれば——すなわち日本に戻れば米国の基地が減ると思っていた。だが、実際はそうならなかった。そのために沖縄で本土復帰とは「米国と日本政府が沖縄のわからないところで共謀し、つまりは沖縄を犠牲にした」と認識されているのだ。
おそらく今回の沖縄県知事選は、辺野古移設反対を掲げる翁長氏が勝つだろう。
だが、県知事には基地の建設を止める「権利」はない。翁長氏も仲井真氏のように最終的に国に押し切られてしまう可能性はゼロではない。ただこれから国がいざ基地建設を推し進めていったときに名護市長と沖縄県知事が組めば、かなりの確率で建設を阻止できることも事実だ。翁長氏が勝利するということは、選挙後に「沖縄と国との戦い」が始まるということである。いまもっとも政府が恐れているのは、辺野古の反対運動をする沖縄県民がスクラムを組んで、それを機動隊が排除しようとする際に流血の事態が起きることだ。流血の事態が起きたらそこですべてがストップ——辺野古移設は断念せざるを得なくなるだろう。僕はその可能性は結構高いと思っている。状況が決定的に有利になるのだから、沖縄の県民の反対運動の中にもできれば流血の事態を起こしたいという部分もあるのではないか。
もし辺野古強行が無理だということが決定的になるようなことになれば、もちろん政府と沖縄の関係が悪くなる。ただし、別のシナリオも考えられる。米国が対中戦略の関係で普天間基地を海外に移す可能性があるからだ。米国は冷戦時代、対ソ戦略の拠点として沖縄を重要視していた。だが、冷戦が終結し、対中戦略を考えなければいけなくなったいま、沖縄の位置付けも変わった。沖縄は対中戦略の拠点とするには地理的に中国に近すぎるのだ。現在の米国は「沖縄では嘉手納さえあればいい」と思っているはずだ。そして日本政府も本音では普天間がグアムあるいはグアム近隣の島へ引き上げることを望んでいるのではないか。辺野古移設問題を単なる基地反対運動として捉えても問題の本質は見えてこない。辺野古は沖縄、日本、米国それぞれの思惑が複雑に絡み合うことで生まれる「沖縄の抱える問題」が凝縮された特別な場所なのだ。
1934年、滋賀県生まれ。1960年、岩波映画製作所入社、1964年、東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社。1977年にフリーに。テレビ朝日系『朝まで生テレビ!』『サンデープロジェクト』でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。1998年、戦後の放送ジャーナリスト1人を選ぶ城戸又一賞を受賞。 現在、早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、「大隈塾」塾頭も務める。『朝まで生テレビ!』(テレビ朝日系)、『激論!クロスファイア』(BS朝日)の司会をはじめ、テレビ・ラジオの出演多数。また、『日本の戦争』(小学館)、『塀の上を走れ 田原総一朗自伝』講談社)、『誰もが書かなかった日本の戦争』(ポプラ社)、『田原総一朗責任 編集 竹中先生、日本経済 次はどうなりますか?』(アスコム)など、多数の著書がある。
ホームページ: 田原総一朗公式サイト
”昨年12月、日本主催のASEAN特別首脳会議の晩餐会にAKB48を登場させた。安倍首相はこの時の反応を、各国首脳が「自分たちの国にはそんなのないと釘付けになっていた」と成功例のように語っていたが、
各国首脳が着席するパーティ会場でミニスカートの少女集団に「おもてなし」させたことに、ここは北朝鮮かと目が点になっていただけに違いない。”(文中より)
リテラ http://lite-ra.com/2014/11/post-627.htmlより転載
AKB48公式サイト「秋元康プロフィール」より
先月末に閉幕した東京国際映画祭、物議を醸したのは、そのキャッチコピーだった。
〈ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。〉
書店を占拠する愛国本のキャッチコピーと見間違うほどの内向きなスローガンに、映画人を中心に非難が殺到した。
なお、映画祭のオープニングセレモニーには安倍晋三首相も出席し、嵐の5人に囲まれている。出席後に更新された首相官邸のフェイスブックには、「我が国が誇る質の高い日本映画は、日本の文化、魅力を世界に伝える『クールジャパン』の一翼を担う重要なコンテンツです。(中略)映画を通じて、日本に関心を持ち、日本の文化に触れ、日本のファンになってくれる人々が世界中に増えるよう」と、繰り返し「日本」を使う悪文がアップされ、映画祭を国力アピールに使った。要するに、映画監督や俳優の才気には微塵も興味をお持ちでないご様子。となればあのキャッチコピーも、映画祭を国力に繋げたいとする本音を裏付ける文言だったと分かる。
この映画祭の総合プロデューサーを務めたのは秋元康だ。今年の年始、産経新聞で安倍首相と対談した秋元は、クールジャパンをいかに盛り立てていくかについて、
「『日本に生まれてよかった』ということを、われわれの責任で次の人たちのために作らなきゃいけないと思う人たちだけが集まってオールジャパンを作ったとき、たぶん勝てると思うんですよね」
