gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

情念、情熱の根源は「エゴ」・・・?

2015-12-06 14:55:10 | 古事記字源

 ・・・小さい頃、ぐるぐると自分自身の身体を同じ場所で回転させ、止まっても周囲が回り続け、その目眩をする感覚が不思議で面白く、何度も繰り返し、終いには気分が悪くなって倒れたコトがある。それに、同じ言葉を何回も唱えているとその意味が解からなくなってしまったコトが何度もあった・・・「ドナドナ(Dana Dana,Dona Dona,Donna Donna,Donay Donay)」は最初から意味が解からない「コトバ」であったから、その意味も追求しようなどとは思わなかったが・・・連想するのは「ドーナッツ(donut)」と、「ドン=ポップコーン(popcorn)」だが、最近では「ドナー (donor) =提供者・寄附者=ラテン語の donator・dono・donare=贈り物をする」か、「分裂抗争のヤクザのドン=don=Mr=boss」・・・知りたい、と思うと「探索」が始まる・・・そして、コトバの探究は「モジ」の「核分裂・核融合」となってしまう・・・
 どうやら「自然界の法則性」が必然なら当然「脳ミソの認識・思惟」も同じように機能するのはアタリマエか・・・
ーーーーー
 核反応(nuclear reaction)
 核分裂(Nuclear fission)
 と
 核融合(Nuclear fusion)
 複雑な源字数(点・線)の構成の方が「書く分裂」しやすく
 簡単な源字数(点・線)の構成の方は「書く融合」しやすい
ーーーーー
 ・・・漢字の「楷書」は「角ばって」しまうが、「書き文字」は「草書」で「丸く」なって「円曲」に崩してしまうのは「書き易い」と云う人間の腕と手による機能が「回転・回す」と云うコトを基礎にしているコトに尽きるだろう・・・崩した文字は「艷ッぽく」って、「色ッぽい」・・・だが、書いた本人はその「漢字」を理解出来ようが、読む側のボクには殆んどが「チンプンカンプン」であるカナ・・・相当の目利きでないかぎり、文字解読するのは困難である・・・
 で、「自然界の物質は最終的には球になること」を望み、その動きのプロセスは「円を描くこと」で存在している・・・しかし、その形は人間が考えている「数学」としての「真(眞)球」ではないし、「真(眞)円」の動きではない。存在は「変化」している「動的存在」である。「真=眞」とは人間の「認識」上の「思惟方法」としての「静止・不動」と云う「産物」である。
 「漢字」は当然、「認識科学」を既にその「真(眞)形のコトバ」で、未知なる「動的な対象」を知識として先取りし、それを思考の道具とし、「自然界の対象認識の理論的整合性」を「予言」してきたのだ。人間の認識し得る「自然界の完全性(法則性)」とは、コトバを替えて云えば「自然界の完全=人間認識の不完全な近似性の理解」でしかない・・・
 そして漢字は「〇・◦」と「)(」、「八」の曲線以外は原則的に「角」ばって「構成」されてきた。理由は、人間の認識が「数字的・区分的」にハッキリと対象を静止的に置き換えて考えたい、と云う「合理性」にある。ナゼなら「宇宙、自然界」は常にその「形」を動的連続性で変化させているから「その動的存在自体をそのまま認識」するのに困難である。長い映画のフィルムの「1コマ」は、それ自体は放映されても「静止画像」である。この「静止画像」の僅かな異なった「複数の画像の連続性」で人間の「視覚と脳ミソ認識」はその「スクリーン映像」を「動き」として観ているにすぎない。TV映像も、デジタルカメラ映像も同じである。人間にとっては、動的なモノであると認識するには、先ずは「静止・不動」である「道具」が必要なのだ。その道具である一つが「不動なモノとしての漢字字形」である。
