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・・・秦王国⇔新王国=新羅⇔呉(くれ)軍港・・・木満致者・・・?

2021-08-31 10:39:19 | 古事記字源

 戯言三昧・・・囈・譫・たわごと=多(隋)倭語訳(厝)
 ・・・戯言三昧・・・囈・譫・たわごと=多(隋)倭語訳(厝)・・・
   蜈=蜈蚣(むかで)=百足・・・百済の王?
      蜈=虫+呉=中のムは呉・・・
      蚣=虫+公=中のムは八のム・・・
     蚣荶(ショウショ・きりぎりす・螽斯)
      ナゼ「螽=冬+虫虫・・・
           イソップ物語のキリギリス=螽斯
         斯=このような・かくの如く」
    誤解・・・解き方の誤り・・・
         牛の角を刀で切り取るのは誤り
 「誤解」という漢字はアヤマリを解くではなく
 「呉」の言儀をトク(讀)であるカナ・・・
 クレはボンヤリした夕闇だから・・・
 ・・・呉(くれ・ゴ)の・・・「呉=軍港」
 ↓↑
    言語は・・・音声・音読
    誤りである・・・ナゼか・・・?
 ↓↑
    「呉=口+夨(ショク)
     吳=口+㇉+大
     𠯵=口+¬+一+ハ
     吴=口+天
      くれる・あたえる・大声で話す
      さわがしい・かまびすしい
      大きな声でさわぐ

   「呉」の漢字形象は
   「人が遠くの人に呼びかけている」
   「人が出会いでヤァ!コンニチワッ」
   「夕暮れ・黄昏れ」
   で景色がボンヤリと霞んできたら
   お互いが声を掛け合うだろう・・・

  「秦王国=『隋書』の記録に倭の地域にあったとされる国」
  「列傳第四十六 東夷 俀國」
  「明年・・・・明年(608)
   上遣・・・・遣(や)り上げるに・遣り遂げるさせるために
         成就させるために
   文林郎・・・文史を撰録する秘書省の属官・役人
         「儒家文林」
          詩歌・文章の詩文集・文苑
         「洽聞記」
        ・・・洽=あまねし・広くゆきわたる
               洽覧(コウラン)
               うるおう・うるおす
               洽汗(コウカン)
         「唐の3代皇帝高宗(李治)
            ・・・郭務悰=忄+宗・・・?
                務悰=務める心は高宗に?
          が見事な
          リンゴ(林檎・🍎・蘋果・Apple)を献上した
                  「蘋果日報(リンゴ日報)」
         「王方言」を
         「文林郎」の官に任じたという故事」・・・?
         「裴世清」は隋王朝の
         「煬帝の文林郎」だから
         「唐王朝の官職」ではない・・・
   裴清・・・・が見事な=名前=裴世清
   使・・・・・使いとする
   於・・・・・於いて
   俀國・・・・俀國=倭国=日本
    度・・・・・わたること・このたび
   百濟・・・・くだら
   行・・・・・行くに
   至・・・・・いたる
   竹嶋・・・・たけしま
   南望・・・・南に望み
   聃羅國=耼・耽・冉・𦕐・𨈜・𨈭
           聃=耳 +畫=沉迷=惑溺・溺れる・夢中
                    耽溺・耽美
             耳+冉=老人の相貌・・・白髪・皺くちゃ
             道教の「老聃(ロウタン)」=老子
             楚苦縣厲郷曲仁里人也
             姓 李氏
             名 耳
             字 聃
             周守 藏室之史也
          ↓↑   
・・・聃牟羅・耽羅・儋羅・屯羅・都耽羅
             済州島の古名
   耽牟羅(たんむら)
             忱弥多礼(とむたれ)
             耽羅(とむら・日本書紀)
         訓は「耽羅(とら)⇔虎・寅・彪・図羅」?
   經・・・・・経て・経過して
   都斯麻國・・「つしま」國
          「對馬=対馬」國
       ・・「津嶋」國⇔香川県
               三豊市
              「津嶋神社」
               愛知県
               津島市
              「津島神社」
       津嶋町(愛媛県北宇和島市)
       津島町(静岡県葵区)
       津島(福島県浪江町の大字)
       津島(福岡県筑後市の大字)
       津島(福岡県飯塚市の大字)

       津島
      広島県(安芸国)
       と
      愛媛県(伊予国)に属している
       ・・・秦王国⇔新王国=新羅⇔呉(くれ)軍港
           ↓↑
           朝鮮半島南部の
          「嶋・嶌・嶼・㠀・島」の國
           漢字の部首合字が
           山+鳥=「しま」なのはナゼか?
           サンチヨウ   
           山+與=「しま」
           サンヨ
          ↓↑
          斯麻(しま)宿禰?
          斯麻王=百済第二十五代「武寧王」
       木満致者 是 木羅斤資 討 新羅時
          娶 其国 婦 而 所生 也
          以其 父功、専於 任那
   迥在・・・・迥=冋+辶
        ・・・冋⇔向⇔日向
            「向歯会」⇔高野長英・渡辺崋山・関長英                    
           はるか・とおい・遠くへだたる
         在る
   大海中・・・大海(おほあま)の中(なか)
   又・・・・・また
   東至・・・・東(あづま)に至(いた)る
   一支國・・・壱岐島
   又・・・・また
   至・・・・いたる
   竹斯國 ・・・・筑紫の國・福岡
   又・・・・また
   東至・・・・東(あづま)に至(いた)る
   秦王國・・・秦王の國・・・
   其人・・・・その人
   同・・・・・おなじである
   於・・・・・おいて
   華夏・・・・中国・華=華美・夏=壮大さ・儀礼の大
         ・・・夏は暑い季節⇔華南=南方の中国
         王都は河南省の二里頭遺跡・・・?
         河南省登封県の城跡・・・?

   以・・・・・もって・・・以上を以って
   爲・・・・・なすも
   夷州・・・・夷州=台湾

   疑・・・・・うたがう
   不能・・・・あたわず・不可能
   明・・・・・明らかにするコト
   也・・・・」
    ↓↑
   「暮れ」る方角「西」から来た
   帰化人(呉國人)・・・
   江蘇省・浙江省一帯
   「呉越・呉音・呉服」
   技術を与えて「くれた」・・・
   呉音禁止の理由・・・?
   「呉越同舟」・・・同じ船で敵対か、協力か?
            同じ地球で・・・コロナだけれど・・・

 ↓↑
  音読み
     呉音=ズイ・タ・ダ
       建康(南京市)付近の「漢字音」
        建=コン=たける=武
        品=ホン
        音=オン
        金=コン
        牛=ゴ
        呉音は仏教用語
        歴史上の古音言葉
        鼻濁音有
        「古事記」での「万葉仮名」の使用・・・?
     漢音= スイ・タ
        唐代、首都長安地域の音を「秦音」と呼んだ
        建=ケン=たける=武
        品=ヒン
        音=イン
        金=キン
        牛=ギュウ
        清音多
   ↓↑
       零一二三四五六七八九十
       零壱弐弎肆伍陸柒捌玖拾
              漆  足
        呉音   漢音  唐音
       0=リヨウ  レイ  リン
       1=イチ   イツ  イツ 
       2=二    ジ   ルウ
       3=サン   サン  サン
       4=シ    シ   スウ
       5=ゴ    ゴ   ウウ
       6=ロク   リク  ロツ
       7=シチ   シツ  ツエツ
       8=ハチ   ハツ  パツ
       9=キュウ  ク   キウ
      10=ジュウ  シュウ  シツ
   ↓↑
 ・・・「隋・隨・陏・随」の音読は
    「ズイ・タ・ダ・キ・スイ」・・・
           「キ」?・・・「き」?
 ↓↑
   『隋』=隋(ダ)・隋(タ)
         隋(ズイ )・隋(スイ)
         隋(キ)
     少なくても5種の読み方が存在・・・?
   by(https://mojinavi.com/d/u968b)
    ↓↑
   ・・・「隋=キ」なら・・・
   ボクの妄想に都合がイイ「材料」けれど・・・?
   何処の「出典記録」なんだか・・・「キ」音
    ↓↑
   「䜏=言+隋」=狡賢い・狡猾
     異体字「𧨪・𧩭・䜐」
 ・・・𤡪=スイ・ズイ=𤢍・𤢩
      牝のブタ(豚)
      𤡬=ケイ・キ=豷・𧴒
        士冖一口ソ丷䒑豆壹
    𥳔=𥶴=丨阜阝𠂇エ左月隋=𥳔
    媠=女+左+月
      タ・ダ
    嫷=女+ナエ㠭工左月=媠
      自堕落な女・・・?
 ↓↑
  厝=厂+昔
   厂+龷(㠭)+日
    龷=卄+一=㠭(テン)
           㠭+ハ=其・・・基=其+土⇔基本
           㠭=干肉を重ねたモノ⇔共・供
            木乃伊=ミイラ=mummy =マミー
   サク・ ソ・ セキ・ ジャク
   と・まじる(錯)・おく(措)・といし(砥石)
    ひつぎ(柩・棺)
   ↓↑
  借=イ+昔(龷日)・・・借金・貸借
   ひと+むかし・・・イが人生で借りてきたモノ=肉体・身体?
      借=亻+昔
   亻+龷+日
   亻+卄+一+日
   亻+一+丨+日
   シャク
   シャ
   かりる
   かり・かりる
   人のものを一時的にかりる
   かりに・仮定
   かす・貸し与える・力を貸す
 ↓↑
 借りる(かりる)
 貸し借り・貸借り(かしかり)
 貸すことと借りること
 金銭や恩義などについていう
 ↓↑
 仮借(カシャ)
 漢字の成り立ちを説明する六書の一
 言葉を表す漢字がない場合
 意味を考慮せずに
 同じ音の漢字をあてる方法
 ↓↑
 仮借(カシャク)
 罪や失敗などを許すこと
 ↓↑
 先借り・先借(さきがり)
 給料などを
 支給日より先の日に借り受けること
 ↓↑
 借財(シャクザイ)
 金銭を借りること
 その借りたもの・借金
 ↓↑
 借銭(シャクセン)
 金銭を借りること
 その借りたもの・借金
 ↓↑
 借花献仏(しゃっかけんぶつ)
  自分のやらなければいけないことを
  人に頼って行うこと
  仏に花を供えるために
  人に花を借りるという意
  「花を借りて仏に献ず」
 ↓↑
 負わず借らずに子三人
  人の世話にならず
  借金もなく
  子どもが
  三人ぐらいいる家庭が
  理想的で幸福
 ↓↑
 貸し借りは他人
  金銭の貸し借りについては
  親子の間でも他人
  「けじめ」をつけるべきだということ
  「けじめ=数=けぢめ=分」
  「個々の数列の数は、等差を謂ふ」
  「ケチエン(掲焉)」?
   分け目・区分・区別
 ↓↑ ↓↑
   磏=石+兼
     丆+口+兼
     ・・・丆=面(つら・顔)は
        口(くち・言葉)をも
        兼(か)ねる
        目は口ほどに物を言う?
        字は口ほどに意味を言う?
        ↓↑
        兼=䒑+⺕+‖+ハ
          ケン
          かねる
          あわせる
          複数のものをあわせる
          一緒に
          秝(レキ・二本の禾)
          又(ユウ=右手)
          二本の稲を手で掴む
          併せ持つ・握る
          兼任
          ↓↑
          ~しかねる
          できない
          できそうにない
         「し兼ねる」
          否定の言辞
          あらかじめ
          前もって
          異体字
          傔・謙・𠔥・𥡝・𠔥
        ↓↑ α+兼
          嫌=女+兼・・・女形?
            実行を渋ること?
            嫌悪
          濂=つつましい
            うすい
            浅い・浅い川の流れ
          廉=广+兼
            色々まとめて
            区別する
          簾=すだれ・埀簾
          簾=竹+廉
            竹+广+兼
            兼=䒑+⺕+‖+ハ
              秝+⺕
            秝+ノ+千+干+ノ+⺕
              ノ千コ千ノ
            秝+ノ+肀+丨+丶
          鎌=金+兼・・・藤原鎌足・中臣鎌足(鎌子)?
                金(女真・女直)を兼ねる子・足?
            藁(わら)・草(くさ)を
              和羅=倭羅  人人
                 話覶
            まとめて刈り取る刃物(はもの)
                       葉物・端物?
          謙=言+兼
            ケン
            へりくだる
            遜(孫+辶)る・・・天孫の道?
           「儉下(へりくだる)」
            ・・・縁に下る・・・道端の縁に下る?
           「儉=イ+僉(亼+吅+从)」
              つましい・つづまやか 
        ・・・「倹=イ+㑒(亼+央)」?
            ケン=謙
            音借の形声文字・・・?・・・懸・建
            同音の文字であっても 
            文字の意義は象形の構成文字だろう・・・
            謙譲・謙遜
            漢字構成の部首が
           「音借」だけと思うのは勝手だが
           「漢字」は「形而(字)下」の学問である・・・
                「形而(字)上」は脳ミソ機能の学問?
 ↓↑   ↓↑   ↓↑
    磏=石+兼
       丆+口+兼
       一+丿+口+兼
       レン
       赤色の砥石
       けじめを守る・けじめをつける
       けヂめを守る・けヂめをつける
       けチめを守る・けチめをつける
       吝の目・吝嗇の極め=節約・質素・勿体無い
       自分を磨いて鍛える
       吝=文+口
         亠+乂+口=音が交差する口
         蓋を〆る口・・・飽食するな?
         ケチはイザという時の蓄え
         公務員の削減で
         コロナも災害も人手不足
         平時の自衛官+予備役官は
         非常事態の絶対必要要員
         ストックを無駄と思うな
         もったいない=無駄なモノはない
 ↓↑     ↓↑
  貸した物は忘れぬが
  借りたものは忘れる
   「人間は身勝手」と云う
    たとえ(譬・例・喩・仮令)
    他問え・多説重?
 ↓↑
 敵(かたき)の前より借金の前
  敵の前では平然とできても
  借金をしている相手の前では
  頭が上がらないということ
 ↓↑
 金の貸し借り不和の基
  金の貸し借りは
  仲たがいの原因になりがちである
 ↓↑
 借り着より洗い着
  人に頼って
  贅沢な暮らしをするより
  自分の力で
  分相応な生活をするほうがいい
  人に借りた晴れ着より
  洗いざらしでも
  自分の着物のほうがいい
   ↓↑
  錯=金+昔=鍍金する・まじる・入り乱れる
     錯綜(サクソウ)・交錯
     あやま(誤)る・まちがえる
       錯誤・錯覚・錯乱
       錯角=Alternate angles
          3直線交差(≠)の相対角度
       ↓↑
     語性錯語=単語を間違える・A≠U・・・言語誤解
          言辞誤解
          同音異義
          異字同音
          ・・・蛙=ア・かえる=替える=丫=ア
               ア=烏=ウ・からす=鴉=ア・エ
       ↓↑
     字性錯語=発音を間違える・A≠O・・・言い間違い
          同字異音・・・倭訓
                 漢字音・呉字音・唐字音
          ・・・阿=アorお・・・阿国(おくに)
          毎=マイorバイorブorベ=日毎(ひごと)
             盧=ロ=鸕=う・鸕(う)野讃良
             行燈(アンドン)=行灯(ギコウトウ
                         コウトウ)
 ↓↑ ↓↑
   錯
   おく・すえおく
   ↓↑
   置く
   埋葬の日までを安置する
   仮埋葬する
   安置・停柩・磨刀石
   漢代の県名
   黄廷参三落大厝=母屋が三つある建物
           三合院住宅
   異体字「𠪞・𥕉 ・疒+昔」
   「厝止(サクシ)」=始末をつける
   「厝置(ソチ)」=「措置」
   ↓↑
   蘆竹厝=蘆竹区(區)
   台湾桃園庁桃澗堡が管轄東北部
   ↓↑
   蘇家宗祀古厝
   五塊厝駅(ごかいせきえき)
   林安泰古厝(邸宅)
   ↓↑
   六塊厝(リウクワイツオ)
   ↓↑
   台湾
   台南州
   斗六神社末社
   渓邊厝神社
   祭神=豊受大神・大国魂命・大己貴命・少彦名命・能久親王
   創立年・鎮座年等:昭和16年2月10日
 ↓↑
 出来るときにしようとしないものは、しようとするときに拒絶される
 ↓↑
 あんた、カイになりたいの?・・・
 あの「床屋さん」、あの「理髪店のおじさん」、あの「髪切り屋の旦那さん」・・・
 トウキョウ、さいばん・・・問う匡、裁判・・・
   匡=劻=匚+王+力
    =匩(本字)=匚+山+王
 ・・・「正義を潰せとは、信じられないカモしれませんが?」・・・
 「井の中の蛙 大海を知らず、されど空の深さを知る?」・・・
 ・・・「尚且つ、空の深さも知らず」では?・・・
 ・・・「意の中を交わす、他意解をしらす」?・・・
 「かわす・かはす=躱す=巧みに避けて逃れる・逸らす・ソラす」・・・
 「蛙=かえる=替える・換える・還る・変える
        代える・返る・孵る・反る・帰る・買える」・・・
        権力を金で買う・・・あきんど・・・ 
 「五代友厚」・・・ゴを代える友の厚さ・・・?

