回遊魚

主に政治ブログを回遊し、簡単に紹介していきます。基本コンセプトは「護憲」です(^^

国賊石原慎太郎

2012-09-29 13:00:47 | Weblog
まさに国賊となりはてた石原慎太郎の思惑通り
馬鹿な野田政権は尖閣を国有化し、
日中関係を最悪なものにしている。
この日中の緊張感はだれにとって蜜の味か、
きわめて簡単だ。

国賊石原は、
冷戦による米ソの緊張関係で大儲けした米国ヘリテージ財団の手足となって
尖閣買い取り発言をしたわけだが、

結局ヘリテージ財団に投資しているアメリカの資本家どもの利益になるというわけだ。

石原はその工作員としての仕事を全うしたから「国賊」と呼ばれるわけだ。

未確認だが、破格の値段で尖閣を売り渡した「所有者」から
石原に数億円の礼金が渡っていたとしても驚かない。


これからアメリカの言いなりで軍備拡張を行い、
アメリカ企業の言い値でさまざまな兵器を大量に購入することになるのだろう。

http://blog.goo.ne.jp/masao19481/e/fefdc26e04bacf0968b8c9c27ec48642
(「まさおっちの眼」)

尖閣をめぐる日中の緊張・・・アメリカにとってまさに蜜の味だろう。

国賊石原にとってもな。






日馬富士の品のない仕切り

2012-09-20 20:48:04 | Weblog
横綱昇進をかける日馬富士の時間いっぱいの仕切りが
下品だと以前にも書いたが、

やはり、
横綱昇進が現実的になってくると
ますますその想いが強くなる。

時間いっぱいの時の仕切りだが、品がなさ過ぎる。


仕切りは、
目と目を合わせて
いざ立たんというその刹那の所作であり、
日馬富士のように
相手力士に目を合わさず、
顔を完全に下に向けて、
さらに仕切り線より上体を前に出すという、

まるで「ストレッチ」のような形は
相撲独特の「立ち会い」という様式を汚すからだ。


試合前の自分勝手な「ストレッチ」と見なされても仕方あるまい。

相手力士が、時間前に、
日馬富士が仕切り線を越えて頭を出すように向かってきたと言うことで、
その頭を上から叩き落とすことをいつも期待しながら見てきたが、
いまのところそのような「勇気」のある力士がいないのは残念だ。


ネットで調べると、
知ったかのように「平蜘蛛式」の仕切りなどという輩もいるが、

その先駆者たる幡瀬川が、
あのような、
上体が仕切り線を遙かに超える、
しかも相手の目を見ない、
自分勝手な「ストレッチ」のような、
仕切りをしていたのをご存じなのか。
その映像もあるまい。

そもそも、相手と目を合わさずに仕切りをすることなど論外なのである。
だから、きっと、
あのように姿勢を低くしながらも、
獲物を見据えるように相手をしっかり凝視しての仕切りだったはずだ。
もちろん仕切り線から身を乗り出すなどという破廉恥なことはしなかったはずだ。
(ま、映像記録があればすぐに謝るが)


日馬富士は、今場所は強い。
横綱昇進も十分あり得るほどだ。
だからこそ、
あの「ストレッチ」仕切りは封印して欲しい。

土俵上で「ストレッチ」をするほかの力士も、
どうか相撲の所作のなんたるかを考えて欲しい。
相撲は決してスポーツではないのだから。
(これについては言葉が足りないが、わかる人はわかって欲しい)





ゴミやガラクタをかき集めた「日本復古の会」

2012-09-16 21:50:21 | Weblog
まさに言い得て妙!!
http://sun.ap.teacup.com/souun/8602.html


 これでは「維新」ではなく、「復古」と言うべきではないでしょうか。超新自由主義的な政策を除けば新しいものは少なく、すでに手垢が付いた古くさい政策の寄せ集めですから。


「Restoration」は
いうまでもなく、わくわくするような何か新しい革新的な政治のあり方を示すものではなく、
所詮は「復古」なのだから、

「晴耕雨読」さんのおっしゃるとおりだ。

この記事にある橋下の「日本の集団的自衛権について」は、

内田樹氏の、
「集団的自衛権と忠義なわんちゃんの下心について」
http://blog.tatsuru.com/

を読めばすっきり理解できる。


結局、橋下の存在意義は?

ないってことだな。


またもや内田樹氏、グッジョブ!!




