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コジキジゲン

江戸時代~幕末~明治の記録・・・古事記の「カンジる」?

2025-08-22 11:30:25 | 古事記字源
 ・・・前回からのツヅキ・・・
 唯々、「コピペッの連続」・・・「成り済まし猶太」の是非・・・
 大猷院・・・・ 猷=酋+犬(犭)
      ・・・猶=犭(犬)+酋
       大猷 院=イン=音・因=囙・尹・隠(隠蔽)
                    囙・陰・寅・允
         吉田松陰(寅次郎)・木戸孝允(桂小五郎)?
 ↓↑

   ディアスポラ
   元の国家や民族の居住地を
   離れて暮らす国民や民族の
   集団ないし
   コミュニティ
   離散すること自体を指す
   以降も、相対的に
   隔離されていることを示唆      

   大文字の
   Diaspora・・・イスラエル・パレスチナ
          の外での離散ユダヤ人集団
   小文字
   diaspora・・・他の国民や民族を含めた
          一般の離散定住集団

 ↓↑
 2001年
 Nebelらの
 Y染色体ハプログループの研究
 R1a
 ハプログループの
 染色体
 (論文内で Eu 19 と呼称)は
 東欧の住民の間では
 非常に高率(54%~60%)で出現するものだが
 アシュケナジー・ユダヤ人
 の間では
 高い頻度(12.7%)を示す
 ↓↑

 2003年
 BeharらによるY染色体の研究
 アシュケナジーの
 レビ氏族
 (彼等はアシュケナジー全体のおよそ4%を構成)
 のあいだでは
 ハプログループR1a1
 の所有率は 50% 以上
  このハプログループは
 他のユダヤ人のグループでは珍しく
 東欧住民の間では高い頻度を示す
 ↓↑
 「R1a1 NRYの高頻度での所有を
 アシュケナジーのレビ氏族にもたらした出来事は
 非常に少数の
 単一の始祖に関わるものである可能性が高い」
 この遺伝子群の源泉であると思われる・・・
 ↓↑
 「非ユダヤ系のヨーロッパ住民である
  一人または複数の始祖がいて
  その子孫が
  レビ氏族の成員となった」
 のだと仮定
  「魅力的な源泉は
   8世紀~9世紀に
   その支配階層が
   ユダヤ教に
   改宗したと考えられている
   ハザール王国だろう」・・・?
 ↓↑
 文学
 『ハザール事典』(ミロラド・パヴィチ著)
 架空の「ハザールに関する事典」
 の形をとった小説
 日本語訳も存在
 東京創元社よりハードカバー版
 (男性版:ISBN 4488013597
  女性版:ISBN 4488013600)
 が1993年に
 文庫版
 (男性版:ISBN 4488070752
  女性版:ISBN 4488070760)
 が2015年に出版
 ↓↑
 「ユダヤ人=ハザール人」説
 ヨーロッパのユダヤ人は
 古代ユダヤ人
 としての
 セム系の民族起源を持たず
 ハザール人の末裔・・・
 ↓↑
 ヨーロッパで迫害を受け
 アシュケナジム
 などの
 ユダヤ人たち
 パレスチナにいた古代ユダヤ人との
 連続性やつながりは無く
 古代ユダヤ人
 とは別の民族
 ハザール王国の
 ハザール人の末裔・・・
 ↓↑
 ハザール王国
 7世紀~10世紀
 黒海北部~コーカサス地域
 に栄えた遊牧民族の
 テュルク系国家・・・
 ユダヤ教を事実上の国教とし
 ハザール王国の
 改宗ユダヤ人が
 ヨーロッパの
 ユダヤ人となったとする・・・説
 ↓↑
 「ハザール人(トルコ系ユダヤ人)=偽ユダヤ人」
 が
 シオニズム運動を推進する正統性はなく
 イスラエル国家建設への歴史的権利もない・・・
 ↓↑
 以色列(イスラエル・Israel)
     ・・・「虹=7色のrain」の国家・国籍?
 以色列(イスラエル・Israel)・・・国家・国籍
   rainbow
   虹・レインボー・虹 色・レインボウ・にじ
   niji(にじ)=虹
   虹は7色すべて
   The rainbow had all seven colors.
   形容詞
   iridescent(イラァデェスントゥ・イリデセント)
   iridescent(アイリデッセント)
   虹 色・虹・玉虫色
   iridescent(アイリデッセント)
   iris(アイリス)
   iris=虹彩・あやめ(菖蒲=ショウブ・彩芽)・・・殺め
 猶  太(ユダヤ  ・Judea)・・・民族・人種・宗教
 ↓↑
 大猷院・・・・猶太・・・
       大猷 院=イン=音・因=囙・尹・隠(隠蔽)
                   囙・陰・寅・允
         吉田松陰(寅次郎)・木戸孝允(桂小五郎)
 ↓↑
 歴代徳川将軍
 ↓↑
 初 代将軍 徳川 家康 慶長八年~慶長十年
               捌    拾・足
         1600年
         関ヶ原の戦い
         (慶長五年九月十五日
         1600年10月21日)
         美濃国
         不破郡
         関ヶ原(岐阜県 不破郡 関ケ原町)
         ↓↑
         リーフデ号・・・・・娌(理)意附出合?
                    娌(リ)
                    錆びる
                    漏れる
                    囁く
                    妯娌(チクリ)
                    兄弟の妻同士を呼ぶ語                    
        (オランダ=阿蘭陀・船・愛号)
         豊後(ぶんご)国(くに・コク)
             ・・・「文語・文悟」語句?
         臼杵(うすき・キュウショ)
               ・・・うすきね
                 うづきね=卯月音=弥生音?
                 渦 起音?莵月音=三月音?
         の
         黒島(くろしま・コクトウ)に
         漂着
         (慶長五年三月十六日
         1600年4月29日)
         ↓↑
         乗組員
         イギリス人(イングランド人)・・・猶太人?
         ウィリアム・アダムズ(William Adams)
         1564年9月24日
         ~
         1620年5月26日
         元和六年四月二十四日
         ↓↑
     徳川家康の外交顧問、通訳
     航海士、水先案内人、貿易家
     日本名
    「三浦 按針(みうら あんじん)」
     英国国教会(聖公会)の信徒・・・
     日本に初めて来たイギリス人
    「侍=サムライ」の称号を得た最初の欧州人?
            ・・・織田信長の家臣
              「弥助(黒人)」=侍(さむらい)・・・
     日本で英学を教え
     西洋式帆船(ガレオン船)建造
     日本とオランダ、イギリス両国との
     国交樹立の人物
     サツマイモを日本に伝えた人物・・・
     ・・・青木昆陽・・・飢饉時の「薩摩芋」栽培・・・
                    薩摩の妹=天璋院篤姫
                   (テンショウインあつひめ)
                    島津斉彬の養女
                    近衛忠煕の養女敬子
                    (天璋院)
            徳川家定=別名 イモ公方=料理好き?
            福井藩16代藩主
            松平越前守慶永
            松平春嶽から「イモ公方」などと呼ばれた
            家定の死の直前
            漢方医の
           「青木春岱」が診察・・・
            ↓↑
            森 鷗外(もり おうがい)
            文久2年1月19日
            1862年2月17日
            ~
            大正11年〈1922年〉7月9日
            陸軍軍医(軍医総監=陸軍中将相当)
            医学博士、文学博士
            ↓↑
            本名
           「森 林太郎(りんたろう)」・・・?
      蘇我入鹿=鞍作・林臣・林太郎・蘇我大郎
                 の別名
           唐から帰国した
           新漢人 旻(いまきのあやひと みん)
           の学堂に学んだ・・・「旻=日+文」?
     ↓↑
     アダムス・・・・仇 生諏?
     ジリンガム・・・字臨(琳)臥ム?
     の英国国教会
     セントメアリー・・・選訳(譯)女阿理意?
     教会
    (St. Mary Magdalーene Church)
     で洗礼・・・
     「Protestant 新教徒・・・清教訳(譯)=「康煕字典」?
          新教 (Protestantism)」
          回教=イスラム(Islam)信仰・教義
             ムスリム (Muslim)教徒
            =モハメッド(謨祖)
     イギリス国教会(The Church of England)
     イングランド発祥の
     プロテスタント系キリスト教会
     16世紀
     ヘンリー8世が
     ローマ教皇との関係を断絶し成立
     イギリス国王を首長とする教会制度
     ↓↑
     イングランド南東部
     ケント州・・・謙訳(譯)諏?
     ジリンガム
     で誕生
     1564年9月24日(実際の誕生日は不明)
     メドウェイ・アーカイブ・センターに保管
     ジリンガムの街は
     1998年にロチェスター市と合併し
     メドウェイ市となった
     古代ローマ人の占有時代から
     漁港や貿易港として栄え
     16世紀からは造船業でも繁栄
     父親は船員
     12歳
     ロンドン(倫敦)
 River Thames
     テムズ(テームズ=テムズ(川)
         廷武須=達迷塞=達迷斯
         泰晤士河
 北岸の
     ライムハウス
     に移り
     船大工の棟梁
     ニコラス・ディギンズ
      ・・・邇凝(懲)・出意如叢(圖)
     に弟子入り
     航海術や天文学にも興味を持ち
     1588年
     海軍に入隊
     スペインの無敵艦隊を
     フランシス・ドレーク
     の指揮下の
     イギリス艦隊の食糧や弾薬の輸送艦
     リチャード・ダフィールド号
     の艦長に抜擢され
     アルマダの海戦に参加
     1589年
     ロンドンの
     メアリー・ハイン
     と結婚
     娘デリヴァレンス
     息子ジョン
     を儲けた
     海軍を離れ
     バーバリー会社
     ロンドン会社の
     航海士・船長として
     シベリアから東洋へ至る
     北東航路の探検隊参加
     アフリカへの航海
     1500年代末
     ヨーロッパ各国が
     新世界やアジアへの交易を活発化
     大航海時代が到来
     ↓↑
     リーフデ(愛)号の航海
     ↓↑
     オランダ人船員たちと
     ロッテルダム(Rotterdam
            鹿特担、鹿特提、緑鐸耳水無)
     で極東を目指すベテランの航海士を募集
     の噂を聞
     弟の
     トマス
     らと共に
     1598年
     ロッテルダムに渡り
     オランダ(阿蘭陀)の
     東洋遠征隊に志願
     航海は5隻からなる船団
     ホープ号(希望・旗艦)
     リーフデ号(愛)
     ヘローフ号(信仰)
     トラウ号(忠誠)・・・「とら=寅・虎・彪・禽」+卯+合
     ブライデ・ボートスハップ号(良い予兆・陽気な使者)
     司令官
     ジャック・マフ
     アダムス
     はホープ号の航海士(主任航海長)として採用
     イギリスはスペインやポルトガルとは敵対
     オランダとは友好的
     1598年6月24日
     船団はロッテルダム港を出航
     トマスが最初乗船していた
     トラウ号はポルトガル
     に
     ブライデ・ボートスハップ号はスペイン
     に拿捕
     ヘローフ号はロッテルダムに引き返した
     残った2隻で太平洋を横断途中
     ホープ号沈没
     リーフデ号ただ1隻が東洋に向かった
     食糧補給のために寄港した先々で
     赤痢や壊血病が蔓延
     インディオの襲撃に晒され
     船員を失い
     トマスもインディオに殺害された
     出航時に
     「110人」
     だった乗組員は
     日本漂着には
    「24人」
    リーフデ号
    豊後国臼杵の黒島に漂着
    乗組員は
    臼杵城主
   「太田一吉」
    の出した小舟で日本に上陸
   「太田一吉」は
    長崎奉行の
   「寺沢広高」
    に通報し
   「寺沢広高」
   はアダムスらを拘束
   船内の大砲や火縄銃、弾薬
   などの武器を没収し
   大坂城の
   「豊臣秀頼」
   に指示を仰いだ
   イエズス会の宣教師たちが訪れ
   オランダ人やイギリス人の処刑を要求
   五大老首座の
   「徳川家康」
   に引見
   指示され
   重体の船長
   ヤコブ・クワッケルナック
   に代わり
   アダムス
   と
   ヤン=ヨーステン・ファン・ローデンスタイン
   メルキオール・ファン・サントフォールト
   らを大坂に護送、船も回航させた
   イエズス会の宣教師たちは
   アダムス
   らリーフデ号の乗組員
   イギリス人
   オランダ人
   の処刑を家康に申し出
   イエズス会は一人の神父を派遣し
   アダムスに日本を去るよう説得交渉
   さらに
   プロテスタントからカトリックへの改宗を迫った
   1600年5月12日(慶長五年三月三十日)
   家康は彼らを引見
   イエズス会士の注進で
   リーフデ号を海賊船だと
   思い込んでいた家康は
   路程や航海の目的
   オランダやイングランドなどプロテスタント国
   と
   ポルトガル・スペインらのカトリック国
   との紛争を
   アダムス
   と
   ヤン=ヨーステン
   の説明を訊き誤解を解き
   カトリック宣教師とポルトガル人らは
   家康に疑惑を招き
   アダムスらを
   処刑要求するカトリック宣教師らを黙殺
   引見を繰り返した後に釈放し
   江戸に招いた

