gooブログはじめました!キリヤ

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
コジキジゲン

サガ=佐賀=嵯峨・砂賀・佐雅・相賀・相模(佐賀美・相見)

2018-11-27 22:43:58 | 古事記字源

 ・・・2018年・・・2+0+1+8=11・・・11月27日・・・1+1+2+7=11・・・十一・壱壱・拾壱・足壹・・・eleven・the eleventh・・・1111年11月11日11時・・・?・・・1111 November 11・・・
 辛卯年
 日本
 天永二年
 皇紀1771年
 中国
 北宋 政和元年
 遼  天慶元年
 西夏 貞観十一年
 南越=ベトナム
 李朝 会祥大慶二年・・・ベトナム、李朝の
             仁宗李乾徳の治世の元号
             1110年~1119年
 ↓↑
 1111年誕生
 アンドレイ・ボゴリュブスキー
 (Andrei Bogolyubsky)、
 ウラジーミル大公・・・裏字意見留考?
 (1111~1175年)
 ↓↑
 1111年死去
 アルガゼル(Algazer)
 イスラム神学者
 スンナ派のイスラーム諸学を形作った
 トゥースに帰郷
 1111年12月18日死去
 ↓↑
 ロベール2世
 フランドル伯
 第1回十字軍に参加
 「エルサレムのロベール」
 1111年10月5日死没
 ↓↑
 プッリャ公ルッジェーロ1世
 (伊:Ruggero I, 1060/61年~1111年2月22日)
 プッリャ・カラブリア
 および
 シチリア公(1085年~1111年)
 ルッジェーロ・ボルサ(Ruggero Borsa)とも・・・
 ボルサとは財布の意
 金勘定が好きでついた渾名(あだな・綽名・仇名)
 ↓↑
 ボルサリーノ(イタリア語: Borsalino)
 イタリアの
 アレッサンドリアに本社を置く
 帽子メーカー・及びブランド
 2017年12月19日
 イタリアの老舗帽子メーカー
 「ボルサリーノ(Borsalino)」が破産
 「ボルサリーノ(原題: Borsalino )」
 1970年公開のフランス= イタリア合作映画
 ジャン=ポール・ベルモンド
 アラン・ドロン
 ビッグ・ガン
 「オルネラ・ヴァノー二の歌(L'appuntamento )」
 「逢びき(Ornella Vanoni - L'appuntamento)」
https://www.youtube.com/watch?v=Bq37jQTZFkM&feature=related
https://www.youtube.com/watch?v=z4nhDtkzhRg
 ↓↑
 蕭 常哥=ショウジョウカ
      蕭=艹+肅
        異体字「䔥・萧・萧」
        草の名
        よもぎ(蓬・艾)の一種・蕭艾
        ものさびしい・蕭蕭・蕭条・蕭然
        蠨=虫+蕭=足長(脚長・肢長)蜘蛛(くも)
      常(つね)に哥(うた)う
      与模擬がイツモ歌う・・・?
 遼・・・・遼朝・内モンゴルを中心で
 ↓↑   契丹族が満州、モンゴル、華北
      を支配(907/16~1125)し
      中国北辺を支配した契丹人(キタイ人)
      耶律氏(ヤリュート氏)の征服王朝
      満州から中央アジアの地域に存在し半農半牧
      女真と南の宋に挟撃され
      1125年に滅亡
 ↓↑   ↓↑
      黒契丹=カラは黒、キタイは契丹
      西遼=契丹人の遼の皇帝の一族の
         耶律大石
         が
         金(女真)・宋軍に
         首都燕京を攻撃され
         脱出して外モンゴルを経て西進
         中央アジアに入り
         カラ=ハン朝を倒して
 ↓↑      1133年に建国
 ↓↑   カラ=黒⇔カラス=烏・鴉
          =加羅州・香良洲
           枯らす・涸らす・嗄らす
 ↓↑        唐州・韓州・・・
 の政治家
 字は胡独菫
 諡は欽粛
 容貌魁偉で寡黙
 祗候郎君
 本族将軍
 松山州刺史を歴任
 太子太師
 国舅詳穏
 遼興軍節度使
 北府宰相
 兼侍中
 天慶元年(1111年10月18日)死去
 ↓↑

 藤原宗円
 別名
 粟田宗円、宇都宮兼綱
 石山寺(大谷寺)座主
 宇都宮座主
 天永二年(1111年)十月十八日に死没
 ↓↑
 藤原正家
 儒宗
 文章博士
 式部大輔
 藤原北家真夏流(日野家)
 式部権大輔・藤原家経の子
 文章博士
 天永二年十月十二日(1111年11月14日)死去
 ↓↑
 大江匡房=死没天永二年十一月五日(1111年12月7日)
 主君
 後冷泉天皇→後三条天皇→白河天皇→堀河天皇→鳥羽天皇
 東宮学士
 太宰権師
 大蔵卿
 江家文庫を設置
 ↓↑
 大江広房→橘広房
 大江匡房の養子、後に橘氏長者
 文章得業生(もんじょうとくごうしょう)
 天永二年(1111年)
 美濃国に向かう途中で
 下野守・源明国との間で私闘
 殺害された
 ↓↑
 ・・・紀伝道(きでんどう)=日本律令制の大学寮において
 歴史(中国史)を教え
 後に漢文学の学科である文章道(もんじょうどう)
 と統合し
 歴史・漢文学の両方を教える学科となり
 学科は「紀伝道」
 博士は「文章博士」と別々の正式名称を用い
 通称として
 「紀伝博士」
 「文章道」という呼び方も用いられた・・・
 ↓↑
 永観(ようかん・えいかん)
 平安時代後期の三論宗の僧
 実父は
 文章生
 源国経
 石清水八幡宮別当元命の養子
 禅林寺の7世住持
 ↓↑
 呂恵卿
 中国北宋の政治家
 字は吉甫
 号は恩祖
 閩南晋江(福建省泉州市晋江市)出身
 参知政事を務めた新法党の人物
 著作
 『文集・孝経伝・道徳経注・論語義・荘子解』等
 ↓↑
 源 国信(みなもと の くにざね)
 天永二年一月十日(1111年2月26日)死去
 ↓↑
 chapter=本・論文などを章に分ける
      本などの
      章・・・立+日+十
      項目・・工+頁+目
      人生・歴史などの重要な一区切り
      一時期を画すること
      たいせつな一部分
      tʃǽptər=チャプター
          chapters・chaptering・chaptered
-ーーーー
 CHAPTER 11
 創世記
 第11章
 ↓↑
 ヨハネによる福音書
 第11章
 ↓↑
 マルコによる福音書
 第11章
 ↓↑
 マタイによる福音書
 第11章
 ↓↑
 ルカによる福音書
 第11章
 ↓↑
 ローマ人への手紙
 第11章
 ↓↑
 ヘブル人への手紙
 第11章
 ↓↑
 申命記
 第11章
 過去的出来事の無知
 ↓↑
 士師記
 第11章
 遊女
 私娼問題
 庶子問題
 ↓↑
 列王紀上
 第11章
 契約不履行
 分断
 ↓↑
 ダニエル
 第11章
 南北問題
ーーーーー
 舊約(旧約)
 ↓
 漢字表題(タイトル・title)
 創世記
 出埃及記=出エジプト記
 利未記=レビ記
 民數記=民数記(みんすうき)
 申命記=申命記(しんめいき)
 約書亞記=ヨシュア記(よしゅあき)
 士師記=士師記(ししき)
 路得記=ルツ記
 撒母耳記上=サムエル記上
 撒母耳記下=サムエル記下
 列王紀上=列王紀上(れつおうき・じょう)
 列王紀下=列王紀下(れつおうき・げ)
 歷代志上=歷代志上(れきだいし・じょう)
 歷代志下=歷代志下(れきだいし・げ)
 以斯拉記=エズラ記
 尼希米記=ネヘミヤ記
 以斯帖記=エステル記
 約伯記=ヨブ記
 詩篇=詩篇(しへん)
 箴言=箴言(しんげん)
 傳道書=伝道の書(でんどうのしょ)
 雅歌=雅歌(がか)
 ↓↑
 以賽亞書=イザヤ書
 耶利米書=エレミヤ書
 耶利米哀歌=哀歌(あいか)
 以西結書=エゼキエル書
 但以理書=ダニエル書
 ↓↑
 何西阿書=ホセア書
 約珥書=ヨエル書
 阿摩司書=アモス書
 俄巴底亞書=オバデヤ書
 約拿書=ヨナ書
 彌迦書=ミカ書
 那鴻書=ナホム書
 哈巴谷書=ハバクク書
 西番雅書=ゼパニヤ書
 哈該書=ハガイ書
 撒迦利亞書=ゼカリヤ書
 瑪拉基書=マラキ書
 ↓↑

