天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月02日 19時33分35秒 | 大峰奥駈

   大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅  

   十   玉置山(たまおきざん)

 

   維新(いしん)までは高室院(かうしつゐん)と云(い)ひ聖護院末寺(しやうごいんまつじ)であつたが、今(いま)は玉置山神社(たまきじんしや)とて

  十津川村(とつかはむら)の郷社(ごうしや)になつてゐる。中々立派(なかヽりつぱ)な社殿(しやでん)である。

   本山入峯(ほんざんにふぶ)には、例年浦向(れいねんうらむかい)を出(い)で笠捨(かさすて)を超(こ)え、葛川(くずかは)よりこの峯(みね)に登(のぼ)

  りて宿泊(しゆくはく)する事(こと)となつてゐたが、本年(ほんねん)は瀞八丁(どろはちちやう)に回(まわ)りてこヽに宿泊し、其翌日瀞(そのよくじつどろ)

  より、玉置山に登り、吹越(ふきこし)に下(くだ)る事となつた。