   西洋式帆船の建造
   と日本名に改名し武士に
   アダムスは帰国を願い出たが
   叶うことはなく
   家康は米や俸給を与えて慰留し
   外国使節との対面や
   外交交渉に際して通訳
   顧問、助言者とし
   外交だけでなく
   幾何学や数学
   航海術
   などの英学を
   家康との側近に授けた
   江戸湾係留の
   リーフデ号
   が沈没すると
   船大工として
   西洋式の帆船を建造することを要請され
   アダムスは、当初は固辞したが
   受け入れざるを得なくなり
   伊東に日本で
   初めての
   造船ドックを設け
   80tの帆船を建造
   1604年(慶長九年)に完成
   家康は更に大型船の建造を指示
   1607年(慶長十二年)
   120tの船舶(ガレオン船)
   サン・ブエナ・ベントゥーラ
   を完成させた
   家康は慰留の意もあって
   アダムス
   250石取りの旗本に取り立て
   相模国
   逸見
   に采地を与え
   三浦按針(按針=水先案内人の意
          三浦=領地の三浦郡)
   の名乗りを与えられ
   日本武士として生きる境遇を得た
   所領は息子の
   ジョゼフ
   が相続し
   「三浦按針」
   の名乗りもジョゼフが継承した

   徳川家康により
   オランダに発行された朱印状
   1609年8月24日
   慶長十四年七月二十五日付
   (ハーグ国立文書館所蔵)
   1609年(慶長十四年)
   家康は
   オランダとの交易を希望し
   オランダ国王使節が来日
   駿府城で外交顧問
   アダムスの協力で
   日本とオランダとの国交が結ばれ
   オランダの通商が許され
   アダムスは
   オランダ東インド会社日本支店となる
   肥前国
   松浦郡
   平戸島のオランダ商館設置に携わった
   家康は
   アダムズを顧問にし
   国際世界の国々へと視野を拡大
   スペイン無敵艦隊が
   イギリス海軍に敗れた
   世界の覇権地図が塗り替えられ
   イギリスやオランダが新たに
   東洋を
   プロテスタント諸国としての進出するなど
   当時の世界情勢をかなり正確に理解した

   1611年(慶長十六年)
   スペイン使節が来日し
   諸港を測量
   スペイン使節が港を計測する目的を
   家康から訪ねられたアダムスは
   「侵略のために各港に
    どの船が入港できるか知るためで
    すべてのカトリックの宣教師を
    国外に追放すべき」
  答えた
  1611年(慶長十六年)
  イギリス東インド会社は
  アダムスがイギリス本国に送った書簡によって
  日本の事情を知り
  イングランド国王
  ジェームズ1世
  の許可を得て
  アダムスを仲介人として
  日本との通商関係を結ぶ計画を立て
  イギリス艦隊司令官
  ジョン・セーリス(英国国教会信徒)
  を日本に派遣決定
  4月18日
  セーリスは
  ジェームス1世の国書を持って
  イギリス東インド会社の
  クローブ号を指揮しロンドンを出航
  マダガスカル
  や
  バンテン(Bantam=バンタム=ジャワ)
  に寄港して貿易を行ったのち
  1613年6月11日(慶長十八年)
  平戸に
  クローブ号は日本に初来航
  アダムスは
  セーリスらイギリス使節一行に付き添い
  駿府城で家康らとの謁見
  使節は家康から貿易を許可する朱印状を
  取りつけることに成功し
  イギリスは日本との通商許可
  セ―リスは上記オランダ商館の近くで
  アンドレア李旦の屋敷を借り
  イギリス商館(イギリス東インド会社日本支店)を設置
  商館長に
  リチャード・コックス(英国国教会信徒)を任命
  6人の部下を付け
  アダムスも商館員として採用され、顧問を務めた
  その後
  商館はイギリスに正式に買い取られ
  イギリス人商館員や日本人使用人も増員

  1614年(慶長十九年)
  クローブ号帰還の際
  一緒に帰国できる許可が
  日英両方から出たが
  同船司令官
  ジョン・セーリス
  対立し帰国を見送った
  セーリスは何事も
  日本式を強要するアダムスが気に入らず
  アダムスはセーリスを
  生意気で無礼な青二才として嫌った
  オランダ商館より安い賃金の
  母国イギリス商館の仕事を手伝った

 第2代将軍 徳川 秀忠 慶長10年~元和9年
      武家諸法度
 ・・・次回にツヅク・・・
ー↓↑ー
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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「地球人」は「宇宙人」になれるのか・・・覚悟の問題?

2025-08-21 02:46:07 | 古事記字源
 前回からのツヅキ・・・
 2025年8月19日火曜日、20日水曜日
 TVで「ブラックファラオ」を観た・・・
 エジプトとスーダンとの国境
 黒人王国
 紀元前8世紀以降
 ブラックファラオ
 エジプト王を5代を輩出した
 クシュ王国

 ハザール(突厥文字 英 Khazar ヘブライ語 הכוזרים)
 7世紀~10世紀
 カスピ海の北から
 コーカサス
 黒海沿岸に栄えた
 遊牧民族とその国家
 ↓↑
 支配者層
 テュルク系民族・・・
 支配者層が
 9世紀頃に
 ユダヤ教に
 ↓↑ ・・・ 
   ユダヤ教には「ユダヤ人・Judea」民族の宗教・・・
   多民族は改宗できない・・・
   絶対条件は
   なりたくてもなれない「血縁・血統」主義?
 ↓↑ ↓↑
   「モーゼ」は姉と兄に怒った・・・豈(あに)謀(はか)らんや・・・?
   「ミレアム=ミレヤム=ミレムアム=マリア」
   と
   「アロン=アーロン」
   に対して
   「モーセ」
   が
   「クシュの女性」
   を妻にしていることを非難した
 ↓↑ ↓↑
   サラ(ヘブライ語:שָׂרָה・高貴な女性)
   アブラハムの正妻
   アルバア・ハ=イマホット(四人の母)の一人で
   アルバア・ハ=イマホットとは
   イスラエル民族の礎となった三人の祖父
   アブラハム
   イサク
   ヤコブ
   のそれぞれの正妻
   サラ(アブラハム)
   リベカ(イサク)
 ↓↑ ↓↑
   ラケル(ヤコブ)
   レア(ヤコブ)
   の四人の女性

   アブラハムと
   女奴隷 ハガルとの子
       イシュマエル(アラブ民族の祖)
   アブラハムと
   正妻 サラとの子
      イサク
   ・・・アブラム=アブラハム
      サライ=サラ
      それぞれ改名・・・ナゼ改名したのか?
      アブラム
     「阿武(武媚→武照=武曌→昭儀=則天武后)
        ・煬(あぶ・隨の煬帝)・阿部・虻」覶ム?
         虻=𧕕=蝱・・・蚊(か・蚉・孑孑=ぼうふら)
         ゼウスの愛人「イヲ=イヨ」が牛に変身させられた時
         耳に「虻」をヘラの嫉妬で入れられた
         イーオー (古希: Ῑ̓ώ, ラテン文字 転写: Īṓ 、 ラテン語: Īō)
         ギリシア神話のゼウスの愛人
         牝牛に姿を変えられて
         ギリシア からトラーキア海峡(ボスポロス海峡)を渡り
          エジプト まで各地をさまよい
         エジプトの王となった
         「エパポス」を産んだ・・・?
         アペプ(Apep)=悪の蛇神=アーペプ(アアペプ)
         Aapep=アペピ(Apepi)、アピペ(Apipe)、アポペ(Apope)
         古典ギリシア語転記=アポピス(’Αποφις, Apophis)
      サライ
     「攫い・浚い・攫う・沙羅意=「鸕野讃良=持統天皇」意?

