「カンじる」
大暑=タイショ=耐暑・対処・大書・退所・太初
↓↑

北海道40度
大暑
2025年7月22日13:29
が「大暑」の始まり
↓↑
定気法
太陽黄経が120度
黄道十二宮では獅子宮の原点に相当
7月23日ごろ
平気法
冬至から7/12年(約213.06日)後の
7月23日ごろ
この日から、次の節気の
立秋前日まで
↓↑
大暑(タイショ)
厳しい暑さ・極暑・酷暑
二十四節気の一
7月23日ごろ
↓↑
二十四節気 (ニジュウシセッキ)
中国戦国時代 の頃(紀元前4世紀)に
四季 ・ 気候
などの視点で
地球上の一年を
二十四節に
仕分ける方法
↓↑

1873年・・・壹千捌百漆(七)拾参(參)
(明治6年・六年・Ⅵ・陸・圥・圥・six)
英 語 six シクス
中国語 六 リィゥ
六=亠+ハ⇄介の変形・夰?
6⇄¿⇄ム=ㄥ+丶
ム=L(ㄥ・∠・ㄑ・<)+丶
㇙+丶
韓国 語 육 ユク
西班牙語 seis セイス
仏 語 six スィス
アラビア 語 ٦ スィッタ
魯 語 шесть シェースチ
葡萄牙語 seis セイス
独 語 Sechs ゼクス
伊太利語 sei セイ
ラテン語 sex セクス・・・
セックス
セ=㇖+乚・・・乜(バ・メ)=斜視
凸凹・牝牡・雌雄=シユウ=私有
蟹座♋・69・bq(BQ)
¿?・・・¿=ム=私
↓↑
1873年
1月1日以降・・・壹・壱・聿・元・・・位置・意知・移置・市
↓↑
9
英語 nine ナイン・・・名音(韻・殷・囙・允・乚)
中国語 九 ジゥ ・・・字得
韓国語 구 ク・・・・・・・句
スペイン語 nueve ヌエべ・・・ヌ重部・・・叒・綴・叕
フランス語 neuf ヌフ・・・・・ヌ附
アラビア語 ٩ ティスァ・・綴諏蛙
ロシア語 девять ヂェービャチ・・・字重得婢耶知(智)
ポルトガル語 nove ノゥヴィ・・・納婢意
ドイツ語 Neun ノイン・・・・埜韻
イタリア語 nove ノーヴェ・・廼吝部重
ラテン語 novem ノウェム・・之得絵ム

↓↑
太陽暦をもとにした
グレゴリオ暦(新暦)を採用し
二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった・・・
↓↑
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
↓↑
季節 節名 月名 黄経 日本語 中国語 グレゴリオ暦 日
↓↑
春 寅節 一月節 315° 立春 立春 2月3~5日 2月3日
この日の前日が節分
一月中 330° 雨水 雨水 2月18~20日 2月18日
卯節 二月節 345° 啓蟄 惊蛰 3月4~6日 3月5日
二月中 0° 春分 春分 3月20~21日 3月20日
前後3日は春の彼岸
辰節 三月節 15° 清明 清明 4月4~5日 4月4日
立夏の18日前から春の土用
三月中 30° 穀雨 谷雨 4月19~21日 4月20日
↓↑
夏 巳節 四月節 45° 立夏 立夏 5月5~6日 5月5日
四月中 60° 小満 小满 5月20~22日 5月21日
午節 五月節 75° 芒種 芒种 6月5~ 6日 6月5日
五月中 90° 夏至 夏至 6月21~22日 6月21日
未節 六月節 105° 小暑 小暑 7月6~8日 7月7日
立秋の18日前から夏の土用
六月中 120° 大暑 大暑 7月22~24日 7月22日
↓↑
秋 申節 七月節 135° 立秋 立秋 8月7~8日 8月7日
七月中 150° 処暑 处暑 8月22~24日 8月23日
酉節 八月節 165° 白露 白露 9月7~8日 9月7日
八月中 180° 秋分 秋分 9月22~24日 9月23日
前後3日は秋の彼岸
戌節 九月節 195° 寒露 寒露 10月8~9日 10月8日
立冬の18日前から秋の土用
九月中 210° 霜降 霜降 10月23~24日 10月23日
↓↑
冬 亥節 十月節 225° 立冬 立冬 11月7~8日 11月7日
十月中 240° 小雪 小雪 11月22 ~23日 11月22日
子節 十一月節 255° 大雪 大雪 12月6~8日 12月7日
十一月中 270° 冬至 冬至 12月21~12月7日 12月21日
丑節 十二月節 285° 小寒 小寒 1月5~6日1月5日
立春の18日前から冬の土用
十二月中 300° 大寒 大寒 1月20~21日 1月20日
・・・
ー↓↑ー
和泉 式部(いずみ しきぶ)・・・「わいずみ」?
