(仙谷由人元衆院議員 死去 民主党政権で官房長官務める) 仙谷由人先生の訃報に驚いております。互いに政治的立場は異なりましたが、常に天下国家を考えられて、情熱をもって政治に取り組んでおられました。類まれなる政治的実行力をお持ちの稀有な政治家でありました。御勇退後のご発信も大変心強いものでした。心よりご冥福をお祈り申し上げます。 小沢一郎
仙谷由人さんが、さる2018年10月11日、肺がんのため亡くなったそうです。享年72。心より哀悼の意を表します。
1990年、「おたかさんブーム」にのって、初当選。ニューウェーブの会として活躍。しかし、政治改革が最大の争点となった1993年の総選挙では落選してしまい、社会党が四十年以上ぶりに与党となった、細川護熙連立内閣(社会党、新生党、公明党、民社党、日本新党、社民連)には参画できませんでした。その後、1990年初当選組の若手弁護士出身者の多くが復帰を断念する中、仙谷さんは地元事務所や県連を固めて、1993年に国政復帰してからは連続当選しました。事務所や県連は、毎年温泉合宿をするなどして、結束を固めました。
その後、1993年の国政復帰後は、党政調会長などポストにも恵まれました。2009年の政権交代で初めて与党議員。同時に、行政刷新担当大臣として初入閣。
内閣官房長官をつとめました。
胃癌を克服したことから、ネクスト厚生労働大臣をつとめ、高額療養費制度があれば、健康保険だけでも癌は克服できる場合があるといった体験談を民主党に還元しました。
小沢一郎代表に対して批判的な立場をとりましたが、西松事件では「検察の大失態になる」と検察を批判しました。
2008年のねじれ国会で議院運営委員理事をつとめ、衆参との国会同意人事の選考過程で、日本銀行総裁に初代財務事務次官の武藤敏郎さん(現東京五輪事務総長)を充てる人事に反発しました。
消費者庁新設では、野党の立場として対案を出しながらも、弁護士などの意見も聞いて、力をそそぎました。
枝野幸男さんとともに、派閥「凌雲会」をつくりましたが、その後、「前原グループ」となり、枝野さんは菅直人グループとかけもちするなどぎくしゃくした運営となったこともありました。
野党時代から、応援演説先に、金一封を持参しており、民主党では極めて異例でした。
小沢先生に批判的だった渡部恒三先生から、玄葉光一郎さんらとともに、「民主党七奉行」と命名され、同じく、岡田克也さん、野田佳彦さん、枝野さん、樽床伸二さん、前原さんらと、その動向が注目されました。2012年の野田内閣までに全員が閣僚を経験しました。
2012年の総選挙で、7奉行のうち5人が小選挙区で勝ち残りながらも、徳島1区で大差で落選。その後は、ミャンマーとの交流などで名前を聞きましたが、民主党を含めてその名を聞くのは少なくなっていました。
【追記 午後5時45分】
小沢一郎先生のコメントがツイートされました。
【追記終わり】
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