 新約(しんやく)
 馬太福音=マタイによる福音書
 馬可福音=マルコによる福音書
 路加福音=ルカによる福音書
 約翰福音=ヨハネによる福音書
 ↓↑
 使徒行傳=使徒行伝(しとぎょうでん)
 羅馬書=ローマ人への手紙
 哥林多前書=コリント人への第一の手紙
 哥林多後書=コリント人への第二の手紙
 加拉太書=ガラテヤ人への手紙
 以弗所書=エペソ人への手紙
 腓立比書=ピリピ人への手紙
 歌羅西書=コロサイ人への手紙
 帖撒羅尼迦前書=テサロニケ人への第一の手紙
 帖撒羅尼迦後書=テサロニケ人への第二の手紙
 提摩太前書=テモテへの第一の手紙
 提摩太後書=テモテへの第二の手紙
 提多書=テトスへの手紙
 腓利門書=ピレモンへの手紙
 希伯來書=ヘブル人への手紙
 雅各書=ヤコブの手紙
 彼得前書=ペテロの第一の手紙
 彼得後書=ペテロの第二の手紙
 約翰一書=ヨハネの第一の手紙
 約翰二書=ヨハネの第二の手紙
 約翰三書=ヨハネの第三の手紙
 猶大書=ユダの手紙
 啓示錄=啓示録(けいじろく)
 ↓↑
 書卷分類
 摩西五經=モーセ五書
 四福音書=四福音書(よんふくいんしょ)
 心臟書=心臓の書
 歷史書=歴史の書
 預言書=予言の書
 書信=書簡(しょかん)
 保羅的書信=パウロの書簡
 傳記=伝記(でんき)
 ↓↑
 聖經編
 排的構成
 經節
 章節
 綱目
 註解
 ↓↑
 希伯來文=ヘブル語
 亞蘭文=アラム語
 拉丁文=ラテン語
 希臘文=ギリシャ語
 原文=原文(げんぶん)
 直譯=文字どおり
 七十士譯本=七十士希臘譯本
      =七十人訳(ななじゅうにんやく)
 死海古卷=死海写本(しかいしゃほん)
ーーーーー
 ・・・バベル・・・言語崩壊・・・???・・・
 祥=礻+羊=示+羊=𢒑
   さいわい・さち・きざし・ショウ
   さち・めでたい
   嘉祥(カショウ)・吉祥
   きざし・前ぶれ
   祥雲
   喪明けの祭り
   祥月
   通仮字「翔・詳・常」
   異体字「祥・𢒑」
   清祥・多祥・不祥事
   嘉祥・瑞祥・発祥
   忌み明けの祭り
   祥月・小祥・大祥
   発祥・吉祥・不祥事
   さが=祥兆・前兆
 ↓↑
 さが=性=相=たち
    生まれつきの性質・性格
    持って生まれた宿命
    いつもそうであること・常態・尋常
    ならわし・習慣
    よいところと悪いところ
    特に、欠点や短所
 ↓↑
 比べた時、比較したときのモノの
 …さ+が=……~さ+が=「様子、様態」が…である
      …凄さが・甘さが・辛さが・華麗さが
      …適切さ がアル、ナイ
 ↓↑
 サガ=佐賀=嵯峨・砂賀・佐雅・相賀
       ・・・相模(佐賀美・相見・さがみ)
 ・・・佐賀美邇・・・・サガミに
     迦美而、・・・かみて
    (古事記)
 ↓↑
 さがなし=意地が悪い・性格が悪い・たちが悪い
      性なし
      口が悪い・口うるさい
      いたずら好きだ
      差が無し=同じ・同類・同種・・・?
 ↓↑
 さがなし=形容詞・ク活用 未然形
      さがなく・さがなから
      連用形
      さがなく・さがなかり
      終止形
      さがなし
      連体形
      さがなき・さがなかる
      已然形
      さがなけれ
      命令形
      さがなかれ
      性格が悪い・ひねくれている
      意地が悪い
 ↓↑
 さが=よいところ・質
 なし=無い
 ↓↑
 サガ(アイスランド語: saga 複数形: sögur)
 おもに中世
 アイスランドで成立した
 古ノルド語(古北欧語、古アイスランド語とも)
 による散文作品群の総称
 サガ=古アイスランド語の
    segja(「言う」を意味する動詞
    英語のsay
    ドイツ語のsagen
    に相当する)から派生した言葉
   「語られたもの、語り物、物語」
    を意味する
 ↓↑
 「さがみに カミて カミくだき・・・」
  佐賀美邇・・・・サガミに
   迦美而、・・・かみて
   於
   吹棄氣
   吹之・・・
 ↓↑
 天照大神(アマテラス)
 と
 建速須佐之男命(スサノオ・素戔嗚尊)
 の誓約(ウケイ・占い)
  うけい(うけひ)=宇気比、誓約、祈、誓
  あらかじめ宣言を行い
  そのどちらが起こるかによって
  吉凶、正邪、成否などを判断する
 ↓↑
 天照大御藭詔
 「然者、汝心之芿明、何以知。」
 於是、
 速須佐之男命
 答白
 「各宇氣比而生子。(自宇以下三字以音、下效此)」
 ↓↑
 故爾各中置 天安河而、宇氣布時、
 天照大御藭、
 先乞度
 建速須佐之男命
 所佩
 十拳劒、打折三段而、
 奴那登母母由良邇(此八字以音、下效此)
 振滌
 天之眞名井而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而 ・・・・
 (自佐下六字以音、下效此)、
 於
  吹棄氣
  吹
  之
 狹霧所成藭御名、
 多紀理毘賣命(此藭名以音)、
 亦御名、謂
 奧津嶋比賣命。
 次
 市寸嶋上比賣命、
 亦御名、謂
 狹依毘賣命。
 次
 多岐都比賣命。三柱、(此藭名以音)。
 ↓↑
 速須佐之男命、
 乞度
 天照大御藭
 所纒左
 御美豆良
 八尺勾璁
 之
 五百津之美須麻流珠而、
 奴那登母母由良爾、
 振滌
 天之眞名井而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而、・・・・
 於
 吹棄氣
 吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。
 亦乞度所
 纒右御美豆良之珠而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而、・・・・
 於
 吹棄氣
 吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 天之菩卑能命。(自菩下三字以音)。
 亦乞度所
 纒御𦆅之珠而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而、・・・・
 於
 吹
 棄氣
 吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 天津日子根命。
 又乞度所
 纒左御手之珠而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而、・・・・
 於
 吹
 棄氣
 吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 活津日子根命。
 亦乞度所
 纒右御手之珠而、
 佐賀美邇・・・・
 迦美而、・・・・
 於
 吹
 棄氣
 吹
 之
 狹霧所成藭御名、
 熊野久須毘命。(自久下三字以音)。
 幷五柱。
 ↓↑
 於是
 天照大御藭、
 告
 速須佐之男命
 「是後所生
  五柱男子者、
  物實
  因我物所成、
  故、自吾子也。
  先所生
  之
  三柱女子者、
  物實
  因汝物所成、
  故、乃汝子也。」
 如此
 詔別也。
ーーーーー
 ・・・佐賀美邇・・・・サガミに=佐我彌爾(書紀)
     迦美而、・・・かみて =加武而(書紀)
      於吹棄氣吹之・・・ =吹棄氣噴(書紀)
      噛みに噛み砕き
      吐き出した息吹の・・・
      吹き棄(うつ)る気吹(いぶき)の
            𪗾然咀嚼(書紀)
            吹棄氣噴之而」
      𪗾然咀嚼(書紀)
      𪗾然咀嚼、此云
           佐我彌爾=佐賀美邇(古事記)
           加武而 =迦美而(古事記)
          吹棄氣噴之=吹棄氣吹之(古事記)
 ↓↑
 𪗾然(さがみ・コツゼン?キツゼン?)に
 咀嚼(か・ソシャク⇔租借)みて
    ・・・かじる=囓る・齧る・噛る・・・化字留・佳字留
       bite (at)・gnaw (at)・nibble (at)・crunch    
       chew・・・栗鼠・鼠
         リス(栗鼠)は、ネズミ目(齧歯目)リス科
            くりス・移鼠=クリスト

 𪗾然咀嚼、此には佐我弥爾加武(さがみにかむ)と云ふ。?
 相武国=さがむのくに=相模国
 「𪗾=歯+吉」=異体字「𪙏=歯+害」・・・?
  𪗾=齒+吉=齿+吉
   =カツ・ケチ・ゲチ
      吉(柔)=害(硬・固)・・・?
       硬いモノはよく齧る・咀嚼・反芻

       老人の歯=こう歯会=尚歯会
       尚歯会
       主宰は遠藤泰通(遠藤勝助)
       高野長英、小関三英、渡辺崋山
       江川英龍、川路聖謨
       シーボルトに学んだ
       鳴滝塾の卒業生
       吉田長淑に学んだ者などが
       中心となって結成
       尚歯=尚(とうとぶ)
          歯(年歯・年齢)
          老人への敬老
 ↓↑
 𪗾然咀嚼
 𪗾然咀嚼、
 此云
 佐我彌爾
 加武而
 吹棄氣噴
 之狹霧吹棄氣噴之狹霧、
 此云
 浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理所生藭、
 號曰
 田心姬。
 次
 湍津姬、
 次
 市杵嶋姬、
 凡三女矣。
 ↓↑
 𪗾然咀嚼、而吹棄氣噴之 狹霧所生藭
 囓斷瓊端、而吹出氣噴之 中化生藭
 囓斷瓊中、而吹出氣噴之
 囓斷瓊尾、而吹出氣噴之
 囓斷劒末、而吹出氣噴之
 ↓↑
 尚歯会
 最高齢の主人を含む
 7人の高齢者が招かれ、集まり
 詩賦、和歌を作る
 音楽歌舞の遊宴
 7人は「七叟」
 その他は「垣下」で相伴
 845年
 唐で
 白居易が催した故事が起源
 ↓↑ 
 貞観十九年(877年)
 南淵年名
 がその山荘で行なった
 「皇年代略記」陽成に
 「元慶元年三月
  大納言
  南淵年名
  設二
  尚歯会宴一」
 「濫觴抄」下に
 「尚歯会
  陽成二年丁酉(貞観十九)三月
  南淵年名設」
 ↓↑
 安和二年(969年)三月十三日
 藤原在衡によって
 粟田山荘で(日本紀略、本朝文粋)
 天承元年(1131年)三月(二十日とも二十二日とも)
 藤原宗忠によって
 白河山荘で(百練抄、長秋記、今鏡、古今著聞集)
 それぞれ開かれた
 白居易の先例にならって
 詩賦の遊宴
 ↓↑
 承安二年(1172年)三月十九日
 藤原清輔によって
 白河の宝荘厳院において催された
 和歌の尚歯会の最初(百練抄、愚昧記)
 ↓↑
 養和二年(1182年)
 賀茂茂重
 (古今著聞集)
 以後、
 尚歯会は
 詩賦と和歌とに分かれた
 ↓↑
 江戸時代
 年賀の席で兼ねて行なわれ
 連歌、俳諧を交えて行なわれた
 ↓↑
 「風のしがらみ」
 宝永四年(1707年)十二月十一日
 中院通茂
 が77歳のとき尚歯会を催した
 ↓↑
 「渡辺幸庵対話」「嬉遊笑覧」によれば 
 宝永五年(1708年)十二月
 谷中感応寺のとなりの草庵で
 渡辺幸庵の尚歯会があった
 渡辺は127歳で上座
 「長生殿裏春秋富」
 「不老門前日月遅」
 の2句を書いて壁に掛けた
 ↓↑
 「翁草」によれば
 正徳五年(1715年)三月
 江戸
 生島幽軒八十の賀に
 老人7人の集会
 榊原越中守家来
 初名金五郎 志賀瑞翁 167歳
 医師 小林勘斉 136歳
 松平肥後守内 佐治宗見 107歳
 旗本 初名権左衛門 石寺宗寿 97歳
 医師 谷口一雲 93歳
 旗本 下条長兵衛 93歳
 浪人 岡本半之烝 83歳
 旗本 初名山田市之烝 亭主 生島幽軒 81歳
 ↓↑
 「翁草」によれば
 享保八年(1723年)三月一日
 霊元法皇の御所から高寿の人を召され
 尚歯会に准られ
 ↓↑
 「武江年表」によると
 享保十一年(1726年)十一月十八日
 「大道寺友山翁尚歯会
  志賀随翁
  其余六人の翁会すると云、姓名未詳」
 ↓↑
 「視聴草」によると
 明和六年(1769)
 奥医師
 武田長春院の尚歯会が
 仙台河岸の別荘であった
 ↓↑
 「尾張名所図絵」によると
 安永十年(1781年)三月九日
 内藤閑水の催しで
 府下高齢者9人が
 金剛山長栄寺に集会し
 尚歯会で
 詩歌連俳を詠出
ーーーーー
 ???・・・𪗾然(さがみ・コツゼン?キツゼン?)・・・
 忽然=物事の出現・消失が急なさま・突然
 屹然=山などが高くそびえ立つさま
    孤高を保ち周囲に屈しないさま
    他に屈せず、自立しているようす
 ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「カミ ヒトを守るに非ず ヒト 実にカミを守る」?

