「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より
http://muranoserena.blog91.fc2.com/
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そうです。次の一節が素晴らしいです。
『歴史修正主義者が何故捏造するのか、何故事実を見ないのか、何故思い込みを根拠とするのか、
何故「事実かどうか完全にはわからない」とか「証言は証拠にならない」なんて言うことで歴史の事実と対等に渡り合っているように取り繕うのか、
その言動の奥に潜む願望を暴くことこそ歴史修正主義批判の最も重要な目的となるはずだし、歴史修正主義批判者はそこを目的とする必要があるのだ。』
私が歴史認識問題で、確定した史実への理解と記憶をうながすために私が書く記事にコメント欄でわざわざ異議を唱える人を対等な議論相手としてではなくて
「被験体」扱いすることがあるのも、これが理由です。
たとえば、入門書中の入門書である吉見義明著「従軍慰安婦」(岩波新書)くらい読まずに
「従軍慰安婦」問題で私の書く記事にいちゃもんをつけてくる人はとても対等な議論相手にはなりえません。
そのような人は、説得するよりもその言動の奥に潜む願望を暴く方が「使い方」として有益だと思います。
<
「ひとのことはいいんだよ。」さんのブログからの転載があっての一文だ。
なるほどと思わせる村野瀬玲奈さんらしい文章だ。
一つだけ気になることがある。
「歴史修正主義者」と呼んでいる連中について、
そんな大それた名称が必要だろうか。
彼らは単なる「犯罪的なウソつき」に過ぎないのではないだろうか。
でもこの言葉には、歴史に関するという意味が込められないのであまりふさわしくないかも知れない。
なによりも、彼らの意図を明らかにし、
そこから正しい歴史認識を導く糸口にするにはやはり「歴史修正主義者」という呼称しかないのか。
このあたりはまたいずれ考えてみたい。
http://muranoserena.blog91.fc2.com/
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そうです。次の一節が素晴らしいです。
『歴史修正主義者が何故捏造するのか、何故事実を見ないのか、何故思い込みを根拠とするのか、
何故「事実かどうか完全にはわからない」とか「証言は証拠にならない」なんて言うことで歴史の事実と対等に渡り合っているように取り繕うのか、
その言動の奥に潜む願望を暴くことこそ歴史修正主義批判の最も重要な目的となるはずだし、歴史修正主義批判者はそこを目的とする必要があるのだ。』
私が歴史認識問題で、確定した史実への理解と記憶をうながすために私が書く記事にコメント欄でわざわざ異議を唱える人を対等な議論相手としてではなくて
「被験体」扱いすることがあるのも、これが理由です。
たとえば、入門書中の入門書である吉見義明著「従軍慰安婦」(岩波新書)くらい読まずに
「従軍慰安婦」問題で私の書く記事にいちゃもんをつけてくる人はとても対等な議論相手にはなりえません。
そのような人は、説得するよりもその言動の奥に潜む願望を暴く方が「使い方」として有益だと思います。
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「ひとのことはいいんだよ。」さんのブログからの転載があっての一文だ。
なるほどと思わせる村野瀬玲奈さんらしい文章だ。
一つだけ気になることがある。
「歴史修正主義者」と呼んでいる連中について、
そんな大それた名称が必要だろうか。
彼らは単なる「犯罪的なウソつき」に過ぎないのではないだろうか。
でもこの言葉には、歴史に関するという意味が込められないのであまりふさわしくないかも知れない。
なによりも、彼らの意図を明らかにし、
そこから正しい歴史認識を導く糸口にするにはやはり「歴史修正主義者」という呼称しかないのか。
このあたりはまたいずれ考えてみたい。