ーーーー↓↑ーー
 山本 五十六(やまもと いそろく)
 明治十七年 サンボン 伍(吾)拾陸
 1884年4月4日
 ~
 昭和十八年
 1943年4月18日
      大運1934年5月(50歳)癸酉印綬
 甲申(己壬庚)比肩・偏官 絶⇔癸未印綬
 丁卯(甲 乙)傷官・劫財帝旺⇔丙辰食神
 甲申(己壬庚)  ・偏官 絶⇔丙午食神
 庚午(丙 丁)偏官・傷官 死⇔甲午偏官
  午未空亡
 ↓↑
 海軍軍人・元帥海軍大将
 第26、27代連合艦隊司令長官
 海軍兵学校32期生
 ソロモン諸島
 ブーゲンビル島
 上空で撃墜され戦死(海軍甲事件)
 旧姓 高野
 栄典 正三位 大勲位功一級
 新潟県
 古志郡
 長岡
 本町
 玉蔵院町
 (長岡市坂之上町3丁目付近)
 旧 越後 長岡藩士
 「高野貞吉」
 の六男
 少年時代
 「米国宣教師」の元で
 「聖書」勉強・・・?
 ↓↑
 日露戦争中
 1904年(明治三十七年)十一月 
 海軍兵学校を
 192名中11番で卒業
 少尉候補生として
 練習艦
 「韓崎丸」・・・韓崎(からさき)丸
         海軍初の潜水母艦
         対馬北端の地名
 に乗船
 元はロシア帝国の
 義勇艦隊所属船
 エカテリノスラフ号
 オデッサ(ウクライナ)
 ~
 ウラジオストクまで航行
 その帰路で
 日露間の国交断絶により
 (日露戦争開始)
 対馬の北方、釜山沖で
 日本海軍巡洋艦
 「済遠」に拿捕
 対馬北端の地の名前が付けられた
 ↓↑
 英国の造船所の建造
 拿捕当時
 船齢8年
 後に
 「潜水母艦」=潜水艦に接舷し
        食料、燃料、魚雷
        その他物資の補給任務
 戦後
 ポンツーン
 (pontoon)=軍橋の舟橋・橋脚舟・平底舟
        艀(はしけ)・浮船・箱船
        浮台・浮桟橋
 ↓↑
 1905年(明治三十八年)1月
 少尉候補生
 装甲巡洋艦「日進」配属
 5月27日
 日本海海戦に参加
 「敵砲弾の炸裂or砲身内早発」
 左手の人差指と中指を欠損
 左大腿部に重傷
 後
 防護巡洋艦「須磨」
 戦艦「鹿島」
 海防艦「見島」
 駆逐艦「陽炎」
 各艦勤務
 並行し
 海軍砲術学校普通科学生
 海軍水雷学校普通科学生
 卒業後
 駆逐艦「春雨」
 装甲巡洋艦「阿蘇」
 三等巡洋艦(練習艦)「宗谷」配属
 「宗谷」で
 37期少尉候補生訓練
 井上成美
 草鹿任一
 小沢治三郎
 鮫島具重
 を指導
 ↓↑
 1909年(明治四十二年)
 アメリカ=亜米利加・米国に駐在
 1911年(明治四十四年)
 海軍大学校乙種学生卒業
 海軍砲術学校
 海軍経理学校
 教官
 兵器学講座担当
 ↓↑
 1913年(大正二年)12月
 海軍大学校入学
 1915年(大正四年)
 旧長岡藩家老の
 山本家を相続
 海軍省に対する
 山本家入籍および改姓届出
 9月20日付
 ↓↑
 1916年(大正五年)12月
 海軍大学校卒業
 1917年(大正六年)1月
 腸チフス罹患
 虫垂炎
 姪の看護師
 「高野京」
 が看病
 1917年(大正六年)7月
 海軍省軍務局員
 海軍教育本部第一勤務
 「三好礼子」
 と
 8月31日に結婚
 ↓↑
 1919年(大正八年)4月5日
 アメリカ駐在受命
 ハーバード大学留学(~1921年5月5日)
 砂糖と塩
 アメリカでプラント大量生産され
 市場で大量消費
 されていること知った
 山本はコーヒーに
 多量の砂糖を入れて飲む
 「甘党」だった・・・
 ↓↑
 1921年(大正十年)7月19日
 帰国後
 軽巡洋艦「北上」副長
 海軍大学校教官(軍政学担当)
 1年後
 海軍大学校教頭に
 「山本英輔」
 が着任し
 海戦航空機観に影響された
 1922年(大正十一年)
 「井出謙治」
 大将と共に欧州・米国を視察
 ロンドン滞在中に
 関東大震災が発生
 ↓↑
 1922年
 ワシントン海軍軍縮条約
 八八艦隊計画により建造されていた
 長門型戦艦二番艦「陸奥」が問題
 アメリカが
 コロラド級戦艦三隻
 イギリスが
 ネルソン級戦艦二隻を建造し
 「陸奥一隻のために
  アメリカとイギリスを強くしすぎた」
 と皮肉・・・
 ↓↑
 「山本英輔」
 の推薦により
 砲術から航空へ転科
 1924年(大正十三年)
 9月
 霞ヶ浦航空隊付
 12月
 教頭兼副長に補
 「三和義勇(副長付)」
 から
 航空機の操縦を学んだ
 ↓↑
 1925年
 日本初の空母
 「鳳翔」完成
 ↓↑
 1925年(大正十四年)12月
 駐米大使館付武官
 アメリカ滞在
 航空隊在任は1年3ヶ月で
 「天洋丸」
 乗船の山本の頭上を
 航空隊の部下達が編隊で見送る
 ↓↑
 1927年(昭和二年)8月24日
 「美保関事件」
 軽巡洋艦「神通」艦長
 「水城圭次」が自決し
 「死を以て責に任ずるという事は
  我が武士道の根本である」
 と・・・
 何百人、何千万人の死の責任を
 お前一人の死で責任が取れると思うなョなッ!!
 ↓↑
 1928年(昭和三年)
 3月帰国後
 8月
 軽巡洋艦「五十鈴」艦長
 水雷学校で
 海軍は航空主兵
 対米作戦で
 ハワイ攻撃の発言・・・
 4ヵ月後
 多段式空母「赤城」艦長
 ↓↑
 1929年(昭和四年)11月
 海軍少将
 ロンドン軍縮会議に
 次席随員
 山本と
 「山口多聞」
 は軍縮案に強硬に反対
 ↓↑
 1930年(昭和五年)12月
 海軍航空本部技術部長
 1932年(昭和七年)
 山本は海軍航空機の
 国産、全金属、単葉機
 の3つを掲げ
 単葉機の着艦距離が
 延びることが問題になったが
 山本は
 母艦発着甲板を長くせよと指導
 ↓↑
 1933年(昭和8年)夏
 横須賀海軍航空隊研究会において
 「日高実保(大尉、海兵50期)」
 が雷撃訓練に
 対空砲火
 敵戦闘機
 の妨害の概念を取り入れるよう主張
 遠距離での発射を見越した
 高々度高速発射砲
 魚雷の改善を求め
 「柴田大尉」
 が戦闘機の
 機銃の射程延長
    照準器
    兵器弾薬
 の発明の必要性を訴えると
 山本が2人の意見を言語道断と否定
 柴田は
 「上に
  山本のような
  わけのわからないのがいると
  必ず負ける
  歴史を無視した精神偏重で
  戦闘機や技術開発に
  努めるべきだったのに
  山本には能力も英知も欠けていた」
 と批判・・・
 10月
 第一航空戦隊司令官
 空母「赤城」に座乗
 ↓↑
 1934年(昭和九年)
 「赤城」の第一航空戦隊研究会で
 横空分隊長
 「源田実」大尉は
 敵の航空母艦を先制制圧するため
 急降下爆撃機を善用
 航続距離の延伸
 操縦性の軽快さ
 戦闘機としての
 流用等を考慮した
 「単座急降下爆撃機」
 を考案し
 戦闘機と攻撃機の半数ずつを
 これと入れ替える意見に
 山本は
 攻撃に使用すべきであるとしつつ
 航法上の安全性から
 二座になると却下
 ↓↑
 9月20日
 第二次ロンドン海軍軍縮会議予備交渉
 海軍側首席代表
 予備交渉は中断
 ↓↑
 1935年(昭和十年)
 2月
 シベリア経由で日本に帰国
 12月
 海軍航空本部長
 直接部下
 「草鹿龍之介」
 手相骨相鑑定家
 「水野義人」
 を海軍航空本部嘱託に採用
 航空搭乗員採用試験応募者の
 手相・骨相を鑑定させ
 採用・不採用の参考とした・・・
 ↓↑
 航空本部
 教育部長
 「大西瀧治郎」大佐
 の航空主兵論と
 艦政本部長
 「中村良三」大将
 の大艦巨砲主義論
 対立
 1936年(昭和十一年)
 2月
 「二・二六事件」
 11月25日
 日独防共協定
 12月1日
 海軍次官
 1937年(昭和十二年)12月
 高松宮宣仁親王(海軍少佐)
 軍令部着任
 ↓↑
 盧溝橋事件
 「支那事変」に拡大
 「第二次上海事変」
 8月
 駐華イギリス大使
 ナッチボルー・ヒューゲッセン
 日本軍機の誤爆で負傷
 12月
 「パナイ号事件」
 海軍航空隊が
 米砲艦を誤爆
 1938年(昭和13年)11月25日
 米内が
 南シナ海の
 海南島占領計画を
 五相会議で提案閣議了承
 海軍軍令部
 (次長・古賀峯一
  第一部長・宇垣纏
  第一部
  第一(作戦)課長・草鹿龍之介)
 も賛同し
 1939年(昭和14年)
 2月
 日本軍は海南島を軍事占領
 欧米列強との関係は悪化
 4月
 航空本部長兼務
 ↓↑
 山本は
 日独伊三国同盟
 の締結に対し
 米内光政
 井上成美
 らと共に反対
 山本達の反対理由は
 英米との関係が悪化し
 支那事変解決が難しくなる
 日ソ開戦の場合
 ドイツは距離が遠すぎて
 援助・支援が期待できない
 ドイツとイタリアに
 中国大陸の権益を要求される懸念
 ↓↑
 「ノモンハン事件」
 日本とソ連が軍事衝突
 8月23日
 ドイツはソ連と
 独ソ不可侵条約を締結
 日独伊三国同盟第一次交渉頓挫
 ↓↑
 1939年(昭和14年)
 8月30日
 第26代連合艦隊司令長官
 兼
 第一艦隊司令長官
 連合艦隊司令長官就任は
 采配・指揮能力を買われたものではなく
 三国同盟に
 強硬に反対する山本が
 軍部内の
 三国同盟賛成派勢力
 や
 右翼勢力により
 暗殺される可能性を
 米内が危惧し
 一時的に海軍中央から
 遠ざけるための人事・・・
 ↓↑
 1940年(昭和15年)
 第二次世界大戦緒戦
 ナチス・ドイツ
 ヨーロッパ全域を掌握
 日本海軍も親独傾向・・・
 ↓↑
 9月15日
 海軍首脳会議
 調印賛成の方針が決定
 9月27日
 日独伊三国同盟に調印
 日本海軍の海南島占領
      北部仏印進駐
 ↓↑
 1941年(昭和16年)
 1月7日
 海軍大臣
 「及川古志郎」
 への書簡『戦備ニ関スル意見』にて
 「真珠湾攻撃構想は既に昨年11月下旬
  一応口頭にて進言せる所と概ね重複す」
 と真珠湾攻撃を検討していた
 8月11日
 連合艦隊司令長官再任
 9月
 「戦艦は2隻あればいい
  戦力としてではなく
  連合艦隊の旗艦と
  その予備艦としてだ
  通信施設と居住施設は
  よくしなければいかん」
 と語った
 ↓↑
 第一航空艦隊参謀長
 「草鹿龍之介」
 は真珠湾攻撃に反対立場
 戦艦「長門」にいた山本を訪れ
 反対論を展開
 山本は大西と草鹿に
 「ハワイ奇襲作戦は断行する
  両艦隊とも
  幾多の無理や困難はあろうが
  ハワイ奇襲作戦は
  是非やるんだという
  積極的な考えで
  準備を進めてもらいたい」旨を述べた
 山本は草鹿を「長門」の舷門まで見送り
 「真珠湾攻撃は
  最高指揮官たる私の信念だ
  どうか私の信念を実現することに
  全力を尽くしてくれ」
 とを草鹿の肩を叩いた・・・
 ↓↑
 1941年(昭和16年)
 9月
 海軍大学校で
 真珠湾攻撃図上演習
 第一航空艦隊は
 空母3隻が沈没・1隻が大破
 連合艦隊参謀長
 「宇垣纏」
 によって
 沈判定は取り消し・・・
 10月19日
 空母4隻
 赤城、加賀、蒼龍、飛龍
 での奇襲作戦は承認
 翔鶴型航空母艦2隻
 翔鶴、瑞鶴
 を含む6隻という
 山本の希望は容認されず
 連合艦隊参謀が軍令部に派遣され
 「職を賭しても
  断行する決意である」
 と伝えられ
 軍令部総長
 「永野修身」
 の一言で
 軍令部側は6隻使用を認めた
 海軍大臣
 「嶋田繁太郎」
 に対する
 10月24日付の書簡で
 「開戦劈頭有力な航空兵力によって
  敵本営に斬り込み
  米海軍をして
  物心ともに
  当分起ち難いまでの
  痛撃を加えるほかなしと
  考えることに立ち入った次第です」
 と述べ嶋田は
 「ハワイ奇襲攻撃作戦」に許可
 山本は
 「この作戦が採用されなければ
  長官の職責を
  遂行する自信ないから辞任する
  この作戦に失敗すれば
  戦争は終わりだ」
 と漏らしていた・・・
 ↓↑
 13日
 呉にて
 各艦隊指揮官に
 大海令第一号
 「X時=12月8日」
 と明かし
 12月2日
 軍令部に事前の宣戦布告を確認
 12月3日
 昭和天皇に拝謁、勅語を賜り
 侍従武官
 「城英一郎」
 が山本の奉答文を届けると
 天皇は三度読み返し
 満足げな表情を浮かべた・・・?
 ↓↑
 「真珠湾攻撃の目標」
 敵の主力機動部隊を
 緒戦で壊滅させ
 戦意をくじく
 心理的効果と
 敵の機動力の喪失
 甲標的母艦
 「千代田」艦長
 「原田覚」
 より真珠湾攻撃での
 「甲標的」=日本海軍の特殊潜航艇
       兵装として
       魚雷2本を艦首に装備
       鉛蓄電池によって行動する
       小型潜航艇
       潜水艦甲板から水中発進し
       敵港湾の戦艦を攻撃
       後に
       ディーゼルエレクトリック
       採用 
 の使用を具申されたが
 攻撃後の収容困難で
 不採用としたが
 何度も陳情があり採用
 真珠湾攻撃に赴く
 甲標的搭乗員10名と対面し
 山本は直筆の揮毫を渡した・・・
 ↓↑
 1841年
 真珠湾攻撃(12/8)
 マレー沖海戦(12/10)・・・
 ↓↑
 1942年
 6月5日
 ミッドウエイ海戦
 (Battle of Midway)
 日本軍はミッドウェー島攻撃中に
 敵機動部隊から攻撃を受け
 南雲艦隊の主力空母4隻他を喪失
 ↓↑
 1942年(昭和17年)6月5日
 アメリカ合衆国標準時
  6月4日~7日(6月3日~5日)
 中部太平洋上の
 アメリカ合衆国領
 ミッドウェー島付近の海戦
 同島攻略をめざす
 日本海軍を
 アメリカ軍が迎撃
 日本海軍空母機動部隊
 と
 アメリカ海軍空母機動部隊
 および
 同島基地航空部隊との航空戦の結果
 日本海軍は投入
 空母4隻と
 艦載機約290機の全てを喪失
 ・・・
 ガダルカナル島の戦い
 1942年(昭和17年)
 8月
 アメリカ軍
 ガダルカナル島に来襲
 日本軍飛行場を占領
 ↓↑
 1943年(昭和18年)
 4月7日
 ソロモン、ニューギニア方面
 海軍航空兵力による
 「い号作戦」
 アメリカ海軍
 駆逐艦、コルベット艦
 油槽船、商船
 航空機25を喪失
 16日終了
 ↓↑
 「海軍甲事件」
 山本は
 ブーゲンビル島
 ショートランド島
 の前線航空基地の将兵の労で
 ラバウル~ブーゲンビル島
 のブイン基地を経て
 ショートランド島の近くにある
 バラレ島基地に
 赴く前線視察計画
 艦隊司令部から関係方面に打電
 ↓↑
 アメリカ海軍情報局
 4月17日
 「武蔵」から発信された
 暗号電文を解読
 前線視察の情報を得
 ニミッツは
 南太平洋方面軍司令官
 ウィリアム・ハルゼー
 命令書を作成
 ↓↑
 4月18日午前6時
 山本
 連合艦隊司令部は
 第七〇五航空隊の
 一式陸上攻撃機2機に分乗し
 ラバウル基地を発進
 山本は1号機
 宇垣は2号機
 に搭乗
 零式艦上戦闘機6機に護衛され
 ブイン基地へ移動中
 ブーゲンビル島上空で
 アメリカ陸軍航空隊の
 P-38ライトニング16機に
 襲撃・撃墜され
 戦死
 翌日になって
 山本機と山本らの遺体を発見
 ↓↑
 粟=西+米=泡沫・・・西欧米国?
 Midway=中途・中央の半端・・・
 日付変更線近くの敗戦で・・・
 泡沫(あわ・ホウマツ)となる・・・
 ↓↑
 「阿波=安房」の國
 ↓↑
 日付変更線
 国際日付変更線
 (International Date Line・略IDL)
 ↓↑
 12/31←西経←経度000度→東経→1/1
 ほぼ
 経度180度の
 01/01←西経←経度180度→東経→1/2
 ↓↑
 1月2日
 午前10時~23時間をマイナスすると
 1月1日
 午前11時になり
 日付が1日ずれる
 経度180度あたりに
 日付変更線を設定
 ↓↑
 1878年(明治十一年)
 『実測東京全図』
 葵町を通る
 子午線が
 本初子午線とされた
 ↓↑
 1884年
 国際子午線会議
 1886年(明治19年)
 7月13日の勅令
 「本初子午線
  經度計算方及標準時ノ件」で
 「グリニッジ子午線」
 を
 「本初子午線」と設定
 京都 東経135度74分
 東京 東経139度45分10秒
 ↓↑
 世界各地の標準時のずれによって
 暦の日付に違いが生じないように
 取り決めた太平洋上の線
 経度180度近辺に沿って設定
 ↓↑
 世界で一番早く一日を迎える国
 「キリバス」国
 太平洋に浮かぶ
 33の島々で構成された小国
 ↓↑
ーーーーー
 ・・・???
 妄想を申そうすれば「申=さる=猨・猿」
            =上海
 ・・・「上海帰りのリル」を知らないカナ・・・
 溺死した「サルタびこ」って?
 ↓↑
 ・・・猨田毘古=底度久  御魂
 (度久 二字 以音)⇔テイトク
           =綴讀(説句)=提督?

