こんばんは。
朝は曇り空、じきに降るのかと構えておりましたがほとんど降らずじまいで夕方になりました。
今の方が風が湿ってきた感じです。
降るとするとこれからでしょうか。
先日、千田さんの講座に出た折に白い龍の話が出て、その時に彼女ご自身が描かれた白龍があるんですと言ってある絵を見せて下さいました。
ココフィレいわきというフリーペーパーに毎月表紙絵を描いておられるとのことでこの3月に白い龍を入れてみられたのだとか。
その絵を見た時、自分がいつも想念の中で思い描く白龍とそっくりに感じられ、それを話すと一枚差し上げますよと言って下さった物でした。
子供たちの上を翔けていく龍そのものがどことなく優しげに感じられ、自分の中の龍とシンクロしたように思えました。
そう、自分のイメージの中に出てくるたおやかな女性性をもったような白龍そのままが空を飛んでいくように感じて嬉しくなりました。
龍自身?どこかで誰かと繋がっているのでしょうか、そんな風に思えた千田さんの絵でした。
これは一昨日の夜の半月より少し太めの月が山際に下りて行く様子を見ていた時に感じた月読尊からの言葉です。
半月より少し太った月を見ながら
“ 光となる星も 全きの闇の中から
生まれることを知って下さい
陰と陽は 必ずあるのです
どちらか一方だけだと
それがあること 存在することすら
分かりません ”
これまでにも似たような言葉を他の存在からも伺ったように思います。
この度は陰と陽であるならば、陰を司るとも感じられる月読尊からの言葉として伝えて頂いたようですね。
此処でいわれているように、確かに星が誕生する際には暗い中から生まれてくると聞いたことがあります。
ただ自分自身、そこまで詳しくは存じませんので、そうなんだなと思う程度なのですけれど。
光ばかりの中では、その光すら分からず、闇である暗さがあるからこそ光の明るさが分かるのだと思います。
どちらか一方だけだとそれがることすらわからない、というのは言われている通りかと思います。
どちらかしか知らなければ、そのことがあることすらわからない、ちょっとパラドックスな感じですが、そうなのだと思います。
少しずつ、ゆっくりと沈んでいく月を見るのはなんとも不思議なようで面白い感覚ですね。
山の向こうへ沈んだあとは太陽ほどではありませんが、ほんのわずか朧にその向こう側が明るい感じもしておりました。
(またもやまずい;絵ですが、山の向こうへ沈むお月様です、千田さんの絵とはえらい違いだ;苦笑)
昨日書きかけて挫折した;(笑)神様のこと、もう一度書かせて頂きたいと思います。
ただし、これはあくまで自分の考えですので(当然ですが)そこのところはご承知おきくださいね。
書いてみたいと思ったのは様々な神、あるいは多くの存在にせよ、先人がその神なり存在なりにある定義を加えていると次にその神等に繋がろう
とすると、その先人達が定義してしまった後の存在らに繋がるのでは、ということです。
昨日、難しいと感じておりましたのは例に出しておりました素戔嗚尊(すさのおのみこと)という神ですが、この神自身、荒ぶる神であると考え
られております。
それはしかし、先人達がこの神についてそう定義したからではないのか、そう思いました。
もし何もそれを知らぬまま知らされぬまま、神、あるいはそのような存在としてこの素戔嗚尊に素直に繋がる、コンタクトした場合は、その存在
そのものの本質部分にダイレクトに繋がることが出来るのではないか、そう感じたことをお伝えしたい、そう考えておりました。
そのところが自分ではどのように説明させて頂いたものかと無い頭を絞っていた、というそれだけの話だったのですけれど;。
みやすい話をややこしくしてしまいまして、かえって申し訳ございません;。
ともあれ、何の偏見もなくある場所に存在する、あるいはいろいろな神社等に坐す神に繋がってみると、それぞれが感じる自分だけのその存在の
感覚、捉え方があるのではないか、そう思います。
素戔嗚尊という神、この存在は荒ぶる神の性質がクローズアップされておるようですが、本来は農耕を執り行う上で荒れる川、それが八岐大蛇と
