天台寺門修験

修験道の教義は如何に

修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月01日 22時05分12秒 | 大峰奥駈

     大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅  

   十一  如意殊岳(によいしゆだけ)

 

   これより児(ちご)の森(もり)、岩(いは)の口(くち)、横峯金剛(よこみねこんがう)、片岡八郎(かたをかはちろう)の花折塚(はなをりづか)を通(とほ)り、玉置山(たまおきざん)に至(い)たる。

   


修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月01日 21時49分00秒 | 大峰奥駈

   大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅  

   十二  古屋宿(ふるやしゆく)

 

   三本杉(さんぼんすぎ)とも云(いふ)と。これよりすこしく行(ゆ)きて水呑ノ金剛と云(い)ふあり、行仙(ぎやうせん)よりこヽまで水(みづ)なし、

 この附近(ふきん)に、岩(いは)の塔(たう)、天倉(あまくら)、貝吹野等云(かいふきのとうい)ふ所(ところ)あり。

  明治二十四年の本山入峯日誌(ほんざんにふぶにつし)には靡道(なびきみち)を全部通過(ぜんぶつうくわ)し、こヽより十津川村葛川(とつかはむらくずかは)

 に出(いでヽ一泊(はく)し更(さら)に、靡道(なびきみち)に登(のぼ)りて進(すヽ)みしと。


修験第二十號 (大正十五年九月一日發行) - 大峰山の霊蹟に就て -

2012年03月01日 21時34分53秒 | 大峰奥駈

   大峰奥駈七十五靡の名称と道程     宮城信雅  

   十五  菊ケ池(きくがいけ)

   四阿宿(しあしゆく)より菊ケ池(きくがいけ)に至(いた)る間(あひだ)に、地蔵岳(ぢざうだけ)あり前、鬼以来(ぜんきいらい)の険阻(けんそ)にて、

  窟中(いはやちう)に地蔵菩薩小像(せいざうありと。