・・・倭の泉(泉蓋蘇文=淵蓋蘇文)
淵蓋蘇文 (エン ガイソブン)
?~666年 (宝蔵王 二十五年)
高句麗 末期の
大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍
淵蓋蘇文=泉蓋蘇文=泉蓋金=伊梨-柯須彌
天元元年(978年)頃~?
平安時代中期の歌人
越前守
大江雅致の娘
百人一首の歌人
中古三十六歌仙
女房三十六歌仙
の一人
↓↑
「和泉式部」の「式部」・・・朝廷の人事や儀礼
人材教育を司る律令制度の中央機関の一
父親
「大江 雅致」・・・雅=牙+隹=みやびやか・ガ・ゲ
致=至+攵・・・致=𦤶
ー+ム+土+𠂉+乂
チ
いたす・送り届ける・いたらせる
招きよせる・来させる・つくす
おもむき・ありさま・味わい・様子
いたす=「する」の謙譲語
至=いたる・きわまる・「夏至・冬至」
到=至+刂・・・到着・到達
一+厶+土+刂
トウ
いたる・行きつく
来る・やって来る
行きわたる・すみまで行きとどく
さかさま・さかしま
さかさまにする・ひっくり返す
倒
転倒・打倒
たおす・たおれる
こける・転ぶ。
さかさま・さかしま・さかさまにする
ひっくり返す
「大江 雅致」
が
文章生出身の
「式部丞」だったから・・・説
「和泉」
夫
「橘 道貞」
の任国に由来し
「大江」より
「江式部」
と称される場合もあった
↓↑
越前守
「大江 雅致」
と
越中守
平 保衡の娘
の間に生まれる
父の
「大江 雅致」
は
「大江匡衡」
の兄
交流のあった歌人
「赤染衛門」
は義理の叔母
母の父
「平 保衡」・・・平らに均衡を保つ?・・・秤・天秤・♎・⚖
は
『尊卑分脈』によれば
「平 元規」
の子
子(和泉式部のおじ)に
「平 祐挙」
がいる
↓↑
鎌倉期の
『中古歌仙三十六人伝』
「和泉式部」
の母は
「介内侍」
と呼ばれ
「昌子内親王」
付きの女房
娘の式部も
「御許丸(おもとまる)」
と呼ばれ
太皇太后宮・昌子内親王付の女童・・・
↓↑
父の雅致も任官時期は不明ながら
内親王の崩御まで
太皇太后大進
夫の
「橘 道貞」
も太皇太后権大進を務めた
↓↑
長保元年(999年)頃まで
和泉守
「橘 道貞」の妻となった
女房名
「和泉式部」
は
夫の任国・和泉国
と
父の官名を合わせたもの
長徳三年(997年)〜長保元年(999年)
娘の
「小式部内侍」
が誕生
↓↑
道貞との婚姻は破綻
「小式部内侍」
は母譲りの歌才を示した
↓↑
冷泉天皇の第三皇子
「為尊親王」
との熱愛が世に喧伝
親から勘当
↓↑
「為尊親王」
の死後
その同母弟
「敦道親王(帥宮)」
の求愛を受けた
親王は
「和泉式部」
を邸に迎えようとし
正妃(藤原済時の娘)が家出
↓↑
万寿二年(1025年)
小式部内侍が病死
栄花物語「玉のかざり」巻
万寿四年(1027年)
崩御した皇太后
藤原妍子
の法要に保昌が奉った玉に
和泉が和歌を添え
和泉式部集に収録
↓↑
和泉式部の和歌
『古今和歌集』
「恋し・恋す」などの
恋の感情・行為の主体は男性で
『後撰和歌集』
『拾遺和歌集』
でも恋の和歌・・・
↓↑
和泉式部は
後に
紫式部(『紫式部日記』)に
「口に任せたることどもに
必ずをかしき一節の
目にとまる詠み添へ侍り」
と言われ
「天才肌の歌人」・・・
↓↑
『正集』
の冒頭には
春夏秋冬+恋
という部立が設けられた
「百首歌」が見られ
『万葉集」以降の先行歌を学ぶ
↓↑
和泉式部の歌学び
『紫式部日記』に
「その方の才ある人
はかない言葉の匂ひも見え侍るめり」
とあり
漢詩文の教養、詩的な世界を下敷きにして作歌
「岩躑躅(つつじ)折りもてぞ見る・・・通妬字?