2018-11-25 22:44:57 | 古事記字源

 ・・・どこの支配者も「ご都合主義」・・・「オポチュニズム(opportunism)」・・・発音が「おポちゅ」って、軽くて、柔らかく浮いたカンジの「パピプペポ」・・・「ばびぶべぼ」は重いカンジ・・・「御+都+合・後+都+合」なら「語+都+合」だろう・・・東京遷都・・・東京奠都(テント)・・・
 ナゼ、「奠都(テント)」・・・天都って「tent」・・・
 ↓↑     天幕・・・天膜=tenマク=天巻
               =転換=展観・天漢(漢河・天川)
               =テンカン=癲癇
        pitch [strike] a tent=テントを張る[たたむ]
 ↓↑     ↓↑
        物を投げる、ほうる、投げ上げる
        人、物をほうり(追い)出す・捨てる(out)
        投げる
        間隔・角度・周波数・物質・場所・設備
        俗称・架空
        Pitch in=力を貸す・協力する
        ギブミハンド=give me a hand=ギヴメアハァンド
        pitch=同じことを繰り返し
           一定の間隔で物事を行うときの速度や回数
           仕事や作業の能率
           ねじ・歯車の、隣り合う二つのねじ山
           あるいは歯の間隔
           コイルばねの線の間隔
           登山で確保地点から確保地点までの間隔
           音の高低の度合い・ピッチアクセント
           投球・ピッチング・ワイルドピッチ
           サッカーなどのグラウンド
           プリンター印刷、コンピューターの
           ディスプレー表示の
 ↓↑        文字と文字の間隔や行と行の間隔
           ピッチ=coal tar pitch
           coal tartar=コールタールを塗る
 ↓↑        ひっち=筆致
 ↓↑        ヒッチ=hitch
           環・かぎ・ロープなどを引っかける
           牛馬を杭(くい)につなぐ
           hitch=結び方・小断層・盤張孔
               バットをうしろに引く
               玉掛け
               障害・遅延・兵役期間
 ↓↑            足を引きずって歩くこと
 ↓↑            ヒッチハイク
 「奠都(テント)」
 1868年9月3日(慶応四年七月十七日)
 ・・・慶応=慶應・・・『文選』の「慶雲応(まさ)に輝くべし」?
 ↓↑   ↓↑
 『文選(モンセン)』=南朝梁の昭明太子によって
            編纂された詩文集
      全三十巻
      春秋戦国時代~梁までの
      文学者131名による賦・詩・文章
      800余りの作品を
      37のジャンルに分類して収録
 ↓↑   ↓↑
 「慶雲応輝、皇階授木」
 漢書,範増 謂 項羽

 吾使人望沛公
其氣皆為龍
 成五色、此天子氣、急撃之勿失。
 春秋
 孔演圖
 曰
 天子皆五帝精、必有諸神扶助、使開階立遂。
 宋均
 曰
 遂、道也。
 春秋
 保乾圖
 曰
 黒帝治八百歳、運極而・授木。
 蒼帝七百二十歳而授火。
 1+8+6+8=23⇔2+3=5(ゴ=五・伍
              吾・語・誤・互・後・悟・午・御)
 壱(1・一・壹)
 弐(2・二・弍・貳・貮・仁)
 參(3・三)
 肆(4・四)・陸(6・六)・漆(7・七)
 捌(8・八)・玖(9・九)・拾(10・十・足)
 ↓↑   ↓↑
 「奠都(テント)」
 ↓↑
 大木喬任(おおきたかとう)・・・・多寡(多可)等(問答)
  ・・・大(一大)の木(十八)、喬(たか)に任せる
 江藤新平
 の建言により遷都を決定
 天皇東幸の詔を発し
 江戸を東京と改めた
 明治天皇は
 11月26日(明治一年十月十三日)
 東京着
 江戸城を東京城と改め
 東京を首都とした・・・
 ↓↑
 京都との東西両京とし
 慶応四年七月十七日(1868年9月3日)
 江戸を東京と改称
 同年九月に元号が
 明治に改められ
 同年十月十三日
 天皇が東京に入り
 ↓↑
 明治二年(1869年)・・・2度目の東幸(明治二年三月)
 政府が京都~東京に移転・・・二都・・・都合=奠都?
 ↓↑
 「奠都」=都を定めるコト
  ・・・奠=酋+大
       通仮字「填・典」
       異体字「尊・𠪝・鄭・飣」・・・猶太=Judea?
                     大猷院=徳川家光?
       まつる・そなえる・さだめる・テン・デン
       神仏に酒食などを供える・「奠茶」
       そなえる・そなえもの・「香奠」
      「香奠・祭奠・釈奠・奉奠
       奠稲(くましね)?
       乞巧奠(キッコウデン)=七夕の短冊」
       さだめる・位置を決める
 「遷都」=都を移すコト
  ・・・遷=辶+䙴=辶+覀+大+巳
      =辶+覀+一+人+己
      通仮字「僊」
      異体字「迁・𠨩・𠨧・𢍱・𢍹・𦦉・𦧂
          拪・𢫥・𢰕・䙲・䙴・𨒟・𨒿
          𨔰・𨕞・𨗢・䢬・𨗺・𨙘・𨙞」
 ↓↑
 徳川家光・・・久能山東照宮~日光東照宮へ「遷都」させた?
 ↓↑
 慶長9年7月17日(1604年8月12日)
  ~
 慶安4年4月20日(1651年6月8日)
 改名 竹千代(幼名)→家光
 諡号 大猷院・・・徳川三代将軍「家光」の廟所
    大猷院・・・大誘引・代誘引?
       ・・・代「有印・誘因・誘音」?
 戒名 大猷院殿贈正一位大相国公
 ・・・戒名=カイミョウ=改名・甲斐名・蝦夷名・貝名?
 ↓↑
 徳川家康遺書
 「久能山に納め(遺骨)
  御法会を江戸-増上寺
  靈牌は三州-大樹寺
  御周忌終て
  下野国
  日光山へ小堂を營造、
  京都には
  金地院に小堂をいとなみ
  所司代はじめ
  武家の輩進拜せしむべし。
  徳川実紀(台徳院殿御実紀四十二巻)」
 ↓↑
 己酉約条
 (キユウヤクジョウ)・・・杞憂約定?
 慶長十四年(1609年)
 対馬の
 宗氏
 と
 李氏朝鮮の間で結ばれた条約
 慶長条約とも
 全十二条
 文禄・慶長の役以来断絶していた
 朝鮮との貿易が再開
ーーーーー

ーーーーー
 BZI
 生年⇒壬 辰(乙・癸・戊)
    印綬⇔比肩・偏印・正財・・冠帯
      破
 生月⇒癸 丑(癸・辛・己)
    偏印⇔偏印・偏官・偏財・・衰
 生日⇒乙 亥(戊・甲・壬)
      ⇔正財・劫財・印綬・・死
      申酉=空亡
    ↓↑
 73.6⇒庚 申(己・壬・庚)
    正官           害
    ↓↑          ↓↑
       壬 辰・癸 丑・乙 亥
 2018年      冲
    正財年→戊 戌(辛・丁・戊)年
  11月
    偏印月→癸 亥(戊・甲・壬)月
  24日
    正官日→庚 申(己・壬・庚)日
 ↓↑ ↓↑
 RM  (1946年9月1日~2009年5月23日)
  丙 戌(辛・丁・戊)⇔己 丑(癸・辛・己)
  丙 申(己・壬・庚)⇔己 巳
  戊 寅(己・丙・甲)⇔戊 辰(乙・癸・戊)
    申酉=空亡  大運癸 卯(甲・ ・乙)63
ーーーーー
 ・・・???・・・
 命式以外は
 以下も以上も原文は「wikipedia」から・・・参照、参考、添付
 ↓↑
 NHKの大河ドラマ
 ↓↑
 征韓論
 西郷隆盛
 板垣退助・・・「征韓論」者の張本人・・・自由はシンでいた?
 江藤新平・・・ナゼ、下野したんだか・・・裁判官?
 後藤象二郎・・ナゼ、通称が象二郎か・・・象徴・象形・形象?
        諱は正本(まさもと)
        後に元曄(もとはる)
        ・・・ 曄=さかん・かがやく・あきらか・ヨウ
        字は日曄、暢谷、雲濤、不倒翁
        雅号は暘谷、雲濤、光海、鷗公
 副島種臣・・・ナゼ、種臣なんだか?
         明治二年(1869年)参議
         明治四年(1871年)外務卿
         マリア・ルス号事件で
         中国(支那・清国)人奴隷を解放?
         第1次松方内閣
         副総理・内務大臣
         在任期間
         1892年3月11日~1892年6月8日
        「神非守人 人実守神」?
     ・・・「神 人を守るに非ず 人 実に神を守る」・・・
 らによってなされた
 ↓↑
 西郷隆盛の主張は
 板垣退助らの主張する
 「即時朝鮮出兵」に反対
 開国を勧める
 遣韓使節の
 「遣韓論」
 ↓↑
 西郷隆盛の死後
 板垣退助らの
 自由民権運動の中で
 板垣の推進する征韓論は
 西郷の主張として流布定着・・・
 ↓↑
 神功皇后紀
 高句麗・新羅・百済
 の「三韓」を
 征韓派は「征韓」とした
 ↓↑
 安政五カ国条約の勅許の奏請
 間部詮勝は
 「海外諸蛮此方之掌中ニ納候事
  三韓掌握之往古ニ復ス」
 と朝廷を説得した・・・
 渋沢栄一は
 「韓国に対する私の考えは
  三韓征伐とか朝鮮征伐とか征韓論とかに
  刺戟せられたものであろうが
  兎に角
  朝鮮は独立せしめて置かねばならぬ
  それは
  日本と
  同様の国であると考えていた」
  と日清戦争後の
  対露強硬路線に同調した経緯を述べた
 ↓↑
 国学や水戸学
 吉田松陰ら
 古代日本が
 朝鮮半島に
 支配権を持っていたと
 朝鮮進出を唱え
 尊王攘夷運動に
 吉田松陰、勝海舟、橋本左内
 の思想に加えられた
 ↓↑
 慶応二年(1866年)末
 清国広州の新聞に
 八戸順叔・・・八戸事件
 ↓↑      ↓↑
      日本・慶応二年十二月十二日
      清国・同治五年
      朝鮮・高宗三年)
         同治五年十二月十二日
         1867年1月17日(丙寅・辛丑・丁酉)
         清国広州の新聞
        『中外新聞』に掲載
        「八戸順叔」なる
         香港在住の日本人が寄稿した
         征韓論の記事
         日本と
         李氏朝鮮
         清国
         との間の外交関係を悪化させた          
      ・・・記事は原文が見つかっていない・・・
       同治五年十二月十二日
      (1867年1月17日)
       清国の広州(広東省)で発行
      『中外新聞』の
      ・・・『中外新聞』の12月12日版・・・
      問題が発生した1866~67年の時点で
      広東には『中外新聞』は存在していなかった・・・?
      寧波で発行されていた新聞・・・?
      実体不明だが・・・「八戸順叔」は実在した・・・?
      記事も
      清国-弁理五口通商事務大臣に届けられ
      総理衙門へも報告され
      清国お雇い英国人の
      総税務司
      ロバート・ハートからも報告・・・
 ↓↑      ↓↑
         慶応三年十一月十五日
        (1867年12月10日)
         坂本龍馬。中岡慎太郎暗殺
         (近江屋事件)
 ↓↑      ↓↑
         慶応三年十二月九日
        (1868年1月3日)
 ↓↑      王政復古
 「八戸順叔」・・・叔=尗+又・・・尗=蔓を巻いた豆の象形
           =上+亅+八+又
           =ト+一+亅+八+又
            小さい豆粒を手(又)で拾う
            ひろう(拾)・わかい(若)・おさない(幼)
          汝南に芌(いも)を收むるを名づけて
          叔と為す(説文解字)
          叔父・叔母・兄弟の序列で三番目
       「伯仲叔季」・・・
        八の戸(はちのへ・やえ・やべ)
     ・・・八戸=はちド・ヤコ・ヤゴ・・・哉語・耶後
           ヤゴ(水蠆)=トンボ目(蜻蛉目)、
              トンボ亜目(不均翅亜目)の幼虫?
              秋津島=アキツシマ=安芸対馬?
 ↓↑     順は叔(三番目・を・シュク)?
 が
 「征韓論」の記事を寄稿
 清・朝鮮の疑念を招き
 日清・日朝関係が悪化
 (八戸事件)
 朝鮮では国王の父の
 大院君が政を摂し
 鎖国攘夷策
 「丙寅洋擾・丙寅教獄」や
 「シャーマン号」事件
 で勝利
 ↓↑
 明治維新
 対馬藩を介して
 朝鮮に対して
 新政府発足の
 通告と国交を望む交渉
 日本の外交文書が
 江戸時代の形式と異なる
 と朝鮮側に拒否
 明治三年(1870年)二月
 明治政府は
 佐田白茅・・・白の茅(かや・萱・伽耶・栢)
 森山茂・・・・森の山の茂
 を派遣
 佐田は朝鮮の対応に憤慨
 帰国後
 征韓の建白
 9月
 外務権少丞
 吉岡弘毅
 を釜山に遣り
 明治五年(1872年)一月
 対馬旧藩主を
 外務大丞に任じ
 9月に
 外務大丞
 花房義質を派遣
 朝鮮は応じず
 明治六年
 四月、五月
 釜山において官憲の先導で
 ボイコット
 日本国内で征韓論が沸騰
 ↓↑
 大院君は
 「日本夷狄に化す、禽獣と何ぞ別たん
  我が国人にして
  日本人に交わるものは死刑に処せん」
 と布告
 外交官として釜山に居た
 佐田、森山
 等は事の次第を政府に報告
 ↓↑
 明治六年(1873年)6月
 森山帰国後閣議で
 対朝鮮外交問題
 参議
 板垣退助
 は閣議で
 日本人居留民保護
 を理由に派兵を主張
 西郷隆盛は派兵に反対
 自身が大使として赴くと主張
 後藤象二郎
 江藤新平
 らもこれに賛成
 中国から帰国した
 副島種臣は
 西郷の主張に賛成し
 西郷ではなく自らが赴く事を主張
 二人の議論の末
 三条実美の説得もあり
 副島が折れ
 板垣退助も西郷のために尽力
 三条実美の承諾を得て
 西郷を使節として
 朝鮮に派遣することを上奏
 ↓↑
 同年8月
 明治政府は
 西郷隆盛を使節として派遣決定
 9月に帰国した
 岩倉具視
 木戸孝允
 大久保利通
 らは時期尚早と反対
 10月
 太政大臣三条は病に倒れ
 太政大臣代理となった
 岩倉の意見が容れられ
 遣韓中止が決定
 西郷や板垣らの
 征韓派は一斉に
 下野(征韓論政変または明治六年政変)
 ↓↑
 台湾出兵と江華島事件
 翌年の
 明治七年(1874年)
 宮古島島民遭難事件を発端として
 初の海外出兵となる台湾出兵
 (木戸孝允は
  征韓論を否定しておきながら
  台湾への海外派兵を行うのは
  矛盾として反対
  参議を辞任下野)
 ↓↑
 明治八年(1875年)
 李氏朝鮮に対して
 軍艦を派遣
 武力衝突
 江華島事件の末
 日朝修好条規を締結
 ↓↑
  佐賀の乱~
  明治十年(1877年)
  西南戦争
  不平士族の乱・自由民権運動
ーーーーー
 ・・・
 1875年9月20日~22日
 江華島事件
 (コウカトウ、カンファド)事件
 朝鮮の
 首府漢城の北西岸
 漢江の河口に位置する
 江華島(仁川広域市江華郡)付近で
 日本
 と
 朝鮮の間で起こった武力衝突事件
 朝鮮西岸海域を測量中の
 日本の軍艦
 雲揚号
 が
 江華島、永宗島砲台と交戦
 軍艦の名を取って
 雲揚号事件(うんようごうじけん)とも
 日朝修好条規締結の契機
 ↓↑

