7日の続きです。
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[長短相補う国家、日本と中国](220ページ)
一人の人間にすべての力を集めて、その体制を維持しようとする皇帝的人間主義、そして圧し潰されようとしたときには、人間性を回復するために、体制を砕こうとする人民的人間主義。――この二つの人間主義が、神様を棚上げして、二千年にわたって中国の歴史をいろどることになった。
中国思想は、皇帝の独裁を、聖王であるという条件でゆるし、革命を人間性回復のためという条件で容認する。理念の二重性なのだ。
日本では機構あるいはしきたりの上の権力二重構造で自己を制御し、中国では理念の二重性と竜鳳の交替で蘇生をくり返した。
機構は『実』であり、理念が『名』であることはいうまでもない。
このように、長短相補うような国家を、たがいに隣国として存在させているのは、摂理のような気がする。
どちらがすぐれ、どちらが劣るかという問題ではない。一方が一方を倣って、それに同化してしまっては、なにもならない。摂理に対する冒瀆(ぼうとく)であろう。
---------------------------------------------------------------------
完
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陳舜臣「日本人と中国人」(集英社文庫)
第八章われら隣人
【竜と鳳】
[長短相補う国家、日本と中国](220ページ)
一人の人間にすべての力を集めて、その体制を維持しようとする皇帝的人間主義、そして圧し潰されようとしたときには、人間性を回復するために、体制を砕こうとする人民的人間主義。――この二つの人間主義が、神様を棚上げして、二千年にわたって中国の歴史をいろどることになった。
中国思想は、皇帝の独裁を、聖王であるという条件でゆるし、革命を人間性回復のためという条件で容認する。理念の二重性なのだ。
日本では機構あるいはしきたりの上の権力二重構造で自己を制御し、中国では理念の二重性と竜鳳の交替で蘇生をくり返した。
機構は『実』であり、理念が『名』であることはいうまでもない。
このように、長短相補うような国家を、たがいに隣国として存在させているのは、摂理のような気がする。
どちらがすぐれ、どちらが劣るかという問題ではない。一方が一方を倣って、それに同化してしまっては、なにもならない。摂理に対する冒瀆(ぼうとく)であろう。
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