KIMISTEVA@DEEP

新たな「現実」を構成するサブカルチャー研究者kimistevaのブログ

自分では気づけない本当の魅力

2006-09-07 18:14:31 | わたし自身のこと
石田衣良『娼年』の中に、

「自分で分かる魅力なんて、底の浅いものよ」

…というセリフがあって、ここのところずっと、そのことを考えている。

わたしには、すごく大切にしている人がいるけれど、
その人の魅力のことを考えると、確かにそのとおりだと思わざるを得ない。

本人が気付いていないばかりか、
その魅力を本人に正確な形で伝えることすら難しいと思う。

「全体性をもっていること」とか
「なにかを生み出すことができること」とか、ものすごく抽象的な言葉に置き換えるしかない。

でもそれがわたしにとっては真実。

あるいは、ものすごく具体的な話をするしかないのだけれど、これもまったく伝わらない。

この前、花の種をもらったときに、「ああ。わたしって、本当に、生きてるんだなぁ」「世界はちゃんと一つにつながっているんだなぁ」って思って、ものすごくうれしかったんだよ。

…なんて言ったところで、なにひとつ伝わってない気がする。

わたしの感動するポイントは、ちょっとよくわからないところにある。
だけど、そのよくわからない感動ポイントを、あなたはまったく自分の意識していないタイミングで探し出してくる。

それが、わたしにとってのあなたの魅力なのだけど、そんなこと、まったくあなたは気付いていないのだろうと思う。

そう考えると、人間の魅力なんてそんなものなのかもしれないなぁ、と思う。
本人が気付くことができるほど、一般化されて誰もが通じるような魅力なんて、人の魅力のほんの一部。しかもコード化されすぎてて、はてしなく陳腐だ。

ほんとうの魅力は、誰もがもっている「ちょっとずれた」感動ポイントに、誰かのなにげない一瞬が光って見える、その瞬間に生まれるのかもしれない。

そう考えると、魅力なんて見える人にほんの一瞬、気付くことのできる特別な何かでしかないんだろうね、って思う。

権威による語り:香山リカ『<じぶん>を愛するということ 私探しと自己愛』

2006-09-07 17:59:21 | 
専門学校生に紹介したり、話題として提供したりするために、一般向けの心理学チックな本を読むことが多くなりました。

河合隼雄氏とか香山リカ氏など、高校生くらいの女の子が、ちょっと心につまづいてしまったり、頑張りすぎてる自分に気付いたりするときにふらっと立ち寄ってしまう本が多いですね。
だって、保育士や看護士を目指そうとする人たちって、「誰かのためにがんばりたい」人たちが多いんだもん。
他人の幸せと自分の幸せを混同しているような状態を、ちょっと、振り返ってもらうことってとても大切なことだと思うのです。

そんな次第で、ブックオフで100円だった、香山リカ『<じぶん>を愛するということ 私探しと自己愛』を読みました。

とりあえず、香山リカ氏の本を読んでいて疑問なのは、どうしてそんなに「わたしはすべて理解してます」…っていう感じの文体で書くのだろう?ということ。

やっぱり精神科医やカウンセラーって、どうしても、ある程度の権威性を示すことが必要なんだろうか?
それが文体にも表れてしまっているということなのだろうか?

この点でいうと、教育学者の方がまだ権威性を明示している分いいと思う。
香山リカ氏の怖いところは、「わたしはあなたの同じ地平にいるよ」と言いつつ、そっと権威の手を伸ばしていくところだ。
本を読み終わったあとに、彼女の意見を相対的に捉えて、「でも、わたしはこう考える」と自分の意見を述べることのいる読者が果たしているのだろうか?

香山リカ氏の本を読み終えたあとに、読者ができることは、彼女の妄信的な信者になるか、あるいは、まとわりつこうとする彼女の権威を「あたしは、香山リカなんて嫌い!」「こんなの香山リカが勝手に言ってるだけじゃん!」…ってつっぱねることだけだと思う。

つまり、まったく対話が生まれないのだ。
香山リカ氏は、精神科の専門家としての権威の中で語っている。
彼女の文章そのものの中には、文章としての説得力があまりないのだと思う。

だから読者は、彼女という権威的な存在に対して、反応することしかできない。
これって文筆家としてはどうなんだろうね?

個人的な意見を言うと、悩める人たちが自分のことを考えるための「資源」が増えていくことは良いことだと思う。
「アイデンティティ」も「自我」「超自我」も、「拒食症」も「アダルト・チルドレン」も、苦しいわたしの状況を救ってくれる資源だったことは間違いない。

だけど、それらの言葉はあまり権威性をもたない、どうとでも使用可能な言葉だったからこそ、わたしには意味があった。
わたしは別にエリクソンの信者になることもなかったし、フロイトなんてむしろ軽蔑してるくらいだ。

だけど、彼らが編み出した言葉は間違いなくわたしを救ってくれた。
だから、そういう「資源」だけを増やしていってほしい。
言葉や物語といった、さまざまに利用可能な「資源」だけが必要。
あとは、その人自身やそのまわりの人たちがそれを利用しながら、ゆっくり自分の物語を作っていけばいいのだと思う。

権威を示したら、その権威に追従したくなってしまうものなんだよ。人間は。
それはそれでいっときの救いや癒しをもたらすのかもしれないけれど、
それだけの責任を、果たして、香山リカ氏はたしてくれるのだろうか、と考えると、ちょっとそこに危ない落とし穴があるような気がしてならない。