        =都夫多都 御魂
       (自都下 四字 以音)
        ⇔トブタト=説部他説
             =飛(翔)無發?

        =阿和佐久 御魂
       (自阿至久 以音)
        ⇔アワサク
        =併作
        =粟(西米)策?
 ↓↑
 爾
 日子番能邇邇藝 命
 將 天降之時
 居 天之八衢而
   上光 高天原
   下光 葦原中國之神
 於是有。
 故 爾
 天照大御神
 高木神之命
 以
 詔
 天宇受賣神
 「汝者、
  雖 有 手弱女人
  與 伊牟迦布神
  (自伊至布以音)
  面勝神
 
 故
 專 汝 往
 將
 問者
 『吾御子
  爲
  天降之道
  誰如
  此而居』」

 故
 問
 賜 之時

 答
 白
 「僕者 國神
  名 猨田毘古 神也
  所
  以
  出居者
  聞
  天神 御子
  天降坐故
  仕奉
  御前而
  參向之侍」

 故其
 天忍日命
 此者
 大伴連
 等之祖
 天津久米命
 此者
 久米 直
 等之祖也

 於
 是詔之
 「此地者
  向
  韓國 眞來通
  笠紗 之 御前而
  朝日 之 直刺國
  夕日 之 日照國也
  故
  此地 甚吉地」
 
 詔而
 於
 底津石根 宮柱
 布斗斯理
 於
 高天原
 氷椽 多迦 斯理
 而坐也。
 故
 爾詔
 天 宇受賣 命
 「此立 御前 所仕奉
  猨田 毘古 大神者
  專
  所顯申之汝
  送奉
 亦
 其神
 御名者
 汝
 負仕奉」

 是以
 猨女君等
 負其
 猨田毘古
 之 男神 名而
 女呼
 猨女君
 之 事是也

 故其
 猨田 毘古 神
 坐
 阿邪訶
 (此三字 以音)
 地名
 時
 爲
 漁而
 於
 比良夫貝
 (自比至夫以音)
 其手
 見咋合而
 沈溺
 海鹽
 故其
 沈居 底之時名、
 謂
 底度久御魂(度久二字以音)、
 其海水 之 都夫多都 時名、
 謂
 都夫多都 御魂(自都下四字以音)、
 其
 阿和佐久 時名、
 謂
 阿和佐久 御魂。(自阿至久以音)。
 於是
 送
 猨田毘古 神 而還到、
 乃
 悉 追聚
 鰭 廣物
 鰭 狹物
 以問言
 「汝者 天神御子 仕奉耶。」
 之時
 諸魚皆
 「仕奉」
 白之中
 海鼠 不白
 爾
 天 宇受賣 命
 謂
 海鼠
 云
 「此口乎
  不答
  之口」而
 以
 紐小刀
 拆
 其口
 故
 於今
 海鼠 口 拆也
 是以
 御世
 嶋 之 速贄獻 之時、
 給
 猨女君等也。
 ↓↑
ーーーーー
 サンボン(簒本)
 五十六(5+6=11)・・・
 「山本五十六」?
 ・・・
 ↓↑ ↓↑
 移転したボクの「HP」の(中途半端な)目次
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm

 ボクの動画・YouTube
http://www.youtube.com/user/merikiri

 「プラトン古事記をカタル」は少しづつ移転
http://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/tag/%E3%82%B3%E3%82%B8%E3%82%AD%E3%81%AE%E6%96%87%E5%AD%97%E6%8E%A2%E7%B4%A2

 「プラトン古事記をカタル」+〈表紙・画像・音楽」
https://haa98940.wixsite.com/mysite

 本日の「干支歴」⇔移転したボクの「HP」に連係・連繋
http://meisiki.bake-neko.net/

旧「HP」の移転住所
http://meisiki.bake-neko.net/kkmokuji.htm

モウ君の総合目次(倉庫入り昔のぺ-ジです)では若干覗(覘)けるカモ・・・
http://web.archive.org/web/20090607215808/http://www1.odn.ne.jp:80/~haa98940/jyobun/jyobun.htm

 ・・・興味があるなら・・・ドウゾ・・・

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「蟻(あり)と螽斯(きりぎりす)」も大変

2021-08-27 21:31:30 | 古事記字源

 「トルソ(伊: torso)」・・・?
 ヤッタぁ~!!
 2021年8月27日
 祝
 大谷翔平
 対オリオールズ シリーズ
 3戦目~第1打席目
 41号ホームラ~ン!!!!
 先頭打者本塁打
 7試合ぶり ベーブ・ルース生誕の地
 ボルティモアで初アーチ


 ↓↑
 体調が狂う・・・日毎の温冷の差・・・「トルソ(伊: torso)」・・・芋虫?
 ・・・「北風と太陽」・・・「南風or颱風&太陽」・・・
 「蟻(あり)と螽斯(きりぎりす)」も大変だぁ~
  ↓↑
 『伊曾保物語』=「伊蘇普物語」
  伊=亻+尹
  ↓↑亻+⺕+丿
    亻+⺕(ヨ・彐=彑)
    イ
    かれ
    かの
    これ
    この
    ただ
    第三人称
    語調の助詞
 ↓↑
 尹=イン
  =長官・監督
   漢姓の一
  「少昊金天」氏の一族
  『通志』氏族略
  「少昊金天氏の子
   殷が尹城
  (河南省宜陽県の北西
   新安県の南東 or
   山西省隰県の北東)
   に封ぜられ
  「工正」に任ぜられ
  「尹殷」と呼ばれ
   封邑をもって姓とした
  「応劭が著した
  『風俗通義』
   商代初期の相国
   伊尹の子孫の一支族が
   伊尹の官職である
   尹を姓とした」・・・
 ↓↑
 咿=イ
   人や動物の声
   物の音などの擬声語
  「喔咿(アクイ)」
   つくり笑い・無理に笑う
 ↓↑
 蛜=虫+伊
   虫+亻+尹
   イ
  「蛜蝛(イイ)」
   虫の名・草鞋虫(わらじむし)
  「䗧蛜(コウイ)」
   昆虫の名・蜻蛉(とんぼ)
 ↓↑
 洢=氵+伊
   氵+亻+尹
   洢水=湖南省の川の名
      伊河
 ↓↑
 曾=八+口+小+日=曽=丷+田+日
   丷+口+小+日
   丷+口+⺌(⺍)+日
   ゾ・ソウ・ソ・ゾウ
   かさなる
   かつて
   すなわち
   ます
   これまで・以前に
   幾重にもかさなる
   ふえる・ふやす=増
  「すなわち」と読み
  「ところが・なんと
   いったいぜんたい」
   などの意
 「曽遊・未曽有(ミゾウ)・曽孫」
  ↓↑ 
  保=イ+口+十+八・・・人の口が壹を拾って捌く
  ↓↑
  物=牛+勿=𠂉+十+勹+リ(ノノ)・・・
    勿=無・毋・亡・莫=存在、事態の否定
       動詞に係り、「禁止」の意
     勿(なか)れ・勿来関(なこそのせき)
     勿論(モチロン)・勿怪(モッケ)の幸い
     勿体無い(モッタイな)い
     勿忘草(わすれなぐさ)
  ↓↑
  語=言+吾(あ・ゴ・己・私・我・俺)
  ↓↑
 「伊蘇普物語」
   蘇=蘇(よみが)えり・・・蘇我
   普=並+日
     䒑+业+日
     丷+一+业+日
   暜=竝+日
     立+立+日
     フ
     あまねく
  ・・・アマ
     海女・海部・天・雨
     ネク
     音句・根来
     ア・マ・ネ・ク
     阿 毎 嶺 九
     あまねし
     広く行きわたる
  ↓↑
 「太陽神アポロンと北風の神ボレアスの話」
 「ガチョウと黄金の卵」
 「カラスと水差し」
 「からすときつね・騙されたからす」
 「鳥と獣と蝙蝠=卑怯なコウモリ」・・・
 「ろばを売りに行く親子」
 「カラスは洗って白くなることはない」・・・
 「金の斧」・・・
 ↓↑
 『イソップ寓話(Aesop's Fables)』
 紀元前6世紀
 「アイソーポス」・・・愛想を干す・・・母の諏?
 という奴隷がが作った寓話集
 (ヘロドトス歴史)
 ↓↑
 1593年(文禄2年)
 日本
 『エソポのハブラス
  (ESOPO NO FABVLAS)』
 として紹介され
 イエズス会の宣教師が
 ラテン語から翻訳したもの
 天草の
 コレジオ(イエズス会の学校)
 で印刷されたローマ字のもの
 後
 江戸時代初期から
 『伊曾保物語』
 として各種出版
 内容は
 現在のイソップ寓話集と異なる話も収録
 宣教師向けの
 『イソポのハブラス (ESOPO NO FABVLAS)』
 と、読み物としての
 『伊曾保物語』
 の間に相違
 明治
 英語からの翻訳
 幕臣の学者
 沼津兵学校校長の
 「渡部 温」の
 『通俗伊蘇普物語』
 が修身教科書にも取り入れられた・・・
 ↓↑
 16~17世紀
 「エジプト神話」も
 イエズス会宣教=耶穌会(やそかい)
        =ジェズイット (Jesuit) 教団
 や
 「伊東 マンショ(主席正使)」・・・「伊の東の萬書」?
  伊東 満 所
 大友義鎮(宗麟)の名代
 宗麟の血縁
 「日向国主」
 「伊東 義祐」の孫
 or
 日向(宮崎県)
 都於郡(とのこおり)城主
 「伊東 祐青」の子で、名は祐益(すけます)
 「臼杵」で受洗
 教名 マンショ(Mancio・満所)
    万(萬)書?
 後年、司祭に叙階
 ↓↑
 天正遣欧少年使節
 1582年(天正10年)2月20日(旧暦1月28日)
 長崎港を出港
 ローマへ派遣された4名の少年
 ↓↑
 使節
 伊東マンショ(主席正使)
 ↓↑
 千々石ミゲル(正使)
  大村純忠の名代
  純忠の甥
  有馬晴信の従兄弟
  後に棄教
 ↓↑
 中浦ジュリアン(副使)
 司祭に叙階
 1633年
 長崎で穴吊るしの刑で殉教
 ↓↑
 原マルチノ(副使)
 司祭に叙階
 1629年
 追放先のマカオで死去
 ↓↑
 随員
 ジョルジェ・ロヨラ修道士
 使節の教育係・日本人
 ↓↑
 コンスタンチノ・ドラード
 印刷技術習得要員・日本人少年
 ↓↑
 アグスチーノ
 印刷技術習得要員・日本人少年
 ↓↑
 アレッサンドロ・ヴァリニャーノ神父
 職務によってゴアにとどまる
 ↓↑
 ヌーノ・ロドリゲス神父
 ヴァリニャーノの後を継いで随行
 ↓↑
 ディオゴ・メスキータ神父
 通訳・イエズス会員
 ↓↑
 ロレンソ・メシア神父
 オリヴィエーロ修道士
 ↓↑
 1590年(天正18年)
 に帰国
 彼らの持ち帰った
 グーテンベルク印刷機によって
 日本語書物の活版印刷された
 ↓↑
 1585年(天正13年)3月23日(旧暦2月22日)
 ローマ教皇グレゴリウス13世に謁見
 ローマ市民権を与えられる
 ↓↑
 1590年7月21日(天正18年旧暦6月20日)
 使節団長崎に帰港
 ↓↑
 などによって
 「エジプト神話」も
 同時期に日本に伝えられたか・・・?
 ヤッパ、確実なのは「幕末・明治初期」か・・・?
ー↓↑ーーーー
 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」
 1862年7月14日
 ~
 1918年2月6日
 ↓↑
 と生涯が重なる日本人は
 ↓↑
 1862年1月21日~1862年4月7日
 品川~パリ(巴里)到着の
 「文久遣欧使節
  第1回遣欧使節
  開市開港延期交渉使節
  1863年第2回遣欧使節団
  横浜鎖港談判使節団
  文久二年十二月十一日・・・11日・壱拾壱日
  1863年1月30日」
 ↓↑
 正使・竹内下野守(56歳)
    文化4年(1807年)
    ~
    慶応3年2月1日(1867年3月6日)