 明治太平記
 (編輯:村井静馬
  画:鮮斎(小林)永濯
  序:明治8年3月27日
  刊行明治13年(1880年)12月
  判本:東京・小林鉄治郎)
 絵図中にある
 旭日旗は
 1870年6月13日
 (明治三年五月十五日)
 太政官布告第355号により制定された
 「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」であり
 この当時の
 御国旗ないし海軍旗ではない
 ↓↑
 軍艦旗(海軍旗)への制定は
 明治二十二年
 ↓↑
 1875年(明治八年)
 当時の海軍旗は
 この絵中の左にある海軍旗章
 日本の初代軍艦旗(海軍旗)は
 中央に
 黄色いロープを巻きつけ
 赤い桜花を上部に付けた
 赤い錨を描き
 2本の赤いジグザク横線を入れた
 白旗
 1871年(明治四年)
 ~
 1888年(明治二十一年)
 まで軍艦に使用
 当時の韓兵は白衣
ーーーーー
 以下も以上も原文は「wikipedia」から
       ・・・「卯一記経出蛙」・・・
 ↓↑
 興宣大院君(フンソンデウォングン)
 大院王(テウォンワン)
 1820年12月21日
 (時憲暦嘉慶25年11月16日)
 ~
 1898年2月22日
 (時憲暦光武2年2月2日)
 李氏
 朝鮮末期の王族
 字は「時伯」
 号は「石坡・海東居士」
 本名は李昰応(リ・カオウ・イ-ハウン)
 南延君の四男
 母は郡夫人驪興閔氏
 高宗の実父
 ↓↑
 1864年1月~1873年11月
 高宗の実父として朝鮮の国政を司り
 外戚の専横排除に関連した
 古い体制打破を目的とした
 具体的には
 有能な人材の登用
 官制改革の実施
 小作人制度の撤廃による
 農地の平等分与
 など・・・
 1866年
 フランス人神父
 9名
 カトリック信者
 約8,000名を捕らえて処刑
 (丙寅教獄)
 江華島へ侵攻した
 フランス艦隊を撃退
 (丙寅洋擾)
 通商を求め
 大同江を遡上してきた
 アメリカ商船
 ジェネラル・シャーマン号を焼き払った
 ↓↑
 外戚の専横排除を目的に
 閔妃を高宗の王妃にする
 乙未事変
 閔妃が暗殺された後
 1898年
 79歳で死去
 ↓↑
 「大院君」=直系でない国王の実父に与えられる称号
       興宣大院君=大院位大監
 ↓↑
 1873年11月3日
 大院君の批判する上疏を
 崔益鉉が提出
 閔妃、神貞王后は
 高宗に問い詰め
 権門勢家及び各党派そろって
 大院君を牽制し、大院君失脚
 高宗親政を宣言
 閔妃は大院君に代わって大権を握り
 大院君は雲峴宮で隠居
 閔妃は
 鎖国・攘夷政策を捨て
 開国政策
 日朝修好条規で
 朝鮮の門戸開放
 ↓↑
 福沢諭吉邸で
 金玉均・朴泳孝・金弘集
 らを中心とした
 親日開化派が決起・・・
 ↓↑
 1868年(明治元年)12月19日
 明治新政権樹立の
 通告と
 条約に基礎づけられた
 近代的な
 国際関係の樹立を求める
 国書を持つ使者を
 李氏朝鮮政府に派遣
 大院君の
 攘夷を掲げる朝鮮政府は
 西洋化を進める明治政府を訝しみ
 中華王朝の
 皇帝にのみ許される
 称号である「皇」
 中華皇帝の詔勅を意味する
 「勅」の文字が入っていること
 などを理由に国書の受け取りを拒否
 (書契問題)
 ↓↑
 明治政府は
 朝廷直交を実現すべく
 朝鮮外交の権限を外務省に一元化し
 対馬宗氏を除外して
 皇使を派遣すべきだとの意見
 調査目的に
 佐田白茅らが派遣
 1870年(明治三年)
 彼は
 「30大隊をもって朝鮮を攻撃すべき」
 という征韓の建白書を提出
 ↓↑
 外務省は
 対馬宗氏を通して
 朝鮮外交の一本化を進める
 宗氏派遣計画
 (1871年(明治四年)2月)
 柳原前光の
 清国派遣
 (1871年(明治四年)8月政府等対論)
 同年9月13日
 清国と日清修好条規が締結
 1871年(明治四年)4月
 アメリカ艦隊が
 江華島の砲台を占領
 朝鮮側がこれを奪還
 (辛未洋擾)
 朝鮮の攘夷
 1871年(明治四年)末
 岩倉使節団が西欧派遣
 国政・外交に
 関する重要な案件は
 1873年(明治六年)秋まで
 棚上
 ↓↑
 1872年(明治五年)5月
 外務省官吏
 相良正樹は
 外出を禁じられていた
 草梁倭館(対馬藩の朝鮮駐在事務所)
 を出て
 東莱府へ出向き
 府使との会見を求めた
 (倭館欄出)
 ↓↑
 同年9月
 対馬藩が管理していた
 草梁倭館を
 大日本公館と改名し
 外務省が直接管理
 草梁倭館は
 朝鮮政府が
 対馬藩の為に建て使用を認めた施設
 対馬藩は
 日本と朝鮮の間の交渉窓口の立場
 この日本側の措置に
 東莱府使は激怒
 10月に
 大日本公館への食糧等の供給を停止
 日本人商人による貿易活動の停止を行った
 ↓↑
 1873年(明治六年)
 5月31日付けの
 広津報告を受け
 朝鮮への使節派遣が閣議
 倭館の館門に掲示された
 伝令書が日本を侮辱と強調し
 出師を前提に
 「陸軍若干軍艦幾隻」派遣すべく
 協議を求めた
 (征韓論)・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・「神 人を守るに非ず 人 実に神を守る」・・・
 「ヒト 人を守るに非ず 人 実にヒトを守る」・・・
 「ヒト」って、ダレッ・・・?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