言われた斐伊川であり、それを平定してそこへ住まう人々の暮らしを豊かにせんがために働かれた神と、ことに出雲ではいわれておるようです。
昨日も少し触れましたが、この神自身をその当時の人々が自分達の都合の良いようにその性質を少し歪めて書かれたがゆえに、現在の自分達も
素戔嗚尊という神に繋がる時、そこの部分へどうしても繋がってしまい、そこから情報をダウンロードしてくるようになっているのではないのか
そのように感じました。
これは何も神に限ったことではなく、ごく普通にお付き合いする人との間でも同様なのではないかと思います。
全く何も知らずに初対面の人と対してその人に感じる思いと、事前にその人に関するネガティブな部分を聞かされていれば、どうしてもそこの
部分に引っかかりを持って目の前の人を見てしまうのではと感じます。
事前にどのような情報を与えられているかで、自分が受け取るその人物なり、存在なりの見方は変わってくるのではと思います。
それが長い年月を経れば経るほど、その情報は定着してしまい、もはや本来の事実とはかけ離れたものへと変わった事柄へ自分たち自身がアクセス
してしまうようになるのでは、ということですね。
先にも申したように、何も知らず知らされずに大元のその存在にダイレクトに繋がることが出来たならば、下ろされてくる、ダウンロードされて
くる情報は、実際にはとてもピュアなものなのではないのか、そう感じます。
歪まされた事柄、とうように先にも書きましたが、しかしこれとて立場が違えば見方も違ってきますのでそれはある意味仕方がないことなのかも
しれません。
いずれにしても、その存在の本質は実際にはどうであるのか、そこのところが重要なのだと思います。
何やら偉そうげに;こ難しいように書きましたが、大したことないですよね;。
一人で泡食ったように勢いづいてしまいまして、申し訳ございませんでした。(苦笑)
ところで昨日テラが話してくれたことがあります。
これもそれほど変わったことではありませんが、書き留めておりましたので上げさせて頂きたいと思います。
〝 肉体っちゅうのは この三次元にあるもんやさかい
頭では大丈夫思うてても
どうにも出来へんことも あるねんで
せやさかいに しんどいのんが あんまりにも酷い思う時は
迷わずメンテナンスすることやね
その為にも 此処はひとつ より踏ん張って
仕事させてもらわはって
稼がせてもらうことやね 〟
最後の二行、これは特に自分に対してはっぱをかけられたようなものですけれど;。(笑)
前半は、これはどなたにも当てはまることではと思いますよね。
頭では大丈夫、と思っていても案外身体はダメージを受けていることもあるのではとも感じております。
若いから大丈夫と感じておられる方もいらっしゃるでしょうけれど、確かにある程度は若さでカバー出来ますが、無理をすると必ず後になって
どこかで歪みは出てくるのでは、と思います。
アスリートにせよ、ハードな練習なりをした後には十分な休養やメンテナンスを施すからこそ次のステージに立てるのではと考えます。
ごく常人の自分達ならば、尚更そのようなメンテナンスは大事なのではと、自分自身、殊に最近は感じておるところです。
前に進むことは大事ですけれど、しっかりとメンテナンスしつつ歩んで行きたいものですね。
昨年の今日、自分で書いたブログですが毎日このgooブログよりこういうのを書いていましたよ、と伝えてくれます。
https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/5348138584430f4188b2ac16b8b5207c
自分のここでの表し方が今ひとつ良く分からないので申し訳なのですけれど、昨年の6月23日のブログ『あちらの世界』と称して書かせて
頂いておりました。
いつに変わらぬ稚拙な文章ですけれど、目を通して頂けますと幸いに存じます。
こうして書いておりますと、どうにもこの中古のパソコン、以前からあまり調子は良くないと申しておりましたが、本当にどうにも症状が頂け
