かえるひと、おくるひと 2009-03-12 19:21:36 | 日記 土曜日の7日に父方の祖父が亡くなりました。昨日は通夜、今日は告別式があったのですが、疲れてしまいましたね。色々と緊張したし。本当はもっと書きたいことがたくさんあるんですが、ここまで。 今日から試験休み(のようなもの)です。 勉強もちゃんとしないとなぁ。 « 世界がもし100人の村だったら | トップ | とんねるずとダウンタウン的... »
5 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (Tuba inko) 2009-03-12 19:43:20 お悔やみ申し上げます。俺もホントに疲れた。ただ、実感が沸かないんだよねぇ。由々しき事態、今も実は実感が沸かない・・・。俺の場合祖母が悪いわけじゃないけど祖母が亡くなってから体調悪くなってしまったからなぁ。話を戻すと・・・。通夜とか告別式とか、ホントに疲れるよね。緊張するし。お焼香とかね。俺は失敗した・・・。あー、恥ずかしい・・・。何か日記みたいになっちゃった・・・。ごめん 返信する Unknown (УАЗ) 2009-03-12 22:01:59 お悔やみを申し上げます。私も昨年一月に突然母方の祖父を亡くし、葬儀を経験したのでよく分かります別の方も仰っていますが、本当に本人がなくなったという実感がないんです…私の場合は身内という事で、お通夜のお焼香等が終わった後に数人が交替で、線香の煙を絶やさないようにするという、本当のお通夜を経験しました私一人で真夜中に線香の煙を見守りつつ、本人の亡骸のそばにいて、棺の中の本人の顔を静かに見つめていましたが、亡くなった本人を前にしても本当に実感が湧きませんでしたね……えぇ…その後無事葬儀は終わりましたが、数時間しか眠れなかったりで疲れました今年一月に一周忌の法要を済ませて、ようやく本人がいないんだと感じつつあります今、本人には机の上で見守ってもらっています何か…個人的な体験を一方的に書き込む形になってしまい、失礼しました。勉強もしつつ、有意義な休みを送れると良いですね 返信する Unknown (桜海っち) 2009-03-13 00:43:01 お悔み申し上げます。人に死というものは付き物です。そして生というのも付き物です。俺はまだ未熟なので近くの人の死を経験したことはないのですが、勉強になりました。ありがとうございます。いつも思うのですが、勉強と休憩の両立は難しいものですね。がんばってください。 返信する Unknown (カメ吉) 2009-03-14 00:05:27 お悔やみ申し上げます。自分も去年の9月、母方の祖母が亡くなりました。お通夜・告別式は身内だけで行われましたがとても緊張しましたね。それは、こういう経験は初めてだったこともあるかもしれません。‥こうして、コメントを書いて「あ~、(母方の)婆ちゃんはもういないんだよなー。。。」と感じました。しかし、実感がありません。それは、単純に事実を受け入れたくないからかもしれませんね。 返信する みなさんコメントありがとうございます (X5) 2009-03-22 16:56:26 コメント遅くなってしまい、すいません。>Tuba inkoさん本当に大きな儀式でしたね。初めての経験だし、何よりも身内っていうのがつらかったです。もうこんな経験はしたくないけれど、またいずれは来るんでしょう。>УАЗさんそうなんです。実感が無いんですよね。よくある話で死んでる人を見ても、息をしているんじゃないかと思うくらい遺体っていうものは不思議な存在感を持っています。>桜海っちさん生きることは死ぬことである、といいますが全くその通りですよね。生きはじめた瞬間から死ぬ義務があるんですよね。生きる義務と死ぬ義務の両方を背負わされている生き物っていうのは辛いものだなと思いました。>カメ吉さん今もどこかで生きているのかもしれないと、無理に自分を納得させてしまう部分もありますね。でも、祖父の遺影を見ると現実に連れ戻されます。悲しいです。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
俺もホントに疲れた。
ただ、実感が沸かないんだよねぇ。
由々しき事態、今も実は実感が沸かない・・・。
俺の場合祖母が悪いわけじゃないけど
祖母が亡くなってから体調悪くなってしまったからなぁ。
話を戻すと・・・。
通夜とか告別式とか、ホントに疲れるよね。
緊張するし。お焼香とかね。
俺は失敗した・・・。あー、恥ずかしい・・・。
何か日記みたいになっちゃった・・・。ごめん
私も昨年一月に突然母方の祖父を亡くし、葬儀を経験したのでよく分かります
別の方も仰っていますが、本当に本人がなくなったという実感がないんです…
私の場合は身内という事で、お通夜のお焼香等が終わった後に数人が交替で、線香の煙を絶やさないようにするという、本当のお通夜を経験しました
私一人で真夜中に線香の煙を見守りつつ、本人の亡骸のそばにいて、棺の中の本人の顔を静かに見つめていましたが、亡くなった本人を前にしても本当に実感が湧きませんでしたね……えぇ…
その後無事葬儀は終わりましたが、数時間しか眠れなかったりで疲れました
今年一月に一周忌の法要を済ませて、ようやく本人がいないんだと感じつつあります
今、本人には机の上で見守ってもらっています
何か…個人的な体験を一方的に書き込む形になってしまい、失礼しました。
勉強もしつつ、有意義な休みを送れると良いですね
人に死というものは付き物です。そして生というのも付き物です。俺はまだ未熟なので近くの人の死を経験したことはないのですが、勉強になりました。ありがとうございます。
いつも思うのですが、勉強と休憩の両立は難しいものですね。がんばってください。
自分も去年の9月、母方の祖母が亡くなりました。
お通夜・告別式は身内だけで行われましたがとても緊張しましたね。それは、こういう経験は初めてだったこともあるかもしれません。
‥こうして、コメントを書いて「あ~、(母方の)婆ちゃんはもういないんだよなー。。。」と感じました。しかし、実感がありません。それは、単純に事実を受け入れたくないからかもしれませんね。
>Tuba inkoさん
本当に大きな儀式でしたね。初めての経験だし、何よりも身内っていうのがつらかったです。もうこんな経験はしたくないけれど、またいずれは来るんでしょう。
>УАЗさん
そうなんです。実感が無いんですよね。よくある話で死んでる人を見ても、息をしているんじゃないかと思うくらい遺体っていうものは不思議な存在感を持っています。
>桜海っちさん
生きることは死ぬことである、といいますが全くその通りですよね。生きはじめた瞬間から死ぬ義務があるんですよね。生きる義務と死ぬ義務の両方を背負わされている生き物っていうのは辛いものだなと思いました。
>カメ吉さん
今もどこかで生きているのかもしれないと、無理に自分を納得させてしまう部分もありますね。でも、祖父の遺影を見ると現実に連れ戻されます。悲しいです。