 副使・松平石見守(33歳)
    文政13年5月26日(1830年7月16日)
    ~
    明治37年(1904年)7月5日
    改名
    松平康直~松平康英~松井康英
    別名
    万太郎・・・萬太郎⇔太安萬侶?
    陸奥棚倉藩主→武蔵川越藩

 目付・京極能登守(39歳)
    ?~元治元年10月29日
     (1864年11月28日)

 組頭・柴田貞太郎(46歳)
    文政6年1月17日
    (1823年2月27日)
  ~
    明治10年
    (1877年8月24日)
    外国奉行・函館赴任
    通称
    貞太郎・日向守
    雅号
    恬斎
    慶応元年(1865年)
    製鉄所建設と
    軍事調査のため
    再び仏英に派遣
    グラバーに対抗するため
    隠密を暗躍させていた

 勘定・日高圭三郎(33歳or26歳)

 勘定格徒目付・福田作太郎(36歳)

 目見持格調役並
   水品楽太郎(32歳)=水品梅処
   岡崎藤左衛門(27歳)

 医師・高島祐啓(31歳)
    文政4年(1821年)
    ~
    慶応4年閏4月18日
   (1868年6月8日)
    漢方医・幕府奥医師
    諱
    久貫

 雇医・川崎道民(31歳)
    天保2年(1831年)
    ~
    明治14年(1881年)
    佐賀藩医
    長崎海軍伝習所参加
    1860年万延元年遣米使節
    1862年文久遣欧使節
    随行医師
    報道・新聞・写真等を学び
    明治5年(1872年)
    最初の新聞
   『佐賀県新聞』創刊
    佐賀の
   「写真技術の元祖」

 普請役・益頭駿次郎(36歳)

 定役元締助・上田友助(45歳)
       上田敏の母方祖父

 定役・森鉢太郎(29歳)

 定役
 通弁御用
 福地源一郎(22歳)
 天保12年3月23日
 (1841年5月13日)
   ~
  明治39年(1906年)1月4日
  政論家・劇作家・小説家
  幼名
  八十吉(やそきち)
  号
  星泓~櫻癡(おうち・桜痴)
  吾曹
  「江湖新聞」発刊
  大蔵官僚
  「東京日日新聞社」主筆・社長
  演劇改良運動
  活歴劇創始
  改修物・翻案物
  時代物・世話物を創作
  衆議院議員
  明治12年(1879年)
  リットン
  『マネイ(人間万事金世中)』
  など
  フランスやイギリスの
  戯曲や小説を翻案し
  河竹黙阿弥
  三遊亭圓朝
  に提供

 定役並
 通弁御用
 立 広作(22歳) 立 作太郎の叔父
 同・太田 源三郎

 同心・斉藤大之進(39歳)
    前年東禅寺事件の警護により
    英政府より褒賞

 小人目付・高松彦三郎(44歳)

    同・山田八郎(41歳)

 翻訳方御雇・松木 弘安(35歳)=寺島宗則
 兼医師
 寺島 宗則・・・字問う志の規則?
 天保3年5月23日
 1832年6月21日
  ~
 明治26年
 1893年6月6日
 爵位 伯爵
 元名
 松木 弘安
 通称
 寺島 改姓後 陶蔵
 日本の電気通信の父
 第4代外務卿
 薩摩国
 出水郡
 出水郷
 脇本村
 字 槝之浦
 (阿久根市
  脇 本字
  ・・・脇・腋・和気・和木
     話記⇔訳
     槝之浦)・・・「槝」は国字
     槝(かし)=木+島=水底に立てる杭
     搗(つく)=扌+島
     郷士
     長野 成宗の次男
     安政3年(1856年)
    「蕃書調所教授手伝」
     薩摩藩主
     島津斉彬の侍医・・・ジイ=辞意・字異?
     後
     蕃書調所に復帰
     文久元年(1861年)・・・文究頑撚?
              頑=元+頁=かたくなに
     遣欧使節団
     西洋事情探索要員・・・探索要員⇔新作要因?
     文久2年(1862年)
     文久3年(1863年)
     薩英戦争
     五代 友厚・・・・語代有効(遊行)?
     とともに
     イギリス軍の捕虜・・・英吉利句務?
     慶応元年(1865年)
     薩摩藩遣英使節団参加
     慶応3年(1867年)11月
    「版籍奉還の建白書」
     を藩主
     島津 忠義に提出
     明治元年(1868年)
     スペインと
    「日西修好通商航海条約」
     の締結に関わり
     同4年(1871年)
     ハワイ(布哇・Hawaii)王国と
    「日布通商条約締結」
     の日本側全権大使
     明治5年(1872年)
     初代の在イギリス日本公使
     明治6年(1873年)
     参議兼外務卿
     関税自主権回復を目指し
     諸外国との条約改正に臨み
     挫折
     明治12年(1879年)
     外務卿辞職
     後
     文部卿・元老院議長
     在アメリカ日本公使
     枢密顧問官・枢密院副議長
     歴任
     明治17年(1884年)
     伯爵
     翌年
     東京学士会院会員
     明治22年(1889年)
     枢密院の
     憲法制定の御前会議で
     枢密顧問官の
     寺島宗則は
     議長
     伊藤博文の
     憲法草案には
     帝国議会に
    「発議権」を付与する項目がないとし
     これを付与すべきと主張
     憲法上に
     帝国議会の
    「発議権」を明記させた
     ↓↑
     議員が議案を議院に提出し
     審議を求める権限

 同・箕作 秋坪(36歳)
   ・・・箕=竹+其(基)
        み・キ
        大ざる
        塵取=地理取り?
        穀物に
        まざった不要なものを
        振るい分ける農具
        振意=ルビの小文字
        舊い訳
        降る委の和家?
        足を投げ出して座ること
        二十八宿の一つ・みぼし
    「箕帚(キソウ)・箕斂(キレン)」
   文政8年12月8日
  (1826年1月15日)
   ~
   明治19年(1886年)12月3日
   洋学者(蘭学者)
   教育者
   啓蒙思想家
   諱  矩
   通称 文蔵
   号  宜信斎
  「菊池 慎」の子・・・?
   幕府天文方で翻訳従事
   安政6年(1859年)
   幕府蕃書調所(東京大学)教授手伝
   慶応2年(1866年)
  「樺太国境交渉」の使節で
   ロシア派遣
   三叉学舎開設
   慶應義塾と双璧の塾
   東郷 平八郎
   原  敬
   平沼 騏一郎
   大槻 文彦
   なども学ぶ
   専修学校(専修大学)開設で
   法律経済科を設置し
   創立者の
  「相馬 永胤」
   らに教授を任せる
   明治12年(1879年)
   教育博物館(国立科学博物館)館長
   明治18年(1885年)
   東京図書館
  (帝国図書館・国立国会図書館)館長
   東京師範学校摂理
   明治6年(1874年)
   森 有礼
   らと
  「明六社」創立、社長就任
   明治12年(1879年)
   福澤 諭吉
   西  周
   加藤 弘之
   らと
   東京学士会院創設参画
   創立会員7名の一人

 同・福澤 諭吉(29歳)
   天保5年12月12日
   〈1835年1月10日〉
   ~
   明治34年
   〈1901年2月3日)
      大運1893年6月(58歳)癸未劫財
  甲午(丙 丁)食神・偏財 胎⇔庚子偏印
 ┏丁丑(癸辛己)正財・劫財 衰⇔己丑正官
 ┗壬寅(己丙甲)  ・偏官 病⇔壬子比肩
  丙午(丙 丁)偏財・偏財 胎⇔丙午偏財
   辰巳空亡

 そのほか
 三使節の家来2名ずつ
 柴田の従者1名

 竹内下野守家来・長尾条介
       同・高間応輔

 松平石見守家来・野沢伊久太
       同・市川渡(市川清流)

 京極能登守家来・黒沢新左衛門
       同・岩崎豊太夫

 柴田貞太郎従者・永持五郎次
 賄方並小使雇人7人
 各藩の藩士も含まれていた

 佐賀藩士の石黒寛次
 杵築藩士の佐藤恒蔵(39歳)
 加賀藩士の佐野鼎
 長州藩士の杉徳輔(杉孫七郎)
 阿波藩士の原覚蔵
 伊勢屋八兵衛手代の十兵衛
 ↓↑
 帰国
 と
ーー↓↑ーーーーー
 「1863年第2回遣欧使節団
  横浜鎖港談判使節団」
 の日本人・・・
 34名の外交団員のダレかが・・・
 ↓↑
 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」
 1862年7月14日
 ~
 1918年2月6日
 ↓↑
 と重なる
 人物は・・・
 「益田孝(1848年~1938年)
  中外商業新報(日本経済新聞)創刊
  三井物産設立」
 茶人 鈍翁と号
 佐渡国
 雑太郡
 相川町(新潟県佐渡市相川)
 に生まれる
 幼名 徳之進
 父の
 鷹之助は
 箱館奉行を務めた後
 江戸に赴任

 麻布善福寺の
 アメリカ公使館に勤務
 ハリスから英語を学ぶ
 文久3年(1863年)
 フランスに派遣された父とともに
 遣欧使節団
 (第二回遣欧使節
  横浜鎖港談判使節団)に参加
 帰国後
 幕府陸軍に入隊・騎兵
 慶応3年(1867年)6月15日
 旗本
 慶応4年(1868年)1月
 騎兵頭並
 明治2年(1869年)
 横浜貿易商館
 ウォルシュ・ホール商会の事務員
 「中屋徳兵衛」
 と名乗って輸出商を手掛けた
 大蔵大輔(大蔵次官)の
 井上馨の勧めで
 明治5年(1872年)
 大蔵省
 造幣権頭で
 大阪へ赴任
 新貨幣にきりかえる任
 明治6年(1873年)
 「尾去沢(おさりざわ)銅山汚職事件」
   ・・・尾去沢疑獄事件=尾去沢汚職事件
      708年(和銅元年)
      この銅山発見の伝説・・・
      金銀銅鉛亜鉛などが発掘
   秋田県鹿角市にあった鉱山
   江戸末期
   南部藩は御用商人
  「鍵屋・村井茂兵衛」
   から多額の借財をなし
   証文は
   形式上
   藩から商人村井に
   貸し付けた文面になっていた
   藩所有の尾去沢鉱山は
   村井から借りた金で運営
   書類上は
   村井が藩から鉱山を借りて経営の形
   1869年(明治元年)
   採掘権は
   南部藩から村井に移されたが
   明治新政府
   大蔵大輔の
   長州藩出身の
  「井上 馨」は
   1871年(明治4年)
   この証文を元に返済を求め
   その不能をもって
   大蔵省は
   尾去沢鉱山を差し押さえ
   村井は破産
   井上は
   尾去沢鉱山を競売に付し
   同郷人の
  「岡田平蔵」
   に無利息で払い下げた上
  「従四位井上馨所有」
   という高札を掲げさせ私物化を図った
   村井は司法省に一件を訴え出
   佐賀藩出身の
   司法卿
  「江藤 新平」
   ・・・江戸城無血開城の時
      紅葉山文庫から
      幕府所蔵の書籍を全て
      持ち出した
     「楓山(ふうざん)文庫」とも
   がこれを追及
   井上の逮捕を求めたが
   長州閥が抵抗
   井上は大蔵大輔辞職
   江藤が下野し
  「佐賀の乱」で死刑になり
   真相不明
   尾去沢銅山事件
  (尾去沢疑獄事件、尾去沢汚職事件とも)

 1873年(明治6年)秋
 井上は
 鉱山を手に入れた
 岡田と
 「東京鉱山会社」設立
 翌年1月に
 鉱山経営に
 米の売買
 軍需品輸入
 の貿易会社「岡田組」設立
 岡田の急死(銀座煉瓦街で死体)
 により鉱山事業を切り離し
 同年3月
 益田らと
 「先収会社」を設立
 これが
 「三井物産」へと発展
 で井上が下野し
 益田も職を辞した
 明治7年(1874年)
 井上が設立した先収会社
 東京本店頭取(副社長)就任
 明治9年(1876年)
 「中外物価新報」創刊
 先収会社を改組し
 三井物産設立
 初代総轄(社長)就任
 「渋沢栄一」
 と共に
 幕府騎兵隊時代の同期生の
 矢野二郎(商法講習所所長)を支援
 三井財閥総帥
 「中上川」の死後
 実権を握った
 大正7年(1918年)
 男爵
 弟の
 「益田英作」
 も
 「野々村仁清」作の
 色絵金銀菱文茶碗(重要文化財)
 などに代表される収集家
 箱根強羅の別荘地開発
 大正15年(1926年)
 慶應義塾大学医学部
 に寄附し
 食養研究所設
 と
ー↓↑ーーーー
 「三宅秀(1848年~1938年)
  東京大学初の
  医学博士
  初の名誉教授」
 三宅 秀(みやけ ひいず)
 嘉永元年11月17日
 (1848年12月12日)
 ~
 昭和13年
 (1938年3月16日)
 医師・洋学者
 医学者・貴族院議員
 幼名
 復一(またいち)
 明智光秀
 or
 明智光秀の弟
 の子孫・・・
 「錦鶏間祗候」
 肥前にて
 代々医業
 お玉ケ池種痘所(東京大学医学部)
 の創設に携わった医師
 「三宅艮斎(みやけ ごんさい)」
 の長男として江戸本所で生まれた

