今日も頑張って書きます
ホーチミン弾丸旅行話
もう1日書いて終わりかな って ところまでようやく来ました
クックガッククアン(Cục Gạch Quán) で 最後の晩御飯を済ませ
ホテルに帰ります
もう 空は真っ暗
でも 相変わらず賑やかな街
真夜中~早朝以外は いつもバイクと人と車で
賑やかだったホーチミン
夜になるとますますすごくて
普通 日本だと
夜は 仕事帰りのサラリーマン OL さん
後は 街に出る学生たち
が 繁華街のイメージなんだけど
ホーチミンって
一家総出 な感じも多くて
バイクに お父さん 幼稚園児 お母さん 赤ちゃん
の4人乗りもあったり
3人も普通に目にする
2人のりも 夜は当たり前
仕事帰りでもないし どこかにお食事 でもないだろうし
だって 仕事帰りだったら 時間と共に減るでしょ~
どこかにお食事だったら どこのお店も激混みでしょ~
とにかく 道をバイクが走ってる
目的はなんなのか? この数のバイク 人 人 人・・・・・
で 思い出したのよ
いつだったか テレビで ホーチミンがバイクが凄くて・・・ って
で 夜もバイクが凄くて いったい何をしに行くのか? みたいなクイズだったか?
インタビューして それが答えなんだけど
答えが
夕涼み だったの
バイクで走っていると涼しい~~ から グルグル走ってる って 答えだった
こんなに人がいるから どこのお店も混んでいるのか? って言うと
そうでもない
だから あれは本当なのかも~~ って
風を切って夕涼み なのかもね
もしかしたら 日中も?? かもよ
一部の人は
さ~ ホテルに到着
2日間 大変お世話になりました
ガイドのヒューさんと 運転手さん(お名前が・・?)
とても良い方たちで 安心して旅行が出来ました
今回のガイドをお願いした ヒューさん
Mさんが 1月にいったベトナム旅行で
ヒューさんがホーチミンをガイド
それが ものすごく良かったって
今回もヒューさんにお願いしたほうが絶対にいいよ!! って アドバイスを
で ヒューさんは 日本の ピースインツアー さん経由で 現地ガイドとしてリクエスト
ピースインツアーさんは 小さな旅行会社ですが
アジアに強い会社で
日本のアジアン料理教室の有名な先生たち 御用達
右が ヒューさん 左が 運転手さん (お名前聞くの忘れちゃった)
本当に 本当に お世話になりました
また次回ホーチミンに行くときは 絶対に ヒューさん リクエストします
日本語達者 読み書きもOK
ガイドなしでもですが
今回は弾丸
行きたいところがいっぱい
時間内 無駄なく したかったので
ガイドをつけました
そうしないと 市場とか行くと 言葉が通じなくて 時間が無駄になるよ って Mさんの話
騙されることもあるしね
ホテル到着 18時44分
阪急交通社のお迎えが20時30分
さ~ 荷物を受け取り 荷物整理開始!
とにかく 暑い
奥のお部屋を借りて 一斉に開始
そして 荷物整理も終わり
まだ時間があるので
近くの雑貨屋さんに 4名でお買い物
1名はホテルでお留守番するって
Mさんのアドバイスできめた ボンセンホテル
まわりにお店があるから 便利
ホテルのすぐ近くにある 例の 高級な雑貨屋さんへ
もう 軍資金も底ついていたけどね
いくらしかない・・・
あ~ 足りる~
これも欲しいけど・・・
・・・・・・・・・・・
って 最後のお買いものをし
ホテルへ
また荷物整理をし 少し休んで
お迎えの車が到着
20時30分 ぴったり!
