ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

自粛を自粛する広上淳一にブラボー!

2011-04-18 14:04:40 | 日本フィル
昨日(17日)、サントリーホールで行われた日本フィルハーモニー交響楽団の第345回名曲コンサートへ行ってきた。指揮は来日できなかった首席客演指揮者ピエタリ・インキネンに代わって広上淳一。ピアノは小菅優。

【演目】(※はアンコール曲)
ドビュッシー/牧神の午後への前奏曲
ラヴェル/ヴァイオリン協奏曲ニ長調
※ショパン/前奏曲No.3
  ~休 憩~
ドビュッシー/交響詩《海》
ラヴェル/バレエ音楽《ダフネスとクロエ》第2組曲
※ドビュッシー(カプレ編曲)/子供の領分より「ゴリウォッグのケークウォーク」
《14時30分開演、16時45分終演》

開演前に楽団の専務理事からインキネンが来日できなかったいきさつなどをする挨拶。フィンランドがチェルノブイリのときに被害をうけてナーバスになっているとか、大使館が広島に移って戻ってきたりといろいろ説明(言い訳)があったが、そんなこともうどうでもいい。広上淳一が代打を買ってくれたことをもっと褒めてやってほしかった。

1曲目。真鍋恵子のゴールドのフルートがマイルドにしてピュアな音色を奏でてあげていく。日本のフルート奏者のレベルは非常に高いと思う。ベルリンフィルのパユやコンセルトヘボウ管のバイノンのような世界的な名声はないにしろ、どこのオケにも実力のある首席フルート奏者が1人2人いる。真鍋もその1人であるし、私は彼女とホルンの福川伸陽(この日は降り番だったが)が日本フィルの二枚看板だと勝手に思っている。話が横道にそれてしまったが、その真鍋と共に素晴らしかったのがオーボエ(杉原由希子?)。彼女の音色にはひた向きな私はこうありたいというかこう生きていきたいという希望と若さが溢れていて、これまでのオーボエ奏者とはひと味もふた味も違った。

2曲目。この日の小菅優には硬さも緊張感といったものがまったくなく、とにかくゴムまりのように弾けていた。まだまだ暗い世相の漂うようななかで、この天真爛漫さに救われた。第1楽章は華やかに、第2楽章のソロはゆったりと、そして、ジャズ風の第3楽章はのびのびと音が飛び跳ねていて、それでいてスィング感もあり楽しかった。いつか彼女の奏でるアメリカ音楽も聴いてみたい。

3曲目。前半の小編成から後半は大編成へ。ドビュッシーならではのうねりのある音階を木管陣はうまく引き出していくが、残念ながら弦がそれに伴っていない。とにかく硬い。どうして、もっと柔らかく軟派な色合いを出してくれないのだろうか。確かに自然の波や海風といった自然の情景を表しているが、それがどうも額縁に入ったような感じのものなのだ。もっと型破りでいいと思う。殻に閉じこもるような音色は正直聴きたくない。

4曲目。前曲と同じようにうねりを主体にした演奏だが、「小さな巨人」広上淳一の的確なタクトが冴え渡り、加えて木管と金管、そして打楽器陣が思う存分自分たちの力量を発揮して、心地よく聴くことができた。広上、いい仕事しています。

終演後、楽団員と広上淳一から今回の大震災に対するそれぞれの姿勢が語られた。そのなかで広上は「自粛を自粛して、音楽家としてできることをやっていく」と力強いメッセージが発した。当然である。歌舞音曲が不謹慎だのというのは言語道断である。歌舞音曲には崇高な力強さがあり、それはある意味、政治や宗教をも凌駕する力をもっている。そうした素晴らしいことを仕事にしている人たちなのだから、それをいつまでも自粛自粛などしている必要はまったくない。

確かに音楽を始めとした歌舞音曲は地震には勝てない。津波にも勝てない。また原発にも勝てない。しかし、風評被害というか、魑魅魍魎とした疑心暗鬼な人々の心に打ち勝つことはできるのだ。