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大暑=タイショ=耐暑・対処・大書・退所・太初

2025-07-23 22:51:20 | 古事記字源
 「カンじる」
 大暑=タイショ=耐暑・対処・大書・退所・太初
 ↓↑

 北海道40度
 大暑
 2025年7月22日13:29
 が「大暑」の始まり
 ↓↑
 定気法
 太陽黄経が120度
 黄道十二宮では獅子宮の原点に相当
 7月23日ごろ
 平気法
 冬至から7/12年(約213.06日)後の
 7月23日ごろ
 この日から、次の節気の
 立秋前日まで
 ↓↑
 大暑(タイショ)
 厳しい暑さ・極暑・酷暑
 二十四節気の一
 7月23日ごろ
 ↓↑
 二十四節気 (ニジュウシセッキ)
 中国戦国時代 の頃(紀元前4世紀)に
 四季 ・ 気候
 などの視点で
 地球上の一年を
 二十四節に
 仕分ける方法
 ↓↑

 1873年・・・壹千捌百漆(七)拾参(參)
 (明治6年・六年・Ⅵ・陸・圥・圥・six)
      英 語  six  シクス
      中国語  六  リィゥ
           六=亠+ハ⇄介の変形・夰?
           6⇄¿⇄ム=ㄥ+丶
           ム=L(ㄥ・∠・ㄑ・<)+丶
             ㇙+丶
      韓国 語  육  ユク
      西班牙語  seis  セイス
      仏  語  six  スィス
    アラビア 語  ٦  スィッタ
      魯  語  шесть  シェースチ
      葡萄牙語  seis セイス
      独  語  Sechs ゼクス
      伊太利語  sei セイ
      ラテン語  sex  セクス・・・
            セックス
      セ=㇖+乚・・・乜(バ・メ)=斜視
        凸凹・牝牡・雌雄=シユウ=私有
        蟹座♋・69・bq(BQ)
            ¿?・・・¿=ム=私
 ↓↑
 1873年
 1月1日以降・・・壹・壱・聿・元・・・位置・意知・移置・市
 ↓↑
       9
    英語 nine    ナイン・・・名音(韻・殷・囙・允・乚)
    中国語 九    ジゥ ・・・字得
    韓国語 구    ク・・・・・・・句
 スペイン語 nueve  ヌエべ・・・ヌ重部・・・叒・綴・叕
  フランス語 neuf   ヌフ・・・・・ヌ附
 アラビア語 ٩    ティスァ・・綴諏蛙
  ロシア語 девять  ヂェービャチ・・・字重得婢耶知(智)
ポルトガル語 nove   ノゥヴィ・・・納婢意
  ドイツ語 Neun   ノイン・・・・埜韻
 イタリア語 nove   ノーヴェ・・廼吝部重
  ラテン語 novem  ノウェム・・之得絵ム

 ↓↑
 太陽暦をもとにした
 グレゴリオ暦(新暦)を採用し
 二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった・・・
 ↓↑
 立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
 立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
 立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
 立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
 ↓↑
季節 節名 月名 黄経 日本語 中国語  グレゴリオ暦 日
 ↓↑
春 寅節 一月節 315° 立春  立春   2月3~5日  2月3日
                     この日の前日が節分
      一月中 330° 雨水  雨水   2月18~20日 2月18日
   卯節 二月節 345° 啓蟄  惊蛰   3月4~6日  3月5日
      二月中 0°  春分  春分   3月20~21日 3月20日
                     前後3日は春の彼岸