 安政4年(1858年)
 川島元成のもとで蘭学を習う
 文久3年(1863年)
 「田辺太一」
 の従者として
 遣欧使節に随行
 元治元年(1864年)
 帰国後
 横浜のヘボン塾(明治学院高校)
 で英学を学び
 元アメリカ海軍医
 ウェッダー(Alexander M.Vedder)
 の助手となり医学を学ぶ
 慶応3年(1867年)
 加賀藩壮猶館で
 英書翻訳や英学教授に従事。
 明治3年(1870年)
 大学へ出仕
 中助教・大助教
 文部少教授を歴任
 明治7年(1874年)
 東京医学校長心得
 明治9年(1876年)
 渡米
 万国医学会の副会長に選任
 明治14年(1881年)
 東京大学医学部長
 医科大学教授
 医科大学長歴任
 明治21年(1888年)
 東京大学 初医学博士
 明治24年(1891年)4月15日
 貴族院勅選議員
 明治36年(1903年)
 東京大学 初名誉教授
 昭和13年(1938年)
 死去 享年91(満89歳)
ー↓↑ーーーー
 ・・・
 1998年
 シチリアとテュニスの間の深海に
 沈没した難破船から紀元前4世紀の
 「青銅のサテュロスのトルソー」
 が引き揚げられた
 「トルソ(伊: torso)」
 人間の頭部・両腕・両脚の
 五体を除いた胴体部分
 「木の幹」や「胴体」を意味する
 ↓↑
 「イーノー(Īnō)」=「イノ」
 テーバイの王女
 「ボイオーティア」の王妃
 死後
 「ゼウス」によって女神とされ
 海の女神
 「レウコテアー(Leukothea)」
 「レウコトエー(Leukothoe)」
 として信仰された
 「レウコテアー」=「白い女神」
ーーーーー
 ・・・

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「こがね・あかがね」色と「硴・卑・椑・柹・柿」色の研究

2021-08-25 00:46:08 | 古事記字源

 アッシリアの
 「サルゴン2世」時代・・・?
  の
 「ミダス」・・・?

  ↓↑
 プリュギア(Phrygia)の
 都市ペシヌス(Pessinus)の王
 ミダス(Midas) ・・・ミダス=見出す?
 ギリシア神話のフリギアの王
      プリュギア(Phrygia)の都市
      ペシヌス(Pessinus)の王 
     ・・・フリギア
       「振り・付利・不離・降り・不利」
        義の蛙(かえる=替える・換える・変える)?
       「経史」の「奴州=奴國」?
 バラの庭師
 息子 「リテュエルセース(Lityerses)」
 娘  「ゾエ(Zoë)=生命」
 イソップ物語
 『王様の耳はロバの耳』
 「ミダース」は
 紀元前8世紀後期の
 プリュギアの王
 プリュギアには
 「ミダース」
 という「同名」を持った多くの王がいた・・・
 彼は
 紀元前709年頃
 アッシリアの
 「サルゴン2世」
  ・・・「猿(申・沙流・猴・狙)の
      言(ゴン=健・僅)の
        ・・・健=ケン=徤・犍・旔・腱
      似姓」?・・・猿田彦・猿女=宇受女・・・?
 の「同盟者リスト」から知られている・・・
 「ムシュキ(Mushki)」
 の王
 「ミタ(Mita)」
 と同一人物

  ↓↑
 「ミダス(Midas)」は
 「ゼウス(ZEUS)」・・・是碓・・・小碓命?
 と
 「セメレー」
 の息子である
 ワイン酒と酩酊の神
 「ディオニューソス (Dionȳsos)」
       ・・・別名「バックス(Bacchus)」
          豊穣神の「リーベル」
          エジプトで
         「オシーリス」と同一視
 の養父
 「シーレーノス」・・・シーレーノス(Sīlēnos・Silenus)
            思惟例得之素?
            セイレーノス(Seilēnos)
            聖 霊重乃州?
            半人半馬の種族で
           「サテュロス」に似ているが
            半馬でなく「半山羊」
            上半身が人間で下半身が山羊
            水の精で予言力を持つ
            牧羊神
           「パーン」と同一
 を助けた礼に
 「ディオニューソス (Dionȳsos)」
 から
 触れるものすべてが
 黄金に化するという願望をかなえられた
 だが
 「ミダース」が
 娘(マリーゴールド)
 にさわったときに娘が
 金の彫像に変わってしまった
 触れた
 食物までもが黄金になってしまい
 空腹に耐えかね
 「ディオニューソス (Dionȳsos)」
 に赦しを乞い魔力から解放された

 ↓↑
 「パーン=シーレーノス」の笛と
 「アポロン」の竪琴の
 音楽競技の判定で
 「アポロン」の竪琴演奏の優位を認めず
 判定の公平さに疑問を唱え
 「アポロン」に
 耳を
 「ロバ(驢馬)の耳」に変えられた・・・
 ↓↑
 日本 建・大和 建(武)・倭 建(武)
      倭男具那命=小碓命
 ↓↑
 建+α・・・建=廴+聿
         肀+二+廴
 犍=牛+建(廴聿)=去勢された牡牛
           bullock=若い牡の去勢牛
 健=イ+建(廴聿)=すこやか・健全・健康
 鍵=金+建(廴聿)=かぎ・鍵穴・鍵盤
 腱=月+建(廴聿)=すじ・アキレス腱
 鞬=革+建(廴聿)=ゆみぶくろ・鞬子・毬
 揵=扌+建(廴聿)=あげる・ふさぐ・
 旔=方+建(廴聿)=すばやい・旔勝=健勝
 楗=木+建(廴聿)=とざし・せき・跛行・片跛
 徤=彳+建(廴聿)=健
 毽=毛+建(廴聿)=羽根おい
           足のかかとで蹴って遊ぶ
                     羽根を用いた玩具   
 湕=氵+建(廴聿)=湕水・湖北省荆門の河名
 煡=火+建(廴聿)=燼・焰餘・燃え滓
 睷=目+建(廴聿)=目數・編み物の目数
 踺=足+建(廴聿)=宙返り・行貌
 騝=馬+建(廴聿)=駵馬黃脊
           騝騝(壯建的樣子)
                     英譯: Matthews=馬太
 鰎=魚+建(廴聿)=鰎(にしん)・鯡・鰊
 䊕=米+建(廴聿)=饘=かたかゆ
            =かた粥
 䭈=食+建(廴聿)=お粥・お粥
 㯬=林+建(廴聿)=いさお・レン
        achievement(アチーヴメント)
                     達成・成就・業績・偉業
 ↓↑
 「金塊の中に居る娘⇔御婦人」・・・
 ↓↑
 「11の謎」⇔妄想を申そうすれば「申=さる=猿」=上海
 ↓↑
 8月22日・日曜日
 『黄金のアデーレ 名画の帰還(原題Woman in Gold)』
 を観た・・・

 「グスタフ・クリムト Gustav Klimt」
 1862年7月14日
 ~
 1918年2月6日
         大運1910年8月(48歳)
               壬子正財
         ~
         大運1920年8月(58歳)
               癸丑偏財
 ┏壬 戌(辛丁戊)正財・食神 養⇔戊午劫財
 ┗丁┏未(丁乙己)偏印・偏印冠帯⇔甲寅正官
  己┣巳(戊庚丙)  ・傷官帝旺⇔甲申正官
  庚┗午(丙 丁)傷官・印綬建禄⇔庚午傷官
    戌亥空亡 室宿己巳   箕宿甲申
 ↓↑
 帝政オーストリアの画家

 古代エジプトの
 「バステト(Bastet)女神=猫神」
 「太陽神ラー」の娘、or 妹や妻
 「ラーの左目」
  ・・・天照御大神は
     伊邪那岐の左目から生まれた
     バステト(Bastet)女神=猫神
     ならば
    「太陽神ラー」=「伊邪那岐=伊弉諾」?
    「日本人」は「エジプト神話」を
     確実に知ったのは・・・
 ↓↑
 文久元年十二月二十二日
 1862年1月21日
 文久遣欧使節
 第1回遣欧使節
 開市開港延期交渉使節
 ↓↑
 英国海軍の蒸気フリゲート
 オーディン号(HMS Odin)で
 品川港を出港
 長崎~英領香港~英領シンガポール
 英領セイロン~英領イエメン
 ~エジプト・スエズに上陸
 鉄道でカイロ~アレクサンドリア
 船で地中海~英領マルタ
 ~マルセイユに入った(4月3日)
 ~パリ到着(4月7日)
 その後
 カレー~英仏海峡を横断
 文久二年四月二日
 1862年4月30日
 イギリス・ロンドン到着
 オールコックの協力を得
 同年5月9日(6月6日)
 日本国内の事情に鑑み(攘夷熱)
 兵庫、新潟、江戸、大坂
 の開港・開市を
 5年延期
 1868年1月1日
 とするロンドン覚書調印
 ↓↑
 その後
 オランダ(6月13日~)
 プロイセン・ベルリン(7月18日~)
 と他国とも同様の覚書を締結
 ↓↑
 その後
 ロシア・サンクトペテルブルク(8月8日~)
 樺太国境画定交渉は合意に至らず
 復路では
 カウナス、プロイセン王国
 フランス帝国(パリ覚書締結)
 を経てポルトガルを訪れた(10月9日~)
 帰路
 英領ジブラルタルを経由
 往路とほぼ同じ行路をたどり
 文久二年十二月十一日
 1863年1月30日
 帰国
 ↓↑
 ロンドン万国博覧会
 滞在
 ロンドン万博の日本コーナーには
 オールコックが収集した品が展示
 5年後
 パリ万国博覧会
 幕府と薩摩藩が参加
 ↓↑
 欧州滞在中の一行の姿は
 「ナダール」
 によって写真に収められた
 ↓↑   ↓↑
 1863年第2回遣欧使節団
 「横浜鎖港談判使節団」
 の日本人・・・34名の外交団員のダレか・・・
 ↓↑
 正使
 池田長発(1837年~1879年)
 目付、火付盗賊改、京都町奉行
 外国奉行、軍艦奉行並
 ↓↑
 副使
 河津祐邦(1821年~1873年)
 勘定奉行、関東郡代、長崎奉行
 外国事務総裁、若年寄
 ↓↑
 佐原盛純(1835年~1908年)
 司法省勤務
 ↓↑
 塩田三郎(1843年~1889年)
 外国奉行支配組頭、外務少輔
 清国特命全権公使
 ↓↑
 杉浦譲(1835年~1877年)
 郵便制度
 東京日日新聞
 富岡製糸場
 を開設
 ↓↑
 尺振八(1839年~1886年)・・・尺振八?
 大蔵省翻訳局長
 ↓↑
 田辺太一(1831年~1915年)
 沼津兵学校教授、岩倉使節団一等書記官
 外務省大書記官、清国臨時代理公使
 元老院議官
 ↓↑
 名倉松窓(1822年~1901年)
 清担当の外交官
 ↓↑
 西成度(1835年~1891年)
 大審院長
 ↓↑
 原田一道(1830年~1910年)
 岩倉使節団に参加
 陸軍少将、元老院議官
 ↓↑
 益田孝(1848年~1938年)
 中外商業新報(日本経済新聞)創刊
 三井物産設立
 ↓↑
 松濤権之丞(1836年~1868年)
 小笠原諸島開拓外国方
 勝海舟配下の軍事方
 江戸無血開城後の
 幕府内の恭順工作に従事
 ↓↑
 三宅秀(1848年~1938年)
 東京大学初の医学博士
 初の名誉教授
 ↓↑
 矢野二郎(1845年~1906年)
 駐米代理公使
 一橋大学の前身機関の校長
 東京商工会議所名誉会員
 貴族院議員
 ↓↑
 横山信道(1826、1827年~1864年)
   敬一
 外国奉行支配定役
 として随行したが
 エジプトで黄熱病に罹り
 1864年4月26日
 マルセイユで死去
 マルセイユに埋葬された
 日本人3人の内の1人
 ↓↑
 谷津勘四郎(小人目付)
 斎藤次郎太郎(徒目付)
ー↓↑ーーーー
 エジプト神話
 古代エジプトの
 「バステト(Bastet)女神=猫神」
 を確実に知ったのは
 ↓↑
 文久三年十二月二十九日
 1864年2月6日
 ~
 元治元年七月二十二日
 1864年8月23日
 外国奉行
 「池田
  筑後守
  長発」
 を正使とし
 江戸幕府が
 フランスに派遣した34名の外交団
 目的は、開港場だった横浜を
 再度閉鎖する交渉
 ↓↑
 孝明天皇
 文久三年五月十日
 1863年6月25日
 「攘夷の勅命」
 幕府は各国公使に
 開港場閉鎖を通達
 諸外国はこれを拒否
 幕府は9日後に撤回
 ↓↑
 元治一(1864) 年八月
 下関事件
 四国艦隊下関砲撃事件
 (馬関戦争・馬関砲撃)
 イギリス・アメリカ
 フランス・オランダ
 の連合艦隊が長州藩に攻撃
 ↓↑
 文久三年旧暦七月二日~四日
 1863年8月15日~17日
 薩摩藩
 と
 グレートブリテン
 アイルランド連合王国
 の間で戦われた戦闘
 ↓↑
 井土ヶ谷事件
 文久三年
 1863年10月14日
 岐郡井土ヶ谷村字下之前
 で攘夷派の浪士が
 フランス人士官
 カミュ(Henri Camus)少尉
 殺傷事件
 ↓↑
 使節団の目的
 フランス士官殺害事件の賠償交渉
 文久三年十二月二十九日
 1864年2月6日
 フランス軍艦
 ル・モンジュ号
 で日本を出発
 上海→インド→エジプト
 スエズ~陸路~カイロ
 途中
 ギザの三大ピラミッド
 スフィンクス
 を見学、記念写真
 ~
 地中海→マルセイユ→パリ
 皇帝ナポレオン3世に謁見
 交渉失敗
 元治元年七月二十二日
 1864年8月23日
 帰国
ー↓↑ーーーー
 「バステト(Bastet)女神=猫神」
 は
 雌ライオンの頭を持つ
 テフヌト
 セクメト
 ハトホル
 などの女神と同一視された・・・
 音楽の神
 ↓↑
 阿蘇山・根子岳
 別名  猫岳(ねこだけ)
    七面山(しちめんざん)
    天狗峰
 熊本県の山域 阿蘇山
 ↓↑
 春秋年=「春~秋=一年」+「秋~春=一年」
    =「壹年(6ヶ月)」+「壹年(6ヶ月)」=貮年
 逑=辶+求
 逑(あ)う・逑(あつ)める
 あつめる・合う
 つれあい・たぐい
 「好逑」=よい配偶者・よい夫婦(めおと)
      好仇(コウキュウ)
 ↓↑
 1863年第2回遣欧使節団の後
 1867年4月~11月
 パリ万国博覧会へ
 幕府、薩摩藩、佐賀藩が参加
 ↓↑
 その後の最大の派遣は
 1871年(明治四年)11月
 明治政府による
 107名が
 横浜を出航
 米、英、仏、ベルギー、オランダ、ドイツ
 など
 13か国を
 約1年10カ月かけて視察
 ↓↑
 ・・・by 『ウィキペディア(Wikipedia)』