背子が着し
紅ぞめの衣に似たれば(正集・十九)」
「躑躅(つつじ・テキチョク)」は
『白氏文集』
『千載佳句』
『和漢朗詠集』
などで取り上げられており
漢詩の景物であった
この他にも
『万葉集』
『伊勢物語』
も学んでいた・・・『古事記』からの学びは?
↓↑
草子
綴とじてある本
字などを書いたものも書いてないものもいう
仮名書きの物語・日記・歌などの総称
「古今のそうし(草子)を御前におかせ給ひて(枕草子 23)
書き散らした原稿・したがき(下書き)
「書きおかれける歌のそうし(草子)どもの(十六夜日記)」
「絵草紙」
「草双紙」
などの略
字の練習用に紙を綴じたもの
とじ本・ 帳面・紙をとじて作った本の総称
草子=挿絵入りの啓蒙的な小説
草紙=平安時代の
仮名文である雅文や
それを真似た
擬古文を使用した随筆や物語全般を指す
擬古(ギコ)文
古い時代の文体にならって書いた文章
特に、江戸中期から明治時代にかけて
国学者などが
主に平安時代の和歌や仮名文を
模範にして書いた文章
「擬古=古いものをまねする」
「疑古=古い時代の疑問」
疑古 (ギコ)
古代中国史の記述をめぐる
歴史学 ・ 文献学 ・ 考古学
の立場(歴史観 ・ 方法論 ・ 歴史学研究法)の一
中国史の始まりに位置する
三皇五帝 や 夏王朝 の
実在を疑い
後世の創作とみなす立場(加上説)
「古史」
東周時代(春秋戦国時代)までの歴史
三皇五帝
夏殷周三代の歴史
「先秦史」をさす・・・秦の始皇帝以前・・・
草紙、草子、双紙(ソウシ)
冊子(サクシ)の変化した語
巻物(巻子本)に対して
冊子(サッシ)形態の図書を指す
「仮名で書かれた物語・随筆」
「絵入りの物語」
などの様々な意味が派生
浮世 草子 江戸時代の文芸の一形式
御伽 草子 鎌倉時代から江戸時代にかけての絵入り物語
仮名 草子 江戸時代初期の文芸の一形式
鎌倉大草紙 室町時代の関東地方の歴史を記した書物
宗五大草紙 戦国時代の武家故実の書
女官御双紙 琉球王国の女官についての記録
草=艹+日+十(拾・足)
子=ー+了=始終・終始
↓↑
『袋草子(ふくろぞうし)』・・・平安時代後期
保元年間(1156年~1159年)
公家・六条家流の歌人
藤原清輔
が著した
歌論書
四巻および遺編一巻
和歌百科全書というべき「歌学書」
「袋草紙」・・・袋綴じにした冊子
と
「袋草紙遺編」
から成立し
前者は
「和歌会事」
「撰集故実」
などの故実部分
「故撰集子細」
「諸集人名不審」
などの歌集や
歌人の考証部分
「雑談」
の和歌説話
「希代和歌」
の4つの部分から構成され
後者は古写本の多くが
「和歌合次第」と記す
歌合に関する資料
『袋草紙』
中国説話をほとんど用いず
紀貫之・凡河内躬恒・大江匡衡・藤原公任
能因・赤染衛門
和泉式部
などの歌人に関する説話を援用
↓↑