 「静止字形」から「動き」を読みとれる。「静止字形同士」を接続した「文章」で「動き」が「情報」として理解される。そして「1つの漢字文字」は、相互に共通理解されるモノとして、その「本質」を表現しているモノとしている・・・だが、「学習」なくしては、その共通相互理解は困難である。複雑化している人間社会は、その「協働生活」であらゆる「学習」がなければ生活が困難なのはアタリマエであるが・・・「学習知識」もイズレはボケるのは必然である・・・
「太安万侶」が長ったらしくなる日本語(natural language・native language?)を漢字に置き換(替)えたのは賢明(→懸命・懸目意)であったカモ・・・同時に「明治の文化人」が「横文字」を「漢字化・カタカナ化」したのは賢明(→懸命・県名・件名)であったカモ・・・
 自然界では「真(眞)の立方体」も「真(眞)の球体」も存在しない・・・存在するのは「人間の脳ミソの思惟→詞意」に於いてのみである・・・漢字に「懸・縣・県」と云う字も作りだした。これらの漢字分解(分裂)から理解できるコトはナニか・・・「懸」は「目Lハ一幺小(亅ハ)心」で構成されたモノである・・・「眞」は「匕目Lハ」である・・・これらの結合された結果、「カク融合」された「一漢字文字」である・・・
 認識論から譬えれば、「星占い」での「星座」と「星宮」のちがいである。地上から観測される天空の「星座(存在)」は「星宮」に納まってはいない。「星宮(認識)」とは人間が天を円周として、その「円周」を「十二に区分」し、意図的に設定したモノである。ハッキリと、その定位置を「静的(星宮)」にし、その枠内で「判断」したいからである。それは、「宇宙の星々(天体)の動き」を知る方法でもあったし、ある。だが、「星座(存在)」としての判断には、その境界線で「曖昧な部分」が重なる・・・人間の動的行動も曖昧であるのは自然である。だが、「区切られた星宮」で「未来」をハッキリさせたいと思考するのは「人間認識の願望」でもある・・・
 しかし、「一寸(約3センチ・cm=糎)先は闇」→「一瞬先は闇」・・・
 「センチ(centi, 記号:c)は国際単位系(SI)における接頭辞の一つで、基礎となる単位の10 -2倍(=100分の1、0.01倍)の量・ 1795年の当初のメートル法で定められた。センチ(フランス語発音はサンチ)は、ラテン語で百を意味するcentumに由来。当時は、分量の接頭辞はラテン語から、倍量の接頭辞はギリシャ語から作成していた」
 数の単位
 大数(計21単位)
 一 十 百 千 万 億 兆 京 垓 𥝱(秭) 穣 溝 澗 正 載 極
 恒河沙 阿僧祇 那由他 不可思議 無量大数
 小数(計24単位)
 分 厘 毛 糸 忽 微 繊 沙 塵 埃 渺 漠 模糊 逡巡 須臾
 瞬息 弾指 刹那 六徳 虚空 清浄 阿頼耶 阿摩羅 涅槃寂静
 「刹那」・・・「一瞬(in an instant=in a moment)=一度まばたき(またたき)をするほどの、きわめてわずかな時間」・・・「須臾(シュユ)は、10⁻¹⁵(1000兆分の1)」ですか・・・ブログで調べたら、
 No one knows what the future holds.
 The future is a closed book.
 We don't know what's around(round the corner)
 で、あるらしい・・・
 兎に角、「音声コトバ」も「文字コトバ」も「手話コトバ」も対象認識を一致させ、人間相互間の情報を相互伝達する「道具=手段=方法」である・・・
 そして「コトバの語彙」は増え、複雑になってきた・・・その原因は「バベル」であったと「旧約聖書(創世記第11章)」は記す・・・