ない;状況になってきておるようです;。
いい加減、やはり早いうちに次の候補を見つけたほうが良いようですね;。
そのためには先ほどのテラの言葉ではありませんが、『此処はひとつ より踏ん張って仕事させてもらわはって 稼がせてもらうことやね』と
このように励まさせて頂きたいと思っております;。
いや、ほんと;。
もうひとつ、実はテラからの言葉がありましたがかなり今日はてんこ盛り気味となりましたので、この言葉はまた明日伝えさせて頂ければと
思います。
またその言葉と共に皆様にもお伝えさせて頂きたいことも考えておりますので、しばしお待ち頂ければと存じます。
ま、大したことじゃないですけれどね;。(笑)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
朝は曇り空、じきに降るのかと構えておりましたがほとんど降らずじまいで夕方になりました。
今の方が風が湿ってきた感じです。
降るとするとこれからでしょうか。
先日、千田さんの講座に出た折に白い龍の話が出て、その時に彼女ご自身が描かれた白龍があるんですと言ってある絵を見せて下さいました。
ココフィレいわきというフリーペーパーに毎月表紙絵を描いておられるとのことでこの3月に白い龍を入れてみられたのだとか。
その絵を見た時、自分がいつも想念の中で思い描く白龍とそっくりに感じられ、それを話すと一枚差し上げますよと言って下さった物でした。
子供たちの上を翔けていく龍そのものがどことなく優しげに感じられ、自分の中の龍とシンクロしたように思えました。
そう、自分のイメージの中に出てくるたおやかな女性性をもったような白龍そのままが空を飛んでいくように感じて嬉しくなりました。
龍自身?どこかで誰かと繋がっているのでしょうか、そんな風に思えた千田さんの絵でした。
これは一昨日の夜の半月より少し太めの月が山際に下りて行く様子を見ていた時に感じた月読尊からの言葉です。
半月より少し太った月を見ながら
“ 光となる星も 全きの闇の中から
生まれることを知って下さい
陰と陽は 必ずあるのです
どちらか一方だけだと
それがあること 存在することすら
分かりません ”
これまでにも似たような言葉を他の存在からも伺ったように思います。
この度は陰と陽であるならば、陰を司るとも感じられる月読尊からの言葉として伝えて頂いたようですね。
此処でいわれているように、確かに星が誕生する際には暗い中から生まれてくると聞いたことがあります。
ただ自分自身、そこまで詳しくは存じませんので、そうなんだなと思う程度なのですけれど。
光ばかりの中では、その光すら分からず、闇である暗さがあるからこそ光の明るさが分かるのだと思います。
どちらか一方だけだとそれがることすらわからない、というのは言われている通りかと思います。
どちらかしか知らなければ、そのことがあることすらわからない、ちょっとパラドックスな感じですが、そうなのだと思います。
少しずつ、ゆっくりと沈んでいく月を見るのはなんとも不思議なようで面白い感覚ですね。
山の向こうへ沈んだあとは太陽ほどではありませんが、ほんのわずか朧にその向こう側が明るい感じもしておりました。
(またもやまずい;絵ですが、山の向こうへ沈むお月様です、千田さんの絵とはえらい違いだ;苦笑)
昨日書きかけて挫折した;(笑)神様のこと、もう一度書かせて頂きたいと思います。
ただし、これはあくまで自分の考えですので(当然ですが)そこのところはご承知おきくださいね。
書いてみたいと思ったのは様々な神、あるいは多くの存在にせよ、先人がその神なり存在なりにある定義を加えていると次にその神等に繋がろう
とすると、その先人達が定義してしまった後の存在らに繋がるのでは、ということです。
昨日、難しいと感じておりましたのは例に出しておりました素戔嗚尊(すさのおのみこと)という神ですが、この神自身、荒ぶる神であると考え
られております。
それはしかし、先人達がこの神についてそう定義したからではないのか、そう思いました。