と頓珍漢なメソッドを語っている。日本に生まれてよかったと思うために、オールジャパンで勝たなくちゃ……というのは愛国本どころかヘイト本の思考だ。映画人は、オールジャパンで勝つために映画を作っているわけではない。
これだけでなく、秋元康による国策へのコミットは枚挙に暇が無い。昨年12月、日本主催のASEAN特別首脳会議の晩餐会にAKB48を登場させた。安倍首相はこの時の反応を、各国首脳が「自分たちの国にはそんなのないと釘付けになっていた」と成功例のように語っていたが、各国首脳が着席するパーティ会場でミニスカートの少女集団に「おもてなし」させたことに、ここは北朝鮮かと目が点になっていただけに違いない。
また、今年7月に集団的自衛権を行使容認する閣議決定が行なわれた直後から、AKB48の“ぱるる”こと島崎遥香が出演する陸海空自衛官募集CMが開始されたことも話題となった。
〈自衛官という仕事、そこには大地や海や空のように果てしない夢が広がっています〉という安っぽいキャッチコピー。集団的自衛権行使や日米防衛協力指針見直しによって、“果てしない悪夢”すら生じかねないわけだが、塩対応で知られる島崎が珍しいほどの笑顔で「ここでしかできない仕事があります」と締めくくるCMに目を輝かせてしまう男子は少なくないのかもしれない。
CM開始のタイミングにあわせて、全国の高校3年生のもとに自衛隊募集の案内が続々と届いたのもキナ臭さが漂う。島崎は、防衛省が編集協力している自衛隊オフィシャルマガジン「MAMOR」(扶桑社)11月号の表紙にも登場しており、もう露骨すぎる展開だ。
先月末には政府広報「成長戦略でチャレンジ!日本」にAKB48が登場、メンバー8人が医者や農家や若女将のコスプレで〈若者のみなさんへ 羽ばたくチャンス拡大中。〉と訴える広告を打った。そこには、有効求人倍率の上昇や賃上げ率が過去15年で最高だとアベノミクスの効果が訴えられているが、増加している求人の内訳は非正規ばかりだし、賃上げの恩恵を受けているのは大企業のみという現状。今年「大人AKB」を期間限定で雇ったり、「バイトAKB」プロジェクトを始めたりしている彼女らこそ、雇用の流動性を体で知っているはず。
さらに、今年5月には、AKB48の握手会の最中にメンバーの川栄李奈と入山杏奈がのこぎりで切りつけられる事件が発生。アイドル業界全体に浸透した握手会目当てでCDを大量購入させる手法や、ハグをはじめとした握手に留まらない「触れ合い」など、アイドルの商法についてまで問題が派生した。しかし、この事件において私がもっとも嫌悪感を覚えたのは、事件後に秋元康が記したコラムだった。凶行に憤りつつも、読売新聞の連載コラムにこう書いた。
事件に遭ったことでAKB48の未来に壁が立ちはだかったとし、「壁を乗り越えるでもなく、迂回するでもなく、突き破って進んだのは、川栄、入山を始めとするメンバー自身だった。『夢をあきらめるわけにはいかない』。その信念から傷ついた彼女たちは立ち上がり、前に進んだ」とした。
出来事を全て物語化してマネーに変えてしまう達人は、のこぎりで切りつけられた事実をも「夢」で乗り越えるという物語に作り変えてしまった。そりゃあ、自衛隊を「果てしない夢が広がっています」と誉め称えられるわけだ。彼の脳内では、トラブルや困難は全て夢に転化できるのだろう。
そして、「志村、後ろ!」ばりに誰しもが既に気付いていることではあるが、秋元康がこれだけ国家の取り組みにコミットしてくるのは、2020年東京オリンピックの存在が大きい。組織委員会の理事にも当然のように名を連ねている。理事には政界・財界・スポーツ界からの人選が多数、他業界からは元・電通の高橋治之や写真家の蜷川実花などの名も並んでいるが、いわゆるイベントプロデュース力を期待されている人選は秋元康のみ。となれば、開会式・閉会式の陣頭指揮を彼が執る可能性も当然浮上してくる。彼が主導する「日本に生まれてよかった」が全世界に発信されるのは避けたい。
〈ニッポンは、世界中から尊敬されている映画監督の出身国だった。お忘れなく。〉というキャッチコピー、反芻する度に腹立たしくなる。秋元康はエッセイ集『おじさんの気持ち』(角川書店)で、自分が「“いいとこ取り”症候群」だと語っている。野球はペナントレースの終盤しか見ないし、マラソンはゴール30分前からしか見てないのに充分感動してしまったと書く。なるほどそうか、「“いいとこ取り”症候群」の人には、映画が作り出すそれぞれのシーンやそこに流れてきた歴史を広い視野で見つめることなんてできやしない。
この人にスポーツの祭典を任せることはできない。なぜって、彼はそもそもスポーツになんて興味を持っていないんだから。自分の「“いいとこ取り”症候群」を語ったエッセイからもう一カ所引用しよう。
「オリンピックもサッカーのワールドカップも世界陸上も、いつもは全く興味のないスポーツに一喜一憂できるのだから、僕のミーハーさもたいしたものである」
こう書いたのは、2020年東京オリンピック組織委員会理事の秋元康である。“お忘れなく”。
(武田砂鉄)