 ・・・「コトバ」がなければ、「カミ」が「ナン」であるかもわからないであろう。神自身が「わたしはネタミの神である」と云ていると「記録」されているが、「文字で記録」したのは「人間」である・・・演じたのは「女优=女優」である・・・?
 で、この「ネタミ」とは「日本語」でナニ意味するのか?
 「僻み(ひがみ)・妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)
  焼餅(やきもち)」で、「やっかみ」も「同義語」であるらしいが・・・
 「やっかみ」は「八束水(やっかみ)」で「八束水臣津野命(やつかみずおみつぬのみこと)」の名前は「国引きのカミサマ」であり、地名には「鳥取県鳥取市-気高町-八束水(ケタカチョウ・ヤツカミ)」がある。
 「僻(イ辟→尸口立十)=人(イ)の
            「辟=重刑
             処刑を命じる君主
             体を横裂きにする」
             訓読みの漢字は
             きみ=君
             めす=召す
             つみ=罪
             ひらく=開く
             さく=裂く・割く
             おさめる=納・修・治・収
             つかえる=仕える
  嫉(女疾)
  妬(女石)
  焼餅(やきもち=夜気持ち・ショウヘイ)」
 は・・・漢字からは理解できるが、
 「八束水(やっかみ)」は「日本語」の当て字で、「神話のハナシ」からでしか理解は難しいだろう・・・「狭布(さの)の稚国(わかくに)なるかも、初、国小さく作らせり、故(かれ)、作り縫(ぬ)はな(出雲国風土記)」・・・国土(島根)が小さいことから他国(志羅紀=新羅・北門佐岐・北門裏波・高志)の余った土地を「四度、三身の綱」で引き寄せ、縫い合わせた、というコトである。大地に杖を突き刺すと木が繁茂し「意宇(おう)の杜(もり)」になった・・
 だが、ナゼ「八束水(やっかみ→やっつかみず・ハチソクスイ)」なのか?・・・「八束水」から「水」を除けば、
 「やつか(八束=八握)」=八握り分の長さ・長いこと
          「束」=指四本で握った幅の長さ
 「八束脛」=すねの長い意
       朝廷に服属しない先住民族への蔑視語
       国巣(くず)・つちぐも(土蜘蛛)の別称
 「八束鬚・八拳鬚・八束髭・八拳髭」=「やつかひげ」
  ↓
 「穂積八束(ほづみ やつか)」と云う人物存在した。
 1860年3月20日
 (安政七年二月二十八日=万延元年二月二十八日)
  ~
 1912年10月5日
 (明治四十五年=大正元年)
 伊予国宇和島出身・・・「宇和島」?
 東京帝国大学法科大学長・貴族院議員・法典調査会査定委員
 1891年(明治24年)
 民法典論争に際し論文
 「民法出デテ忠孝亡ブ」と発言
 「天皇主権」論者だった
  ↓
 「藤原朝臣八束(ふじわらのあそみやつか)」
 と云う人物も存在した。
 「715(霊亀一年)~766(天平神護二年)・北家房前(ふささき)の第三子・母は美努王(みののおおきみ)の娘、牟漏女王(むろのおおきみ)(尊卑分脉)・橘諸兄の甥・兄に鳥養・永手、弟に清河・魚名・御楯・楓麻呂」、
 「阿倍朝臣帯麻呂の女との間に内麻呂(長岡大臣)らをもうける」
 「天平宝字四(760)年頃、真楯の名を賜る」
 「繁栄謳歌の藤原北家は真楯の嫡流」・・・
  ↓
 「西條八束(さいじょう やつか)・1924年11月19日~2007年10月9日)は日本の陸水学者・名古屋大学名誉教授・日本自然保護協会参与、日本陸水学会会長・実父は詩人、作詞家の西條八十」
  ↓
 八束の地名
 八束村は千葉県 平郡・安房郡(南房総市)
 八束村は島根県 八束郡(松江市→ 八束町)
 八束村は岡山県 真庭郡(真庭市)
 八束村は高知県 幡多郡(四万十市)
 に存在する・・・
 ・・・「八束水」は「長い水」で、河川(カセン)なら「長江」か、「長野の川」だが「中津川」、「和泉(カセン)」なら出水、泉水、「瀧」なら「鳴滝塾」である・・・
 ・・・「八束水(やっかみ)」は「葉知即瑞(高野長英=瑞皐(ズイコウ)」・・・「薬科・薬価・薬禍」の「厄禍・約掛・訳化」の「見・視・観」の「ネタミ」かも・・・
 兎に角、「八束水(やっかみ)」は、「国や才能」を奪った、あるいは持っていた「ダレ」かへの「僻み(ひがみ)・妬み(ねたみ)・嫉み(そねみ)・焼餅(やきもち)」であるらしい・・・
  ↓↑
 「jealousy」は
 「envy」より個人的な感情で
 優越者を「ねたみ、憎悪(にくむ)」する感情
 「envy」は他人の持っているものを
 自分も持ちたいと云う「うらやむ」気持ち
 「ひがみ・ねたみ・そねみ・にくむ・うらやむ」の語源は・・・?
 ↓↑
 ねたみ・ネタミ・妬(ねたみ)・そねみ・ソネミ・嫉(そねみ)
 jealousy
 jealous(嫉妬)・・・三角関係でのネタミ、ソネミ、ウラミ
 envious(羨望)・・・二者関係での他者に対する憧れ
 enviable
 enviously
 enviably
 jealousyenvy
 jealousenvious
 from (out of) jealousy (envy)
 「嫉妬」と「ねたみ」の区別
 ギリシャ語・・・Envy
 ラテン語・・・・invidia
 スペイン語・・・envidiar
 ドイツ語・・・・Eifersucht, jalousie,
 フランス語・・・jealousyとNeid,
 英語・・・・・・jealousyとNeid,
 羨望とは(envious)
 「他人の勢力下にあるものを所有したいという欲望」
 嫉妬(jalousie) とは
 「自分自身の所有物をもち続けようとするときの
  邪推深い気づかい」
 envy は「羨望、嫉妬、羨み、妬み」等と翻訳
 心理学領域では嫉妬(jealousy)と羨望(envy)は近似
 英語の
 jealousy(嫉妬)
 envy(羨望)
 欧米の心理学的議論で訳し分けられた
 「愛情関連の嫉妬」
 「優劣関連の嫉妬」
 嫉妬の一語で jealousy と envy の両方の意味を担う
 envy(名)=ねたみ、嫉妬
 envious(形)=嫉妬深い、うらやましそうな
 enviable(形 )=うらやましい
 enviously(副)=ねたんで、うらやんで
 enviably (副)=うらやましいほど
 jealous(形)=ねたんで、嫉妬して
 jealousy(名)=ねたみ
 「Jehovah (イェホヴァ)」が類似するかも・・・
 ・・・「Sense of Ego」の範疇なんだろう・・・
ーーーーー
 ・・・「宇宙空間」では渦を巻いているが、「渦(うず・うづ・ウズ)」を巻かせる動因、その関係性とはナニか?・・・鳴門海峡の渦は海水の変化、竜巻の渦は空気の変化・・・「宇宙の空間」とは「真空」ではないコトが条件だが・・・「空間」とは「諸物質の密度の諸関係」で「時間」とはそれらの「諸関係の相互作用の変化」であるが・・・

