華麗なるオーストラリアンライフ

渡豪17年。職業・看護師。
白熊のようなオージーの旦那1人とワンコ2匹で
ニューサウスウェルス州の田舎町で生息中。

イカンイカン

2012年05月17日 22時41分28秒 | Weblog
このところのブログを読み直していたら、やたらと「疲れた」を連発している。こんなことではイカン。“クスっと笑えるのんびりブログ”を目指しているのに(今思いついたとこやけど)。

さて。
今日はお休み。朝早く車を修理工場へ持って行った。理由はエンジンをかけたら変な音がするから。ファンベルトとやらが緩んでいるらしい。私の乗る車は1997年製の三菱の車。オーストラリアの名前でマグナという。ネットで検索したところギャランと同系統になるらしい。日本では古い車ってなかなか見かけないけど、こちらではわりと普通に見かける。1990年代前半の車ですら見かけることがある。オージーに言わせると日本人の乗る車は「とてもきれい」「みんな新車」だそうだ。私の車はすでに30万キロ目前。さらにこれを引越し先まで運転していって壊れるまで乗る予定なので、安全性を確かめるためにも見てもらった。ついこの間大枚はたいて修理したところなのに、また今日もちょっとお金がかかった。正直なところ買いなおしたいんだけど、今はそのお金もないのでもう少し頑張ってもらう。
ちなみに大きな擦り傷もあるし凹みもある。日本では恥ずかしいことかもしれないけど、オーストラリアではこれまた普通、というか誰も気にしない。こういう緩いところは本当に助かる。

修理工場は徒歩圏。車を預けて帰宅し掃除・洗濯。そうこうするうちにDのクライアントが来たので私は寝室でゴロゴロ。昼から先生とランチのため大学へ行った。

私はこの大学・QUTに語学学校も合わせると約4年間在籍していた。卒業してからも図書館をよく利用していたけど、今は足が遠のいている。久しぶりに行ったキャンパスには当たり前だけど大勢の生徒がいて、中には看護科のユニフォームを着ている生徒もチラホラ。「私もこんな感じやったんやなー」と懐かしく当時を思い出しながら彼らを見ていた。
ランチを一緒にとったのはCreative Industriesで勉強していた頃の先生・Annetta。私は大勢の生徒の一人だったんだけど、いつの頃からか週に一回ペースでお昼を食べるようになって、私が卒業した後も、毎週ではなくなったけど、時間が合えば今日のように会っていた。とはいえ私がバイトを始めた上に図書館通いを止めたので、今回会うのは実に2~3カ月ぶり。近所のベトナムレストランに行って、近況を報告。すでに看護師資格を取ったこと、就職が決まったこと、引越しすることは伝えてあり、私の新しい門出をお祝いしてくれた。ランチの後、コーヒーも飲んでお別れ。BrisbaneにD宅がある限り私たちはどんなカタチであれ戻ってくるけど、しばらく会えなくなることは間違いない。少しずつ友人・知人とのお別れを始めていて、そのたびごとに寂しい気持ちが盛り上がってくる。

その後、看護に関する教材を持って行ってたので、少し勉強を…と思って図書館に席を取ったけど、急激な睡魔に襲われ早々に断念。帰りに修理屋さんへ寄って車をピックアップし5時ごろに家に着くと、Dお客様ももう帰っていた。私はベッドに寝転がるとすぐに寝てしまっていたようで、気がつくと8時前。晩御飯は(また)すき焼きということになっていたけど、ほら穴でなにやら大はしゃぎしているDは穴から出てくる様子がない。食べたくなったらすぐに作れるメニューなので、Dがその気になるまで私もネットサーフィンをしつつゴロゴロ継続。どうも聞こえてくるDの声によるとオンラインゲームを楽しんでいるもよう。ディアブロウ?とやら。スカイプで友達と話しつつ「今どこ?」「あ、死んじゃった」「アイテムが見つからない」などと話しながら誰かと戦っている。スカイプにはいなかったけど、先日ウチに来ていた友達も参戦していたらしい。ゲームを終了させヴァーチャルな世界からこちらに戻ってきたかと思うと、件の友達から電話がかかってきてゲームについてひとしきり話していた。私はほとんどこの手のゲームをやらないのでその喜びがわからないけど、好きな人にはたまらんものらしい。またDのほら穴滞在率が高くなりそうやなぁ。

Dはもう少しバーチャルな世界で旅をするらしい。夕寝をしてしまったけど、私は明日はまた早起きして友達の引越しを手伝いに行くのでもう寝る。

ところで今、我が家の斜向かいの家が火事を出したようで、消防車3台とパトカー数台、あと電気会社の車が来ている。ウチも含め、近隣への延焼はないようやけど、とりあえずすごい煙。みなが無事だといいなぁ。
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