・・・阿片(鴉片)戦争の時代・・・蛙編字代・・・

2018-11-24 23:55:06 | 古事記字源

 ・・・片仮名英語・・・わッかりまッせん・・・モチロン、アルファベットの言語(language・speech・vocabulary=ボキャブラリー=語彙)も、文字(character)も・・・リカイフノウ・・・
 ・・・collocation(コロケーション)・・・古賂(拠賂)経処務(書夢)・・・?
 「調整=adjust・coordinate・modulate・tune up」・・・
 帝国主義者の「国際条約」・・・「阿片(鴉片・Opium War)戦争・アロー戦争(Arrow War)」・・・「allow War(アラウ ワァ)」って、「洗うわッ!」・・・?「 cannot allow such conduct. 」・・・
 ・・・「混濁度」・・・納得いかない・・・理不尽な社会だけれど・・・ゴ~ン・・・108・・・
ーーーー
 ガバナンス(governance)
 統治のあらゆるプロセス
 統治・支配・管理
 そのための機構や方法
 ↓↑
 コンプライアンス(compliance)
 遵守・従順
 企業コンプライアンス
 企業の法令遵守
 服薬コンプライアンス
 患者が薬を薬剤規定どおりに飲むこと
 規格に適合すること
 機械的コンプライアンス
 物体の変形しやすさを示す物理量
 バネ定数の逆数で単位
ーーーーー
 法令遵守(コンプライアンス)体制・・・
 ↓↑
 法令遵守できない人びと・・・人間・・・
 公私にワンサカ・・・
 市民、国民、官僚、企業・王様・政治家、軍人・・・
 ・・・C・NK・SK・R・G・T・・
 ↓↑
 1842年の8月29日
 南京条約締結
 アヘン戦争終結
 イギリスへの香港の割譲
 清にとって不平等条約
 「アロー戦争」
 を第二次とみなして
 第一次アヘン戦争とも呼ばれる・・・
 ↓↑


 1840年6月28日~1842年8月29日
 阿片(鴉片)戦争
 (第一次鴉片戰爭・First Opium War)
 清は
 1757年以来
 広東港でのみヨーロッパ諸国と交易
 「公行」
 という北京政府の
 特許を得た商人にしか
 ヨーロッパ商人との交易を認めなかった
 (広東貿易制度)
 イギリス東インド会社
 現地に
 「管貨人委員会
 (Select Commitee of Supercargoes)」
 代表機関を設置
 管貨人委員会に
 公行を通じて「稟」という
 請願書を広東地方当局に提出
 ↓↑
 イギリス東インド会社
 1773年
 ベンガル阿片の専売権を獲得
ーー↓↑ーー
 1775年4月19日~1783年9月3日
 アメリカ独立戦争
 (American War of Independence)
 ↓↑
 干支=乙未
 日本
 安永四年
 皇紀2435年
 中国
 清=乾隆四十年
 朝鮮
 李氏朝鮮=英祖五十一年
 ↓↑
 1700年~1775年・・・1702年元禄十五年元禄赤穂事件
            (赤穂四十七士討入)
 の誕生人物
 ↓↑
 与謝 蕪村 1716年〜1783年(享保元年〜天明3年)59才
 田沼 意次 1720年〜1788年(享保5年〜天明8年)55才
 ↓↑
 平賀 源内 1728年〜1779年(享保13年〜安永8年)47才
 杉田 玄白 1733年〜1817年(享保18年〜文化14年)42才
 ↓↑
 中川 淳庵 1739年〜1786年(元文4年〜天明6年)36才
 ↓↑
 伊能 忠敬 1745年〜1818年(延享2年〜文政元年)30才
 ↓↑
 長谷川 平蔵1745年〜1795年(延享2年〜寛政7年)30才
 ↓↑
 塙 保己一 1746年〜1821年(延享3年〜文政4年)29才
 ↓↑
 司馬 江漢 1747年〜1818年(延享4年〜文政元年)28才
 並木 五瓶 1747年〜1808年(延享4年〜文化5年)28才
 大田 南畝 1749年〜1823年(寛延2年〜文政6年)26才
 蔦谷 重三郎1750年〜1797年(寛延3年〜寛政9年)25才
 笠森 お仙 1751年〜1827年(宝暦元年〜文政10年)24才
 桂川 甫周 1751年〜1809年(宝暦元年〜文化6年)24才
 ↓↑
 喜多川 歌麿1753年〜1806年(宝暦3年〜文化3年)22才
 鶴屋 南北 1755年〜1829年(宝暦5年〜文政12年)20才
 ↓↑
 大槻 玄沢 1757年〜1827年(宝暦7年〜文政10年)18才
 松平 定信 1758年〜1829年(宝暦8年〜文政12年)17才
 ↓↑
 葛飾 北斎 1760年〜1849年(宝暦10年〜嘉永2年)15才
 山東 京伝 1761年〜1816年(宝暦11年〜文化13年)14才
 ↓↑
 酒井 抱一 1761年〜1828年(宝暦11年〜文政11年)14才
 ↓↑
 高橋 至時 1764年〜1804年(明和元年〜文化元年)11才
 ↓↑
 十返舎 一九1765年〜1839年(明和2年〜天保10年)10才
 滝沢 馬琴 1767年〜1848年(明和4年〜嘉永元年)8才
 ↓↑
 雷電 為衛門1767年〜1825年(明和4年〜文政8年)8才
 佐藤 信淵 1769年〜1850年(明和6年〜嘉永3年)6才
 近藤 重蔵 1771年〜1829年(明和8年〜文政12年)4才
 徳川 家斉 1773年〜1841年(安永2年〜天保12年)2才
 ↓↑
       1774年安永三年 杉田玄白・中川淳庵
               解体約図を刊行
       1775年安永四年 解体新書が刊行
 ↓↑
 間宮 林蔵 1775年〜1844年(安永4年〜弘化元年)0才
ーー↓↑ーー
 1797年
 イギリス、阿片(鴉片)の
 製造権を獲得
 同社は中国への組織的な阿片売り込み開始
 北京政府は阿片貿易を禁止
 地方の中国人アヘン商人が
 官憲を買収して密貿易
 ↓↑
 1823年
 阿片がインド綿花に代わって
 中国向け輸出の最大の商品
 阿片貿易は広東貿易制度を崩壊
 ↓↑
 アヘン貿易
 「三角貿易
  英国、インド、清国」
 イギリスは
 茶、陶磁器、絹を清から輸入
 時計、望遠鏡の富裕層向けの物品を輸出
 イギリスは大幅な輸入超過
 イギリスは産業革命による
 資本蓄積
 アメリカ独立戦争
 (American War of Independence
  1775年4月19日~1783年9月3日)
 の戦費確保
 のため、銀の国外流出を抑制
 植民地の
 インドで栽培した麻薬アヘンを
 清に密輸出する事で超過分を相殺
 インド→(阿片)イギリス→(阿片)清国
         三角貿易
 ↓↑
 明代末期
 アヘン吸引の習慣が拡大
 清代の
 1796年(嘉慶元年)にアヘン輸入禁止
 アヘン密輸入
 アヘン吸引拡大
 アヘンの代金は銀で決済
 アヘンの輸入量増加により
 貿易収支が逆転
 清国内の
 銀保有量が激減し銀の高騰
 ↓↑
 清
 許乃済から
 『許太常奏議』といわれる「弛禁論」
 「アヘンを取り締まりは無理
  輸入を認めて関税を徴収」
 反対を受け一蹴
 アヘンを吸引者は死刑
 黄爵滋らの意見で
 道光帝は
 1838年
 林則徐を
 欽差大臣(特命全権大臣)に任命
 広東に派遣
 アヘン密輸の取り締まりに当たらせた
 ↓↑
 林則徐
 アヘン密輸取り締まり
 1839年(道光十九年)
 アヘン商人たちに
 「今後、一切アヘンを清国国内に持ち込まない」
 という旨の誓約書の提出を要求
 「持ち込んだら死刑」
 と通告
 イギリス商人のアヘンを没収、夷館閉鎖
 同年6月6日
 没収したアヘンを処分
 焼却処分ではなく
 阿片塊を海水に浸し
 塩と石灰を投入
 化学反応によって無毒化
 処分アヘンの総量は1,400トン超
 その後
 誓約書を出さない
 アヘン商人たちを港から退去させた
 ↓↑
 1836年
 英国外相
 パーマストン子爵は
 現地イギリス人の保護のため、
 植民地勤務経験が豊富な外交官
 チャールズ・エリオットを
 清国貿易監察官として広東に派遣
 パーマストン子爵は
 海軍省を通じて東インド艦隊に対し
 清に対する軍事行動の規制を
 大幅に緩めるので
 エリオットに協力するよう通達
 1839年3月
 林則徐
 阿片取り締まり開始
 エリオットは
 イギリス商人の所持する
 阿片の引き渡しの要求には応じたが
 誓約書の提出は拒否
 5月24日
 広東在住の全英国人を連れて
 マカオに退去
 林則徐は
 九竜半島での
 イギリス船員による
 現地民殺害を口実に
 8月15日
 マカオを武力封鎖し
 市内の食料を断ち
 井戸に毒を撒いた
 イギリス人を毒殺の企て・・・?
 ↓↑
 エリオット
 8月26日
 マカオを放棄し
 船上へ避難
 東インド艦隊の
 6等フリゲート艦
 (ボレージ
  ヒヤシンス)
 2隻が到着
 これらを使って早速に反撃
 ↓↑
 アロー戦争(Arrow War)
 1856年~1860年
 清
 と
 イギリス・フランス連合軍
 との間で起こった戦争
 北京条約で終結
 第二次アヘン戦争(Second Opium War)とも呼ぶ
 ↓↑
 1839年9月
 1839年・天保十年
 蛮社の獄(渡邉崋山、高野長英、尾関三英ら処罰)
 1840年・天保十一年
 清でアヘン戦争が勃発する
 ↓↑
 武力行使が始まった
 アヘン戦争の講和条約
 1842年
 に締結された南京条約の規定により
 英国は清国に対し
 従来の
 広東(広州)に加え
 厦門、福州、寧波、上海
 の計5港を開港させ
 それぞれに領事を置くこと
 香港の割譲
 を認めさせた
 広東十三行のような
 特許商人が貿易を独占し
 徴税請負を行い
 外国商人や外国船の保証人となって
 統制下に置く、という従来の制度を廃止させた
 南京条約締結後
 約一年の間に結ばれた諸協定により
 公正公平な関税率の設定
 領事裁判権、最恵国条項、開港五港
 に
 それぞれ軍艦一隻を停泊できる権利
 などが取り決められた
 清国中央政府は公式には認めていないが
 当時の
 欽差大臣
 耆英が
 長江河口以南の
 アヘン貿易を非公式に黙認
 ↓↑
 南京条約及びその後結ばれた諸協定
 香港に駐在する
 英国公使兼香港総督に対する
 中国側の外交の窓口は
 広東(広州)常駐の
 広東欽差大臣が担うこととなった
 英国側の清国官吏との接触方法が
 大きく改善し、直接接触が可能となった
 開港五港の
 各英国領事は
 道(省の下の行政区分)
 に置かれた
 道台(道の長官)と接触することが可能となった
 しかし
 北京に外交使節が常駐することは認められなかった
 ↓↑
 アヘン戦争後
 広東(広州)内外の住民の間で
 外国人排斥運動
 1842年12月
 広州英国商館焼き打ち事件
 英国人対象の暴動が頻発
 1846年1月
 両広総督
 耆英
 広東巡撫
 黄恩彤
 は広州の城壁で囲まれた中国人町に
 英国人が入城することをいったん認めたが
 反対する群衆が
 広州府知府の執務処と住居を焼き打ちし
 英国人入城許可を取消
 1847年3月
 広州に近い仏山鎮で
 英国人6名
 米国人1名
 が住民から投石
 これへの仇戦として
 香港から軍艦を派遣し
 広州港の英国商館街を占領
 1847年12月
 広州から3マイル上流の
 黄竹岐で
 英国青年6名が切り殺される
 その後再び入城問題について再提起され
 後任者が交渉を開始
 清国側の方針が定まらず
 入城問題は一時棚上げ
 排外主義活動を取り締まるよう
 英国外務大臣
 パーマストンは
 北京の清朝政府に抗議
 ↓↑
 南京条約改正交渉
 1854年
 英国公使兼香港総督
 と
 清国広東欽差大臣
 との交渉
 後に北京に
 常駐外交使節団
 常駐公使館
 の設立を志向
 ↓↑
 通商面
 既存の徴税機構に代わり
 公正公平な徴税機構を
 新たに作ることが課題
 ↓↑
 英国外務大臣
 パーマストンは
 これらの問題の解決を図るために
 清国に対し再び武力行使をする決意
 1851年12月
 外務大臣を辞職し
 1855年1月
 首相として政界に復帰
 武力行使準備
 ↓↑
 アロー号拿捕の清国兵
 1856年10月8日
 清の官憲は
 イギリス船籍を名乗る
 中国船アロー号に臨検
 清人船員12名を拘束
 3人を海賊の容疑で逮捕
 残りは釈放
 広州領事
 ハリー・パークスは
 清の両広総督・欽差大臣である
 葉名琛
 に対して
 イギリス(香港)船籍の船に対する
 清国官憲の臨検は不当であると主張
 逮捕の時に
 清の官憲が
 イギリスの国旗を引き摺り下ろした事は
 イギリスに対する侮辱だと抗議
 葉名琛は
 国旗は当時掲げられていなかったと主張
 パークスは
 強硬に自説を主張
 交渉は決裂
 事件当時に既に
 アロー号の船籍登録は
 期限を数日過ぎており
 アロー号には
 イギリスの国旗を掲げる権利は無い
 官憲による
 アロー号船員の逮捕は全くの合法
 清国側の
 葉名琛は
 基本的な事実関係の調査を全く行わず
 事実に気がつかなかった
 パークスの方も
 期限切れの件は知らなかった
ーーーーー
 組織の日算ギム
 アライアンス(alliance)
 同盟・提携・縁組み
 マスメディアでは
 企業提携
 業務提携
 資本提携
 戦略的同盟
 の意味
 ↓↑
 コンプライアンス
 要求・命令などへの承諾・追従
 法令遵守
 企業活動において
 社会規範に反することなく
 公正・公平に業務遂行すること
 服薬遵守
 処方された薬剤を指示に従って服用すること
 ↓↑
 コンプライアンス(compliance)
 遵守、従順
 企業コンプライアンス
 企業の法令遵守
 服薬コンプライアンス
 患者が薬を薬剤規定どおりに飲むこと
 規格に適合すること
 機械的コンプライアンス
 物体の変形しやすさを示す物理量
 バネ定数の逆数で単位はm/N
 弾性コンプライアンス
 ↓↑
 コンプライアンス
 服従の心理
 2012年のアメリカ合衆国の映画
ーーーーー
 ・・・1867年12月10日(慶応三年十一月十五日)・・・
 坂本龍馬・中岡慎太郎が襲撃暗殺(近江屋事件)・・・
 ↓↑
 1867年
 干支=丁卯
 日本(天保暦)
 慶応二年十一月二十六日~慶応三年十二月六日
 皇紀2527年
 清国
 同治五年十一月二十六日~同治六年十二月六日
 ・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