   辰節 三月節 15°  清明  清明   4月4~5日  4月4日
                     立夏の18日前から春の土用
      三月中 30°  穀雨  谷雨   4月19~21日  4月20日
 ↓↑
夏  巳節  四月節 45°  立夏  立夏 5月5~6日  5月5日
       四月中 60°  小満  小满 5月20~22日 5月21日
   午節 五月節 75°  芒種  芒种 6月5~ 6日  6月5日
      五月中 90°  夏至  夏至 6月21~22日 6月21日
   未節 六月節 105°  小暑   小暑 7月6~8日  7月7日
                     立秋の18日前から夏の土用
      六月中 120°  大暑  大暑  7月22~24日 7月22日
 ↓↑
秋  申節 七月節 135° 立秋 立秋 8月7~8日  8月7日
       七月中 150° 処暑 处暑 8月22~24日 8月23日
   酉節 八月節 165° 白露 白露 9月7~8日  9月7日
       八月中 180° 秋分 秋分 9月22~24日 9月23日
                        前後3日は秋の彼岸
   戌節 九月節 195° 寒露 寒露 10月8~9日 10月8日
                    立冬の18日前から秋の土用
       九月中 210° 霜降 霜降 10月23~24日 10月23日
 ↓↑
冬  亥節 十月節  225° 立冬 立冬 11月7~8日  11月7日
      十月中  240° 小雪 小雪 11月22 ~23日 11月22日
   子節 十一月節 255° 大雪 大雪 12月6~8日   12月7日
      十一月中 270° 冬至 冬至 12月21~12月7日 12月21日
   丑節 十二月節 285° 小寒 小寒 1月5~6日1月5日
                    立春の18日前から冬の土用
      十二月中 300° 大寒 大寒 1月20~21日 1月20日
 ・・・
ー↓↑ー
 和泉 式部(いずみ しきぶ)・・・「わいずみ」?
              ・・・倭の泉(泉蓋蘇文=淵蓋蘇文)
                 淵蓋蘇文 (エン ガイソブン)
                 ?~666年 (宝蔵王 二十五年)
                 高句麗 末期の
                 大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍
            淵蓋蘇文=泉蓋蘇文=泉蓋金=伊梨-柯須彌
 天元元年(978年)頃~?
 平安時代中期の歌人
 越前守
 大江雅致の娘
 百人一首の歌人
 中古三十六歌仙
 女房三十六歌仙
 の一人
 ↓↑
 「和泉式部」の「式部」・・・朝廷の人事や儀礼
              人材教育を司る律令制度の中央機関の一
 父親
 「大江 雅致」・・・雅=牙+隹=みやびやか・ガ・ゲ
          致=至+攵・・・致=𦤶
            ー+ム+土+𠂉+乂
            チ
         いたす・送り届ける・いたらせる
            招きよせる・来させる・つくす
            おもむき・ありさま・味わい・様子
            いたす=「する」の謙譲語
            至=いたる・きわまる・「夏至・冬至」
          到=至+刂・・・到着・到達
            一+厶+土+刂
            トウ
            いたる・行きつく
            来る・やって来る
            行きわたる・すみまで行きとどく
            さかさま・さかしま
            さかさまにする・ひっくり返す
            倒
            転倒・打倒
            たおす・たおれる
            こける・転ぶ。
            さかさま・さかしま・さかさまにする
            ひっくり返す