藤袋草子
室町時代成立の御伽草子の一
老夫婦が拾って育てた娘が
猿にさらわれ
妻にされようとするのを
狩人が救うという物語
小型の絵巻で一部淡彩を施し
画中の人物に台詞を書き入れた
↓↑
和泉式部続集切
恋愛遍歴多
道長から
「浮かれ女」と評さ
↓↑
同僚女房であった
「紫式部」
には
「素行には感心できない」
と批評された・・・
(『紫式部日記』)
才能は同時代の
藤原公任に賞賛され
赤染衛門
と並び称されている
↓↑
『和泉式部日記』
敦道親王との恋の顛末を記録
家集
『和泉式部正集』
『和泉式部続集』
『宸翰本和泉式部集』
『拾遺和歌集』以下、勅撰和歌集に246首の和歌
死後初の勅撰集
『後拾遺和歌集』
では最多入集
↓↑
和泉式部は
腐りやすい
「イワシ(鰯・鰮)」・・・鰯=魚+弱
鰮=魚+𥁕
⺈+田+灬+囚+皿
⺈+田+灬+囗+人+皿
・・・違和史?・・・・巖倉・磐井・磐余?
「鰯の頭も信心から」
つまらないものでも信仰すれば有り難いと思われる
節分の夜に
鰯の頭を柊の枝に刺しておくという伝説由来
信仰心、盲信することへの皮肉を込めたことわざ(諺)
を食べるのが好きだった
『猿源氏草紙』
に記録されているのは
室町時代後期の作品で、後世の作話・・・作り話
↓↑
紫式部
から多くの男性と浮名を流した好色女性と批判された
↓↑
中世前期~室町時代
仏教説話が和泉式部像に強く反映
法華経の教えを踏まえながら
仏教的な救済を求める女性として
和泉式部が描かれるようになった・・・
↓↑
与謝野晶子
が「情熱的な歌人」として高く評価
ー↓↑ーーーgoo
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
↓↑
「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
↓↑
ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
大暑=タイショ=耐暑・対処・大書・退所・太初
↓↑

北海道40度
大暑
2025年7月22日13:29
が「大暑」の始まり
↓↑
定気法
太陽黄経が120度
黄道十二宮では獅子宮の原点に相当
7月23日ごろ
平気法
冬至から7/12年(約213.06日)後の
7月23日ごろ
この日から、次の節気の
立秋前日まで
↓↑
大暑(タイショ)
厳しい暑さ・極暑・酷暑
二十四節気の一
7月23日ごろ
↓↑
二十四節気 (ニジュウシセッキ)
中国戦国時代 の頃(紀元前4世紀)に
四季 ・ 気候
などの視点で
地球上の一年を
二十四節に
仕分ける方法
↓↑

1873年・・・壹千捌百漆(七)拾参(參)
(明治6年・六年・Ⅵ・陸・圥・圥・six)
英 語 six シクス
中国語 六 リィゥ
六=亠+ハ⇄介の変形・夰?
