大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
五 大黒岳(だいこくだけ)
大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
七 五大尊岳(ごだいそんだけ)
険阻(けんそ)なり。
大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
八 岸の宿(きしのやど)
蟻(あり)の戸渡(とわたり)と云(い)ふ難所(なんしよ)ありと。
大峰奥駈七十五靡の名称と道程 宮城信雅
十 玉置山(たまおきざん)
維新(いしん)までは高室院(かうしつゐん)と云(い)ひ聖護院末寺(しやうごいんまつじ)であつたが、今(いま)は玉置山神社(たまきじんしや)とて
十津川村(とつかはむら)の郷社(ごうしや)になつてゐる。中々立派(なかヽりつぱ)な社殿(しやでん)である。
本山入峯(ほんざんにふぶ)には、例年浦向(れいねんうらむかい)を出(い)で笠捨(かさすて)を超(こ)え、葛川(くずかは)よりこの峯(みね)に登(のぼ)
りて宿泊(しゆくはく)する事(こと)となつてゐたが、本年(ほんねん)は瀞八丁(どろはちちやう)に回(まわ)りてこヽに宿泊し、其翌日瀞(そのよくじつどろ)
より、玉置山に登り、吹越(ふきこし)に下(くだ)る事となつた。