 「大江 雅致」
 が
 文章生出身の
 「式部丞」だったから・・・説
 「和泉」
 夫
 「橘 道貞」
 の任国に由来し
 「大江」より
 「江式部」
 と称される場合もあった
 ↓↑
 越前守
 「大江 雅致」
 と
 越中守
 平 保衡の娘
 の間に生まれる
 父の
 「大江 雅致」
 は
 「大江匡衡」
 の兄
 交流のあった歌人
 「赤染衛門」
 は義理の叔母
 母の父
 「平 保衡」・・・平らに均衡を保つ?・・・秤・天秤・♎・⚖
 は
 『尊卑分脈』によれば
 「平 元規」
 の子
 子(和泉式部のおじ)に
 「平 祐挙」
 がいる
 ↓↑
 鎌倉期の
 『中古歌仙三十六人伝』
 「和泉式部」
 の母は
 「介内侍」
 と呼ばれ
 「昌子内親王」
 付きの女房
 娘の式部も
 「御許丸(おもとまる)」
 と呼ばれ
 太皇太后宮・昌子内親王付の女童・・・
 ↓↑
 父の雅致も任官時期は不明ながら
 内親王の崩御まで
 太皇太后大進
 夫の
 「橘 道貞」
 も太皇太后権大進を務めた
 ↓↑
 長保元年(999年)頃まで
 和泉守
 「橘 道貞」の妻となった
 女房名
 「和泉式部」
 は
 夫の任国・和泉国
 と
 父の官名を合わせたもの
 長徳三年(997年)〜長保元年(999年)
 娘の
 「小式部内侍」
 が誕生
  ↓↑
 道貞との婚姻は破綻
 「小式部内侍」
 は母譲りの歌才を示した
 ↓↑
 冷泉天皇の第三皇子
 「為尊親王」
 との熱愛が世に喧伝
 親から勘当
 ↓↑
 「為尊親王」
 の死後
 その同母弟
 「敦道親王(帥宮)」
 の求愛を受けた
 親王は
 「和泉式部」
 を邸に迎えようとし
 正妃(藤原済時の娘)が家出
 ↓↑
 万寿二年(1025年)
 小式部内侍が病死
 栄花物語「玉のかざり」巻
 万寿四年(1027年)
 崩御した皇太后
 藤原妍子
 の法要に保昌が奉った玉に
 和泉が和歌を添え
 和泉式部集に収録
 ↓↑
 和泉式部の和歌
 『古今和歌集』
 「恋し・恋す」などの
 恋の感情・行為の主体は男性で
 『後撰和歌集』
 『拾遺和歌集』
 でも恋の和歌・・・
 ↓↑
 和泉式部は
 後に
 紫式部(『紫式部日記』)に
 「口に任せたることどもに
  必ずをかしき一節の
  目にとまる詠み添へ侍り」
 と言われ
 「天才肌の歌人」・・・
 ↓↑
 『正集』
 の冒頭には
 春夏秋冬+恋
 という部立が設けられた
 「百首歌」が見られ
 『万葉集」以降の先行歌を学ぶ
 ↓↑
 和泉式部の歌学び
 『紫式部日記』に
 「その方の才ある人
  はかない言葉の匂ひも見え侍るめり」
 とあり
 漢詩文の教養、詩的な世界を下敷きにして作歌
 「岩躑躅(つつじ)折りもてぞ見る・・・通妬字?
  背子が着し
  紅ぞめの衣に似たれば(正集・十九)」
 「躑躅(つつじ・テキチョク)」は
 『白氏文集』
 『千載佳句』
 『和漢朗詠集』
 などで取り上げられており
 漢詩の景物であった
この他にも
 『万葉集』
 『伊勢物語』
 も学んでいた・・・『古事記』からの学びは?
 ↓↑
 草子
 綴とじてある本
 字などを書いたものも書いてないものもいう
 仮名書きの物語・日記・歌などの総称
 「古今のそうし(草子)を御前におかせ給ひて(枕草子 23)
 書き散らした原稿・したがき(下書き)
 「書きおかれける歌のそうし(草子)どもの(十六夜日記)」
 「絵草紙」
 「草双紙」
 などの略
 字の練習用に紙を綴じたもの
 とじ本・ 帳面・紙をとじて作った本の総称
 草子=挿絵入りの啓蒙的な小説
 草紙=平安時代の
      仮名文である雅文や
      それを真似た
      擬古文を使用した随筆や物語全般を指す
      擬古(ギコ)文
      古い時代の文体にならって書いた文章
      特に、江戸中期から明治時代にかけて
      国学者などが
      主に平安時代の和歌や仮名文を
      模範にして書いた文章
      「擬古=古いものをまねする」
      「疑古=古い時代の疑問」
       疑古 (ギコ)
       古代中国史の記述をめぐる
       歴史学 ・ 文献学 ・ 考古学
       の立場(歴史観 ・ 方法論 ・ 歴史学研究法)の一