 ↓↑
 鮮卑・尊卑
 顰=止+少+頁+卑・・・林檎=リンゴ・🍎=蘋果(りんご)
  (歩く卑のページ)→卑弥呼の書    蘋=艹+歩+頁
                 クサカのアルクのページ
                 日下・草加・草香
                 ↓↑
             禁門の変
                 元治甲子戦争
                 元治元年7月19日
                (1864年8月20日)
                 蛤御門の変
                 元治の変⇔元字の変
                 久坂玄瑞
                 ↓↑
                 苦佐賀⇔佐賀の乱
         1874年(明治七年)2月
                 江藤 新平
                 佐賀藩士・権大参事の苦?
                 島義勇
   或句の           孔舎衙に存在するク
     イヤシイ(俚・陋・傖)
       頁=オオガイ
         大貝・大海
         鴎外・大谷
         森鴎外
         大谷本願寺
         京都府京都市東山区
         浄土真宗本願寺派
        (西本願寺)の
         宗祖親鸞の墓所

 ↓↑
 卑弥呼の
 卑=ノ+田+ノ+十
   甶+丿+十
   丿+田+十=卑
   甶=フツ
     鬼や亡霊の頭
     顋門=ひよめき
       =幼児の
     頭蓋骨の泉門 (センモン)
     骨がまだ接合していないため
     脈動に合わせてひくひく動く
     頭頂のやわらかい部分
     おどりこ・そうもん
   甶=丿+冂+十+一
 ↓↑
 卑=丿+冂+十+ヰ
   睾・睪・圛・驛・釋・嶧・曎
   懌・檡・斁・譯・歝・繹・醳
 ↓↑
 卑=いやしい
   いやしむ
   いやしめる
   へりくだる
   卑=鄙の代用字
     ↓↑
    「鄙語・鄙俗
     鄙劣・鄙陋(ヒロウ)
     鄙猥(ヒワイ)・野鄙」
     鄙=啚+邑(阝)
      「啚」=米倉の象形
      「米倉の在る
       邑(ユウ・むら)」
      「いなか=田舎」
       啚=口+㐭
         口+亠+回
       異体字
      「𠴿・圖・鄙・図」
       圖=図
         啚=斗
       圖=囗+口+亠+回
         絵画・描く・書物
         はかりごと・はかる
         求める
         領土・地図
         計画・考え・企てる
         度と通じ「規則」
       圖=図⇔地図=輿・図画
     圓=円・・・円墳・銅鏡・・・円+方=前方後円墳
                ↓↑

   ↓↑
   卑位・卑小・卑微
   謙卑・高卑
   卑語
   卑怯
   卑賤 (ヒセン) 
   卑属・卑金属・尊卑
   卑俗・卑劣・卑猥・野卑
   卑屈・卑下
   卑懐(ヒカイ)=鄙懐
   卑称・自卑
   男尊女卑
   官尊民卑
   下卑・高卑
   女尊男卑
   野卑
   卑官
   卑見・卑近
   卑湿
  ↓↑
  卑+α
  鼙・鵯・髀・颦・顰・鞞・陴・錍
  郫・貏・豍・諀・裨・蠯・螷・蜱
  薭・萆・脾・聛・綼・粺・簲・簰
  篺・箄・稗・禆・碑・睥・痺・琕
  猈・牌・焷・渒・椑・朇・捭・庳
  崥・婢・埤・啤・俾・䴽・䱝・䰦
  ↓↑
  䫌・䡟・䠋・䚜・𫜔・𫖓・𫉹・𪷗
  𪐄・𪏒・𪂃・𩭧・𩫮・𩫫・𩫪・𩫝
  𩗫・𩖓・𩔾・𩔹・𩏂・𩌛・䇑・𨿵
  𨲋・𨡕・𨐜・𧼠・𧯿・𧬟・㽡・㼰
  𧓎・𧌠・𧅵・𦹽・𦸣・𦩖・㵺・𦔠
  𦓸・𥽅・𥼊・𥵔・𥴖・𥱼・㯅・𥏠
  𥀷・𤿾・𤾁・𤽹・𤼜・㪏・𣮐・𣝁
  𣈢・𢳋・𢛞・𢔌・𢋜・𢃍・𡲎・㗗
  𡦟・𡦆・𡐕・𠬈・𠩲・𠧅・𠧃・𠥉
  𠜱・𠕩
 ↓↑
 通仮字
 鼙=鼓+卑  =皷+卑=壴+皮+卑
   壴+支+卑
  「鼓=鼔=皼」+卑
       皼=壹+皮
         壱=イチ=位置
           佚・伊地・移置
           逸・意知・聿
         壹與=卑弥呼の「宗女・十三歳」
         未艶=聖母マリア・・・未(羊)の艶(豊+色)
         景教(ネストリウス派の基督教=移鼠)
   (1子)(2丑)(3寅)(4卯)(5辰)(6巳)(7午)(8未)(9申)(10酉)(11戌)(12亥)
  →(13子)
   (1鼠)(2牛)(3虎)(4莵)(5龍)(6蛇)(7馬)(8未)(9猿)(10鶏)(11犬)(12猪)
  →(13鼠)
 ↓↑  ↓↑                ↓↑
   (1移鼠)(2牛)(3虎)(4猫)(5龍)(6蛇)(7馬)(8未艶)(9猿)(10鶏)(11犬)(12猪)
  →(13鼠)
   キリスト     マルコ・マタイ・マリア ・ペテロ   ・パウロ
   基督       馬古 ・馬太 ・聖母  ・岩     ・小人
            ↓↑
            マルコ(伊語Marco・独語Marko)
            拉語
            Marticus(マルティクス)=マルス=火星が語源
            Marcus(マルクス)は省略形・軍神マルス

            マタイオス (Μαθθαῖος, Maththaios) =徴税人
            使徒11人の一人・・・?・・・11≠12
            「アルファイの子レビ」
            英語
            マシュー (Matthew)
            伊語
            マテオ(Matteo)  
            独語
            マテウス (Matthaus)
            仏語 
            マチュウ(Matthieu)
            拉語
            マタエウス (Matthaeus)  

                    Andrew (アンドリュー)
            ギリシア語「男らしい」
            John (ジョン)
           「神は恵み深し」
            Jude(ジュード)
            ユダ(タダイ)「ユダの民」
            Matthew (マシュー)
           「神の贈り物」
            Paul (ポール)
            聖パウロ=ラテン語「小柄な人」
            Peter (ピーター)
           「岩」
            Philip (フィリップ )
            ギリシア語「馬を愛する者」
            Simon (サイモン )
            聖シモン・ヘブライ語「聴く」
            Thomas (トーマス)
            聖トマス・アラム語「双子」
ーーーーー
 舊約(旧約)
 ↓↑
 創世記
 出埃及記=出エジプト記
 利未記=レビ記
 民數記=民数記(みんすうき)
 申命記=申命記(しんめいき)
 約書亞記=ヨシュア記(よしゅあき)
 士師記=士師記(ししき)
 路得記=ルツ記
 撒母耳記上=サムエル記上
 撒母耳記下=サムエル記下
 列王紀上=列王紀上(れつおうき・じょう)
 列王紀下=列王紀下(れつおうき・げ)
 歷代志上=歷代志上(れきだいし・じょう)
 歷代志下=歷代志下(れきだいし・げ)
 以斯拉記=エズラ記
 尼希米記=ネヘミヤ記
 以斯帖記=エステル記
 ↓↑
 約伯記=ヨブ記
 詩篇=詩篇(しへん)
 箴言=箴言(しんげん)
 傳道書=伝道の書(でんどうのしょ)
 雅歌=雅歌(がか)
 ↓↑
 以賽亞書=イザヤ書
 耶利米書=エレミヤ書
 耶利米哀歌=哀歌(あいか)
 以西結書=エゼキエル書
 但以理書=ダニエル書
 ↓↑
 何西阿書=ホセア書
 約珥書=ヨエル書
 阿摩司書=アモス書
 俄巴底亞書=オバデヤ書
 約拿書=ヨナ書
 彌迦書=ミカ書
 那鴻書=ナホム書
 哈巴谷書=ハバクク書
 西番雅書=ゼパニヤ書
 哈該書=ハガイ書
 撒迦利亞書=ゼカリヤ書
 瑪拉基書=マラキ書
 ↓↑
 新約=シンヤク=新訳・新薬
 ↓↑
 馬太福音=マタイによる福音書
 馬可福音=マルコによる福音書
 路加福音=ルカによる福音書
 約翰福音=ヨハネによる福音書
ーーーーー
   ↓↑
   壴(たかつき・チュウ)
   十+豆
   士+口+丷+一
   士+口+䒑
   十+豆
   十+𠮛+丷+一
   十+一+口+丷+一
   豆
   豈
   荳
   ↓↑
   𡜌=十+冖+二+女
     セイ・サイ
     つま・めあわせる・めあわす
     妻𡜈𡝣𡜛=十冖二女=𡜌
     男子の配偶者
     夫が自分の配偶者を呼ぶ語
     娘を他家に嫁(とつ)がせる
     他家から娶(めと)り
     配偶者とする
   㛒=女+豆
     トウ
     𡟳=女一口丷一䒑豆=㛒
     話ができないさま
  =鞞=革+卑
   異体字「𥀷・𧯿」
   声符「卑=ヒ」
   俾髀捭猈稗萆郫𩔹婢𪐄
   椑睥粺裨鞞𠕩𩫮㪏㼰䇑
   𧌠錍𩖓庳牌碑脾䠋䫌埤
   鵯朇痺箄𧓎陴
 ↓↑
 鵯=卑+鳥
   ひよどり・ひえどり
   ヒ・ヒツ
   白頭鳥
 𨿵=卑+隹
 ↓↑
 聛=耳+卑
   招聘
   耳廓
 ↓↑
 蜱=虫+卑
   壁蝨・蜹・蟎・螕
   ダニ
   tick・mite
 ↓↑
 䠋=𧾷+卑
   ヒ・ビ・ハイ・バ
   ヘン・ベン
   形下大也
   庳=窪地・低地
   痺=痺れる・麻痺・リウマチ
     庳の本字
     溼病
 ↓↑
 𪏒=卑+黄
 ↓↑
 畁=由+丌
   ヒ
   畀・𢌿=田由一丿丨丌=畁
   賜(たま)う・与える
 ↓↑
 腗=月(肉)+畁
   ヒ・ビ
   脾=𦜉𦜠𠧃
     月田由一丿丨丌畁=腗
   五臓(心・肝・脾・肺・腎)の一
   脾臓(ヒゾウ)
   胃の背側(体正面から見て胃の裏側)
   腿(もも)・大腿(ダイタイ)部
   脚の膝から上の部分
   髀・䏶
 ↓↑
 𤰞=田+ノ+十
   ヒ
   いやしい・いやしめる
   卑卑𡭼𡮁=田ノ十𤰞
   地位身分の
   下にあるさま
   低いさま
   高い=尊
   周易正義(周易注疏)
   卷十一・繫辭上
   「天尊地卑乾坤定矣」
   下等な・下品な・劣(おと)る
   賤(いや)しい・貧(まず)しい
   低くする・下げる
 ↓↑
 𡭼=小+𤰞
   ヒ・いやしい・いやしめる
   卑卑𤰞𡮁=小田ノ十𤰞=𡭼
   下にあるさま・低いさま
   身分や地位などが低い
 ↓↑
 𢬽=扌(手)+𤰞
   ハイ・ヘ
   捭𢮆=才扌田ノ十𤰞=𢬽
   両手で左右にぐっと開く
   両脇へ押し退(の)けるように開く
   開いて平らにする
   塊肉に切り込みを入れて開き平らにする
   毀(こぼ)つ・壊す
 ↓↑
 𢮆=扌(手)+𤰞
   ハイ・ヘ
   捭・𢬽=才扌田ノ十𤰞=𢮆
 ↓↑
 𢽛=攴+𤰞
   ヘイ・ハイ
   㪏=田ノ十𤰞一𠂉メヌ又攵=𢽛
   毀(こぼ)つ・壊す
   叩き壊す・その音
  「㪏㪒(ヘイゲイ)」
 ↓↑
 𦜉=月(肉)+𤰞=脾腗𦜠𠧃
 ↓↑
 𤷒=疒+𤰞
   痹=广冫疒田ノ十𤰞=𤷒・痺
   痹症(ヒショウ)
   リウマチ・rheumatism
   関節や筋肉などが
   腫れたり痛んだりする病気
 ↓↑
 𥓓=石+𤰞
   ヒ
   いしぶみ
   碑=石田ノ十𤰞=𥓓
   宗廟の門の前に建て
   犠牲(いけにえ)を繋ぐ石柱
   棺を穴の中に降ろす際に
   縄を掛けたりする石柱
 ↓↑
 𥟑=禾+𤰞
   ハイ・ベ
   ひえ
   稗=ノ木禾田ノ十𤰞=𥟑
     イネ科ヒエ属の植物
     ヒエの実のように小さいさま
     取るに足らないさま
 ↓↑
 𥪎=立+𤰞
   ハ・バ
   䇑=立田ノ十𤰞=𥪎
   𥪎𥪎(ハハ)
   背丈の低い人の立つさま
   歩き方が不自然なさま
 ↓↑
 𨌦=車+𤰞
   ヒ
   䡟=車田ノ十𤰞=𨌦
   𨌦輗(ヒゲイ)
   䡶輗
   車の曲蓋(キョクガイ
        柄の曲がった大傘)
        曲蓋のある車
  曲蓋の柄(え)を差し込み支え
  固定するために
  軾(ショク・車の前部の手摺)
  に取り付ける筒状の部品
 ↓↑
 𩩙=骨+𤰞
   ヒ・ヘイ・バイ
   髀𩩚𩪖𩪅䯗
   冂冎冖月骨田ノ十𤰞=𩩙
   腿(もも)・大腿(ダイタイ)部
   脚の膝から上の部分
   その部分の骨
   脾・䏶
   人体(下肢)
   尻(しり)の部分の骨
   骨盤と大腿骨が繋がる部分の骨
ーーーーー
 𢗰=心+心
   心・𢗰
 ↓↑
 惢=心+𢗰
   サ・ズイ
   ヌイ
   心𢗰=惢
   あれこれと疑う
   判断や区別がつかずに迷う
   蕊(しべ)
   植物の生殖器官
   雄蕊(ユウズイ・おしべ)
   雌蕊(シズイ・めしべ)
   蕊・蘂・蕊
   古代の祭礼の名
 ↓↑
 𫝹=人+𠆢+二+心
   デン・ネン
   おもう
   念・𢗁=人𠆢一亼二心忈𫝹
   常に心に留めて思い考える
   心の中に留まり去らない思いや考え
   口をほとんど閉じた状態で
   低い声を長く伸ばして読む
   「𫝹=二十=廿」
   「二=貳」
   「三=參」
   のような「大文字」
 ↓↑
 𦁇=糸+𫝹
   デン・ネン
   𦁤=糸人𠆢一亼二心忈𫝹=𦁇
   船を曳(ひ)く綱
 ↓↑
 怎=乍+心
   シン・ソ
   ノ一𠂉二F乍心=怎
   怎麼・怎么(シンマ・センマァ)
   なぜ(why)
   どのようにして(how)
   なに(what)
 ↓↑
 𠷿=口+怎
   サク・シャク
   口ノ一𠂉二F乍心怎=𠷿
   如何(いか)に・どうして
   なぜ・どのようにして
   怎
 ↓↑
 怗=心+占
   チョウ・セン
   㤐=ハ丨忄ト⺊口占=怗
   静まり落ち着く
 ↓↑
 𢛈=怗+心
   セン
   惉=ハ丨忄ト⺊口占怗心=𢛈
   𢛈懘(センセイ)
   音階が合っていないさま
 ↓↑
 思=田+心
   シ
   おもう・おぼしい・おぼす
   恖・𢙦=田心=思
   心の中で考える
   心に浮かぶ・心に浮かべる
   想(おも)う
   思慮(シリョ
      あれこれと思いや考えを巡らす)」
   相思(ソウシ
      互いに相手を思う
      思い合うこと)
   思慕(シボ)
   心に浮かべ慕(した)う
   于思(ウサイ)
   䯱䰄(フシ)
   顎鬚(あごひげ)が
   もじゃもじゃと生えているさま
   おぼしい・~と考えられる
   おぼす・「思う」の丁寧語
  「田=囟(シン・頭蓋)」の訛(なま)り
  「思う・思い=脳と心の機能」
 ↓↑
 𠅤=亠+思
   キ
   亠田心思=𠅤
   姓・陝西省南部に多
 ↓↑
 偲=人+思
   シ・サイ
   しのぶ
   亻田心思=偲
   他を思い力を尽くす
   偲偲(シシ)
   互いに思い合い互いに高め合う
   しのぶ
   離れている人を
   思い懐かしむ・慕う
 ↓↑
 媤=女+思
   シ
   女田心思=媤
   女性名用字?
 ↓↑
 崽=山+思
   サイ・セ
   山田心思=崽
   子ども、
   自分の息子や子女に対して
   罵る言葉
   幼い
 ↓↑
 愢=心+思
   シ・サイ
   ハ丨忄田心思=愢
   考えが合わない
   謙虚な
   愢愢(シシ)・偲偲
   互いに足りないところを
   指摘し合いながら切磋琢磨
 ↓↑
 揌=手+思
   サイ
   才扌田心思=揌
   揺れ動く
   塞(ふさ)ぐ・塞がる
   塞
 ↓↑
 腮=月(肉)+思
   サイ
   月田心思=腮
   頬(ほお・ほほ)
   顔の下部で鼻の両側の下部
   顔面両側の頬から
   下顎(したあご)までの部分
   顋
  「痄腮(ササイ)」
  「流行性腮腺炎(サイセンエン)」
   流行性耳下腺
   おたふく風邪
 ↓↑
 楒=木+思
   シ
   木田心思=楒
   相楒樹(ソウシジュ)
   マメ科アカシア属の木
   相思樹(ソウシジュ)
 ↓↑
 毸=毛+思
   サイ・スイ
   毛田心思=毸
   毰毸(ハイサイ)
   鳥が翼を大きく広げるさま
   翼を大きく広げ羽ばたくさま
   毰毢・毰𣯧
 ↓↑
 㴓=水+思
   サイ・シ
   氵田心思=㴓
   米を洗い塵(ごみ)などを取り除く
 ↓↑
 𤟧=犭(犬・獣)+思
   シ
   ノ丿犭田心思=𤟧
   怯(おび)える・おどおどする
 ↓↑
 禗=示+思
   シ
   ネ礻田心思=禗
   禗禗(シシ)
   今か今かと待つ?
 ↓↑
 𥯨=竹+思
   シ
   竹田心思=𥯨
   毛がありそれによって
   傷付くと死ぬといわれる竹
 ↓↑
 緦=糸+思
   シ
   𦃞𢇆𠅛𢆿=糸田心思=緦
   朝服
   朝廷に出仕する際に着る服
   礼服に用いるような
   細い麻糸を用い
   朝服よりも目を粗く織った麻布
   朝服は経糸(たていと)十五升の布
   「緦」=その半分の七升半
   「升」=経糸数の単位
   「緦麻(シマ)」
   関係が遠い(薄い)人の場合に
   着用する
   細い麻糸を用い目を
   粗く織った喪服の名
   亡くなった人の近遠の順に
   「斬衰・斬縗(ザンサイ)」
   「齊衰・纃縗(シサイ)」
   「大功(タイコウ)」
   「小功(ショウコウ)」
   「緦麻」があり
   「五服(ゴフク)」と呼ばれる
 ↓↑
 罳=网+思
   シ
   四罒田心思罳
   「罘罳・罦罳(フシ)」
   門外に設えた木を
   格子状に組んだ衝立(ついたて)
   鳥などが入り込まないように
   軒下に張る網
 ↓↑
 𦖷=耳+思
   シ
   諰・𧪳=田心思耳=𦖷
   不安なさま・心配なさま
   気掛かりなさま
   「話の途中でふと気になり
    話すのを止めて
    思い込む」の意
 ↓↑
 𦖻=耳+思
   ソウ・ス
   さとい
   聡聰聪聦𦖟𦕻=耳田心思=𦖻
   よく耳が聞こえる
   聞いたことを
   よく理解する(聞き分ける)
   聞いたことの本質を(真偽を)
   見抜くことができる
   理解力が優れている
   賢(かしこ)いさま
 ↓↑
 葸=艸+思
   シ
   𦷚=サ十2艹艹艹田心思=葸
   おどおどする
   小心で畏(おそ)れ怯(おび)える

