【元日経新聞記者】宮崎信行の国会傍聴記

政治ジャーナリスト宮崎信行、50代はドンドン書いていきます。

8人区の大野トモイ・立憲会派横浜市議が走り出した意外な理由が判明、宮崎信行が「大縄飛びの内側から選挙準備リポート」私のような成功体験を「今日の総理は変えられないが明日の8人区は変えられる」

2023年02月12日 22時12分50秒 | 大縄跳びの内側から

 前回から22日ぶりに「トモ活」。来月31日告示の横浜市議会議員選挙では、港北区のみ「8人区」となります。立憲民主党会派の44歳で1歳児のママ、大野トモイさんのボランティアでの後援会活動は毎日1人以上手伝っているようです。

 私も国会が始まってから初めて「トモ活」。事務所から歩いていける地域で、2時間で140枚、戸別訪問活動的なポスティングをしました。訪れたことがない地域のゼンリンを見た私の目算誤りで、140枚を2時間ではなく、190枚を3時間弱でやった方が良かったのですが、積み重ねることができました。

 前回の転倒ですが、昭和の初めはすべて東急が単独名義で所有していた土地だそうです。きょう、大野さんに「あんな急坂で、なんで走ったの」と聞いたら、10年以上の親友・戦友の宮崎君と2人で訪問あいさつ活動をしたら、ふもとの大地主も、山頂の旗竿地でも、良い反応ばかり。なので、うれしいし、寒いから、走り出してしまったとのこと。44歳のママにしては不器用な理由で、これは変わらない。

 きょう私が一人で回ったところは、私が人生の全体験において最も竿が長い「旗竿地」でした。ここは、東急から半世紀遅れてJR東海道新幹線の建設される時期から栄えたと思います。旗竿地の付け根に今でも地主が住んでいるようです。港北鶴見川両岸にある精密機器メーカーの正社員かもしれない戸建住まいの上位中間層の中年でメンタルを病んでいる方が多かった日曜の昼下がり。






[画像]立憲民主党公式ホームページからスクショ。


 選挙道楽一筋30年なのに一向に懐が減らない私。2008年の最年少町長の誕生では、このブログで「毎朝新聞を買っている販売所」を知った創価学会員に和歌山から池袋まで尾行されました。2008年はこのブログの茨城1区の新人予定者(現・有志の会衆議院議員)の名前を1字間違えただけで「仮に日経新聞なら仕事にならないのでしょう」と高度過ぎる国文法で文句を付けられいまだに根に持っています。

 2009年衆院選では、民主党で党本部と、山尾志桜里・玉木雄一郎・森山浩行さんの総支部などの情報をつなぐ役回りを果たし、絶大な名声をえるに至った当ブログ。しかし、その後、現職の裏切りをみて、「育ちの悪さは隠せない」との失望を感じました。


 選挙とは大縄飛びのようなもの。私も余裕のない選挙が続き、大縄飛びの内側に入ってくるなとの牽制をいろいろな人にしていたかもしれません。

 いつしか当サイトで選挙のことを書くのは減り、私は大縄飛びの内外への出入りを忍者のような早業で繰り返すスーパーインサイダーとなりました。

 私が「解散だ、大変だ」「公共料金の支払いは事前に済ませた」「東海道新幹線5往復分の交通費の決裁・決済はまったく大丈夫な軍資金があることを確認した」とニュースの世界と同じ動きをしていることを、同級生からうらやましいと感じられる48歳となりました。

 但し、民主主義の参加に支障をきたすほど、スタッフの枯渇は目につきます。

 8人区です。
 ママの人生は無限大(∞)。
 ママの希望は末広がり。
 8人区は意外と自分でかえられます。

 ご同情いただいております。ありがとうございます。港北30万有権者のうち、たった88人の方が立ち上がり、そのまた88人に声をかければ、必ず勝てるだろう選挙が間もなく始まります。政治というのは意外と自分でかえられます。成功体験を持っていただきたい。

 今日の総理は変えられないが、明日の8人区は変えられる。

 これからも10日に1回程度、「横浜市港北区」の選挙漫遊を続けます。

 以上です。


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