第一章 序 章
傳教大師(でんげうだいし)
日本天台を創(はじ)められ、眞俗一貫(しんぞくいちかん)の菩薩道(ぼだいどう)を提唱(ていせう)しまして、圓(ゑん)の三学の宗教を確立された方は宗祖傳教大師最澄(でんげうだいしさいてう)その人であります。大師は入唐(にふとう)せられて圓(ゑん)・密(みつ)・禅(ぜん)・戒(かい)の四宗(ししう)を比叡山に将来(せうらい)され、延暦廿五年一月廿六日年分度者二人(にちねんぶんどしやふたり)を桓武天皇(かんむてんわう)より賜はりました。この日を以(もつ)て本宗(ほんしう)の開宗記念日(かいしうきねんび)としますが、爾来大師(じらいだいし)は一乗教(いちぜうけう)の宣布(せんぷ)と戒壇建設(かいだんけんせつ)に努められ、遂に弘仁十三年五十六歳を以て示寂(じじやく)された。六月四日はその御命日(ごめいにち)でありますので、山家会(さんげゑ)を虔修(けんしう)して恩徳(おんどく)を鑽仰(さんかう)して居ります。著書「法華秀句(ほつけしうく)」「守護国界章(しゆごこくかいせう)」「顕戒論(けんかいろん)」は一宗の原典(げんてん)で、有名な「山家学生式(さんげがくせうしき)」は一向大乗教団(いちこうだいぜうけうだん)の指導原理と清規(せいき)とを示すものとして非常に尊重されて居ります。
この様に如来所説(によらいしよせつ)の法華・大日の両経(れいけう)は龍樹菩薩(りうじゆぼさつ)が之を紹隆(せうりう)し、天台・一行(いちげう)の両師(れうし)は能くこれを組織せられたのであります。聖徳太子は日本民族の宗教として採用し給ひ、また神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)は優婆塞菩薩(うばそくぼさつ)の君子(くんし)を主に、宗祖(しうそ)は菩薩僧(ぼさつそう)を中心に圓(ゑん)の三学仏教を建設しましたが、その目的とする所は鎮護国家(ちんごこくか)の一に存するのであります。惟(おも)ふに嚢祖立教(のうそりつけう)の縁由(えんゆう)するところ、聖徳太子の眞俗一貫した国体仏教(こくたいぶつけう)に基き、遠く龍樹・天台・一行・神変等の諸先徳(しよせんどく)の深意(しんい)を窺(うかが)ふて圓密一致(ゑんみついつち)を宗とし、宗祖(しうそ)の眞意を察し給ふて三学一元(さんがくいちげん)の五箇法門(ごかのほうもん)を稟傳(りんでん)されたのであります。されば門末(もんまつ)の吾等(われら)は上記の方々を高祖師(かうそし)として深く帰命(きめい)し、報恩謝徳(ほうおんしやとく)の誠(まこと)を捧(さゝ)げることが肝要(かんよう)であります。