毎日、日参、イチ拾イチにコダワル・・・

2018-11-22 23:40:38 | 古事記字源

 ・・・「NI55NE」・・・「55=SS」?・・・「SSとは、サイドストーリーまたはショートストーリーの略」・・・「SS=軍事、地対地ミサイルを表すNATOコードネーム・潜水艦の艦種・ ヒトラー親衛隊・ shortstop・So sorry・same size・secret service・service station」・・・
ーーーーー
 2018/11/22
 ↓↑
 犯罪⇔警察・・・110
 火災⇔消防・・・119
 ↓↑
 ナゼ「110」なのか・・・?「1+1+0」=11⇔1+1=2
 ダイヤル式電話はダイヤルを回す距離が
 1番短い1を2度
 誤りを防ぐため
 ダイヤルを回す距離が長い
 0を使うことにした・・・「110」
 ↓↑
 ナゼ「119」なのか・・・?「1+1+9」=11⇔1+1=2
 火災報知の電話サービス
 大正15年
 に導入された番号は
 「112」番
 112番にしたところ
 かけ間違いが多かった
 翌年の昭和2年
 119番にした
 ↓↑
 110番
 昭和23年から始まったが
 番号の全国統一は
 昭和29年の新警察法によって
 110番に統一
 ↓↑
 ウェイト版タロットの正義・カード番号「11」
 マルセイユ版タロットの正義・カード番号「8」
 正義(Justice・La Justice)
 タロットの大アルカナ・カードの1枚
 ↓↑
 裁判の女神
 天秤と剣を手にした女神
 女神ユースティティア
 司法、裁判の公正
 ↓↑
 0=愚者
 I=魔術師・II=女教皇・III=女帝・IV=皇帝
 V=教皇・VI=恋人・VII=戦車・VIII=力
 IX=隠者・X=運命の輪・XI=正義・XII=吊された男
 XIII=死神・XIV=節制・XV=悪魔・XVI=塔
 XVII=星・XVIII=月・XIX=太陽・XX=審判
 XXI=世界
 ↓↑
 0=愚者・1=魔術師・2=女教皇  ・3=女帝
 4=皇帝・5=法王 ・6=恋人   ・7=戦車
 8=力 ・9=隠者 ・10=運命の輪・11=正義
 12=吊男・13=死神・14=節制  ・15=悪魔
 16=塔・17=星・18=月・19=太陽・20=審判
 12=世界
 ↓↑
 トランプ(trump)
 4種各13枚、計52枚(+α)を1セット
 ↓↑
 インデックス(Index)
 トランプ 11=トランプ J⇔J=11・Q=12・K=13
 King(王)と
 Knave(従者・兵士・Knight=騎士)では
 「K」が二つになるために
 Jackと改めた
 ジャック(Jack,Knave)
 従者=Valets 女王=Dames  王=Rois
 J(ジャック)・Q(クィーン)・K(キング)
  1=エース・2=デュース・3=トレイ・4=ケイト
  5=シンク・6=サイス・7=セブン・8=エイト
  9=ナイン・10=テン
 11=ジャック(ネイプ) ・12=クイーン・13=キング
 ↓↑
 1+2+3+4+5+6+7+8+9+10+11+12+13=91
 91×4=364
 +ジョーカー2
 364+2=366
 1年365
 閏年366
 ↓↑
 ユリウス暦
 1582年10月4日(木曜日)
 の翌日を、曜日を連続させながら、
 10日間を省いて
 1582年10月15日(金曜日)
 と定めた
 4~「5-6-7-8-9-10-11-12-13-14」~15
 15-4=11
 ↓↑
 「Page one=ページワン」・・・頁の壱(壹・一)
 「Last card=ラストカード・・・最終札(歌留多・割符・卩)
                   札幌・札束
 カード(card)=付箋・ラベル・附票・附箋・レッテル
         付け札・付票・レーベル・付札・表示
         荷札・付け紙・付紙・下げ札・下札
         タグ・タッグ・符
         守・御守り・御符・護身符・お札
         魔よけ札・呪符・神符・護符・御札
         お守り・御守・魔除け・納札・納め札
         守り・おまじない札
 札=木+乚
   ふだ・サツ
   異体字は「剳・劄・箚・扎・𤵦・軋・・・軋(きし)む・軋轢
   ↓↑   拃・揠・椻・・・揠=扌+匽
        ↓↑      椻=木+匽
                ↓↑
                堰=土+匽=つつみ・せき
                隁=阝+匽=つつみ・せき
             ・・・匽(ふせる・エン)=匚日女
   ↓↑   ↓↑ 匽=匚日女=匚(囲)われたヒメ
            =「卑弥呼=天照大神」の岩戸隠れ
             ・・・宴席・宴会=うたげ
             匚=方形の容器
             匸=秘匿の所
             匠・ 匛(柩)は匚に従い
             區(区)・匿・医
             匽は匸に従う・・・匽=匸+妟(日女)
             匠は匚を製作
             匛(柩)は屍体を匚に収める
             區(区)は多くの祝告を並べて
                  欧吟して祈る意
             匿(トク)は巫祝
             医は呪医が祈る意
        ↓↑   匽(エン)
        ↓↑   匽=匸(秘匿の所)+妟(日女)
        ↓↑     匸=一+乚(乙・L)=秘匿の場所?
   ↓↑   紥・紮・轧・𢮊」・・・妟(やすらか・アン・エン)
   繁体字は「剳・劄」・・・剳=荅(艹合)+刂=こたえ・トウ
               劄=答(竹合)+刂=こたえ・トウ
   ↓↑
   「切符(改札)・御札=紙幣・値札・花札・木札・高札・栞」
   「メモ札」
   「さね(鎧で緒を通して編む、鉄または皮の小さな切れ端)」
   「若死に・夭折・流行病で死ぬ事」
ーーーーー
 1920年
 干支=庚申
 日本
 大正九年
 皇紀2580年
 中国
 中華民国九年
 朝鮮(月日は一致)
 檀紀4253年
 主体九年
 ↓↑
 3月11日
 ↓↑
 3月12日
 ニコライエフスク(尼港)で
 ソビエト連邦のパルチザンと
 大日本帝国陸軍が交戦
 (尼港事件)
 3月13日
 ベルリンでカップ一揆
 カップ一揆に対抗するゼネスト
 左派労働者の反乱(ルール蜂起)
 3月15日
 日本で株価が大暴落
 戦後恐慌
ーーーーー
 「3/11=3月11日=三月十一日」の事件
 ↓↑
 222年3月11日
 帝政ローマの皇帝
 ヘリオガバルスが
 近衛隊
 プラエトリアニに暗殺
 1510年3月11日
 メディチ家出身の
 レオ10世がローマ教皇に就任
 1649年3月11日
 フランス王国で起こった
 フロンドの乱の
 リュイユ和議締結
 1708年3月11日
 イギリス女王
 アンが
 スコットランド民兵法の裁可拒否権を発動
 1795年3月11日
 マラーター王国
 マラーター同盟と
 ニザーム王国の軍勢が激突
 マラーター勝利
 (カルダーの戦い)
 1851年3月11日
 ジュゼッペ・ヴェルディの
 オペラ『リゴレット』
 ヴェネツィアで初演
 1862年3月11日(文久2年2月11日)
 皇女和宮の降嫁
 徳川家茂と和宮親子内親王(皇女和宮)の婚儀
 1867年3月11日
 ジュゼッペ・ヴェルディ
 のオペラ
 『ドン・カルロ』
 がパリ初演
 1869年3月11日
 アルマン・ダヴィドが
 ジャイアントパンダを“発見
 (中国四川省でパンダの毛皮を発見)
 1879年3月11日
 琉球処分
 琉球藩を廃し沖縄県を設置
 琉球藩王・尚泰王、東京居住
 1881年3月11日
 日本訪問中の
 ハワイ王国国王
 カラカウア
 が赤坂仮御所訪問
 明治天皇と単独会談で
 ハワイ・アジア連合を構築し
 姪の
 カイウラニ
 を日本の皇室に嫁がせることを提案
 1892年3月11日
 品川弥二郎が
 第2回衆議院議員総選挙で
 選挙干渉を非難され、内務大臣を辞任
 1901年3月11日
 国木田独歩の初の作品集
 『武蔵野』刊行
 1906年3月11日
 東京都で電車焼き討ち事件
 路面電車の運賃値上げに反対した
 東京市民が路面電車を焼き討ち
 焼失車両54、検挙者200人以上
 1912年3月11日
 中華民国臨時大統領
 袁世凱統治下の
 中華民国臨時約法を公布・施行
 1914年3月11日
 イギリスの外交官
 ヘンリー・マクマホン
 イギリス領インド帝国
 ロシア帝国
 モンゴル、チベット
 中華民国北洋政府
 等の相互干渉地帯で
 イギリス領インド帝国
 と
 チベット地方政府
 による国境線
 「マクマホンライン」を引く
 ↓↑
 1920年3月11日
 ロシアで尼港事件が発生