6⇄¿⇄ム=ㄥ+丶
ム=L(ㄥ・∠・ㄑ・<)+丶
㇙+丶
韓国 語 육 ユク
西班牙語 seis セイス
仏 語 six スィス
アラビア 語 ٦ スィッタ
魯 語 шесть シェースチ
葡萄牙語 seis セイス
独 語 Sechs ゼクス
伊太利語 sei セイ
ラテン語 sex セクス・・・
セックス
セ=㇖+乚・・・乜(バ・メ)=斜視
凸凹・牝牡・雌雄=シユウ=私有
蟹座♋・69・bq(BQ)
¿?・・・¿=ム=私
↓↑
1873年
1月1日以降・・・壹・壱・聿・元・・・位置・意知・移置・市
↓↑
9
英語 nine ナイン・・・名音(韻・殷・囙・允・乚)
中国語 九 ジゥ ・・・字得
韓国語 구 ク・・・・・・・句
スペイン語 nueve ヌエべ・・・ヌ重部・・・叒・綴・叕
フランス語 neuf ヌフ・・・・・ヌ附
アラビア語 ٩ ティスァ・・綴諏蛙
ロシア語 девять ヂェービャチ・・・字重得婢耶知(智)
ポルトガル語 nove ノゥヴィ・・・納婢意
ドイツ語 Neun ノイン・・・・埜韻
イタリア語 nove ノーヴェ・・廼吝部重
ラテン語 novem ノウェム・・之得絵ム

↓↑
太陽暦をもとにした
グレゴリオ暦(新暦)を採用し
二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった・・・
↓↑
立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨
立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降
立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
↓↑
季節 節名 月名 黄経 日本語 中国語 グレゴリオ暦 日
↓↑
春 寅節 一月節 315° 立春 立春 2月3~5日 2月3日
この日の前日が節分
一月中 330° 雨水 雨水 2月18~20日 2月18日
卯節 二月節 345° 啓蟄 惊蛰 3月4~6日 3月5日
二月中 0° 春分 春分 3月20~21日 3月20日
前後3日は春の彼岸
辰節 三月節 15° 清明 清明 4月4~5日 4月4日
立夏の18日前から春の土用
三月中 30° 穀雨 谷雨 4月19~21日 4月20日
↓↑
夏 巳節 四月節 45° 立夏 立夏 5月5~6日 5月5日
四月中 60° 小満 小满 5月20~22日 5月21日
午節 五月節 75° 芒種 芒种 6月5~ 6日 6月5日
五月中 90° 夏至 夏至 6月21~22日 6月21日
未節 六月節 105° 小暑 小暑 7月6~8日 7月7日
立秋の18日前から夏の土用
六月中 120° 大暑 大暑 7月22~24日 7月22日
↓↑
秋 申節 七月節 135° 立秋 立秋 8月7~8日 8月7日
七月中 150° 処暑 处暑 8月22~24日 8月23日
酉節 八月節 165° 白露 白露 9月7~8日 9月7日
八月中 180° 秋分 秋分 9月22~24日 9月23日
前後3日は秋の彼岸
戌節 九月節 195° 寒露 寒露 10月8~9日 10月8日
立冬の18日前から秋の土用
九月中 210° 霜降 霜降 10月23~24日 10月23日
↓↑
冬 亥節 十月節 225° 立冬 立冬 11月7~8日 11月7日
十月中 240° 小雪 小雪 11月22 ~23日 11月22日
子節 十一月節 255° 大雪 大雪 12月6~8日 12月7日
十一月中 270° 冬至 冬至 12月21~12月7日 12月21日
丑節 十二月節 285° 小寒 小寒 1月5~6日1月5日
立春の18日前から冬の土用
十二月中 300° 大寒 大寒 1月20~21日 1月20日
・・・
ー↓↑ー
和泉 式部(いずみ しきぶ)・・・「わいずみ」?
・・・倭の泉(泉蓋蘇文=淵蓋蘇文)
淵蓋蘇文 (エン ガイソブン)
?~666年 (宝蔵王 二十五年)
高句麗 末期の
大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍
淵蓋蘇文=泉蓋蘇文=泉蓋金=伊梨-柯須彌
天元元年(978年)頃~?