 𧍤=虫+思
   シ
   蛓𧉠䗹=中虫田心思=𧍤
   毛虫
   昆虫などの幼虫で
   毛の多いものの総称
   イラガ(刺蛾)
   イラガ科の昆虫の総称)の幼虫
   蚝
 ↓↑
 𧗂=血+思
   デキ・ニャク
   惄𢙤=皿血田心思=𧗂
   食べ物が足りず
   腹を空(す)かす
   飢・饑
   思い通りにならずに
   (思いが満たされずに)
   心を悩ます・憂える
   愵
 ↓↑
 䚡=角+思
   サイ
   角田心思=䚡
   袋角(ふくろづの
   表面に短い毛のある柔らかい角)
   が成長して角質化した角
 ↓↑
 諰=言+思
   シ
   𧪳𦖷=言田心思=諰
   不安なさま・心配なさま
   気掛かりなさま
 ↓↑
 鍶=金+思
   ショウ・シ
   锶=金田心思=鍶
   鉄製の器
   ストロンチウム・Strontium(Sr)
   元素名
   「鎴=ストロンチウム」
 ↓↑
 𨺯=阜+思
   ワイ・エ
   くま
   隈=阜阝田心思=𨺯
   山の縁(へり)の一部が
   水(川)などに
   抉(えぐ)られて
   奥深くまで入り込んだところ
   隩・㘲
   水(川)が
   山の奥深くまで入り込んだところを
   「渨」
   奥まったところ
   隅(すみ)っこ
   「隅」
   日歌舞伎の役者などが顔に施す化粧
   「隈取(くまどり)」
   京劇(キョウゲキ)で
   「臉譜(レンプ)」
 ↓↑
 顋=頁+思
   サイ
   田心思一目自𦣻貝頁=顋
   頬(ほお・ほほ・顔の下部で鼻の両側)
   の下部
   顔面両側の頬から
   下顎(したあご)までの部分
   腮
   鰓(えら)
   水棲動物の呼吸器官
   鰓
 ↓↑
 颸=風+思
   シ
   飔=几𠘨ノ丿イ口中虫䖝風田心思=颸
   涼しい風
 ↓↑
 飔=風+思
   シ
   颸=几𠘨メ风田心思=飔
   涼しい風
 ↓↑
 騦=馬+思
   シ
   馬田心思=騦
   馬名
 ↓↑
 䰄=髟+思
   シ
   FEム長镸丿彡髟田心思=䰄
   䯱䰄(フシ)
   鬚(ひげ)・顎鬚(あごひげ)
   がふさふさしているさま
 ↓↑
 鰓=魚+思
   サイ・シ
   えら・あぎと
   鳃=田・丶4灬魚田心思=鰓
   えら・あぎと
   びくびくするさま
   怯(おび)えるさま
 ↓↑
 怠=台+心
   タイ・ダイ
   おこたる・なまける
   ム厶口台心=怠
   おこたる
   緊張感がなくすべきことをしない
   なまける
   気が緩(ゆる)む
   身が入らない
   懈
 ↓↑
 𠷂=口+怠
   タイ・ダイ
   口厶口台心怠=𠷂
  「㘆𠷂(タイタイ)」
   話が食い違う
   筋が通っていない
   支離滅裂である
 ↓↑
 䈚=竹+怠
   タイ・ダイ
   竹ム厶口台心怠=䈚
   筍(たけのこ)
   芽生えたばかりの竹
   筍
 ↓↑
 緿=糸+怠
   タイ・ダイ
   紿绐=糸ム厶口台心怠=緿
   使い古されて
   伸びたり弱くなったりした糸
   だれる・しまりがなくなる
   誑(たぶら)かす
   甘言で惑わし欺く・同「詒」
ーーーーー
 ・・・???
 妄想を申そうすれば「申=さる=猿」=上海・・・「上海帰りのリル」を知らないカナ・・・溺死した「サルタびこ」って・・・サンボン(簒本)五十六(5+6=11)?

 

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煬帝(ヨウダイ)の字名はナゼ、「阿𡡉」なんだろう?

2021-08-21 03:25:14 | 古事記字源

 諱=廣・名=英・小字=阿𡡉・・・恙ない煬帝?
 阿𡡉・・・「恙=羊+心」ない煬帝・・・?

 王朝 隋
 煬帝
 在位
 仁寿4年7月21日~大業14年3月11日
  604年8月21日~618年4月11日
 姓・諱   楊広
 諡号    明皇帝(楊侗)
       煬皇帝(李淵)
       閔皇帝(竇建徳)
 廟号    世祖(楊侗)
 生年  天和四年(569年)
 没年  大業十四年三月十一日
       618 年 4月 11日
 父   楊堅(第2子)
 母   独孤皇后
 后妃  蕭皇后
 陵墓  雷塘
 年号  大業 605年~618年
 ↓↑
 煬帝(ヨウダイ・ヨウテイ)
 隋朝の第2代皇帝
 在位604年8月21日~618年4月11日
 本名 楊広
 別名 英
 小字 阿𡡉・・・ナゼ、「阿𡡉」なんだろう???
     𡡉=麻+女
     嬷=女+麻+么
     嬷=女+广+林+么
 異体字「𤹴」=「痲=痳」+女
     ・・・痺(しびれる)
        痹(しびれる)   
        痲(しびれる)
        痲=疒+𣏟
     ・・・麻酔薬=朝鮮朝顔
        で痺れてメクラになったは・・・
       「華岡青洲(市川雷蔵)の妻」・・・?
     「加恵(若尾文子)」
        彼の母・「於継(高峰秀子)」・・・
     異体字「痳・麻」
        「疒+𣏟」
 ↓↑   ↓↑
    「𤴷=疒+木
       シュツ
      =㾁=广冫疒木=𤴷
       気が狂う
       突然狂ったように
       走り出す病気の症状
 ↓↑   ↓↑
     𣏟=𣎳+𣎳
       𣎳(ヒン・ビン・ハイ・へ)
       𣎳≠朩≠ホ・・・異字?
       𣎳=あさ(麻)?
       𣎳=麻片
       𣎳=生麻の皮?
       剥取枲茎之皮
         枲
         不結子實的大麻
         其莖皮纖維可織夏布
         枲(ゲ・シ)=台+木
         イラクサ科の多年草
         薬用植物
         草皮で編んだ脛巾
         脚絆(キャハン)
         からむし=枲=台+木
              苧=艹+宁
              苎=艹+宀+一
              苧麻(からむし)
 ↓↑     ↓↑
       𣎳=分枲莖皮也
         分枲莖皮者
         謂剥取枲之莖皮也
         分枲茎之皮、即麻片
        《廣韻•震韻》
         𣎳=麻片・・・?
           欠片・木屑・柾木
 ↓↑     ↓↑
       朮=𣎳+丶
         オケラ・シノニム
         菊科オケラ属の多年草
         生薬
         ウケラ・カイブシ
         カイブシノキ
         カイブシコケラ
         中国植物名
         東蒼朮(トウソウジュツ)
         関蒼朮(カンソウジュツ)
         關蒼术
           术=木+丶=朮
         利尿・健胃・整腸剤
         述=䢤・術・𠰲 
 ↓↑     ↓↑
       麻=あさ・バ・メ・マ
         蔴・𦱍・𦲬
         广十丿乚儿ハ小
         木𣎳
         林𣏟=麻
         アサ科アサ属の草
 ↓↑   ↓↑
     異体字「𣎵」
     声 符「𣎳・𣏕・𤝂・㳈・𤘱」
     㪔=𣏟+攴=𢽳
       分離する・剥がす
       剥いでばらばらにする
       散に通じる
       杮(こけら)落とし
       𣏕=木+𣎳=杮
         ハイ・ホ=こけら
       杮=十八丿乚儿𣎳=𣏕
       木簡(モッカン・ボッカン)  
       文書や手紙などを記すための
       木製の細長い札の
       表面を削り取る
       木屑(きくず)
       木を削った時に出る屑
 ↓↑     ↓↑
       㳈=沛(ハイ)
         水が勢いよく流れるさま
         勢いがよいさま
         勢いがあるさま
         草が茂っている池や沼
        「顚㳈・顛㳈(テンパイ)」
        「顚伂」
         仰向(あおむ)けに倒れる
         躓(つまづ)いて倒れる
         行き詰って悩み苦しむ
         沛公=劉邦
 ↓↑   ↓↑
     𣏟=𣎳+𣎳
     異体字「𣑼」
         林=𣏟
         麻+女
 ↓↑   ↓↑ 
         疒+林+女
     マ・バ
     しびれる(痺れる・痲・痹)
          痺=疒+卑(弥呼)
  ↓↑
 「隋書曰
  煬皇帝
  諱  廣
  一名 英
  小字 阿𡡉・・・
  高祖第二子也
  顯示全文
  《康熙字典・十四》
  「嬤 乃 媽𡡉 之 轉音」
 ↓↑   ↓↑
 椑=木+卑=柿=柹
   ヒ・ヘイ・バイ
   木ノ田甶十2卑卑椑
   カキ(柿=𣐈=柹=シ・ジ)
   椑=柿(ヒ・シ・渋柿の一種)」
  「青椑(セイヒ)・㮧椑(ウヒ)」
   酒などを飲むための円形の杯(さかずき)
   斧(おの)の柄(え)
   棺(ひつぎ)
  「杝椑(イヒ)・椑棺(ヒカン)」
  「柹=木+𠂔」
  「姊=姉」
  「𠂔」の旁は
   蔓の巻いた棒
   異体字「𣐈=木+」朿𣡍
 ↓↑
 万葉集
 万=萬=𥝄𥝅㸘𠃡=一+丿+𠃌
            フ𠃌𠄎乃=𠂍
   千の十倍
 柹本人麻呂の
 「廬為流鴨」
  廬=厂+虍+田+皿
    盧+α
    鸕蘆爐壚櫨濾攄
 ↓↑
 皇者・・・・・・・大君は・・・・・・おほきみは
 コウシャ     タイクンは
 神二四座者・・・・神に座ませば・・・かみにしませば
 シンジンシザシャ カミニシザせば
 天雲之・・・・・・天雲の・・・・・・あまくもの
 テンウンシ    テンウンの
 雷之上尓・・・・・雷の上に・・・・・いかづちのうへに
 ライジョウ二   カミナリのカミに
 廬為流鴨・・・・廬りせるかも・・・いほりせるかも
 ロイリュウオウ イロリなすナガレカモ
   鴨(オウ・かも・鳧・Duck)=甲+鳥
    右 或本 云 獻 忍壁皇子 也 其歌曰
    右、或る本に曰はく、忍壁皇子(おさかべのみこ)に
           獻(たてまつ)る といへり
                  その歌に曰はく
    大君は・・・・・・・おほきみは
    神にしませば・・・・かみにしませば
    雲隠る・・・・・・・くもがくる
    雷山に・・・・・・・いかづちやまに
    宮敷きいます・・・・みやしきいます
    ↓↑
    『日本書紀』
    天武天皇元年(672)六月の条
    ↓↑
    天皇    於    茲(ここ・しげる・ジ)
               玆(旧字体)=玄+玄
    ↓↑
    行宮    興(おこし・コウ)=復興・勃興
          𦥑+同+一+ハ
          E+同+ヨ+一+ハ
      𦥑=キョク・持ち上げる
            異体字「𦥑=匊舉裒挙」
            類字「臼」
    ↓↑
    野上    里を預(あづか)って
          卜(うらな)う一(はじめ・位地)
            而(しこうして・すなわち・ジ)
            思考・試行 砂 倭地 事
            形而上⇔形而下   
    ↓↑
    居(ます・キョ)=尸+十+口
    ↓↑
    焉(いずくんぞ・なんぞ
      これ・ここに・エン)
      正+鳥=端正で美しい鳥
      仮借の助字
      原意「嫣=女+正+鳥」
    ↓↑
    此夜
    雷電雨
    ↓↑
    甚(はなはだし・ジン)=甚大・盡・悉
    ↓↑
    則(すなわち・のり・ソク)=貝(目ハ)+刂
      法則・規則
      ・・・側(そ ば)=イ+則
         測(はかる)=氵+則
         厠(かわや)=厂+則
    ↓↑
    天皇(すめらみこと)=二+人+白+王
       皇  尊
    祈(うけひ・キ)=祈願
      宇気比・誓約
    ↓↑
    之(これ・ゆく・の・シ)
    ↓↑
    曰(いわく・エツ)=曰くつき
    ↓↑
    天神地祇
    扶(たすける・フ)=扶養・扶余・扶桑
    ↓↑
    朕(チン)=月(肉)+关
          月(肉)+丷+天
          月(肉)+丷+一+大
            肉=にく・ジク⇔字句
                    慈救
                    宍恧
     恧=而+心
             =恥じる慙・愧じる
              羞じる・媿・慙
            異体字「𠷼・𢟄・聏・𦗂」
   朕=月+关
       月+丷+天
       月+丷+一+大
       关=門・ドア・窓・引き出しなどを
         閉める・閉ざす
         関=門+关・・・朔望
         開=門+开=開門
       关=「關」の略字「関」から
         門が除かれたもの
         關=門+𢆶+丱(あげまき
                カン・ケン・コウ・ギョウ)
         ・・・丱⇔糸車?
       𤽆=白+丨+」
          「丩(キュウ・ク)」の左右反転文字
          「まとめる」
           収(收)=収納=:ばらばらの物をまとめる
               =収穫・収支・収入
           叫=声をまとめてさけぶ・絶叫
           糾=ひもをまとめ 糾 ( あざな ) う・・・糸車
           赳=筋肉がまとまり 引き締まる
           舏=舌でまとめ舐めとる
           ↓↑
           音叉器