 シベリアは
 ニコライエフスク(ニコラエフスク・ナ・アムーレ)
 に出兵中の日本軍が
 武装解除を要求した
 抗日パルチザンに攻撃し、敗北
 ↓↑
 1923年3月11日
 目黒蒲田電鉄(東京急行電鉄)目蒲線
 目黒~丸子(沼部)間が開通
 1924年3月11日
 阪神タイガースの本拠地
 甲子園球場(阪神電車甲子園大運動場)起工
 1933年3月11日
 成田線
 笹川~松岸間が開通
 全線開通
 1941年3月11日
 第二次世界大戦
 アメリカ大統領
 フランクリン・ルーズベルト
 レンドリース法(武器貸与法)制定
 1942年3月11日
 第二次世界大戦
 フィリピン戦
 マッカーサー将軍
 コレヒドール島退却
 1945年3月11日
 フランス領インドシナが
 フランスから独立
 ベトナム帝国成立
 日本へ恭順宣言
 1948年3月11日
 福岡県で
 九州大学生体解剖事件の
 軍事裁判開廷(横浜軍事法廷、判決8月27日)
 1955年3月11日
 東京大学生産技術研究所
 AVSA班が
 早稲田実業学校校庭で
 初のペンシルロケットの水平試射
 1960年3月11日
 パイオニア計画
 アメリカ合衆国のNASAが
 惑星探査機
 「パイオニア5号」を打ち上げ
 1966年3月11日
 インドネシア
 スカルノ大統領が
 政治権限を
 スハルト陸将に委譲
 「3月11日命令書」にサイン
 スハルトが大統領代行に就任
 1966年3月11日
 菊富士ホテル火災
 群馬県利根郡水上町
 菊富士ホテルが全焼
 茨城県のタバコ組合の団体客など30人が死亡
 1970年3月11日
 ボーイング747(ジャンボジェット)が日本へ初飛行
 1980年3月11日
 都市銀行6行の
 現金自動支払機 (CD)
 相互接続ネットワークSICS運用開始
 1981年3月11日
 国鉄再建法施行令公布
 廃止対象の
 特定地方交通線選定の基準を明確化
 1984年3月11日
 宮崎駿監督
 アニメ映画
 『風の谷のナウシカ』公開開始
 1985年3月11日
 ミハイル・ゴルバチョフ
 ソビエト連邦の最高指導者に就任
 1988年3月11日
 アメリカ大統領
 ロナルド・レーガン
 パナマに経済制裁発動
 1989年3月11日
 JR東日本
 新宿駅と渋谷駅で発車メロディ導入
 1990年3月11日
 リトアニアが
 1940年のソビエト連邦への強制併合を
 無効として連邦からの脱退・独立を宣言
 1992年3月11日
 中国が核拡散防止条約批准
 1994年3月11日
 ゼネコン汚職事件
 中村喜四郎前建設相が逮捕
 1997年3月11日
 茨城県東海村
 動燃再処理施設で爆発事故発生
 労働者37人が低レベルの放射線被曝
ーーーーー
 文久元年(1861年)
 十一月十五日
 和宮一行は
 江戸城内の
 清水屋敷に入った
 十一月二十一日
 登城した
 岩倉具視、千種有文は
 老中の
 久世広周、安藤信正
 と会見し
 「幕府は和宮を人質に
  天皇に譲位を迫るつもりだ」
 との風説について詰問し
 幕府に二心無いことを示すため
 将軍自らが書いた
 誓紙を
 朝廷に提出することを求めた
 ↓↑
 十二月十一日
 和宮は江戸城本丸大奥に入る
 ↓↑
 文久二年(1862年)
 二月十一日
 和宮と家茂の婚礼
 ↓↑
 文久三年(1863年)
 二月十三日
 家茂
 江戸を出立
 和宮は家茂の無事を祈り
 二十四日から
 増上寺の
 黒本尊の御札を勧請し、御百度
 家茂は
 二月十九日
 二条城に入り
 三月七日
 参内
 三月十一日
 孝明天皇の加茂行幸に供奉
 四月十一日
 石清水八幡宮への行幸は
 風邪の高熱で欠席
 (天皇から「攘夷の節刀」を受けるのを避けるために
  仮病を使った)
 「五月十日を以って攘夷を実行する」
 の奉答書は出す
 六月十六日
 家茂は、海路で江戸帰還
 八月十八日の政変
 長州藩を始めとする
 過激な
 破約攘夷を唱える勢力が京都から追放
 ↓↑
 慶応四年(1868年)
 和宮
 1月15日
 大坂より帰府した慶喜と対面
 1月21日
 土御門藤子を使者として上洛させ
 徳川家のための嘆願書提出
 3月10日
 再び藤子を沼津に遣わし
 官軍の江戸進撃猶予を嘆願
 3月11日
 侍女
 玉島を蕨駅に遣わし
 官軍の進撃猶予を再度嘆願
 4月
 官軍に江戸城と大奥を明渡し
 実成院とともに
 田安屋敷へと移る
 明治二年(1869年)
 一月十一日
 天璋院を訪問して暇乞い
 一月十八日
 東京を発ち
 二月三日
 京都に戻り
 聖護院を仮御殿とする
ーーーーー
 ・・・
 1942年
 干支=壬午
 日本(月日は一致)
 昭和十七年
 皇紀2602年
 中国・満州(月日は一致)
 中華民国暦三十一年
 満州国・康徳九年
 ↓↑
 11月11日
 独軍が
 ヴィシー政権統治下の
 フランス本土を占領
 (アントン作戦)
 ↓↑
 11月22日
 独軍
 スターリングラード
 でソ連軍に包囲
 (スターリングラード攻防戦)
ーーーーー
 ・・・
「剳・劄・扎・𤵦・軋・拃・揠・椻・箚・紥・紮・轧・𢮊」
「切符(改札)・御札=紙幣・値札・花札・木札・高札・栞」
「若死に・夭折・流行病で死ぬ事」
  ↓↑
「さね(鎧で緒を通して編む、
    鉄または皮の小さな切れ端)」
  ↓↑
 ユリウス暦
 1582年10月4日(木曜日)
 の翌日を、曜日を連続させながら、
 10日間を省いて
 1582年10月15日(金曜日)
 と定めた
 4~「5-6-7-8-9-10-11-12-13-14」~15
 15-4=11
  ↓↑
 古事記
(こじき
ふることふみ
  ふることぶみ)
 和銅五年(712年)
 太安万侶が編纂
 元明天皇に献上
 本文は変体漢文
 古語や固有名詞の
 漢文では代用しづらいものは
 一字一音表記
 歌謡はすべて
 一字一音表記
  ↓↑
 上つ巻(序・神話)
 中つ巻(初代~十五代天皇)
 下つ巻(第十六代~三十三代天皇)
 の三巻
  ↓↑
 蘇我入鹿
 暗殺
 皇極天皇2年10月6日(643年11月22日)
 蝦夷は病気を理由に朝廷の許しも得ず
 紫冠を入鹿に授け大臣となし
 次男を物部の大臣となした
 (彼らの祖母が物部守屋の妹)
  ↓↑
 皇極天皇4年6月12日(Y645年7月10日)
          (G645年7月13日)
  乙巳・癸未・戊申・日曜・大安
  ↓↑
 「乙巳の変
   ・・・「乙巳」が変・・・養老7年12月14日
              西暦724年 1月18日G
              西暦724年 1月14日Y
 (いっしのへん・おっしのへん)」
 で
 蘇我蝦夷
 は
 邸宅に火をかけ自害
 『天皇記』など歴史書が失われ
 「国記」は難を逃れ
 天智天皇に献上・・・
 だが、現存しない
  ↓↑
 序文偽書説
 『古事記』の序文(上表文)
 『古事記』の成立事情を証する
 外部の有力な証拠がない
 序文の正当性に疑義、偽書・・・
  ↓↑
 本文偽書説
 『古事記』には
 『日本書紀』より
 新しい神話の内容が含まれている
 平安時代初期ころの創作・・・
  ↓↑
 上代特殊仮名遣の
 『万葉集・日本書紀』
 ではすでに消失している
 2種類の「モ」の
 表記上の区別が
 『古事記』には残存する
 偽書説を否定する論拠
 ただし
 序文には
 「上代特殊仮名遣」は一切使われていない
  ↓↑
 1979年(昭和54年)1月
 奈良市此瀬(このせ)町で
 「太安万侶」の墓誌銘が出土
 「左京四條四坊従四位下勲五等
  太朝臣
  安萬侶
  以
  癸亥年七月六日卒之・・・・G西暦723年8月15日
         癸亥・庚申・己巳
               Y西暦723年8月11日

  養老七年十二月十五日・・・G西暦724年1月19日
         癸亥・乙丑・丙午
  乙巳」          Y西暦724年1月15日
  ↓↑
  養老 7年12月14日・乙巳・金曜・先勝
  西暦724年 1月18日G
  西暦724年 1月14日Y
  癸亥・乙丑・乙巳
  ↓↑
 とあったことが判明し
 漢字表記の「萬⇔万」の異同に関しては否定・・・
  ↓↑
 「乙巳の変」の
 翌六月十三日(7月11日)
 蘇我蝦夷は舘に火を放ち
 『天皇記・国記』を焼いて自殺
 船恵尺
 がこの内『国記』を
 火中から拾い出して中大兄皇子へ献上
 蘇我本宗家は滅亡・・・
ーーーーー
 ・・・???・・・
 「乙巳・L蛇・L蝮・Z+Snake=Z+serpent」・・・
 「サーペント=serpent」・・・
 爬虫類(ハチュウルイ)=「レプタイル. reptile」・・・
     葉中  類(留意)
 ・・・「Set a thief to catch a thief. 」・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