       中国史の始まりに位置する
       三皇五帝 や 夏王朝 の
       実在を疑い
       後世の創作とみなす立場(加上説)
       「古史」
       東周時代(春秋戦国時代)までの歴史
       三皇五帝
       夏殷周三代の歴史
       「先秦史」をさす・・・秦の始皇帝以前・・・

 草紙、草子、双紙(ソウシ)
 冊子(サクシ)の変化した語
 巻物(巻子本)に対して
 冊子(サッシ)形態の図書を指す
 「仮名で書かれた物語・随筆」
 「絵入りの物語」
 などの様々な意味が派生
 浮世  草子 江戸時代の文芸の一形式
 御伽  草子 鎌倉時代から江戸時代にかけての絵入り物語
 仮名  草子 江戸時代初期の文芸の一形式
 鎌倉大草紙 室町時代の関東地方の歴史を記した書物
 宗五大草紙 戦国時代の武家故実の書
 女官御双紙 琉球王国の女官についての記録
 草=艹+日+十(拾・足)
 子=ー+了=始終・終始
 ↓↑
 『袋草子(ふくろぞうし)』・・・平安時代後期
               保元年間(1156年~1159年)
               公家・六条家流の歌人
               藤原清輔
               が著した
               歌論書
               四巻および遺編一巻
                和歌百科全書というべき「歌学書」
 「袋草紙」・・・袋綴じにした冊子
 と
 「袋草紙遺編」
 から成立し
 前者は
 「和歌会事」
 「撰集故実」
 などの故実部分
 「故撰集子細」
 「諸集人名不審」
 などの歌集や
 歌人の考証部分
 「雑談」
 の和歌説話
 「希代和歌」
 の4つの部分から構成され
 後者は古写本の多くが
 「和歌合次第」と記す
 歌合に関する資料
 『袋草紙』
 中国説話をほとんど用いず
 紀貫之・凡河内躬恒・大江匡衡・藤原公任
 能因・赤染衛門
 和泉式部
 などの歌人に関する説話を援用
 ↓↑
 藤袋草子
 室町時代成立の御伽草子の一
 老夫婦が拾って育てた娘が
 猿にさらわれ
 妻にされようとするのを
 狩人が救うという物語
 小型の絵巻で一部淡彩を施し
 画中の人物に台詞を書き入れた
 ↓↑
 和泉式部続集切
 恋愛遍歴多
 道長から
 「浮かれ女」と評さ
  ↓↑
 同僚女房であった
 「紫式部」
 には
 「素行には感心できない」
 と批評された・・・
 (『紫式部日記』)
 才能は同時代の
 藤原公任に賞賛され
 赤染衛門
 と並び称されている
 ↓↑
 『和泉式部日記』
 敦道親王との恋の顛末を記録
 家集
 『和泉式部正集』
 『和泉式部続集』
 『宸翰本和泉式部集』
 『拾遺和歌集』以下、勅撰和歌集に246首の和歌
 死後初の勅撰集
 『後拾遺和歌集』
 では最多入集
 ↓↑
 和泉式部は
 腐りやすい
 「イワシ(鰯・鰮)」・・・鰯=魚+弱
             鰮=魚+𥁕
               ⺈+田+灬+囚+皿
               ⺈+田+灬+囗+人+皿
       ・・・違和史?・・・・巖倉・磐井・磐余?
      「鰯の頭も信心から」
      つまらないものでも信仰すれば有り難いと思われる
      節分の夜に
      鰯の頭を柊の枝に刺しておくという伝説由来
      信仰心、盲信することへの皮肉を込めたことわざ(諺)
 を食べるのが好きだった
 『猿源氏草紙』
 に記録されているのは
 室町時代後期の作品で、後世の作話・・・作り話
 ↓↑
 紫式部
 から多くの男性と浮名を流した好色女性と批判された
 ↓↑
 中世前期~室町時代
 仏教説話が和泉式部像に強く反映
 法華経の教えを踏まえながら
 仏教的な救済を求める女性として
 和泉式部が描かれるようになった・・・
 ↓↑
 与謝野晶子
 が「情熱的な歌人」として高く評価
ー↓↑ーーーgoo
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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