 「ジャラシイー」とは人間諸関係の「パトス」でもあるカナ・・・

 「へそを曲げる」のはネタムこと?・・・ヘソが渦を巻いている?・・・

 「cantankerous」・・・「ツムジ(旋毛)曲がり」、「ヒネくれる」・・・?

 「臍曲がり、臍曲り」は

 「perverseness

  devil's advocate」・・・擁護者

      アドボケート・・・蛙(會)怒模掲訳

                  吾怒ボケ化重妬?

 「perversity=a perverse fellow・a cantankerous person」

 「cantankerous→can・tan・ker・ous →kæntˈæŋk(ə)rəs」・・・

  カンタンカラス?・・・「感嘆・感歎・肝胆・邯鄲」カラス(鴉・烏・香良洲→掛等素)・・・

 「邯鄲の夢(盧生と呂翁」・・・

 「カンタン(邯鄲)」は昆虫の名でもあり、

 別称は

 「天蛉(テンレイ・観た目はキリギリス(螽蟖)に似ている・Tree cricket=木コオロギ)=蟋蟀(シュシュツ)・螽斯(シュウシ)」→「蝗(イナゴ・コウ)=飛蝗(バッタ)」・・・「螽斯(螽蟖)之化」=「子宝に恵まれ、子孫繁栄」・・・ナゼ「冬の虫虫」なんだろう・・・?・・・「螽斯(螽蟖)之」の「化」ではなく、「過」ではないのか、「イソップ(Aesop)物語」の「蟻(アリ)さん」に訊いてみたい・・・

 「蜻蛉(セイレイ・とんぼの)」、

 「螟蛉(メイレイ・青虫というよりも緑虫)」・・・

   ↓

 「意地悪の・つむじ曲がりの」

 「a crank→crank→krˈæŋk」・・・

   クランク・・・「句乱苦・口蘭句・句覧矩」・・・

 「cranky→crank・y→krˈæŋki」・・・

  クランキィ・・・「句蘭記意・矩覧記意」・・・句覧key

          「句等務記意・眩む奇異(忌諱・紀伊・貴意)」

 ・・・竜巻は「tornado(トルネード)」、「cyclone(サイクロン)」、旋風は「willy-willy」・・・

 つむじ風は「 whirlwindII 」 ・・・辻風・つじ風は「ダスト デビル(Dust devil)」・・・

 「ハリケーン(<hurricane)・スペイン語(huracan)」、

 「台風(typhoon・タイフーン)=颱風」・・・

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« どなどなどなどな・・・など... | トップ | 不正確・・・虎の巻のコタエ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

古事記字源」カテゴリの最新記事