           音差・字差

      ミミズク(木菟・木兎・鵩・鶹・鵂
          角鴟・鴟鵂
          耳木菟・耳木兎)
          フクロウ科の
          羽角(ウカク・耳)がある種の総称 
           鶹(みみづく)の耳

           子どもの髪形(8+〇+8)
           童子
          「丱角・丱女・丱童・童丱(ドウカン)
        丱=丫=ア・エ
         Y・丫
         先端が二つに枝分かれし
         Y字状をしたもの
         丫頭(アトウ)
         髪を左右に分け
         耳の上辺りで
         環状に結(ゆ)わえた髪形
         少女の髪形=女の子
         若い女性の小間使い
        「丫鬟(アカン)」
         クヮン・ケン・クヮウ
         あげまき
         丱
         通仮字「貫」・・・閂・扃・楗
         異体字「礦・卝・鉱」
.         丱の熟語
        「丱女・丱童・丱角」
         あげまき
         つのがみ(總角)
         小兒の髮を束ねて
         兩角(フタツのツノとする貌)
         いとけなし(幼稚)
         クワウ
         あらがね・古の「礦」字

           ↓↑
           丱=両扉の
             閂(かんぬき)棒の差し込み穴
             丩+丩の右向きの字(丨+」)
             収=丩+又
           開いているものを閉める・閉じる
           窗户・窓を閉める
           引き出しを閉める
           異体字「卝」
         笑の初文「关」
         ショウ
       关=丷+天
         八+天
    ↓↑
    者(は・もの・シャ)=十+一+ノ+日
    ↓↑
    雷雨
    息(やめむ・いき・ソク)=自+心
            息子・消息
    ↓↑
    矣(イ・断定・推量・詠嘆の助字)
    ↓↑
    言
    訖(をはり・やむ・ついに・キツ)=言+乞
    ↓↑
    即(すなわち・ソク)
    ↓↑
    雷雨(ライウ・いかづちあめ)
    止(やむ・シ)
    ↓↑
    之(これ・ゆく・の・シ)    
 ↓↑
 𣡍=キョク・コク
   とげ・いばら
   棘・𣠆
ーーーーー
 ・・・???・・・

 

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無駄な「シ」・・・肆=镸+聿 =シ・つらねる・・・

2021-08-18 12:11:21 | 古事記字源

 蝦夷(カイ・えぞ)=毛人=モウジン=盲人
  ↓↑
 蝦夷(カイ=X・えぞ)=毛人=モウジン=盲人・・・「塙 己保一」
  ↓↑
 北海道
  ↓↑
 12支+1支=13支→・・・
      +=十三シ=壱拾参詞(史・肆)
   シ
   肆=镸+聿
     丨+一+厶+肀+二
     シ
     つらねる
     ならべる
     ・・・「奈良・奈羅・楢」部留?
     ほしいまま
     ・・・「干飯・糒・星居・星井」
     みせ
     つらねる・ならべる
     つらなる・ならび
     列・陳列
     店・市場・品物を並べる
     ほしいまま
     気まま・ほしいままにする
     罪人をさらす
     さらしものにする
     ゆえに・だから・まことに
     尽くす・力を尽くす
     努力する・努める
     広げる・のばす
     とうとう・遂に
     極める・極まる
     大きい・長い・はなはだ
     はやい・はやく
     契約書などの文書で
     書き換えを防止に
    「四」
     の代わりに用いる
    「大字」
     ↓↑
 ・・・「十三支庁」内の
 市町村の「名前の漢字」は
     「音」のみを
     「当て字」としたのか・・・?
      難読で地名の音名が
      ボクがヨンだら
      重複してしまう・・・
      アイヌ語の
      意音を採ったとしても
     「古事記」
      や
     「日本書紀」
      の古代史の謎解きを意識した
      明治官吏の
     「漢字」地名の
      命名ではないかと
      妄想してしまう・・・


 石狩支庁・・・当別(トウベツ)⇔別当・別頭
 渡島支庁・・・知内(シリウチ)⇔知名意
        木古内(キコナイ)⇔北拠名意
        七飯(ナナエ)⇔死地叛
        鹿部(シカベ)⇔録部
        八雲(ヤクモ)⇔
        長万部
       (オシャマンベ)⇔訳語田の万分
 檜山支庁・・・乙部(オトベ)⇔音部
        奥尻(オクシリ)⇔緒句詞理
        今金(イマカネ)⇔今兼?
 後志支庁・・・蘭越(ランコシ)⇔藍子氏
                 覧古詞
                 阿蘭陀古詞
        ニセコ(アイヌ語の
        ニセイ・コ・アン・ペッ
        nisey -ko -an -pet
         峡谷・に・ある・川)
         偽・贋・二世
         僞・贗
        真狩(マッカリ)⇔真っ赤理
        留寿都(ルスツ)⇔瑠素通
        喜茂別(キモベツ)⇔
        倶知安(クッチャン)⇔
        共和(キョウワ)⇔
        岩内(イワナイ)⇔
        神恵内(カモエナイ)⇔
        積丹(シャコタン)⇔
        古宇(フルウ)⇔
        古平(フルビラ)⇔
        仁木(ニキ)⇔
        余市(ヨイチ)⇔
 空知支庁・・・夕張(ユウバリ)⇔
        岩見沢(イワミザワ)⇔
        美唄(ビバイ)⇔
        芦別(アシベツ)⇔
        赤平(アカビラ)⇔
        茂尻(モジり)⇔
        三笠(ミカサ)⇔
        歌志内(ウタシナイ)⇔
        奈井江(ナイエ)⇔
        由仁(ユニ)⇔
        月形(ツキガタ)⇔
        浦臼(ウラウス)⇔
        妹背牛(モセウシ)⇔
        雨竜(ウリュウ)⇔
        幌加内(ホロカナイ)⇔
 上川支庁・・・士別(シベツ)⇔
        名寄(ナヨロ)⇔
        富良野(フラノ)⇔
        鷹栖(タカス)⇔高須・高州
        当麻(トウマ)⇔
           當麻・当摩・當摩
           たいま・たぎま・たえま
           神奈川県相模原市南区
        比布(ピップ)⇔
        愛別(アイベツ)⇔
        占冠(シムカップ)⇔
        和寒(ワッサム)⇔
        剣淵(ケンブチ)⇔
        美深(ビフカ)⇔
        音威子府(オトイネップ)⇔
 留萌支庁・・・留萌(ルモイ)⇔
        増毛(マシケ)⇔
        苫前(トママエ)⇔
        羽幌(ハボロ)⇔
        初山別(ショサンベツ)⇔
        遠別(エンベツ)⇔
        天塩(テシオ)⇔
        幌延(ホロノベ)⇔
 宗谷支庁・・・稚内(ワッカナイ)⇔
        猿払(サルフツ)⇔
        浜頓別(ハマトンベツ)⇔
        中頓別(ナカトンベツ)⇔
        枝幸(エサシ)⇔江差
        豊富(トヨトミ)⇔
        礼文(レブン)⇔
        利尻(リシリ)⇔
 網走支庁・・・網走(アバシリ)⇔
        紋別(モンベツ)⇔
        斜里(シャリ)⇔
        訓子府(クンネップ)⇔
        置戸(オケト)⇔
        佐呂間(サロマ)⇔
        遠軽(エンガル)⇔
        湧別(ユウベツ)⇔
        興部(オコッペ)⇔
        雄武(オウム)⇔鸚鵡・王蟲
        大空(オオゾラ)⇔霄=雨+肖
           女満別
          (メマンベツ)⇔
           町と
           東藻琴
          (ヒガシモコト)⇔
           村
           の合併
           肖=似る・かたどる
 胆振支庁・・・室蘭(ムロラン)⇔
        苫小牧(トマコマイ)⇔
        登別(ノボリベツ)⇔
        伊達(ダテ)⇔
        豊浦(トヨウラ)⇔
        壮瞥(ソウベツ)⇔
        白老(シラオイ)⇔
        厚真(アツマ)⇔
        洞爺湖(トウヤコ)⇔
        安平(アビラ)⇔
        むかわ(鵡川)⇔
 日高支庁・・・日高(ヒダカ)⇔
        平取(ビラトリ)⇔
        新冠(ニイカップ)⇔
        様似(サマニ)⇔
        襟裳(エリモ)⇔
 十勝支庁・・・帯広(オビヒロ)⇔
        音更(オトフケ)⇔
        士幌(シホロ)⇔
        鹿追(シカオイ)⇔
        新得(シントク)⇔
        芽室(メムロ)⇔
        中札内(ナカサツナイ)⇔
        更別(サラベツ)⇔
        幕別(マクベツ)⇔
        豊頃(トヨコロ)⇔
        本別(ホンベツ)⇔
        足寄(アショロ)⇔
        陸別(リクベツ)⇔
        浦幌(ウラホロ)⇔
 釧路支庁・・・釧路(クシロ)⇔
        厚岸(アッケシ)⇔
        浜中(ハマナカ)⇔
        標茶(シベチャ)⇔
        弟子屈(テシカガ)⇔
        鶴居(ツルイ)⇔
        白糠(シラヌカ)⇔知らぬか
 根室支庁・・・根室(ネムロ)⇔
        別海(ベツカイ)⇔
        中標津(ナカシベツ)⇔
        標津(シベツ)⇔篩別・死別
        羅臼(ラウス)⇔
        色丹(シコタン)⇔
        国後(クナシリ)⇔
 ただし
 根室支庁
 所管区域中
 国後郡・色丹郡
 択捉(エトロフ)郡
 紗那(シャナ)郡
 蘂取(シベトロ)郡
 得撫(ウルップ)郡
 新知(シムシル)郡
 及び
 占守(シュムシュ)郡
 については当分の間
 これを適用しない(条例附則)


 ↓↑      ↓↑
 占守島の戦い
 太平洋戦争終戦後
 (終戦準備・戦闘停止 期間中)
 1945年(昭和20年)8月18日~21日
 千島列島東端の占守島で行われた
 武装解除中の
 大日本帝国陸軍
 占守島守備隊
 と
 ソ連が
 「日ソ中立条約」を
 8月9日
 一方的に破棄し
 対日参戦し
 8月18日未明
 占守島を奇襲攻撃した 

 軍命により
 8月21日
 日本軍降伏停戦が成立
 8月23日
 日本軍武装解除
 日本兵捕虜の大勢が
 法的根拠無く拉致され
 シベリアへ抑留された
 ↓↑
 ソ連側の情報
 日本軍死傷者1000名
 ソ連軍の死傷者1567名
 ↓↑
 日本軍による推定
 日本軍の死傷者は600名程度
 ソ連軍の死傷者は3000名程度
 ↓↑
 by 「ウィキペディア(Wikipedia)」
 ↓↑
ーーーーー
 ???・・・

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