小日向白朗学会 HP準備室BLOG

小日向白朗氏の功績が、未だ歴史上隠されている”真の事実”を広く知ってもらう為の小日向白朗学会公式HP開設準備室 情報など

暗殺の季節~~テロ再来はごめん被るものの~~

2024-01-11 | 小日向白朗学会 情報
 昨年11月、たまたま温泉の帰り道に車窓から周囲の建物よりもやや高くちょっと目立った屋根が目に留まった。「ちょっと寄ってみよう」ということで高い塔のような屋根(山門だった)に向かって車を向けていったら、「青龍山吉祥寺」という名刹であった。臨済宗建長寺派の古刹であり、季節色とりどりの花や小さな滝などが楽しめた。そうそう抹茶に和菓子のサービスもあった。さらにちょっと得した気分であったが、そこが群馬県の川場村であり、大変人気のある道の駅で有名なところらしいのだ。
 ひょんなことから、今日のことだけれど、この川場村が血盟団の井上日召(明治19年生)の生誕の地であることを知った。おそらく同古刹の近くの小学校に通い成長してきたらしいのだが、その後沼田中学に入っている。実は、この沼田中学(現・群馬県立沼田高校)というのが、当時前橋に本校のある分校であった。つまり、私が通っていた前橋高校の大先輩にあたるのである。当時沼田中学では3年級までだったらしくその後前橋の本校に移っている。名実ともに先輩であるということで、ただそれだけだが、私は個人的にシンパシーを感じてしまうのである。単純なのだ。

(写真は前橋高校同窓会誌の表紙と井上日召と同期の高畠素之の紹介文)
 その後、日蓮宗僧侶となり、一人一殺というわけのわからない(あくまで私にはわからないという意)ロジックを編み出し、5.15から2.26へと続く暗黒の昭和史をスタートさせているわけだ。
 一昨年には安倍晋三氏が暗殺された。すでにそれ以前からだが、“政治”の欠落甚だしい昨今、政界だけでなく新自由主義に毒された経済人も含めてテロのターゲットには事欠かないと思われる季節ともなってきていると感じてしまうのは筆者だけだろうか。まさか内戦レベルにまでとは言わないまでも、わが国も格差の肥大化著しく、テロという病理を惹起しかねない温床は膨満しているのかもしれない。くわばら、くわばら~テロはごめん被りたいものである。

 参考までであるが、血盟団事件の裁判判決文がなかなかの名文であると感じる。読み込んでしまうと、被告人近くに移動してしまう自分を意識することもあるようだ。それは危険なことだ、と自戒する。
 判決
無職、日召事井上昭(当四十九年)
無職     古内栄司 (当三十四年)
無職     小沼正  (当二十四年)
無職     菱沼五郎 (当二十三年)
無職     黒沢大二 (当二十五年)
東京帝国大学法学部学生四元義隆(当二十七年)
無職池袋正釟郎(当三十年)
東京帝国大学文学部学生久木田祐弘 (当二十五年)
東京帝国大学法学部学生田中邦雄(当二十六年)
国学院大学神道部学生須田太郎(当二十七年)
京都帝国大学文学部学生田倉利之(当二十七年)
京都帝国大学法学部学生森憲二(当二十四年)
京都帝国大学法学部学生星子毅(当二十七年)
建築設計監督、 彰道事伊藤広(当四十七年)
右被告人井上昭、同古内栄司、同小沼正、同菱沼五郎、同黒沢大二、同四元義隆、同池袋正釟郎、同久木田祐弘、同田中邦雄、同須田太郎、同田倉利之、同森憲二、同星子毅に対する殺人及被告人伊藤広に対する同幇助被告事件に付当裁判所は検事木内曽益、同岸本義広関与審理を遂げ判決すること左の如し
主文
被告人井上昭を無期懲役に処す
被告人古内栄司を懲役十五年に処す
被告人小沼正を無期懲役に処す
被告人菱沼五郎を無期懲役に処す
被告人黒沢大二を懲役四年に処す
被告人四元義隆を懲役十五年に処す
被告人池袋正釟郎を懲役八年に処す
被告人久木田祐弘を懲役六年に処す
被告人田中邦雄を懲役六年に処す
被告人須田太郎を懲役六年に処す
被告人田倉利之を懲役六年に処す
被告人森憲二を懲役四年に処す
被告人星子毅を懲役四年に処す
被告人伊藤広を懲役三年に処す