徴兵制復活! 橋下 維新の怪

2012-09-09 15:52:10 | Weblog
大阪市長をやっているこやつが、国政に本格的に関与すると、
品性のないマスコミが連日協賛報道をしている。

なぜこんな
下衆野郎をマスコミは宣伝するのか。
アメリカの勢力との提携が確実になっているとマスコミが判断したのだろうな、きっと。


ところでなぜ橋下を「下衆野郎」というのか。

それは橋下が「徴兵制」を復活させようとしているからだ。

なぜそれが下衆な行為なのか。

それは、徴兵制をしいて若者を戦地に送り、自分は安全なところにいて
利権を得ようとするからだ。これ以上の下衆野郎はいるまい。
(ttp://tk01050.fc2web.com/kaida_shinmachi/kami/yashiro/050605takajiniinkai)

(「たかじんのそこまで言って委員会」そのものが犯罪的な下衆野郎番組だがな)

その橋下の協賛報道をするわけだからマスコミの犯罪的報道姿勢となるわけだ。
ゆえに「マスゴミ」と蔑まれるわけだ。


もっとも徴兵制を可とする下衆野郎は橋下に限らない。

そのまんま東 や 石原背任疑惑都知事(すでに「狂人疑惑」、いっちゃってるというわけだが、だったら今の地位に就かせとくのは危険ではないのか、都民諸君!)

など、地方政党「大阪維新の会」に生々しく関与する胡散臭い連中は
徴兵制が当たり前と考えているわけだ。

若い有権者はそこのところよくわかっているのであろうか。
子供を育てている若い夫婦も、
わかっているのだろうな。


そもそも、「維新の会」という名前だが、

明治維新の維新を意識しているらしいが、
果たして彼らの政策に「新しさ」を感じさせるものがあるのだろうか。

「徴兵制」そのものが過去のものである。

「明治維新」は、
当時“the Meiji Restoration”と訳されていた。
日本人が、新しい何かが始まるという希望を抱いていたらしいという予測は、
欧米では客観的に否定されていたようだ。
“Restoration”すなわち「復古」、王政復古としかみなされていなかったわけだ。
それが厳密に正しかったとは言わないが、

「大阪維新の会」の維新には「復古」以外の意味が見いだせないのは私だけだろうか。

ま、こんなわけのわからぬ地方政党は、
マスゴミが持ち上げるのをやめれば、
すぐに消えていくだろうが、
いかんせん「マスゴミ」。
余計なことをし続けることだろう。

戦争への道を突き進む「維新」“Restoration”、

下衆の極みだ!




戦争に向かう日本を、知らずに選択する国民・・・

2012-09-03 21:19:36 | Weblog
それに対する警告が「長州新聞」のこの記事、~戦争やる国競う民・自・「維新」~
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/sensouyarukunikisouminjiisin.html


野田民主党は、次はないから、

それチャンスと、

谷垣、石破、町村に安倍、林の下関勢。そこにメディアで連日もてはやされているのが、
橋下徹大阪市長が率いる「大阪維新の会」の新党立ち上げ。
この連中はいったいだれのために、どっちに向いて国政をやろうとしているのか。
そこにはいずれも、戦争をやる国にするのはだれが一番かを競って、
だれがアメリカに認められるかという点である。


明快な解説だ。
続いて、
無様で醜悪な自民党の動きを解説し、
さらに
「専制国家作りをめざす 橋下維新の会 」の解説しているが、これもわかりやすい。

結局は 「強力な専制国家づくり、戦争をやる国にするという方向」だと論破している。

最後はアメリカと日本の関係を、やはりわかりやすく説明している。

要は、アメリカは自国の米兵に変わって、日本兵を自由に使いたいのだが、

アメリカ様に日本兵を差し出すべく、アメリカにしっぽを振っているのが
今の売国政治家どもだということだ。

ただ、国民は無思慮な売国政治家の言うなりにはならないだろうと結んでいる。

「まとまれば」という「条件」付きで。


国民もそろそろ「怒り」を爆発する時期が近づいているのだろう。

そうであって欲しい。


でもその前に、総選挙ではマスコミに乗せられて
戦争に向かう日本を選択してしまうのだろうな。




東京都民って馬鹿なのか?

2012-09-02 19:10:15 | Weblog
石原の私的な政治感覚で、
いったいいくらの都税を石原に使わせるのか。

石原の影響力を最大限に使おうとしている
醜い取り巻き連中の腐臭をかぎながら。

いったい、
自らの血税を、「おっとどっこい」の私利私欲のために使わせている都民って、馬鹿なのか?



東京都の選挙民としての相対的なレベルが問われる今回の尖閣がらみのいちいちだ!


呆れ返る。

東京で反対デモはおきないのか。

反原発のデモに負けるとも劣らない、

「血税を私的に使うな!」

デモは、まだおきないようだ。

ま、

オリンピック誘致に血税をばらまいた石原に対してもできなかったから・・・


え?

都民って、ほんとに馬鹿なの?






もちろんこれは、
東京都民だけの問題ではなく

大阪府民、名古屋市民、共通の、

いや、
現代日本の抱える問題なのだろう。


「生活感」 
己の「生活感」 のとらえ方 

にかかわることなのだが、

説明するのはなかなかむずかしい。


馬鹿じゃない人々が、馬鹿じゃない行動をどうとるのか、

きちんと見ていかなくてはならないだろう。