理系のじじいリケジイのブログ

リケジイがアッチコッチ行ったことや蝶や料理の話です。

作手(つくで)

2014-07-06 10:46:54 | 旅行
新城市の作手は愛知県の屋根とも言える標高4~500mの高原地帯です。ここには広大な長ノ山湿原があり、貴重な動植物が数多く生息しています。昨日梅雨の晴れ間を狙って観察に行ってきました。絶滅危惧種に指定されているヒメヒカゲノハナショウブお昼は作手道の駅で、持参の竹の皮でくるんだおにぎりをいただきました。道の駅らしく駅名の看板までありました。

活魚

2013-10-04 03:17:44 | 旅行
台湾の地理的中心地にある埔里は何回行っても飽きない町です。日本統治時代は埔里社(ホリシャ)と言われていました。ここは内陸部で海から遠いので活魚としてはこういう魚を売っています。ドジョウかな?ナマズかな?ヤッパナマズかな?なんだ、これは!なんにしてもあまり食べる気はしませんね。

台湾B級ホテルの朝食

2013-10-03 03:16:36 | 旅行
ベジタリアンの私は台湾B級ホテルの朝食が楽しみです。野菜料理ばっかのバイキングですから超うれしいです。主食はご飯はもちろんトーストや包やお粥もあります。こんなんやこれとかこういう料理を私は少しずつ全種類お皿に盛ってきます。
いやーどれを食べてもホントにおいしい!!

台湾の川中島

2013-09-27 14:29:17 | 旅行
台湾南投県に川中島というがあります。本当の地名は清流といいます。ここは日本統治時代に、抗日の霧社事件を起こして投降した、セデック族の人々を収容したところです。旧日本軍は、これらの人々と対立しているの人を使って、ここを襲わせたのです。結果は第二の霧社事件といわれるほど悲惨なものでした。このように日本政府の同化政策によって、あの痛ましい霧社事件が起きた小学校でも事件が起きる前には、このようなあどけないセデックの少女たちが日の丸を掲揚していたのです。この写真は川中島の余生記念館に展示してありました。余生記念碑はかつて川中島神社があった所に建てられています。ここに住むセデック族末裔の人々は、あんなにひどいことをした日本人を、さぞ恨んでおられるだろうと覚悟して行きました。ところが全く逆で、村人はとても親切で、大歓迎をされました。バスを待つ我々に椅子を用意して、一緒に飲もうと言ってくれるのです。
帰りにはこのようなセデック族の衣装を着けた熊の縫いぐるみをお土産にもらいました。これには大感激でした。お礼に5ヵ月後の8月に再度ここを訪れることになりました。そのことはまた次の機会に報告します。