 ↓↑ ↓↑
   産まれてきた子供の両親のドチラかが「猶太(Judea)人」
   配偶者(夫婦・夫妻)のドチラかが
   「猶太(Judea)人」の子供なら「猶太(Judea)人」・・・?
   「猶太(Judea)人」と「奴隷の女性」から産まれた子供は「奴隷」・・・?
   「」
   モーセの妻
   チッポラは
   ミディアンの祭司レウエルの娘
   で異邦人
   異邦人
   レウエルをモーゼは祭司とした
   レウエルの子
   ホハブ
   を民の案内人とした(民数記10:31)・・・?
 ↓↑ ↓↑
   「クシュ(Kush)」人
   南エジプトと北スーダンの
   北アフリカの「ヌビア」地方の人々
   ナイル川流域に
   現在の「スーダン」に
   アフリカ最古の
   「黒人王国」
   「クシュ人の国」を造った
 ↓↑ エジプトの領域内への進入し発展
 ユダヤ教に
 改宗した・・・?
 交易活動を通じて繁栄

 ↓↑
 アラビア語、ペルシア語資料
  خزر Khazar
 と記録
 日本語
 ハザル、ハザリア、ホザール、カザール
 と表記
 ↓↑
 ハザール
 遊牧民
 起源、系統も不詳
 ・・・テュルク系・・・

 『旧唐書』
 『新唐書』
 に出てくる
 「波斯(ペルシア)国(サーサーン朝)」
 に北隣する
 「突厥-可薩部」
 がこの「ハザール」・・・?

 8世紀~9世紀
 年代記作者
 テオファネス
 によれば
 ハザール
 の故郷は
 ベルシリア(アルメニア史料のバルシリ)

 10世紀
 ペルシア語の地理書
 『世界境域誌』(Ḥudūd al-'Ālam)
 に書かれている
 ハザール人たちの
 諸都市の項目
 (首都イティル(アーティル آتل Ātil)の条)
 によれば
 ハザール
 の
 ハーカーン
 は「アンサーの子孫に属す
 ( از فرزندان انسا است az farzandān-i Ansā' ast)」
 と記録
 「アンサー=突厥王家・阿史那氏」
 の訛音・・・?

 サビル
 ハザール
 6世紀
 東ローマ史料
 サビル(英語版・サベイロイ)
 と呼ばれ
 『戦史』の著者
 プロコピオス
 によれば
 「サビルは
  フンの一族であり
  カフカス
  あたりに居住し
  多数の首長のもとに
  適当に分かれている」
 という
 この
 サビル
 と
 ハザール
 がまったく同一の民族であったか否かは確定できない
 少なくとも
 10世紀のアラブの歴史家
 マスウーディー
 は
 『黄金の牧場』
 の中で
 ハザールを
 テュルク系サビル
 としている
 サビルの名が
 6世紀末からほとんど現れなくなる
 サビル
 と呼ばれる部族連合の中に
 ハザール
 が含まれていたことを示すから・・・

 西-突厥の支配下
 ハザール
 6世紀末に
 カスピ海沿岸
 カフカス~アゾフ海のステップに進出
 西突厥の勢力が強大で
 その宗主権のもとに置かれていた
 626年
 東ローマ帝国
 の
 ヘラクレイオス1世
 は帝国の北東国境を守るために
 「東のテュルク」
 と同盟を結んだ
 この
 「東のテュルク」
 の主力をなしていたのが
 「ハザール」
 で
 東ローマ帝国は
 彼らと共に
 ペルシア(サーサーン朝)
 支配下にあった
 カフカスを攻め
 (ビザンチン・サーサーン戦争
 第三次ペルソ・テュルク戦争)
 大きな戦果

 ハザール・カガン国
 7世紀中ごろ
 「西突厥」
 の衰退と共に
 ハザール
 はその後継国家
 ハザール・カガン国
 を形成、独立
 南ロシアのステップでは
 オノグル・ブルガール
 の部族連合「古き大ブルガリア」が成立(635年)
 アラブ・ハザール戦争(642年~799年)
 ハザール
 が西進すると
 大ブルガリア
 は崩壊(653年)
 一部は
 ハザールにとりこまれ(黒ブルガール)
 残りは各地に散らばって
 ヴォルガ・ブルガール
 ドナウ・ブルガール
 を形成

 ハザール
 と
 イスラーム
 「アラブ・ハザール戦争」
 ハザール
 は
 カフカス
 をめぐって
 サーサーン朝ペルシア
 と対立
 サーサーン朝
 が新興の
 イスラーム共同体(ウンマ)
 によって滅ぼされると(651年)
 代わって
 イスラーム共同体
 と
 カフカス
 をめぐって争うようになった
 イスラーム共同体は
 654年・・・・・・・・・645年=大化の改新・乙亥の変?
 南カフカスの
 アルメニア
 グルジア
 アルバニア
 を占領し、カフカス山脈を越えて
 ハザールの領有する北カフカスに侵入
 カスピ海沿岸の要塞
 デルベント
 を陥落させ
 ハザール
 の中心都市
 ベレンジェル
 に迫った
 ハザールは
 ベレンジェルでイスラーム軍を追い返したが
 一進一退の攻防
 イスラーム共同体
 で内紛が起こったため
 一時はその侵攻が止んだ
 661年
 ウマイヤ朝が成立
 再び
 ハザール
 に攻撃
 735年
 ウマイヤ朝
 カリフである
 ヒシャーム・イブン・アブドゥルマリク
 は従兄弟の
 マルワーン・イブン・ムハンマド(マルワーン2世)
 を派遣し、麾下の
 ウマイヤ朝軍1万5千が
 逆にヴォルガ河畔まで進撃
 窮した
 カガン
 は司令官
 マルワーン
 に和睦を申し入れ
 イスラーム改宗を約束
 この遠征を受けて
 ハザール
 は
 ウマイヤ朝カリフの宗主権を
 一時的に認め
 属国にはならなかった

 東ローマ帝国とは
 共通の敵が
 ペルシア(サーサーン朝)
 と
 アラブ(イスラーム)
 と一緒で利害が一致していた
 クリミア半島の領有に関しては争いが生じ
 西進を続ける
 ハザール
 ボスポロス(ケルチ海峡)を占領
 クリミア半島南端の
 ヘルソン(ケルソネソス)
 に迫った
 東ローマ帝国にとっては
 古来のギリシア植民都市の
 ヘルソン
 を黒海における死守すべき橋頭堡として
 皇帝
 ユスティニアノス2世
 は自治都市であったヘルソンに遠征軍を派遣
 遠征は失敗
 ヘルソン
 は
 ハザールに占領(705年)
 ヘルソンは帝国の手に戻り
 クリミア南部は帝国領
 それ以外は
 ハザール領ということで
 両国の
 友好関係が
 約200年にわたって続いた

 ハザール
 と
 東ローマ帝国
 は婚戚関係も結んだ
 ユスティニアノス2世
 は軍人の
 レオンティオス
 によって帝位を奪われ
 クリミア半島の
 ヘルソンに逃れ
 ハザール・カガン国に亡命
 カガン
 の姉妹と結婚し
 ユスティニアヌス1世の妃にちなんで
 テオドラ
 と改名させた
 イコノクラスム最盛期の皇帝
 コンスタンティノス5世
 の妻も
 ビハール・カガン
 の娘
 イレーネー
 で、その子
 レオーン4世
 「ハザロス(ハザール人)」
 と仇名された
 その他
 帝国で活躍した
 官吏や知識人のなかにも
 ハザール出身者が少なくなかった

 ハザールとユダヤ

 サルケル遺跡
 830年代
 ハザールが建てた都市
 現在は
 ヴォルガ・ドン運河運用のため
 1952年に造られた
 チムリャンスク湖の底に沈んでいる

 ハザール
 の
 ユダヤ教
 受容
 改宗に関する史料は少なく
 その時期と実態は謎
 西欧
 アクイタニア(アキテーヌ)
 の
 ドルトマル
 が864年に書いた
 マタイ伝の注釈の中で
 ハザールの改宗を記録
 864年以前
 は確実・・・
 アラブ
 の
 マスウーディー
 は
 ハザール
 の王(ベク)が
 ハールーン・アッ=ラシード(786年~809年)
 ユダヤ教を受け入れ
 ビザンツ帝国
 や
 ムスリム諸国から
 迫害を受けて逃れてきた
 ユダヤ教徒が
 ハザール国に集まったと記録
 10世紀
 コルドバ
 のユダヤ人
 ハスダイ・イブン・シャプルト
 が
 ハザールの
 ヨシフ・カガン
 に宛てた手紙
 『ハザール書簡』
 において
 「ブラン・カガンが夢の中で天使に会って
  ユダヤ教に改宗したが
  民衆が新しい宗教を信じなかったので
  ベクが尽力して
  ユダヤ教の普及をはかった」
 という記述
 ブラン・カガンの時代
 730年~740年頃
 改宗の時期や理由は断定することはできない
 ・・・9世紀初頭・・・

 735年
 マルワーン
 率いる
 ウマイヤ朝軍に敗れた
 ハザール
 は
 一時的に
 イスラム教に改宗したものの
 アッバース革命に前後する
 イスラーム帝国内部の混乱を機に
 799年
 オバデア・カガン
 は再び
 ユダヤ教を公的に受容
 9世紀までに
 ハザール
 の支配者層は
 ユダヤ教を受容したが
 住民は
 イスラム教徒が多かった・・・

 ハザールの滅亡
 ハザール・カガン国
 10世紀
 衰退し始め
 貢納国
 ヴォルガ・ブルガール
 の離反
 キエフ・ルーシ(キエフ大公国)
 ペチェネグ
 といった外敵の脅威にさらされた
 965年
 キエフ・ルーシ
 の
 大公
 スヴャトスラフ1世
 の遠征で
 サルケル
 イティル
 が攻略され
 ハザール・カガン国
 事実上崩壊

 カガン
 (アラビア語:الخاقان al-Khāqān
  ハーカーン
  漢語:可汗)
 が権力の頂点にあったが
 その地位は
 名目的なものになった
 宗教的権威を有する
 カガン
 と、事実上の支配をおこなう
 ベク
 や
 シャド
 が並び立つ統治体制へと移行(二重王権制)
 10世紀
 東ローマ皇帝
 コンスタンティノス7世
 『帝国統治論』
 で
 ハザールの内乱にふれ
 その内乱は明らかに
 カガン
 と
 ベク
 のそれぞれの関係者間の戦闘で
 年代を833年~843年の間とすれば
 ハザール
 の
 カガン
 は内乱によって
 843年までに実質的な権力を奪われ
 名目的存在となった・・・
 聖者伝
 『コンスタンティノス伝』
 によると
 コンスタンティノス
 が
 ハザールを訪れた
 860年頃
 カガン
 がまだ最高権力者であるかのように描かれている
 ハザール・カガン国
 において
 カガンの権威が時代と共に限定されてゆき
 ベク
 が権力を掌握していった・・・

