ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ベルリンフィルのベートーヴェン・チクルス2日目

2016-05-14 00:27:10 | 海外オーケストラ
一昨日(12日)サントリーホールで開かれたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による「ベートーヴェンの交響曲全曲演奏会」(2日目)を聴いてきた。指揮はサイモン・ラトル。

【演目】
ベートーヴェン/序曲『レオノーレ』第1番ハ長調
       /交響曲第2番ニ長調
  〜 休 憩 〜
       /交響曲第5番ハ短調
《19時00分開演 20時50分終演》

私は典型的なライブ派である。クラシック音楽のCDは150枚程度しか持っていないし、DVDにいたっては1枚も持っていない。またCDを何度も繰り返し聴くこともない。同じお金を使うならCDよりライブという主義である。ライブは隣に奇妙な人が座ったり、近くに咳払いをするヤツがいたり、アメ袋おばさんがいたり、ブラボー野郎がいたりと、数多くの邪魔者はいる。それでもCDでは絶対に味わえない臨場感を満喫することはできるし、その体感をしばらく持ち続けることもできる。また、下手な固定観念を打破してくれることも多い。この日のベルリン・フィルはこうした私の考えを具現化してくれた公演であった。

1曲目。序曲としてはかなり穏やかな演奏である。それでいて、弦には自由かつ開放感が満ちあふていた。

2曲目。どんな指揮者でも得手不得手というものがあると思う。その意味において、サイモン・ラトルはこの曲はどっちつかずというか、今でも手探りの状態なのかもしれない。そして、それは私自身への問いかけだったのかもしれない。その思慮分別の音色は、音楽の伝道師であると共に研究者のようにも見えた。

3曲目。編成配置が面白かった。弦は12型(コントラバスは5本)木管2管。ただし、ピッコロとコントラファゴットは最後列のトロンボーンを挟んで左と右に別れる。つまり、第4楽章から登場の楽器はすべて後方に控えるという型。

コンマスのダニエル・スタブラヴァ率いる弦は自由奔放な振る舞いながらも、その音色は驚くべきくほどの統一感。それも重厚とか軽快と行った感じでなく、あくまでも自然体という形。ベルリンフィルというと未だにガチガチというイメージがあるようだが、そんな固定観念など全く我関せずという感じで、自分たちはどんな束縛も受けない、どんな制約も受けない、自分たちならではの音を創りあげて行くんだという結束力かつ能動的な音色。そして、これまで聴いたことがないほどの推進力も兼ね添えている。

そして、木管金管陣も素晴らしい。フルートはエマニュエル・パユ、オーボエがジョナサン・ケリー、クラリネットはヴェンツェル・フックスというお馴染みのメンバー。ただ、ファゴットは????でおそらく客演の人と思われる。そして、ホルンはシュテファン・ドールで、この人たちが第3楽章以降、超ノリノリで弦を上回るような推進力と活力を発揮していく。そして、第4楽章に入ると最後列に控えていた3本のトロンボーン、ピッコロ(もの凄くいい音色)、コントラファゴットが炸裂していき大団円を描いていく。サイモン・ラトルはこうした才能溢れた人を束ねると共にしっかりと後押してをしていく。その姿は音楽の伝道師であると共に魔法使いにも見えた。

これまでに何度も第5番を聴いてきたが、今回ほど緊張感のあるなか、快速かつ超気持ちいい演奏は聴いたことがない。ベルリンフィルやサイモン・ラトルのことをとやかく言う人は多い。が、今回のような演奏を聴けば「グウの音」もでないだろう。

終演時間は予定では21時となっていたが、実際は10分も早い20時50分。サイモン・ラトルは3曲とも完全暗譜で指揮。


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