讃良伝雪・「きつね公示」の序説・叙説・絮説・如拙

2018-11-21 18:32:33 | 古事記字源

・・・簓(ささら)=竹(たけ・チク)+周(まわる・めぐる・シュウ)+彡(刷毛痕・毛羽痕・さんづくり・彡旁・けかざり・毛髪の飾りの紋様・糸や毛の飾り・模様・サン・セン)・・・竹の彫刻・竹の彫り物・・・他家の捕吏者(罪人をめしとる役人・とりて・とりかた)・・・「ほり(彫り)=彫ること・彫ったぐあい・巧みな彫り・彫ったような凸凹(でこぼこ)・凹凸(オウトツ) 」・・・「凸凹=表面の高低=unevenness・roughness・irregularities・でこぼこ道= bumpy road・でこぼこの地面=uneven ground」・・・
 デコボコ・・・出古簿拠・・・彫り師・木版・石版・銅版・彫刻・版木・活字・印刷・フォント・判子・印章・エッチング・・・ヤスリ(鑢)・鉄筆・ガリ版・蝋原紙・謄写版刷り・・・インク・ローラー・・・
 「1893年ごろにトーマス・エジソンが、開発したミメオグラフ(Mimeogurafu)」・・・「これを、堀井新治郎父子が日本に合うように改良し、謄写版(堀井謄写版)として発明した」・・・
 「1894年(明治二十七年)1月
  堀井新治郎父子が
  謄写版を発明
  7月に発売開始
  11月に旧原紙を発売」
 ・・・11月・・・十一・壱拾壱・壱壱・・・
 札幌、ささら(簓)電車・・・「たぬき小路」除雪・・・「きつね小路」のジョセツはないらしい・・・序説・叙説はアルか?
 キツネの嫁入り・・・1799年(寛政十一年)、『穴賢狐縁組(十返舎一九画)』・・・十返舎一九・・・
ーーーーー
 娶=めとる・めあわせる・シュ・シュウ
   異体字は「取・娵」・・・
   妻をむかえる・娶嫁
   女(め)取る
   嫁娶(カシュ)・婚娶(コンシュ)
   娶(めと)る
 娶=取+女=耳+又+女
 娶=めとる・シュ・シュウ
   嫁をもらう・嫁を迎える
 娶=娵=総画: 11画
ーーーーー
 妻=取+女・・・取=耳+又
 妻=つま・サイ
 妻=十+⺕+女=一+⺕+礀+女(くノ一)
           ・・・苦のハジメ
              句のハジメ
  「ア・あ」・「イ・い」・「ウ・う」・「ヱ・え」・「オ・お」
   ・・・「愛、飢(餓・植)え、乎(嗚)」
   ・・・カラスの赤ちゃん、ナゼ・・・?
   「からすの赤ちゃん」
    海沼実作詞・作曲
    からすの赤ちゃん なぜなくの
    こけこっこの おばさんに
    あかいお帽子(ぼうし) ほしいよ
    あかいお靴(くつ)も ほしいよと
    かあかあ なくのね
 ↓↑
    めえめえ山羊(やぎ)さん なぜなくの
    お里の 母さんに
    おねむに なったよ
    あまいおっぱい 頂戴(ちょうだい)ねと
    めえめえ なくのね
 ↓↑
    迷子(まいご)の鳩(はと)さん なぜなくの
    みみずく おじさんに
    夜路(よみち)は こわいよ
    ほおずき提灯(ぢょうちん) かしとくれと
    ほろほろ なくのね
 ↓↑
    狐(きつね)の赤ちゃん なぜなくの
    三日月(みかづき) おばさんに
    木(こ)の葉でかんざし 買っとくれ
    小石で花ぐし 買っとくれと
    こんこん なくのね
 ↓↑ ・・・
 カラス(鴉・烏・韓州・唐州・漢州・加羅州)
 ヤギ(山羊・八木・矢木・谷木)
 ハト(鳩・斑鳩)
 キツネ(狐・木津子・伏見稲荷・宮城県白石市の狐塚・チロンヌプ)
 「なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか
  来つ寝(来て寝よ)」・・・キツネ・・・
ーーーーーー
   聿=肀+二
   帇=肀+冂=
   隶粛(肅)逮
   聿肀𦘒
   ・・・手指に関する
     「肀」の字形が
      手の指(又・ヨ・聿=腕+五指)
      手指で
      何(筆・棒・剣・斧・道具)か
      を操る形象
      書・晝・劃・畫
      筆
      肄(ならう・イ)
      肆(四・4)
      建(たてる・ケン)=廴+聿
            腱・健・犍・銉・旔・鍵
            律・葎
            兼=かねる
              「両手=兼=聿+聿」?
      肅(粛)=「両手=兼=聿+聿」を置く、握る
      鞬=(ゆみぶくろ・ケン)
         弓袋・馬上で弓矢を入れる革製の袋
         鞬子(けんし)=蹴って遊ぶ道具
                 まり(毬・鞠)
      肈=戶+戈+聿=戸+戈+聿
       =戶+戈+肀+二=戸+戈+肀+二
        はじめ・はじめる・チョウ
        謀る・正す・正しい・正しくする

      肇=戸(一尸)+攵+聿=肈
        はじめ・初
      ↓↑
      崇神天皇=御肇國天皇
          (はつくにしらすすめらみこと)
           御間城入彦五十瓊殖天皇
           御眞木入日子印恵命
           所知初國御眞木天皇
       (はつくにしらししみまきのすめらみこと)
           美萬貴天皇
          (開化天皇十年
           ~
           崇神天皇六十八年十二月五日)
           第十代天皇
          (在位
           崇神天皇元年一月十三日
           ~
           同六十八年十二月五日)
      ↓↑
      神武天皇=始馭天下之天皇
          (はつくにしらすすめらみこと)
           馭=馬+又(右手)
             異体字は「御・𩣓・𩤳・𩤾」
             のる・あやつる・おさめる
             すべる
             ギョ・ゴ
             馬を操る・馭者(御者・禦者)
             ウマくならす・治める
             統馭(トウギョ・統禦)
      ↓↑      ↓↑
     馭=中国古代の楽器の一
       木製で伏した虎をかたどり
       背に設けた
       ギザギザを
       竹製の簓(ささら)で
       擦(す)り鳴らす楽器
       掻擦奏棒・・・編木(ささら)とも当て字
     ↓↑       ↓↑
     説経節(せっきょうぶし)
     日本の中世に興起し
     中世末から近世にかけて行われた
     語りもの芸能・語りもの文芸
     仏教の唱導(説教)から唱導師が専門化され
     声明(梵唄)から派生した
     和讃や講式などを取り入れ
     平曲の影響を受けて成立した民衆芸能
     近世にあっては
     三味線の伴奏を得て洗練され
     操り人形と提携して
     小屋掛けで演じられ
     万治(1658年~1660年)から
     寛文(1661年~1672年)にかけ
     元禄五年(1692年)頃まで
     が最盛期・・・
     ↓↑      ↓↑
             説経語りをする
             芸能者は「ささら乞食」
             共鳴器なし掻擦奏棒=ささら
             びんざさら(こきりこささら)
             形は「馬蹄」に似ている
             洗浄器具として用いられる
             束子(たわし)に似ている
     ↓↑

     ささら電車
     1918年(大正七年)
     電化開業
     札幌電気軌道(札幌市電前身)
     降雪量が多く能率の高い除雪方法が求められ
     同社の技師長である
     助川貞利を中心とする技術陣が
     海外の文献を参考にし研究開発
     1920年(大正九年)
     最初の
     ササラ電車が登場
     1925年(大正十四年)実用化
     ↓↑
     電気鉄道の時代
    「snow sweeper」の電化
     1891年(明治二十四年)
     Isaac F. Baker
     及び
     Robert Booth
     を
     The Thomsonが特許
     アメリカで公開
     札幌に20数年ほど先んじて
     北アメリカ、カナダの
     積雪地で
     19世紀末から用いられていた
     ↓↑         ↓↑
     ささら     讃良(ささら)
             第四十一代
             持統天皇の幼名
     ↓↑      ↓↑   ↓↑
             ・・字等・字問・時問・事問
               地問・・・地名由来・佳字
     ↓↑        ↓↑    ↓↑
             鸕野讃良(うののささら)
             共鳴器つき掻擦奏棒
     ↓↑      ↓↑   ↓↑
           「掻擦奏(こすり付ける)」
           中国では楽器をその素材の
           金・石・糸・竹・匏・土・革・木
           を8種に分類し八音と呼んだ
     ↓↑     ↓↑
     神武天皇
     庚午年一月一日~神武天皇七十六年三月十一日
     初代天皇
     在位
     神武天皇元年
     辛酉年一月一日~神武天皇七十六年三月十一日
     現在の暦で2月11日
     和風諡号
     神日本磐余彦天皇(日本初期)・・・卑本初期
                      非本
                      肥本
                      比本初期
    (かむやまといわれびこのすめらみこと
     神倭伊波礼毘古命(古事記)
     諱(いみな)は
     彦火火出見(ひこほほでみ)
     狭野(さぬ)
    『日本書紀』
     神代第十一段の第三の一書は第三子
            第四の一書は第二子
     神武天皇=始馭 天下之天皇
          はつくにしらす
     崇神天皇=御肇 國天皇
          ↓↑  ↓↑
      䀌(キョク)=𦘒+皕(百百)+皿=衋・・・
      䀌=𦘒+皕(百百)+皿=衋
            モモ(股・腿・桃)が二つ並ぶ
      䀋=「𪉹・塩・鹽」=エン
        塩+皿=土+𠂉+口+皿
        䀋=𪉹=土+𠂉+鹵+皿=塩
        異体字は「𪉹・塩・鹽」
            「𥂁・䀋・𪉹・𪉩・鹽・𪉟・𨣎」
      䀍=贛+皿=カン
        異体字は「㔶・䘓・篢」
        贛=コウ・トウ
          江西省の別称、略称
          江西省を流れる川の名
          与える・賜う・賜物・貢ぎ物
          おろか・愚直なさま
          ↓↑
      盡(尽・つくし・つくす・つきる・ジン・シン)
      儘(まま・ことごとく)・・・我儘
          ↓↑        ↓↑
   妻=肀+女=⺕+礀+女(くノ一)・・・苦のハジメ
                     句のハジメ
   異体字は「𡜌・𡜛・𡜈・𡝣」
   ↓↑
  「取」=耳+又・・・耳で訊く、手(又)で書く・・・
      戦場で殺した兵士の耳を取ること?
      娶=他部族を襲って
        女性を略奪し、妻にしたこと・・・?
        命令(ことば)を耳で聞き
        手を使って家事を仕切る女?
   ↓↑
  こきりこ(筑子)ささら=びんざさら=編木・拍板
              ビン=鬢?
              ビン=紊・紊乱
              ビン=罠・狐罠
    簓(ささら)で鳴らすモノ=馭・・・馭者・御者?
ーーーーー
 ・・・「ささら」・・・???・・・簓=竹+周+彡・・・
 紗々羅・沙々羅・佐々羅・差さら・簓・筅・箲・笹良・・・
 ・・・讃良・・・
 ささら(簓)伝者・・・
 「たぬき公示」の序説・・・叙説・絮説・如拙・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする