KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

「ホラーなんて子どもには見せたくありません」

2006-09-25 13:08:03 | 研究
昨日は、わたしの(一応)、専門領域であるメディア・リテラシー教育のシンポジウムに出席するため、東京にいってきました。

そのシンポジウムでは、オーストラリア・西オーストラリア州のメディア・リテラシーの専門家3名の講演がメインで1時間か2時間ずつあって、最後に日本の実践家・研究者3名の簡単な発表のあと、シンポジウム、という流れでした。

シンポジウムの内容は割愛するとして、
わたしが一番印象に残ったのは、次のことでした。

いやー。絶対さー。
日本でメディア・リテラシー教育の研究or実践しよう!…って言ってる人のほとんどは、マンガもアニメも見たことない!…って奴ばっかりなんだろうね。
もしくは、マンガとかアニメとか(果てはドラマ・映画まで)、まったく価値がわかりません、何が面白いの?…って奴ばっかりなんだろうね。

そのことをあの場で痛烈に実感しました。

そのきっかけとなったのが、最後のシンポジウムでフロアのとある教師から出た一言。
「わたしは個人的には、絶対、ホラーなんて子どもに見せたくありません!ましてや作らせるなんてできません。」

西オーストラリアの専門家が紹介した、生徒たちによって作られた映画作品の中に、殺人シーンやホラー・シーンが、かなり、あったので、それに対するコメントなのだと思います。

わたしは、生徒たちが制作したという、ホラー映画や殺人だらけのソープ・オペラを見て、まったく別の感想を持ちました。
率直に言うと、すごい感銘を受けました。
「わたしのやっていたことは、まったく、無駄じゃなかった」って実感した。

彼ら/彼女らが提示してきた殺人やホラーやレイプや…、そういうものを含めて、その社会・文化的意味や個人史的な意味を問い直していくこと。それが大切なんだということ。
それがスタンダードとして示されていたことが、わたしは、とてもうれしかった。

わたしが教師として彼ら/彼女らの前にたった場合、
わたしは提示されたものをそのまま受け入れて、
彼ら/彼女らとともに、そこで構成されている意味を問い直さないといけない。

それこそ、間違いなく、メディア・リテラシー教育の役割なのだと思います。
そういうわたしの捉え方は、まったく間違っていませんでした。
本当にうれしい!

教師が自分の価値観を暴力的にふりまわして、「これはダメ!」「あれはダメ!」…って言ったって仕方ない。
教室という場で彼らと一緒に、作ったものの意味を考えることができるからこそ、学習者は自分のつくったものを自分の中で相対化していける。そんな貴重な学習の機会を教師自ら奪ってしまってどうするの?
だって社会には、そういうものがたくさん溢れているのだから。
学習者はそういう社会の中で生きているのだから。

…心からそう思いました。

だから、日本なんていう、とっても保守的な場で西オーストラリアの専門家がホラー作品やソープオペラ作品を提示してきたことは、すごく戦略的な行動だと思いました。反感招くに決まっているもの。

そして、日本と西オーストラリアの温度差を痛烈に感じました。
西オーストラリアのメディア・リテラシー教育に関わる人たちは、間違いなく、(いろんな意味で)メディアの「ファン」なんですよね。自分たちでもそう言ってるし。
きっと、あの専門家たちは、ソープ・オペラもドラマも大好きに違いない!
(そうでなければ、「教師作品」とか言って、刑事ドラマ作って、自分を主演にしたりなんてするものかっ!)
彼ら/彼女らは、心から、メディア作品が大好きなのだ。だから、生徒の作品にもあんなに率直に反応できるんだと思う。

それに対して、日本の専門家はいったいなんなんだろう?
本当にあなたたち、メディア作品が好きなの?
どうして、生徒に「公共広告機構」のCMみたいな「環境問題」映像や「学校紹介」ビデオばかり作らせるの?

なんで、この「マンガ大国」日本のメディア・リテラシーでマンガもアニメも取り扱われないの?
異常だよ。異常。

そんなの、つまんないじゃん。昼ドラ作ろうよ!刑事ドラマ作ろうよ!
ホラーもサスペンスも、みんなやってみたい!そっちの方がはるかにおもしろそうだ。
マンガかこうよ!アニメつくろうよ!
みんなでマンガ描いて、コミケで売ろうよ!

西オーストラリアの専門家は最後に一言、
「enjoy the media!!」(メディアを楽しんで!)と言った。

これは本当にすばらしい一言だと思う。
日本のメディア・リテラシー教育に一番足りないものだ。それを彼ら/彼女らは正確に言い当ててる。