 支配者層は
 多くの遊牧国家と同様
 季節移動する豪華なテント群を宮廷とし
 夏の間は
 草原地帯での生活を送り
 冬は
 都イティル周辺などで過ごした

 経済
 9世紀以降
 ノルマン人の活動が盛ん
 バルト海からカスピ海北岸にかけて
 交易活動(ヴォルガ交易路)で活躍
 カスピ海は
 イスラム側からは
 「ハザルの海」
 (アラビア語 baḥr al-Khazar
  ペルシア語 daryā-yi Khazar)
 と称されていた
 ノルマン人
 は北欧・ロシアから
 毛皮・奴隷などをもたらした
 ハザル
 は、魚のゼラチンを輸出
 その他
 ユダヤ商人
 ムスリム商人
 など様々な商人が訪れ
 各地の商業ネットワークが結びついていた
 南のカスピ海や黒海から
 北のバルト海や北欧へと
 ヴォルガ川
 ドニエプル川
 ネヴァ川
 ダウガヴァ川
 で結ぶ内陸水路による交易路を
 「ヴァリャーギからギリシャへの道」
 と呼ぶ

 宗教
 ハザール
 の元来の宗教は
 多神教
 と
 アニミズム
 であり
 テングル・カガン(天帝)
 が最も重要視された
 が
 遊牧民の特徴として
 他の宗教には寛容で
 イスラム教
 キリスト教
 ユダヤ教
 なども信仰された

 9世紀
 支配者層は
 ユダヤ教に改宗
 一部の一般住民もそれに続いた
 東に位置する
 イスラーム
 の
 アッバース朝
 と
 西に位置する
 正教会の東ローマ帝国の双方から
 等距離を図るための
 選択という説・・・

 黒海及びカスピ海の北にあった
 ハザールが
 イスラーム帝国の北進に抵抗
 結果的に
 ヨーロッパの
 東部から
 イスラーム化が進むのを防ぐ役割を果たした
 ステップのさまざまな
 遊牧民
 と
 スラヴ人
 が早い時期に
 イスラーム化していたならば・・・

 ハザール
 の研究
 史料

 「キエフ文書」
  ケンブリッジ大学図書館蔵
 ハザールが衰え
 ブルガールが勢力を回復
 首長
 アルミシュ
 は
 アッバース朝に接近して
 ハザール
 からの自立を図った
 922年
 カリフ・ムクタディル
 の使節に随伴した
 イブン・ファドラーン
 による記録が
 『ヴォルガ・ブルガール紀行』
 として残されている
 954年~961年
 後ウマイヤ朝の
 ユダヤ教徒出身の
 ワズィール(宰相)
 ハスダイ・イブン・シャプルト
 と
 ハザール
 の
 ヨセフ・カガン
 との間で交わされた
 往復書簡『ハザール書簡』
 が残されている
 カイロの
 シナゴーグの
 ゲニザ(文書秘蔵室)
 で発見された
 10世紀以降(ファーティマ朝時代)
 の文書(カイロ・ゲニザ)からも幾つかの
 ハザール関連資料が発見
 ハザール
 の
 ユダヤ教化の
 経緯等が書かれた無名の
 ハザール人の
 ハスダイ宛書簡(シェフター文書)
 や
 キエフ
 の
 テュルク系ユダヤ教徒
 の紹介状かつ寄付の呼び掛け状(キエフ文書)など。

 ソ連の学者は
 ハザールを
 北コーカサスの先住民とし
 1930年代
 ソ連では
 ハザール帝国の
 遺跡発掘作業が活発化
 ミハイル・アルタモノフ
 ロシアの歴史学会で
 中世の
 カスピ海の水位上昇が
 ハザール王国の
 カスピ海沿いの町に
 大洪水を起こさせたとも・・・

 「アシュケナジム・ハザール起源説」
 について

 テルアビブ大学の
 ユダヤ史の教授
 A. N. ポリアック(ヘブライ語版、英語版)
 が提唱した学説に依拠し
 ハンガリー出身の
 ユダヤ人作家
 アーサー・ケストラーの
 『第十三支族』
 によって
 東欧ユダヤ人
 ハザール起源説は
 知られるようになり
 シュロモー・ザンド
 によって書かれた
 『ユダヤの起源』
 でも、この説について説明

 反論も多
 13世紀の
 ボレスワフ5世や
 14世紀の
 カジミェシュ3世
 14世紀~15世紀の
 ヴィタウタスの
 ユダヤ人保護政策による
 ポーランド王国
 や
 リトアニア大公国
 への西欧からのユダヤ流入は
 ハザール衰退よりかなり後のこと
 通常16世紀初頭の
 ポーランド(ポーランド・リトアニア共和国)
 のユダヤ人口は数万人と見積もられ
 17世紀半ばの
 数十万人への増加を
 旧ハザール地域からの移民で説明しようとすると
 10世紀以降の
 ハザール国家解体から
 13世紀のモンゴル帝国の攻撃・支配
 ジョチ・ウルスやその後継諸国の統治に至るまで
 500年以上にわたって
 数十万人の人口を維持し続け
 16~17世紀に
 ポーランド・リトアニアに移住したことになる
 だが
 ジョチ・ウルス
 や
 ジョチ裔諸国に
 人口比からすれば
 東欧を凌ぐほどの巨大なユダヤ社会が在り
 16~17世紀にそれが崩壊したという
 話は伝わっていない
 『元朝秘史』
 『元史』
 『世界征服者史』
 『集史』
 などのモンゴル帝国の資料では
 バトゥの西方遠征軍による
 ブルガール
 や
 キプチャク諸部族
 ルースィ諸国
 カフカス方面の
 アス(イラン系アラン人)
 などの征服については書かれているが
 ハザールについては
 これらの地域に存在していたような
 形跡や情報が全く出て来ない

 もし
 アシュケナジー
 たちがかつての
 ハザール人であって
 セム系の起源を持たないのであれば
 イスラエルへの
 歴史的権利もなく
 神による、聖書やクルアーンに見える
 イスラエル人への
 カナンの地の約束の主体でもなく
 それゆえ
 宗教的シオニスト
 と
 キリスト教シオニスト
 の双方の理論的基盤が葬りさられる・・・

 遺伝学的研究
 この説を否定する研究結果
 これらの議論は
 「アシュケナジー=ハザール系」
 説を否定するもので
 少数の
 「ハザール系アシュケナジー・ユダヤ人」
 が現存する可能性の是非については明らかでない

 ディアスポラ
    ・・・ディアスポラ
    古代ギリシャ人達の
    コミュニティー(紀元前800~480年)
    現在、ギリシャ人が多い国
    ディアスポラ
   (ギリシア語: διασπορά
    英語: Diaspora, diaspora
    ヘブライ語: גלות)
   民族離散
   植物の種などの
   撒き散らされたもの
   のギリシャ語に由来する言葉
   パレスチナ以外の地に移り住んだ
   ユダヤ人
   ユダヤ人コミュニティ
   古代から現代にかけての
   ギリシャ人のディアスポラ
   アルメニア人のディアスポラ
   にも使用
   華僑、印僑、クルド人、パレスチナ人、日本人
   の
   ディアスポラ(日系人)
   などと広く使用
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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ネコ神様・・・えじぷと(埃及)・・・音子のナマエ?

2025-08-19 17:42:47 | 古事記字源
 ナメクジ(蛞蝓)が何度も洗面所に出現・・・不思議
 ・・・外に逃がしたのに
    3度目の出現・・・三竦みで考えると・・・

    ナメクジはヘビに勝ち
    ヘビはカエルに勝ち
    カエルはナメクジに勝つ

 八岐大蛇(大蛇)は「素戔嗚・須佐之男」に退治された・・・
           スサノヲはヘビに勝ったナメクジ?
           スサノヲは天照大神に負けたが・・・?
 ↓↑
 ネコ神様・・・えじぷと(埃及)・・・音子のナマエ?
 莵の天敵・・・鰐=わに=和珥・和邇
 猫の天敵・・・🐰・兎・兔・菟・莵・宇佐義
 蛇の天敵・・・ネコ・🙀
 鼠の天敵・・・移鼠(ねずみ)の天敵=ネコ・😺・禰子
 則天武后(🐀・ねずみ)の天敵ネコ(😺・蕭淑妃&王皇后)
 照(ショウ・曌)=天照大神の天敵「素戔嗚・須佐之男」

 1863(文久二)年の十二月
 池田 長発(いけだ ながおき)
       知傳・恥伝・蜘伝?
       ・・・徴発・挑発・兆発・長髪?
 天保 8年 7月23日
 1837年 8月23日
 ~
 明治 12年
 1879年9月12日
 天保八年七月二十三日
 1837年 8月23日
 ~
 明治十二年
 1879年9月12日
        大運1872年7月(34歳)甲辰・偏官
                干合・支害
年柱 丁酉(庚 辛)印綬・傷官 死⇔己卯・劫財・冲
月柱 戊申(戊壬庚)比肩・食神 病⇔癸酉・正財
日柱┏戊戌(辛丁戊)  ・比肩 墓⇔戊戌・比肩
時柱┗癸丑(癸辛己)正財・劫財 養⇔癸丑・正財
    辰巳空亡・方合会局(酉+申+戌=辛・傷官)
  ↓↑
 幕末、外国奉行
 使節団一行を率いて渡欧
 横浜港の全面的封鎖を談判目的
 フランスへ
 パリ約定の締結により
 大譲歩
 他国との交渉も諦めて帰国
 使命目的を達しなかったとして
 幕府から譴責を受けた
 ↓↑
 備中
 松山藩
 初代藩主
 「池田 長幸」の三男
 「池田 長信」
 を初代とする
 井原領主
 井原池田家の10代目
 幕末 外国奉行
 文久三年(1863年)~元治元年(1864年)
 「遣欧使節団」
 を率いてフランスを訪問
 開国論を唱えて
 蟄居処遇
 慶応三年(1867年)
 軍艦奉行並
 官位 従五位下
     筑後守
 没後
 大正四年(1915年)
 正五位追贈。
 ↓↑
 天保八年(1837年)
 幕府直参旗本の
 「池田 長休」の四男 江戸生まれ
 井原領主
 「池田 長溥」の養子
 昌平黌に学び、成績は抜群優秀
 領地 1,200石
 小普請組
 文久二年(1862年)
 目付
 文久三年(1863年)
 火付盗賊改
 京都町奉行
 歴任
 九月
 外国奉行
 筑後守
 ↓↑
 3月
 孝明天皇が攘夷勅命
 下関戦争
 薩英戦争
 等勃発
 諸外国との軋轢
 外国奉行に就任した直後の
 10月
 攘夷派とみられる
 浪人3人が横浜近郊で
 フランス軍士官を殺害
 井土ヶ谷事件
 幕府は
 事件に対するフランス側の非難と
 攘夷の両方に押され
 事件の解決・謝罪、横浜鎖港
 (開港場だった横浜を再度 閉鎖)
 の交渉に当たらせるため
 「池田 長発」
 「河津 祐邦」
 らを欧米諸国への派遣決定
 ↓↑