他の旅行者も拾っていきます
旅行会社も色々よ
そうなってるんだね~
そうそう
暑い国
ゴッキーが物すごく多いと
行く前から聞いていて
世界一嫌いな虫が
ゴッキー
部屋に出たら もう寝られない・・・
と心配していたけど なんとか部屋での遭遇は
最後に会っちゃったよ
足もとで
飛ぶタイプ
これが一番嫌い
日本の物より 茶色が少し明るい
大きさは 日本の 大きなサイズ位
もう~ これが 飛んだら大変
そ~~~~っと 歩いて バスに乗りましたよ
街中はますます賑やか
毎日が 日本の祭りの夜みたいですよ
夕涼み隊かな?
途中 1名ひろって
空港到着が 21時15分頃かな
直ぐ荷物を預け
そうそう 荷物 重さは・・・・
セ~~フ
心配したけど JALのおじさんが
多分大丈夫だよ! あと 2キロ位かな って
本当にそうでしたよ
持っただけでわかるんだね~
あと2キロ 何か買えばよかった
と言っても 軍資金が 微々たる金額だからね~
さ~ いよいよ帰ります
その前に・・・
みんなで ボンボン 食べました
美味しいのよ!! ボンボン
よそ様の記事を拝借しますね
ボンボン
最盛期は7~9月
5月に入るとベトナムの市場に並ぶようになるボンボン。5月~10月に収穫される果物で、最盛期は7~9月です。マレーシア原産で、東南アジア一帯や台湾などで栽培されていますが、日本でお目にかかることはまずないと思います。ピンポン玉のような茶色い実がブドウの房のようにびっちりついているのですが、種類によっては長い枝に少し間を置いて実がなるものもあるようです。
ベトナムでは主に中部から南部で栽培されており、特に 南中部沿岸地方クアンナム省のダイロイ(Đại Lộc)郡、クエソン(Quế Sơn)郡、ティエンフオック(Tiên Phước)のボンボンが甘くておいしいと言われています。ボンボンの木は植えてから結実するまで5年以上がかかるようで、なかなか商業ベースにのらないらしく、市場で大量に売られているということはあまりありません。実の皮は少し厚めですが、爪でヘタの付け根に切れ目を入れれば、簡単に手で剥くことができます。冷蔵庫に入れると皮が変色して手で剥きにくくなるので、ナイフを使ったほうがいいでしょう。外皮の下に白い薄皮があるのですが、外皮と一緒に剥くことができます。半透明の乳白色の果肉はまるでみかんの房のように5~6つに分かれていて、一粒につき1~2個の緑色の種が入っています。この種をかじると結構苦いので、かじらないように注意しながら丸ごとかじって食べます。食感は、ナタデココをもう少しゼリーに近づけた感じ、といえばいいでしょうか、ほかの果物にはない歯ざわりです。味は、グレープフルーツの苦味をとった感じで、少し酸味のある爽やかな甘さ。まるで、 グレープフルーツゼリーを食べているよう 。果汁がじゅるじゅる出てくるわけではないのにジューシーという不思議な果肉です。
難点は、食べていると手がべとべとになること。石鹸で洗ってもとれません。でも、30分ほどすると自然にべたべたがなくなるから不思議です。また、皮から出てくる白い樹液にはタンニンが含まれているそうで、時間が経つと皮を剥くのにつかった爪の間がどす黒く変色してしまいます。爪を汚したくない人歴史上重要な役割を果たした果物ボンボンは、ベトナムの歴史書の中で「Trung Quân(チュンクアン、忠軍)」という名で登場しています。歴史を遡ること1700年代後半、グエン・フエ(阮恵)によりタイソン(西山)朝が成立した時のこと。当時中部一体を支配し、後にグエン(阮)朝を興すことになるグエン一族の軍隊は、タイソン軍に破れて南のジャングルに逃げ込みました。そのとき、兵士たちはボンボンの実を食べて飢えをしのぎ、最終的にタイソン朝を倒してグエン朝を開いたのです。このときグエン軍を救ってくれたボンボンのことを感謝をこめて「忠軍」と呼び、フエの王宮にある廟にボンボンを彫刻させたということです。は、ナイフを使うことをお薦めします。
ボンボン お勧めよ~~