平安時代中期の歌人
越前守
大江雅致の娘
百人一首の歌人
中古三十六歌仙
女房三十六歌仙
の一人
↓↑
「和泉式部」の「式部」・・・朝廷の人事や儀礼
人材教育を司る律令制度の中央機関の一
父親
「大江 雅致」・・・雅=牙+隹=みやびやか・ガ・ゲ
致=至+攵・・・致=𦤶
ー+ム+土+𠂉+乂
チ
いたす・送り届ける・いたらせる
招きよせる・来させる・つくす
おもむき・ありさま・味わい・様子
いたす=「する」の謙譲語
至=いたる・きわまる・「夏至・冬至」
到=至+刂・・・到着・到達
一+厶+土+刂
トウ
いたる・行きつく
来る・やって来る
行きわたる・すみまで行きとどく
さかさま・さかしま
さかさまにする・ひっくり返す
倒
転倒・打倒
たおす・たおれる
こける・転ぶ。
さかさま・さかしま・さかさまにする
ひっくり返す
「大江 雅致」
が
文章生出身の
「式部丞」だったから・・・説
「和泉」
夫
「橘 道貞」
の任国に由来し
「大江」より
「江式部」
と称される場合もあった
↓↑
越前守
「大江 雅致」
と
越中守
平 保衡の娘
の間に生まれる
父の
「大江 雅致」
は
「大江匡衡」
の兄
交流のあった歌人
「赤染衛門」
は義理の叔母
母の父
「平 保衡」・・・平らに均衡を保つ?・・・秤・天秤・♎・⚖
は
『尊卑分脈』によれば
「平 元規」
の子
子(和泉式部のおじ)に
「平 祐挙」
がいる
↓↑
鎌倉期の
『中古歌仙三十六人伝』
「和泉式部」
の母は
「介内侍」
と呼ばれ
「昌子内親王」
付きの女房
娘の式部も
「御許丸(おもとまる)」
と呼ばれ
太皇太后宮・昌子内親王付の女童・・・
↓↑
父の雅致も任官時期は不明ながら
内親王の崩御まで
太皇太后大進
夫の
「橘 道貞」
も太皇太后権大進を務めた
↓↑
長保元年(999年)頃まで
和泉守
「橘 道貞」の妻となった
女房名
「和泉式部」
は
夫の任国・和泉国
と
父の官名を合わせたもの
長徳三年(997年)〜長保元年(999年)
娘の
「小式部内侍」
が誕生
↓↑
道貞との婚姻は破綻
「小式部内侍」
は母譲りの歌才を示した
↓↑
冷泉天皇の第三皇子
「為尊親王」
との熱愛が世に喧伝
親から勘当
↓↑
「為尊親王」
の死後
その同母弟
「敦道親王(帥宮)」
の求愛を受けた
親王は
「和泉式部」
を邸に迎えようとし
正妃(藤原済時の娘)が家出
↓↑
万寿二年(1025年)
小式部内侍が病死
栄花物語「玉のかざり」巻
万寿四年(1027年)
崩御した皇太后
藤原妍子
の法要に保昌が奉った玉に
和泉が和歌を添え
和泉式部集に収録
↓↑
和泉式部の和歌
『古今和歌集』
「恋し・恋す」などの
恋の感情・行為の主体は男性で
『後撰和歌集』
『拾遺和歌集』
でも恋の和歌・・・
↓↑
和泉式部は
後に
紫式部(『紫式部日記』)に
「口に任せたることどもに
必ずをかしき一節の
目にとまる詠み添へ侍り」
と言われ
「天才肌の歌人」・・・
↓↑
『正集』
の冒頭には
春夏秋冬+恋
という部立が設けられた
「百首歌」が見られ
『万葉集」以降の先行歌を学ぶ
↓↑
和泉式部の歌学び
『紫式部日記』に
「その方の才ある人
はかない言葉の匂ひも見え侍るめり」
とあり
漢詩文の教養、詩的な世界を下敷きにして作歌
「岩躑躅(つつじ)折りもてぞ見る・・・通妬字?
背子が着し
紅ぞめの衣に似たれば(正集・十九)」
「躑躅(つつじ・テキチョク)」は
『白氏文集』
『千載佳句』
『和漢朗詠集』
などで取り上げられており
漢詩の景物であった
この他にも
『万葉集』
『伊勢物語』
も学んでいた・・・『古事記』からの学びは?