 「池田 長発」
 27歳
 34名からなる遣欧使節団
 (第二回遣欧使節=横浜鎖港談判使節団)
 を正使として率い
 1863年12月
 フランス軍の
 軍艦ル・モンジュ号
 で日本を出港
 上海やインド等を経由し
 スエズ
 から陸路で
 カイロ(Cairo・回路)へ向かい
 ギザの三大
 ピラミッド
 スフィンクス
 を見学し写真を撮らせた
 ↓↑
 元治元年(1864年)三月
 マルセイユ入港
 パリ到着
 皇帝ナポレオン3世
 に謁見
 フランス政府に事件の謝罪
 195,000フラン
 の扶助金を遺族に支払った
 パリのグランドホテルに滞在し
 一行は
 フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
 にも会った
 横浜の鎖港に関する交渉は
 横浜を対日貿易・交渉の
 拠点と考えるフランスの抵抗で失敗
 長発自身も西欧の文明の強大さを認識し
 開国の重要性を感じ
 交渉を途中で打ち切り
 フランス政府とパリ約定を結んだ
 一行は他の国には寄らず
 帰路に就き
 7月
 帰国
 長発は
 物理学、生物学、工業、繊維、農業、醸造
 等多数の書物や資料をフランスから持ち帰った
 帰国後
 開国の重要性を力説
 幕府は
 パリ約定を破棄
 長発の石高を半分に減らし
 蟄居を命じた
 隠居し
 実兄
 「池田 長顕」の五男で養子の
 「池田 長春」
 に家督を譲った
 慶応三年(1867年)
 罪を許され
 軍艦奉行並
 健康を害し数カ月で職を辞して
 井原に戻り
 以後政治にはかかわらなかった
 井原に学問所を作り
 青少年を育てることを構想していたが
 明治十二年(1879年)死没
 大正四年(1915年)
 正五位を追贈
ー↓↑ー

 エジプト(埃及)の
 猫🙀神様
 ↓↑
 日本で
 新たな
 「猫神社」発見
  絵馬「倍返し」の風習とは?
 毎日新聞(【岩間理紀】)
 ネコの絵馬写真
 (福島市
  2025年7月20日午後1時23分
  岩間理紀撮影)
  ↓↑
 猫神社
 福島県
 川俣町
 西福沢
 の
 「猫稲荷神社」
  ↓↑
 さまざまな猫たちの姿が描かれた
 93枚もの古びた
 「猫絵馬」発見
  ↓↑
 江戸末期
 1821(文政四)年
 にまつられ始め
 1861(万延二)年再建
  ↓↑
 「キツネ・狐・🦊の稲荷神社」
 だったものが
 1871(明治四)年
 になって
 「ネコ・猫・😼・🙀の稲荷神社」
 へと役割を変えたことが・・・?
 明らかになっている
  ↓↑
 ネズミ・🐀被害からの
 カイコ・蚕・蠶・守り神ネコ・😼
 「養蚕業の守り神」
 「倍返し」の風習
 養蚕農家はカイコを育てる際に
 ネズミよけなどを祈願し
 神社から猫が描かれた絵馬を1枚借り
 繭が豊作なら
 2枚に増やして返す
 これが「倍返し」の風習・・・
 猫絵馬の倍返しが確認されている神社
 今回の猫神社も含め
 6カ所
 いずれも東北地方・・・
  ↓↑

 猫神
 バステト (Bastet・バスト
     古代エジプト語bꜣstjt
        コプト語 Ⲟⲩⲃⲁⲥⲧⲉ, Oubaste)
 エジプト神話の女神
 「ブバスティス の女主」
 初めは
 猫ではなく
 雌 ライオンの頭部を持った女神
 エジプト先王朝時代
 紀元前6000年頃
 ヒエラコンポリスの貴族の墓より猫の骨が発見
 紀元前4000年紀後半には
 家畜化

 信仰の中心地 ブバスティス
 シンボル     猫、雌ライオン、シストラム
 配偶神      ラー
 親        ラー
 子        マヘス
 ハトホルと同一視され
 音楽神としての性格
 後代
 創造神プタハの妻とされ
 ライオンの姿の
 マヘスはバステトの息子
 アヌビスも時として
 ネフティスではなく
 バステトの息子であるとされる・・・
 テフヌトやセクメト、ハトホル
 等の他の女神と同一視
 バステトは
 ラーが人間を罰するために
 自らの左目を抉って
 地上に送り出し
 大殺戮を行なった女神
 「遠方の女神」
 「ラーの目」
 といった物語群に属する
 テフヌトと同一視され
 アトゥムの娘となり
 アトゥムの敵
 アペプ(大蛇・毒蛇)を倒す天空の神という性格を有した
  ↓↑
 アペプ(Apep)・・・・阿部府(附・譜・夫)?
 エジプト神話の悪の化身
 古代エジプト語
 アーペプ(アアペプ・Aapep)
 アペピ(Apepi)
 アピペ(Apipe)
 アポペ(Apope)
 など
 古代エジプト語のヒエログリフは
 母音を明確に記述しないので
 本来の発音は、不詳
 アポピスは
 世界が誕生する前の
 ヌンに象徴される
 原始の水の中から生まれた
   ・・・水源=山水=湧き水=泉(白水)・・・源氏⇔新羅
               ・・・淵蓋蘇文=いりかすみ?
                  白水郎(あま)
      ?~666年(宝蔵王二十五年)
      高句麗末期の
      大莫離支(テマクリジ・宰相)・将軍
      伊梨柯須彌(伊梨-柯須弥=いり-かすみ)=蓋金
      姓の「淵(泉)」=高句麗語
         「いり(高句麗語で水源の意味)」
          を漢字訳した
          名の
         「蓋蘇文(ガイソブン)」は
          高句麗語で
         「かすみ」と発音したものを・・・霞・濃霧・雲?
          漢字で当て字した・・・「かづみ=数見」?
          雲海
          雲霓(ウンゲイ)=雲と虹(にじ)
                     虹列=以色列(Israel)
          運慶・快慶=鎌倉時代の仏師(ブッシ)
                  仏像を専門に作る者
                  飛鳥時代の
                  鞍作止利(止利仏師)
                  鞍作登利
                  鞍作太郎=蘇我入鹿
                         入鹿=いるか=入霞
                            海豚
                  蘇我林臣鞍作=林太郎=蘇我大郎