但被告人古内栄司、同黒沢大ニ、同四元義隆、同池袋正釟郎、同久木田祐弘、同田中邦雄、同須田太郎、同田倉利之、同森憲二、同星子毅、同伊藤広に対し孰れも未決勾留日数中五百日を各右本刑に算入す
押収物件中ブローニング小型三号拳銃四挺(昭和七年押第ニ〇四号の七同年押第四六九号の一三八及四〇)並白鞘刀一ロ (同年押第四六九号の四三)は孰れも之を没収す
訴訟費用は全部被告人等の連帯負担とす
理由
第一、被告人井上昭は
群馬県利根郡川場村に於て医師好人の四男に生れ同県立前橋中学校を経て明治四十二年東洋協会専門学校に入学したるも のにして幼少の頃より父の薫陶郷土の気風等により報国仁俠の精神を涵養せられたるが生来懐疑的性格にして長ずるに及 び漸次自己の本体善悪忠孝の標準等に付疑問を懐き之が解決を求めて師長の教を仰ぎたるも結局自己を満足せしむるに足 るものなく煩悶の末現在の教育道徳等は総て支配階級が無自覚なる一般民衆を制縛し搾取するの欺瞞的絡繰に他ならずと 為し自暴自棄に陥り明治四十三年八月同校第二学年を中途退学し死を決して満洲に渡り南満洲鉄道株式会社社員たる傍ら 陸軍参謀本部の牒報勤務に従事中偶々南満公主嶺に於て曹洞宗布教師東祖心に接し其の鉗鎚を受け初て一道の光明を認め たるも間もなく同人と別離するに及び再び懐疑の人と為り大正二年北京に到り大総統袁世凱の軍事顧問陸軍砲兵大佐坂西 利八郎の許に同様牒報勤務に従事し日独戦争に際しては天津駐屯軍附軍事探偵と為り功に依り勲八等に叙せられ其の後山 東革命奉直戦争等に関与し大正七年暮頃以降天津等に於て貿易商を営み尚傍ら牒報勤務に従事し居りたるところ宇宙人生 等に付深刻なる疑雲に閉されたるを以て之が解決を為し自己一身の安心を確立し更正を図らんとして大正九年暮頃帰国し たり而して当時の我国情を見て社会主義者の増加支配階級の横暴無自覚等頗る憂慮すべきものあり此の儘放任し置くべき に非ずと思惟し加ふるに其の頃在満当時の盟友木島完之に邂逅し同人より我労働運動は悉く社会主義者の指導下に在りて 寒心に堪へざるを以て蹶起して之を排撃し労働運動を指導せよと慫慂せられたるも前記の如き心境に在りたる被告人は自 己の安心確立を第一義と為し大正十一年春頃より郷里なる川場村の三徳庵に籠り独坐して日夜法華題目を唱し自己修養に 専念したる結果宇宙全一の真理を体得し自覚安心を得たりとして大正十三年九月初旬上京したり其の頃偶々日蓮の教義に 関する著書を繙読し該教義は自己の体得したる境涯を理論的に説明したるものなることを識り驚喜して之が研究を志し身 延山其の他に於て法華経日蓮の遺文集及日蓮に関する講演著書等により同教義の研究を為したる結果前記境涯の誤なき ことを証悟し小我の生活は自己の本体即宇宙の真理に反するものと為し日蓮の教義と自覚安心を得たる自己の肉体とを武 器として自ら国家革新運動に参加せんと決意し予て知合なる高井徳次郎と共に護国聖社を結成し又在満当時の盟友前田 虎雄等を援けて建国会の創立に関与する等国民精神作興運動に奔走し居りたるが当時国家革新を唱導せる人々と交るに及 び其の多くは非現実的なる口舌の士に非ざれば単なる不平家煽動家にして身命を惜まず其の衝に当るべき人物なきを知り 被告人自ら人物を養成し夫等の者を率ひて之が実行運動を起さんと決意し之が為には他人をして信頼を置かしむるに足る徳性を涵養せざるべからずと為し 大正十五年夏頃より静岡県駿東郡原町なる松蔭寺に赴き山本玄峰に参禅し昭和二年五月頃 高井徳次郎の依頼に依り同所を辞し茨城県東茨城郡磯浜町岩船山通称ドンドン山に於て自己独自の加持祈禱に従事し 同年十一月前記川場村に引揚げ爾来農村の疲弊状態を視察したる結果之が救済は単なる物質的給与のみを以て其の目的を達成することの困難なるを覚り 益々時弊の根本的刷新の必要なることを痛感するに至りしが昭和三年暮頃高井徳次郎に再び懇請せられて 茨城県東茨城郡磯浜町字大洗東光台に建立せられたる立正護国堂に籠り昭和五年十月頃迄同所に起居するに至れり
当時被告人は、宇宙人生観として宇宙震万象は同根一体絶対平等即宇宙全一にして差別相其の儘全一絶対なり 故に人間は差別相に於ては分離対立したる存在なりと雖其の本体に於ては其の儘宇宙と一如合体したる存在なることを悟り 差別相に於ける自己のみに執着したる小我の生活を為さず自己は比の身此の儘大衆なることを自覚し大衆と苦楽を共にする 大我の生活即菩薩道に立脚する報恩感謝の生活を為さざるべからずと観し
国家観として我国体は国祖神に在します天照大神の御精神にして大神が 天孫に授け給へる三種の神器は大神の御精神たる 人類最高の智徳武を表象し而も 大神御一方の御精神の具現なれば大乗仏教に所謂体相用三位一体の関係に在り 即是宇宙の真理を表現したるものなり故に大神の御精神たる我国体は宇宙の真理其のものにして天壌と共に窮り無し 而して歴代天皇は三種の神器を天壌無窮の御神勅と共に受継ぎ給ひ 天照大神の御精神を御承継在らせられ唯一絶対の元首として国家の中心を為し国民と不二一体に在しますと共に 国民の大御親に在せらるゝが故に一身に主師親の三徳を具する現人神に在しまし国民は神人一如の 天皇の赤子にして大御宝なるが故に天皇の御精神を以て各自の本質と為し依て以て君民一体一国一家の万邦無比なる理想国体を成す左れば我国体は 君民の間に何ものゝ存在をも許さず国民は天皇の下に一人として其の処を得ざるものなく国家全体の幸福を目的として各自其の地位を守り 分を尽し何等矛盾撞着なく自己の未完成を畏れず憚らず未完成を未完成として愈々精進し日に新に日に日に新に創造的発展を遂げ国家と共に完成せんことを 念願せざるべからず即国民は孰れも日本人として日本天皇国を生活して国体に帰一し以て理想国家の光輝を発揚し 延ては之を全世界に及ぼし四海同胞万邦一家の理想社会を建設し世界人類永遠の平和を招来せざるべからず即是日本精神なりと観し
我国状の批判として支配階級たる政党財閥特権階級は腐敗堕落し国家観念に乏しく相結託して私利私慾に没頭し 君民の間を阻隔し目前の権勢維持に努め事毎に国策を誤り為に内治外交に失敗し就中農村の疲弊都市小中商工業者 及労働者の困窮を捨てゝ顧ず幾多の疑獄事件は踵を接して起り国民教育は其の根本を個人主義に置き国体の絶対性に付何等教ふるところなく 智育偏重に流れ徳育を忘れ延ては国民思想の悪化を馴致する等政治経済思想教育外交等所有方面に極端なる行詰を生じ 此の儘放置するに於ては国家は滅亡の他なく此の深刻なる行詰は明治維新以来の支配階級が建国の本義を忘れを徒に西洋文明に陶酔し 其の模做に終始し彼の個人主義を基調とする資本主義の如き宇宙の真理に反する差別相対の原理を以て国民生活並国家組織制度の指導原理と為したるが為にして 資本主義に内在する矛盾欠陥は余す所なく我国の本質を覆ひ去り人文愈々開けて道義日に衰へ内外共に混乱紛糾の極に達し遂に昭和維新を要望する国民的血の叫と為りたり 然るに世に所謂学者宗教家の類は概ね気概なく此の現状を目前にしながら支配階級に阿諛迎合して自己の利害打算に汲々たるに非ざれば 拱手傍観して何等為すところなく又近時資本主義の修正原理として勃興したる社会民主主義国家社会主義乃至共産主義の如きも 畢竟する所差別相対の原理より離脱せず徒に支配階級と対立抗争を事とし却て混乱紛糾を助長する滅亡道にして到底此の行詰を打開すること能はずと為し 革命観として斯る行詰を根本的に打開し国運の進展を計らんには宜しく我国の本質に適合せざる差別相対の原理を排斥し 宇宙の真理其の儘なる日本精神を指導原理として此の行詰の淵源たる無自覚なる支配階級を日本精神に覚醒せしめ以て国家組織制度を改革し 一方国民教育を改善して国体教育を徹底せしめ制度及教育の両方面より国民を指導し本質形式俱に世界の模範国家と為し以て 日本天皇国を生活せざるべからず斯の如く国家革新即所謂革命は天壌と共に窮り無き我国家の発展過程に於て其の本来の発展力を阻害し 民衆の幸福を毀損する組織制度を廃棄し我国体に適合したる組織制度を樹立して国家本来の発展力を展開せしめ 民衆の幸福を招来せしめんとする必然的行為にして真に国家民衆の幸福の為にする仏行なり 而して旧組織制度を廃棄することは破壊即否定新組織制度を樹立することは建設即肯定にして而も破壊なくして建設は在り得ず 究極の否定は即真の肯定なるが故に破壊即建設不二一体なり故に革命を行はんとする者は深く自己を内省し先づ日本精神に覚醒し国家民衆の幸福を幸福とし 其の苦悩を苦悩と為す大慈悲心を有すると共に革命は 天皇の赤子として日本天皇国を生活する唯一絶対の道なりと自覚し革命を生くるの境涯を体し 苟も革命を事業視し之に依る権勢地位名誉等の報酬を期待すべきものに非ずと確信し居りたり
而して被告人は我国家は既に単なる論説に依て救済せられず実践あるのみと為し其の手段として当初先づ宗教的に育成せられたる四人の同志を獲得し 之等の者と共に農村に入り農事の手伝を為す傍ら農民を日本精神に覚醒せしめて国家革新の必然を説き一箇月に一人が一人の同志を獲得する 所謂倍加運動に依り三箇年の後に巨万の同志を獲得し之を糾合して上京し政府議会等に対し革新の実行を迫らんと計画し 同志は 一、成るべく従来社会運動に関与せざりし真面目なる人物 二、成るべく宗教的信仰を有する者若は宗教的鍛錬を経たる者少くとも革新運動に対して宗教的熱誠を有する人物 三、以上の条件に合せざるも人間として素質の純真なる人物 四、革新運動に身命を惜まざる確固たる信念に安住せる人物 五、大衆的喝采を受くることを快とする弁論者に非ざる人物 六、他人の保護によると否とを問はず成るべく自活し得る人物 匕、現在他の思想団体政治団体と関係を有せざる人物 八、成るべく係累少く一 家の責任軽き者なるか或は夫等を超越せる人物なること 等の各条件に適合せる者の把持する理論には重を置かず選定獲得することゝ為し爾来同志の獲得に努め 昭和三年暮頃より昭和五年九月頃迄の間に被告人古内栄司同小沼正同菱沼五郎同黒沢大二を始め 照沼操、堀川秀雄、黒沢金吉、川崎長光等所謂茨城組同志を獲得すると共に昭和四年十二月頃夙に国家革新の志を抱懐し海軍部内に於て熱心に之が啓蒙運動を為し居りたる 当時霞ヶ浦海軍飛行学校学生たりし海軍中尉藤井斉と相識り爾後肝胆相照して同志と為り次で昭和五年初頃より同年九月頃迄の間に 藤井斉より啓蒙せられたる当時海軍少尉古賀清志海軍少尉候補生伊東亀城同大庭春雄同村山格之等所謂海軍側同志を獲得したるが 其の間藤井斉より数次ロンドン海軍条約締結の結果対外関係の危機切迫し西暦千九百三十六年の交に於て我国は未曾有の難局に逢着すべく 挙国一致此の難局に当らんが為国家革新の急務なることを力説せられ茲に於て社会情勢再認識の必要を感じ昭和五年八月頃群馬栃木東京等を巡歴して 国民大衆の生活状態を視察し識者の意見を聴きたる結果国家の危機急迫し民衆の生活苦悩深刻にして革新を要望する声都鄙に充満し既に論議の秋に非ず 速に革新を断行せざるべからずと為し従来の倍加運動の方法を以てしては此の焦眉の急に応ずる能はざるのみならず之が実現の暁には大衆運動たる当然の結果として 官憲と大衆との衝突を惹起し流血の禍福大なるものあるに想到し斯る結果を招来するは自己の革新精神に反するものとして該計画を抛棄したり 而して事態は斯の如くなるに拘らず真に一身を賭して困難危険なる現状打破の任に当る者なく而も被告人等同志は自ら権力及金力を有せず 且言論機関は総て支配階級の掌握するところなるのみならず言論等の合法手段によりては彼等に何等の痛痒を感ぜしめ得ざるを以て 被告人等同志に於て自ら支配階級覚醒の為非合法手段に訴へ現状打破に従事し以て革命の捨石たらんと決意し且藤井斉より現状打破の具体的方法 及之が決行の時期の決定同志間の連絡並国家革新運動に関する情報の蒐集等の各事項を一任せられて昭和五年十月頃立正護国堂を去て上京したり
爾来被告人は昭和六年十月頃迄の間に被告人四元義隆同池袋正釟同久木田祐弘同田中邦雄同田倉利之等所謂学生組同志及藤井斉より啓蒙せられたる 当時海軍中尉三上卓海軍少尉山岸宏等所謂海軍側同志を夫々獲得し且被告人古内栄司等と連絡を執り昭和五年十一月頃より昭和六年二月頃迄の間に 被告人小沼正同菱沼五郎同黒沢大二及川崎長光を同年十月初旬被告人古内栄司を孰れも上京待機せしめ其の傍ら 後記其の一の(一)の如く同年四月頃海軍側同志に対し非合法運動に使用すべき拳銃の調達を命じたる他同年六、七月頃被告人古内栄司の斡旋により 愛郷塾長橘孝三郎と東京市内某所に於て会見して深く同人の人格識見に傾倒し其の後同人は昭和維新成就の暁に於ける新組織制度の建設に 有用欠くべからざる人物にして非合法的現状破壊運動は其の任に非ずと思惟し同人に対し破壊完成後に於ける建設に当るべきことを勧告し 又上京以来国家革新運動の一般情勢に注視すると共に一方従来藤井斉と親交あり革新運動に従事し居りたる西田税及其の背後に在りて志を同うせりと目され居りたる 陸軍部内の青年将校と提携し同人等を自己の革命精神を以て誘導せんことを企図し昭和六年八月下旬明治神宮外苑日本青年館に於て被告人等民間及海軍側同志と 西田税一派との会合を開き他方藤井斉をして当時革新運動を為し居りたる大川周明一派の動静を探索せしむる等諸般の活動を為し居りたるものなり
   ・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・
法律に照すに被告人井上昭、同古内栄司、同小沼正、同菱沼五郎、同黒沢大二、 同四元義隆、同池袋正釟郎、同久木田祐弘、同田中邦雄、同須田太郎、同田倉利之、同森憲二、同星子毅の判示第一の所為は 刑法第百九十九条第六十条第五十五条に該当するを以て其の所定刑中被告人井上昭、同小沼正、同菱沼五郎に対しては無期懲役刑を選択処断すべく 其の余の被告人等に対しては各有期懲役刑を選択し其の所定刑期範囲内に於て被告人古内栄司同四元義隆を各懲役十五年に 被告人池袋正釟郎を懲役八年に被告人久木田祐弘、同田中邦雄、同須田太郎、同田倉利之を各懲役六年に 被告人黒沢大二、同森憲二、同星子毅を各懲役四年に夫々処すべく 被告人伊藤広の判示第二の所為は刑法第百九十九条第六十条第五十五条第六十二条第一項に該当するを以て其の所定刑中有期懲役刑を選択し 同法第六十三条第六十八条第三号に則り法律上の減軽を為し其の刑期範囲内に於て同被告人を懲役三年に処すべく 被告人古内栄司、同黒沢大二、同四元義隆、同池袋正釟郎、同久木田祐弘、同田中邦雄、同須田太郎、同田倉利之、同森憲二、同星子毅、同伊藤広に対し 同法第二十一条に依り各未決勾留日数中五百日を夫々右本刑に算入すべく 主文掲記の押収物件は本件犯罪の用に供し又は供せんとしたるものにして被告人等以外の者に属せざるを以て同法第十九条第一項第二号第二項に依り 之を没収すべく訴訟費用は刑事訴訟法第二百三十七条第一項第二百三十八条を適用して全部被告人等の連帯負担とす 依て主文の如く判決す
昭和九年十一月二十二日
東京地方裁判所第一刑事部
裁判長判事藤 井 五一郎
判事 居 森 義 知
判事 伊 能 幹 一
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日召は無期懲役であったが、昭和15年には出獄している。“茶番”としかいうほかない。もともと、田中光顕や頭山満らの当局への計らいで数年の予定であったというばかばかしいお話も伝わっている。これでは226への発展などは必至としか言いようがないだろう。そうなると藤井五一郎名裁判官の“名文”も色褪せて見えてくる。
 昭和初期における軍部、民間を問わず愛国の頽廃には著しいものが認められる。張作霖暗殺犯の河本、東宮(筆者の高校の先輩)も死刑にはならなかった。これがそもそも愛国腐敗の表れだったと思うが如何。3年後大罪を冒した石原、板垣も何らとがめられることもなく、上記に見るように血盟団、515と死刑に服したものはない。これらすべてに昭和天皇は遺憾の意を持っていたと思う。昭和3年の河本処断の失敗が大きかったのではないかと、のちの天皇は後悔していたように思う。さすが、226では死刑が出たが、この226の構造こそが愛国頽廃の極致であると思うのは筆者だけではないだろう。結果は昭和20年8月15日に天下に晒されたのである。
(文責:吉田)
(血盟団事件を取り上げた西村健氏の小説「光陰の刃」の表紙)
 
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