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草子
綴とじてある本
字などを書いたものも書いてないものもいう
仮名書きの物語・日記・歌などの総称
「古今のそうし(草子)を御前におかせ給ひて(枕草子 23)
書き散らした原稿・したがき(下書き)
「書きおかれける歌のそうし(草子)どもの(十六夜日記)」
「絵草紙」
「草双紙」
などの略
字の練習用に紙を綴じたもの
とじ本・ 帳面・紙をとじて作った本の総称
草子=挿絵入りの啓蒙的な小説
草紙=平安時代の
仮名文である雅文や
それを真似た
擬古文を使用した随筆や物語全般を指す
擬古(ギコ)文
古い時代の文体にならって書いた文章
特に、江戸中期から明治時代にかけて
国学者などが
主に平安時代の和歌や仮名文を
模範にして書いた文章
「擬古=古いものをまねする」
「疑古=古い時代の疑問」
疑古 (ギコ)
古代中国史の記述をめぐる
歴史学 ・ 文献学 ・ 考古学
の立場(歴史観 ・ 方法論 ・ 歴史学研究法)の一
中国史の始まりに位置する
三皇五帝 や 夏王朝 の
実在を疑い
後世の創作とみなす立場(加上説)
「古史」
東周時代(春秋戦国時代)までの歴史
三皇五帝
夏殷周三代の歴史
「先秦史」をさす・・・秦の始皇帝以前・・・
草紙、草子、双紙(ソウシ)
冊子(サクシ)の変化した語
巻物(巻子本)に対して
冊子(サッシ)形態の図書を指す
「仮名で書かれた物語・随筆」
「絵入りの物語」
などの様々な意味が派生
浮世 草子 江戸時代の文芸の一形式
御伽 草子 鎌倉時代から江戸時代にかけての絵入り物語
仮名 草子 江戸時代初期の文芸の一形式
鎌倉大草紙 室町時代の関東地方の歴史を記した書物
宗五大草紙 戦国時代の武家故実の書
女官御双紙 琉球王国の女官についての記録
草=艹+日+十(拾・足)
子=ー+了=始終・終始
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『袋草子(ふくろぞうし)』・・・平安時代後期
保元年間(1156年~1159年)
公家・六条家流の歌人
藤原清輔
が著した
歌論書
四巻および遺編一巻
和歌百科全書というべき「歌学書」
「袋草紙」・・・袋綴じにした冊子
と
「袋草紙遺編」
から成立し
前者は
「和歌会事」
「撰集故実」
などの故実部分
「故撰集子細」
「諸集人名不審」
などの歌集や
歌人の考証部分
「雑談」
の和歌説話
「希代和歌」
の4つの部分から構成され
後者は古写本の多くが
「和歌合次第」と記す
歌合に関する資料
『袋草紙』
中国説話をほとんど用いず
紀貫之・凡河内躬恒・大江匡衡・藤原公任
能因・赤染衛門
和泉式部
などの歌人に関する説話を援用
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藤袋草子
室町時代成立の御伽草子の一
老夫婦が拾って育てた娘が
猿にさらわれ
妻にされようとするのを
狩人が救うという物語
小型の絵巻で一部淡彩を施し
画中の人物に台詞を書き入れた
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和泉式部続集切
恋愛遍歴多
道長から
「浮かれ女」と評さ
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同僚女房であった
「紫式部」
には
「素行には感心できない」
と批評された・・・
(『紫式部日記』)
才能は同時代の
藤原公任に賞賛され
赤染衛門
と並び称されている
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『和泉式部日記』
敦道親王との恋の顛末を記録
家集
『和泉式部正集』
『和泉式部続集』
『宸翰本和泉式部集』
『拾遺和歌集』以下、勅撰和歌集に246首の和歌
死後初の勅撰集
『後拾遺和歌集』
では最多入集
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和泉式部は
腐りやすい
「イワシ(鰯・鰮)」・・・鰯=魚+弱
鰮=魚+𥁕
⺈+田+灬+囚+皿
⺈+田+灬+囗+人+皿
・・・違和史?・・・・巖倉・磐井・磐余?
「鰯の頭も信心から」
つまらないものでも信仰すれば有り難いと思われる
節分の夜に
鰯の頭を柊の枝に刺しておくという伝説由来
信仰心、盲信することへの皮肉を込めたことわざ(諺)
を食べるのが好きだった
『猿源氏草紙』
に記録されているのは
室町時代後期の作品で、後世の作話・・・作り話
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紫式部
から多くの男性と浮名を流した好色女性と批判された
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中世前期~室町時代
仏教説話が和泉式部像に強く反映
法華経の教えを踏まえながら
仏教的な救済を求める女性として
和泉式部が描かれるようになった・・・
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与謝野晶子
が「情熱的な歌人」として高く評価
ー↓↑ーーーgoo
干支歴
命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
↓↑
メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8
↓↑
モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
(表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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