                  僧・旻に・・・旻=日+文=倭文
                  学問堂で学び
                「吾が堂に入る者に
                 宗我大郎(蘇我入鹿のこと)
                 に如くはなし」と言われた秀才
  ↓↑             ↓↑
                  鞍作=ドイツ人「カント」の家系
  ↓↑
 古典ギリシア語の転記
 アポピス(’Αποφις, Apophis)・・・阿保比諏?
 闇と混沌の象徴
 姿は大蛇
 太陽の運行を邪魔する
 ラー(太陽神)の最大の敵・・・
 天照大神の敵は・・・
 素戔嗚(須佐之男)・・・海神
 月読命(ツクヨミノミコト)
 月読尊=月弓尊=月夜見尊=月讀尊
 古事記と日本書紀で
 伊邪那岐命(伊弉諾尊・いざなぎ)
 によって生み出された
 月を神格化した、夜を統べる神・・・
 天照大御神(天照大神)の弟神
 建速須佐之男命(素戔鳴尊)の兄神
  ↓↑
 月の神
  ↓↑
 古事記
 伊邪那岐命が
 黄泉国
 から逃げ帰って禊ぎをした時に
  ↓↑
 右目から生まれた月読命
 左目から生まれた天照大御神
 鼻から生まれた須佐之男命
  ↓↑
 日本書紀
 伊弉諾(イザナギ)
 と
 伊弉冉尊(ザナミ)
 の間に生まれた
 右手に持った
 白銅鏡から成り出でた
 彼らの支配領域も
 天や海など一定しない
 日本書紀・第五段
 第十一の一書
 で、穀物の起源の神
  ↓↑
 古事記
 「夜の食国」
 日本書紀
 「日に配べて天上」を支配
 「夜の食国」
 や
 「滄海原の潮の八百重」・・・「潮(しお=塩)・潮汐」
                ・・・「塩湖」?
 「月読の尊は以て・・・・・・・・「月の朔望の形状の見事」?
  ↓↑
    「月=肉=にく・ジク」
    「月=舟=ふね・シュウ・シュ」
        ↓↑   
     浮き舟(うきふね)
     川舟・川船(かわぶね)
     漁舟(ギョシュウ)
     軽舟(ケイシュウ)
     孤舟(コシュウ)
     ささ舟・笹舟(ささぶね)
     舟航(シュウコウ)
     舟艇(シュウテイ)
     高瀬舟(たかせぶね)
     ↓↑
     一月三舟(イチガツサンシュウ)
     一身軽舟(イッシンケイシュウ)
     刻舟求剣(コクシュウキュウケン)
     呉越同舟(ゴエツドウシュウ)
     犀舟勁檝(サイシュウケイシュウ)
     載舟覆舟(サイシュウフクシュウ)
     舟中敵国(シュウチュウテキコク)
     小隙沈舟(ショウゲキチンシュウ)
     白河夜舟(シラカワヨフネ)
     ↓↑
     網、呑舟(ドンシュウ)の魚を漏らす
     車は海へ舟は山
     剣を落として舟を刻む
     刻舟(コクシュウ)
     高い舟借りて安い小魚釣る
     助け舟を出す
     同舟相救う
     呑舟(ドンシュウ)の魚
     舟に刻みて剣を求む
     舟に刻して剣を求む
  ↓↑
  月読の尊は以て
  滄海原
  (あをうなはら・ソウカイゲン)の
  潮之八百重
  (しほのやほへ・チョウシハッヒャクジュウ)を
  治(しら)す可し」 」
 の支配を命じられている・・・?
ー↓↑ー
 「ジュウ」の「同音異字漢字」のカイメイ・・・?
  ↓↑
 1970年代前後のボクが耳にした
 日系移民米国人の
 隠語・・・「9・1(九・壹・壱)」
   ・・・ク+イチ=く+いち=じゅう・ヂュウ
      9+1=10(ジュウ・ヂュウ)
       玖+壹=拾(ジュウ)・・・廿(ジュウ・にじゅう・20)
                   念(ネン・にじゅう=弐拾)
 「といち=十一」・・・壹拾壱(イチジュウイチ)=11
 ↓↑
 動詞
 itches=イチィs
       痒い・かゆみ・ムズムズ・かゆい
       I’m itching to 〜
         itchy feet
       〜したくてウズウズしている
       〜したくてたまらない
       フィート (feet)
       feet, foot, ft, feet tall
       足 (たりる・あし・ソク)
       feet, foot, legs, leg, paws, paw
       足元 (あしもと・ソクゲン)・・・たりもと
       feet, foot, underfoot, legroom, footing
       I‘m itching to know
         what’s going to happen next!
       次に何が起こるのか知りたくてたまらない
 ↓↑
 形容詞
 itchy=イチ
    かゆみ・かゆい・かゆく・痒い・痒み
    イッチー(itchy)
 ↓↑
 「11・Ⅺ・拾壱・足元(あしもと・ソクゲン)」
 あし=foot・feet・leg
 ↓↑
 「six feet under=dead」・・・墓穴・死人・死者
 ↓↑
 ユダヤ人(ヘブライ  語 יהודים
        英  語 Jews(dʒu)
           (ジュウ・デュウ・ヂュー・ジュー)
        ラディーノ語 Djudios
        イディッシュ語 ייִדן)
 Jewish(ジューイッシュ・ジュウイッシュ・dʒuːɪʃ)
 イディッシュ語の(Yiddish)
 ↓↑
 ヨーロッパのユダヤ人は
 古代イスラエル人の子孫ではなく
 トルコ系ハザール人?
 ↓↑
 「ハザール人」
 とは一体
 何者なのか?
 ↓↑
 アーサー・ケストラー
 1976年
 『The Thirteenth Tribe
  The Khazar Empire and Its Heritage
 (第十三支族 ハザール帝国とその遺産)』
 ケストラーは、ユダヤの民は
 十二支族からなるとの伝承を踏まえ
 ハザールのユダヤ人は
 13番目の支族だと述べた
 ↓↑
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%AB
 ↓↑
 『ウィキペディア(Wikipedia)』
 ハザール・カガン国
 Xazar
 西突厥
 柔然
 大ブルガリア (中世)
  650年~969年
 キエフ大公国
 ペチェネグ
 ハザールの位置 ハザール・カガン国の版図
 (650年頃が赤、750年頃が橙、850年頃が薄い橙)
 公用語 ハザール語
 首都 イティル
 カガン
 730年~740年
     ブラン・カガン
        ヨシフ・カガン
 建国 650年
 滅亡 969年
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
 ↓↑
 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

 ↓↑
 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
ー↓↑ー
 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
 ↓↑
 ボクの「古事記字源」の発端・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2023/3
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豪雨と熱射、地震・・・禹王の治水=ジスイ=字諏意?

2025-08-13 23:27:35 | 古事記字源
 豪雨と熱射、地震・・・禹王の治水=ジスイ=字諏意?
 「治水」を制する者は「王」・・・・・字垂(推・綏・出・誰)
 拾円紙幣の肖像画・・・治水河川監督・・・和気の清麻呂?
                     わけ=訳・譯・別け
         ・・・アイヌ語 別(ベツ)=河川・・・紋別・芦捌
  ↓↑
  禹(ウ)・・・有・鵜・鸕・宇・・・宇佐神宮・和気清麻呂?
  禸部(ぐうのあし・ジュウ・ジュウの足)
  ウ
  夏(カ)王朝を開いた王・・・
 ↓↑

 ↓↑
 参考原文は「ウイッキペデア」など・・・
 ↓↑
 「禹=ノ+虫+冂=ウ」・・・ウ=鸕・鵜・・・兎(うさぎ)
    毒蛇(どくへび)の形象文字?
    ・・・🐰(兔・兎・菟・莵)
       Rabbit=ラビット=野生の穴ウサギ
           巣穴を掘って集団生活
       Hare =ヘア=野生の野ウサギ
           耳や足が長く、筋肉質で単独行動
       ↓↑
    ・・・hair(ヘアー)=髪の毛・・・?
               カミ(神)の化(懸・卦)?
              宇佐宜(義・疑・義)
              孝謙・称徳女帝=阿部皇女
              道鏡・習宜阿曾麻呂
              銅鏡・道教・同教?
              尼僧・和気広虫(法均尼)
              和気清麻呂(穢麻呂)
          延暦7年(788年)
          備前国
          和気郡の
          吉井川の
          西側の人民から
          居住地と藤野郷にある同郡の役所の間に
          大きな吉井川があり
          雨で増水が発生するたびに
          公務が果たせなくなるとの訴え
          清麻呂は
          河の西側を
          磐梨郡として独立させ
          新たな役所を設置
          水難を避け
          人民の負担に不公平がないよう
          和気郡藤野郷にある駅家を
          川の西側に移転(珂磨駅家?)を
          言上した
          延暦十八年(800年)
          備前国の私墾田100町について
          清麻呂の遺志を継いで子息の
          広世が賑給田として寄進
          天応元年(781年)
          桓武天皇即位し
          清麻呂は
          四階昇進して従四位下
          桓武朝で実務官僚として重用
          延暦二年(783年)
          摂津大夫
          延暦三年(784年)
          従四位上に昇叙
          清麻呂
          摂津大夫しての事績
          延暦四年(785年)
          神崎川
          と
          淀川を直結させる工事で
          大阪湾から長岡京方面への物流路を確保
          延暦七年(788年)
          のべ23万人を投じて
          上町台地を開削し
          大和川を直接大阪湾に流し
          水害防災工事を行ったが失敗
          堀越神社前の
          谷町筋の窪みと
          大阪市天王寺区の
          茶臼山の河底池はその名残り
          「和気橋」という名の橋がある・・・
          摂津大夫を務め
          民部大輔
          民部卿を務め
          菅野真道とともに民政の刷新を行い
          『民部省例』二十巻を編纂
          延暦七年(788年)
          中宮大夫
          皇太夫人の
          高野新笠にも仕え
          新笠の出身氏族
          和氏の系譜を編纂し
          『和氏譜』として撰上
          延暦三年(784年)
          遷都後10年経過しても未完成の
          長岡京を見切り
          山背国
          葛野郡
          宇太村を選んで
          平安京への遷都を進言
          延暦十二年(793年)
          造宮大夫に任ぜられ
          建都事業に尽力
          延暦九年(790年)
          正四位下
          延暦十五年(796年)
          従三位
          公卿に昇ってた
          延暦十八年(799年)二月二十一日
          薨去・享年67
          最終官位
          従三位
          行民部卿
          兼
          造宮大夫
          美作備前国造
          即日
          正三位の位階贈・・・
          丙拾圓券(1次10円)
          江戸時代末
          の嘉永四年(1851年)三月十五日
          孝明天皇は
          和気清麻呂の功績を讃えて
          神階正一位
          と
          護王大明神の神号を贈
          明治七年(1874年)
          神護寺の境内に
          清麻呂を祀った廟は
          護王神社と改称
          別格 官幣社
          明治十九年(1886年)
          明治天皇勅命により
          神護寺境内から
          京都御所
          蛤御門前に遷座
          明治三十一年(1898年)三月十八日
          薨後1100年を記念し
          贈正三位から
          贈正一位とした
          出身地の
          岡山県
          和気町に
          和気氏一族の氏神である
          和気神社があり
          和気清麻呂
          和気広虫
          が祀られ
          ゆかりの寺としての
          実成寺がある
          配流先とされた
          鹿児島県
          霧島市にも和気神社がある
          清麻呂は
          楠木正成などとならぶ
          勤皇の忠臣とされ
          戦前
          十円紙幣に肖像
          (想像図、キヨソーネの描いた
           木戸孝允の肖像画を修正したもの)
          が印刷
          日本銀行券の歴代の
          十円紙幣のうち・・・拾う圓はカミの敝の巾
          兌換銀券の旧券と
          戦後のA号券を除く
          6券種に採用・・・
          十円紙幣のうち・・・拾う圓はカミの敝の巾?
          サン政党・・・・・・・・・・カミヤソウ敝?
          1977年(昭和 52年)10月12日
          大運2018年11月(41歳)乙巳傷官
         年柱 丁巳(戊庚丙)正財・偏官  絶⇔乙巳傷官
         月柱 庚戌(辛丁戊)偏印・印綬冠帯⇔
         日柱 壬寅(戊丙甲)  ・偏官  病⇔
         時柱 辛丑(癸辛己)印綬・劫財  衰⇔
          辰巳空亡・魁罡
       ↓↑
       Bunny=バニー=赤ん坊のウサギ
           子猫と同じ「kitten(キトン)・kit(キット)」
           とも呼ばれることもある
           卯⇔猫=ねこ=根子
      Warren(ウォーレン)=ウサギが地面に掘った巣穴
      Hop(ホップ)=ウサギの跳ねる動作
 ↓↑

 禹行舜趨(ウコウシュンスウ)
 禹惜寸陰(ウセキスンイン)
 禹湯文武(ウトウブンブ)
 禹拝昌言(ウハイショウゲン)
 禹歩舜趨(ウホシュンスウ)
 禹立諫鼓(ウリツカンコ)
 ↓↑
 『説文解字』
 「厹 (九+ム・禸)」に従う
 「禸」の部分は
 初期の字形にはなく
 後の時代に追加された
 意味を持たない・・・・・・・「意味の無い文字」は無い
 装飾的な筆画・・・?
 ↓↑

 日本に遺る
 「禹」の紋の法被
 「禹の文字」の紋が背に縫い付けられた法被
 慶長宗論
 慶長法難
 で知られる
 法華宗不受不施派の僧
 「日経」
 の故郷(茂原市)に遺る
 「黒戸の獅子舞」
 「禹の文字の紋」
 の法被を着る祭・・・
 ↓↑
 禹(ウ)
 夏朝の初代王
 名    文命(ブンメイ)
 諡号  禹
 別称  大禹・夏禹・戎禹
 姓    姒(ジ)
 姓・諱を合わせ
 「姒文命(ジブンメイ)」
 夏王朝創始後
 氏を夏后とした
 大河の治水(黄河)を成功させた
 ↓↑
 禹の父 鯀(コン)
 『漢書・律暦志』
 鯀の五世の祖は
 五帝の一人の
 「帝顓頊」
 禹は黄帝の「雲孫(八世の孫)」にあたる
 禹は舜の族父
 ↓↑
 鯀の父は
 帝顓頊・・・説
 この場合
 禹は帝顓頊の孫
 帝顓頊は
 五帝の一人の
 黄帝の孫・・・説
 この場合
 禹は
 黄帝の
 玄孫(四世の孫)
 禹は舜の族
 高祖父
 堯の同輩
 堯は
 舜の族
 高祖父
 ↓↑
 塗山氏の女を娶り
 啓
 をなした
 ↓↑
 禹は
 天帝の息壌で
 洪水を塞ぎ
 九鼎で天下を定めた
 ↓↑
 禹の治水事業
 禹は治水事業に失敗した父の後を継ぎ
 舜に推挙され
 黄河の治水を監督
 父の
 鯀
 は堤防を固定し
 高地を削って低地を埋める
 「湮」
 と呼ばれる方法を用いた
 鯀
 は9年経っても成果を上げれず
 子の
 禹は
 放水路を作って排水を行う
 「導」
 と
 「疏」
 と呼ばれる方法を用いて
 黄河治水に成功
 ↓↑
 仕事で身体が半身不随になり
 手足は
 ひび・あかぎれだらけになった
 「堯は不慈
  舜は不孝
  禹は偏枯」
 「禹は跳び、湯は偏し」
 禹は当初は
 魚の姿をした・・・説
 ↓↑
 「偏枯」
 歩行方法が「禹歩(ウホ)」で
 半身不随でよろめくように
 片脚で跳ぶように歩く身体技法
 「禹歩」は
 道教や民間信仰の儀式で巫者が実践したやり方
 これによって
 雨を降らし
 岩を動かすことができる
 日本の呪術的な身体技法
 「反閇(ヘンバイ)」も
 『下学集』などの中世の辞書では禹歩と同一視
 ↓↑
 『太平広記』
 「神(瑶姫)は
 禹に
 鬼神を召喚する本を贈る・・・
 ↓↑
 『山海経広注』
 「無支祁(孫悟空の原型)」
 との交戦の描写には
 応竜が禹に加勢し
 最後に捕獲された
 禹は
 稀世の悪獣
 相柳
 を退治
 ↓↑
 夏
 王朝創始
 禹は
 舜から帝位の禅譲を受け
 夏王朝を開いた
 ↓↑
 禹は
 武器の生産を止め
 農民を苦しませず
 宮殿の大増築をせず
 関所や市場にかかる諸税を免除し
 地方に都市を造り
 行政制度を簡略化
 河川を整備し
 土地を耕し草木を育成し
 中央と東西南北の違いを
 旗によって示し
 全国に九州を設置し
 倹約政策
 ↓↑
 竹書紀年
 45年間 帝
 史記
 10年間 帝
 浙江省
 紹興市
 会稽山に
 大禹陵がある
 ↓↑
 禹の
 夏王朝創始
 紀元前2071年
 王朝滅亡
 紀元前1598年
 ↓↑
 夏は
 紀元前2070年
 ~
 紀元前1600年まで
 と定めたが
 禹の実在は証明されていない
 ↓↑
 禹
 治水の神
 治水の英雄
 開拓の英雄
 浙江省
 紹興市
 越城区
 稽山街道
 大禹陵
 禹跡館
 には鋤を持つ禹を刻んだ
 「大禹治水」のレリーフ
 西遊記で
 孫悟空
 が使用する
 如意棒
 はもとは禹が江海の深さを計るのに使用した重り
 道教では
 「水官大帝」
 ↓↑
 日本
 禹信仰の場所は
 133件・・・???
ー↓↑ー
干支歴
 命式作成
http://meisiki.bake-neko.net/meisikisakusei.html?dt=1964
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 メリキリの - YouTubehttps://www.youtube.com/watch?v=7xgS0oJhhe8

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 モモちゃんhttps://www.youtube.com/embed/W00rHNN2zMQ?
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 ↓↑
 「プラトン古事記をカタル(古事記字源)
 (表紙・画像・音楽)」の移転先・・・
https://haa98940.wixsite.com/mysite/blog/archive/2016/12
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 ボクの「古事記字源」の発端・・・
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カミガミの諏(ス)訪(ホウ)・・・?

2025-08-10 18:23:24 | 古事記字源
 カミガミの諏(ス)訪(ホウ)・・・?
 幕末、明治を
 「古事記・日本書紀」の
 「キキ」でヨム・・・?

 「神々の誓いと戦い」
 長野・諏訪大社に宿る
 建   御名 方     神
 たけ  みな かた の かみ
 多懸  音名 縣  之 化視?
 の話(はなし・ワ)・・・倭(ワ)~人+委(ユダねる ・イ)?
                     猶太禰留 ・意
 ↓↑
 タケ ミナカタ
    ミナカタ トミ
 タケ ミナカタ トミ
 ↓↑
 『古事記』
 『先代旧事本紀』
 建   御名  方      神
 たけ みな  かた の   かみ
 ↓↑
 『日本書紀』以外の国史
     南  方 刀美   神
     みな かた とみ の かみ
 ↓↑
    御名方   富   命 神
 建  御名方   富   命
 たけ  みなかた  とみ の みこと
 健  御名方   富   命
 ↓↑
 建  御名方          命
 たけ みなかた    の みこと
 武  御名方       命
 健  御名方   刀美      神
 武  南  方   富   命
 武  南  方           神
 武  御名方 主      命

    御名方 刀美     命
        ↓↑
        とみ=登美・十三・富・臣
  都夫良 意 富美?    とさ=土佐
  円(つぶら・圓・瞳・螺良)
    意富美
大臣(おほおみ)
    大臣(おおおみ)=官職ではなく尊称・・・?
     ↓↑
     ?~安康天皇三年(456年)
     履中天皇二年(401年)
   ・・・履歴・履(靴・沓・鞜・舃・舄・鞵・鞋)・草鞋(わらじ)
           鞾・靸・👞・👢・九十(くつ)
     国政参加・・・大臣
     安康天皇三年(456年)
     眉輪(目弱)王
     が義父の
     安康天皇を殺害
     眉輪(目弱)王
     と共犯者
      坂 合   黒 彦  皇子
     (さかあいのくろひこのみこ)
     を屋敷にかくまう
     雄略天皇
     に屋敷を包囲され
     娘の韓媛(からひめ)
     「葛城宅七区(葛城の屯倉(みやけ)7ヶ所か)」
     を差出し申し出るが
     焼き殺される(『日本書紀』)
     ↓↑
     坂合黒彦皇子
     坂=土+反
     合=亼+口
     黒=里+灬
     彦=立+ノ+彡=彥
     彥=文+厂+彡
     皇=白+子・・・白水郎(あま・海女・海部・海人)
     子=了+ー
     ↓↑
     は逃げこむ前に討たれ
     差出した屯倉は5ヶ所
     眉輪王を殺した後
     自害(『古事記』)
     ↓↑
     奈良県御所市の
     5世紀前半の
     極楽寺ヒビキ遺跡g
     円大臣(葛城氏)の館跡・・・説
     ↓↑
     曾祖父 武内 宿禰
     祖父   葛城 襲津彦
     父    玉田 宿禰(葦田宿禰)
     娘    韓媛=雄略天皇妃
           清寧天皇は外孫
     異名
     円大使主(つぶらのおほみ) 『日本書紀』履中天皇二年
     円大 臣(つぶらのおおおみ) 『日本書紀』雄略天皇元年
     都夫良 意 富美(つぶらのおほみ) 『古事記』安康天皇
           富美(とみ?・ふみ?)
            文・・・杉 文=久坂 文=楫取 美和子?
 ↓↑
 建   御名 方    神
 (たけ みな かた)
 武   南   方 富  命
      南(ナン・ナム・みなみ)・・・南瓜(かぼちゃ・ナンソウ)
何 法(ナムポウ)・何報・難報
    おんな 豊=曲+豆(一+口+䒑)
      音名 法
 ・・・
等と表記を用いる文献
 ↓↑
諏訪大社(長野県諏訪市)
 の祭神として祀られ
諏訪神、諏訪明神、諏訪大明神

諏訪・・・・「諏=言+取」+「訪=言+方(亠+勹)」
 南宮・・・・「南=みなみ=見名実」+「宮=グウ=寓」
 法性・・・・「法性=ホウセイ=豊成」
               豊後=文語
               豊前=文全
 参考「カンジる」部品
 上下・・・・「ト+_」+「 ̄+ト」=うえした・ジョウゲ
                  かみしも=上下=裃
        ꡲ Ꮀ ꡲ ꡲ ߅ Ꮀ ꚱ⺊
        Ↄ ↄ
        ↊ ↋・・・23
        ↅ
        ∕ ∖ ⟋ ⟍ ⟋ ⟍ ⸍ ⸌
        ∟㇘㇗㇕
        ∧∨

        │┃││∣ⵏ㆐㆐︱︲ ︳︱︲︳│ᅵ〡

        ㆐㆐𐩽丿꒐𐌠𐌹¦

        丩𐰈 𐰺𐰈 𐰺丩

       ━ㄧ─㇐ㅡ  ̄ ‾‾‾ _ ⸏ ‾‾ ‾ −

       ㇏+㇒=人=イ=𠂉=厂=𠆢
       乂・又=フ+㇏=右手
               ナ=左手
       ⟘⟙
         ⵎㄩ꒠
       ㇏⸍⸌
       〸𐩢
       〦〧〨言
       ㇈㇉丂
       ㇇㇆
       ㇛㇜㇙㇚
       业丛丝丛
       𠃌 刀 力
       㐅 丂 丅 丆 丷 亻 刂 勹 厶
       畐=𠮛+田
       勹=ノ +𠃌
       匕 匚 卜 厂 又 亡 丌 亏 亼 亾 夂
       尢 广 忄 扌 氵 犭 纟 艹
       キ𠀆丯丰ⵐ‡ힱ
       丆 𠀀 𠀁 𠀂 𫠠 𬺰
 ↓↑
 大明・・・・「一人日月・あかるい」
 神・・・・・・「かみ」
 ↓↑
 お諏訪さま等
 とも呼称
 ↓↑
 建御名方神
 母神
 沼河比売
 ↓↑
 『古事記』
 事  代 主  神
 (ことしろぬし)
 と同様
 大国主神(おおくにぬし)
 の御子神だが
 大国主の系譜を記した箇所には
  建   御名 方   神
 (たけ みな かたのかみ
 の記載は無い
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「地祇本紀(地神本紀)」
 大己貴神(大国主)
 と
 高志沼河姫(コシノヌナカワヒメ)
 の御子神
 「天神本紀」
 国譲りの段で
  建   御名方  神
 (たけ みなかたのかみ)
 が
 事  代 主   神
 (ことしろぬし)
 のことを「兄」と呼ぶ
 ↓↑
 『古事記』
 大  国 主   神
 (おほくにぬし)
 は
 事  代 主   神
 (ことしろぬし)
 を生む
 神  屋楯  比売   命
 (かむやだてひめ の みこと)
 より先に
 沼  河  比売
 (ぬまかわ ひめ)
 を娶って
 『旧事本紀』
 では
 母が
 高  津 姫    神
 (たかづ ひめ の かみ)
 ↓↑
 千引石
 を持ち上げる
 建   御名方   神
 (たけみな かたのかみ)
 ↓↑
 真福寺本
 『古事記』
 葦原中国平定(国譲り)での記述
 天照大御神
 高   御産巣日 神
 (たか みむすび)
 らによって派遣された
 建   御雷   神
 (たけ みかづち)
 と
 天   鳥 船  神
 (あめのとりふね)
 が
 大  国 主   神
 (おほくにぬし)
 に
 葦原中国
 の国譲りを迫った際
 大  国 主   神
 (おほくにぬし)
 は御子神の
 事  代 主   神
 (ことしろぬし)
 が答えると言い

 事  代 主   神
 (ことしろぬし)
 が承諾して隠れると
 大  国 主   神
 (おほくにぬし)
 は次に
 建   御名 方 神
 (たけ みな かた)
 が答えると言った
 建   御名 方 神
 (たけ みな かた)
 は
 千引の石(大勢の力で引く巨大な岩)
 を手先で差し上げながら現れ
 建御名方神
 に力競べを申し出
 彼の手を掴むと
 建御名方神の手は
 氷や剣に変化した
 建御名方神
 がこれを恐れて下がると
 建御雷神
 は
 建御名方神
 の手を
 若葦のように握りつぶして、放り投げた
 建御名方神
 は逃げ出し
 建御雷神
 がこれを追い
 科野国(しなのくに)の
 州羽海(すわのうみ)まで追いつめ
 建御名方神
 を殺そうとしたが
 その地から出ない
 大国主神
 事代主神
 に背かない旨
 葦原中国
 を
 天津神
 の御子に奉る旨を約束した
 ↓↑
 『日本書紀』
 では
 建御名方神
 は登場せず
 大己貴神(おほむなち・大国主)
 は
 事代主神
 の意向を聞いた後に
 国譲りを承諾
 ↓↑
  高皇 産霊   尊
 (たかみむすび)
 に遣わされた神々は
  武 甕  槌   神
 (たけみかづち)
 と
 経津 主      神
 (ふつ ぬし)
 であった
 ↓↑
 『先代旧事本紀』
 「天神本紀」
 では
 『古事記』
 と
 『日本書紀』
 との記述が組み合わされたものが記録
 使者は『書紀』と同様
 武 甕槌 神
 と
 経津主  神
 ↓↑
 『諏方大明神画詞』の国譲り神話
 『旧事本紀』における国譲り神話は
 『諏方大明神画詞』(1356年)
 の冒頭に採用されているが
 建御名方神
 の敗戦と逃亡、追いつめられた話は無い
ー↓↑ー
 アジェンダ(agenda)
 会議の議題や行動計画を記した事前資料
 Schedule(スケジュール)
 会議やミーティングの計画や予定表
 行動計画
 将来実現可能な目標を明記したもの
 法人や国際機関などの組織で使用
 ↓↑
 「summary(要約)」
 「handout(プリント)」
 「resume)(英語・リズーム・レジュメ)」
 「résumé(仏語・レジュメ)」
 「要約・摘要・概要」
 ↓↑
 会議で話し合うべき事柄
 (a list of matters
   to be discussed at a meeting)
 ↓↑
 レジュメ(résumé(仏語))
 要約・概略
 「レジュメ=履歴書」
 ↓↑
 サマリー(summary)
 と同義
 転じて
 大学や大学院で
 論文を制作する際に作る
 論文を要約した資料
 転じて
 研究発表や講義、ゼミなどで
 発表者が配布する発表内容を要約したプリント
 ↓↑
 履歴書
 米国での使用意味され、
 外資系企業の影響で
 日本でもこの意味で使う
ー↓↑ー
 歸る・・・かえる・・・帰=出戻り女
 歸=𠂤+止+ヨ+冖+巾
 ↓↑
 阜=𠂤+十=峊・・・追う・追及・追加
    丿+㠯+十
    𠂤=タイ・ツイ・テ
       丘・小高い丘
   =堆・・・頧=𠂤+頁=阝+頁=異体字「追」
           タイ・テ
           母頧・・・母の追頁・・・?
           頭不正貌  意味 母頧?
           「頭悪い人の相貌」
           貌=皃・䫉・㒵
           顔形・顔貌(かおかたち)
    外貌(ガイボウ)
    恭貌(キョウボウ)
    古貌(コボウ)
    才貌(サイボウ)
    全貌(ゼンボウ)
    相貌(ソウボウ)
    体貌(タイボウ)
    丰貌(フウボウ)
    以貌取人(イボウシュジン)
    厚貌深情(コウボウシンジョウ)
    才貌両全(サイボウリョウゼン)
    体貌閑雅(タイボウカンガ)
    道貌岸然(ドウボウガンゼン)
    貌合心離(ボウゴウシンリ)
    容貌魁偉(ヨウボウカイイ)
   ↓↑
   㠯=以・・・耜=耒+㠯
ー↓↑ー
 かえる
 変える・代える・換える・替える
 蛙=フロッグ・anuran・frog・padda
 かえる=蛙
      蝦蟇
      黽
 rog=雨蛙
 a tree frog=ひき蛙
 a toad=殿様蛙
 a leopard frog=食用蛙
 an edible frog=牛蛙
 a bullfrog=蛙が鳴いている
 A frog is croaking.
 蛙・蛤・蝦
 かえる・かわず(蛙)
 かいる(蛙)
 カエル・frog (かわず)
 河鹿蛙(かじかカエル)
 カジカガエル・・・掛字化替える
 (鹿蛙、金襖子、Buergeria buergeri)
 Amphibians, such as frogs and salamanders,
 are capable of living on land and in water.
 蛙や山椒魚のような
 両生動物は・・・両棲類
 陸でも水中でも
 生息する能力を持っている
ー↓↑ー
 以=人(イの逆字⤵⤵㇙⤵⤵イ)+丶+人
   =㠯・・・耜・犂
     已(巳・己)+凵
     尸+▭
     人=イ
        ㇙⤵⤵・㇙⤵⤵
          イ     イ
    㠯は
    象形
    すき(耜・農機具)の形にかたどる
    「耜(シ)」の原字
    借りて、もちいる、「もって」の意
    に用いる
    以は、㠯の変形
    もって・手段・方法を示す
    理由・原因を示す
    目的・対象を示す
    時間・順序を示す
    比較を示す
    限度を示す
    範囲を示す
    基準を示す
    起点を示す
    条件を示す
    by means of
    because
    in view of
    compared with
ー↓↑ー
    ┐≡﹁﹇﹈﹇﹈﹁﹂¬ ̄𐩽𐭡‾‾‾___
ー↓↑ー
 以上・・・已上・異常・異状・移譲・委譲・移乗・囲繞・居城
 以
 イ・もって・もちいる
 用(もち)いる・使用する
 ~を用いて・~を利用して
 ~に依(よ)って、~に拠(よ)って
 ~に因(よ)って、~が原因(理由)で
 基準となる時・ところ・出来事などから
 ~・より~・よりも~
 以上(イジョウ)=已上イジョウ
 以下(イジョウ)=已下
 以前イゼン・已往(イオウ)
 以後(イゴ)・已後
 同「已」
 ↓↑
 𠆩=人+凡
   ハン・ボン・ホン
   軽薄なさま
   言動が軽々しいさま=僄
 ↓↑
 𠆪=𠆢+丨+匕(七・𠤎)
   コウ
  =高=髙
 ↓↑
 仳=イ+比
   ヒ・ビ
   別れる・離別する
   仳倠(ヒスイ)・仳𠈆(ヒカイ)=顔や姿が醜いさま
   ↓↑
   仹=イ+丰=㒥=僼
       丰=相貌・死
     ホウ・フウ・フ
 偓仹(アクホウ)=伝説上の仙人の名
 仾=人+互
   テイ・タイ
   低い・下がる・低くする・下げる
 仾=低
 互=氐=氏+___
   ノ+㇙+ー+乀+___
 仓=くら=倉仺𡶍・倉庫・蔵・藏
 㐶=化・𠯒・𠏁・𠤎
   カ・ケ・ばける
 性質・形状
 状態などが
 元とは全く違ったものに変わる
 元の様子が分かる程度の変化は「変」
 他の影響を受けて
 また
 時間を経ることによって
 考えや態度などが変わる
 教え導くことによって
 考えや態度などを変える
 ↓↑
「頭悪い人の顔つき」?
 ↓↑
 仦=ソウ・ショウ
   小さい子・小児
 ↓↑
 仧=長=镸𨱗𠤐𠑷𠔊长
   チョウ・ジョウ
   ながい・たける・たけ・おさ
 ↓↑
 仁=忈=忎
   ジン・ニン・ひと
   人を思い遣(や)る、また愛する、またその心持ち
   人、特に思い遣りの心のある人
   果実の核(カク・果実の殻に覆われた種の中身
        中心にあるもの)
 ↓↑
 仨=サァ
   三(さん)・三(みっ)つ・三人
ー↓↑ー
干支歴
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