もし何もそれを知らぬまま知らされぬまま、神、あるいはそのような存在としてこの素戔嗚尊に素直に繋がる、コンタクトした場合は、その存在
そのものの本質部分にダイレクトに繋がることが出来るのではないか、そう感じたことをお伝えしたい、そう考えておりました。
そのところが自分ではどのように説明させて頂いたものかと無い頭を絞っていた、というそれだけの話だったのですけれど;。
みやすい話をややこしくしてしまいまして、かえって申し訳ございません;。
ともあれ、何の偏見もなくある場所に存在する、あるいはいろいろな神社等に坐す神に繋がってみると、それぞれが感じる自分だけのその存在の
感覚、捉え方があるのではないか、そう思います。
素戔嗚尊という神、この存在は荒ぶる神の性質がクローズアップされておるようですが、本来は農耕を執り行う上で荒れる川、それが八岐大蛇と
言われた斐伊川であり、それを平定してそこへ住まう人々の暮らしを豊かにせんがために働かれた神と、ことに出雲ではいわれておるようです。
昨日も少し触れましたが、この神自身をその当時の人々が自分達の都合の良いようにその性質を少し歪めて書かれたがゆえに、現在の自分達も
素戔嗚尊という神に繋がる時、そこの部分へどうしても繋がってしまい、そこから情報をダウンロードしてくるようになっているのではないのか
そのように感じました。
これは何も神に限ったことではなく、ごく普通にお付き合いする人との間でも同様なのではないかと思います。
全く何も知らずに初対面の人と対してその人に感じる思いと、事前にその人に関するネガティブな部分を聞かされていれば、どうしてもそこの
部分に引っかかりを持って目の前の人を見てしまうのではと感じます。
事前にどのような情報を与えられているかで、自分が受け取るその人物なり、存在なりの見方は変わってくるのではと思います。
それが長い年月を経れば経るほど、その情報は定着してしまい、もはや本来の事実とはかけ離れたものへと変わった事柄へ自分たち自身がアクセス
してしまうようになるのでは、ということですね。
先にも申したように、何も知らず知らされずに大元のその存在にダイレクトに繋がることが出来たならば、下ろされてくる、ダウンロードされて
くる情報は、実際にはとてもピュアなものなのではないのか、そう感じます。
歪まされた事柄、とうように先にも書きましたが、しかしこれとて立場が違えば見方も違ってきますのでそれはある意味仕方がないことなのかも
しれません。
いずれにしても、その存在の本質は実際にはどうであるのか、そこのところが重要なのだと思います。
何やら偉そうげに;こ難しいように書きましたが、大したことないですよね;。
一人で泡食ったように勢いづいてしまいまして、申し訳ございませんでした。(苦笑)
ところで昨日テラが話してくれたことがあります。
これもそれほど変わったことではありませんが、書き留めておりましたので上げさせて頂きたいと思います。
〝 肉体っちゅうのは この三次元にあるもんやさかい
頭では大丈夫思うてても
どうにも出来へんことも あるねんで
せやさかいに しんどいのんが あんまりにも酷い思う時は
迷わずメンテナンスすることやね
その為にも 此処はひとつ より踏ん張って
仕事させてもらわはって
稼がせてもらうことやね 〟
最後の二行、これは特に自分に対してはっぱをかけられたようなものですけれど;。(笑)
前半は、これはどなたにも当てはまることではと思いますよね。
頭では大丈夫、と思っていても案外身体はダメージを受けていることもあるのではとも感じております。
若いから大丈夫と感じておられる方もいらっしゃるでしょうけれど、確かにある程度は若さでカバー出来ますが、無理をすると必ず後になって
どこかで歪みは出てくるのでは、と思います。
アスリートにせよ、ハードな練習なりをした後には十分な休養やメンテナンスを施すからこそ次のステージに立てるのではと考えます。
ごく常人の自分達ならば、尚更そのようなメンテナンスは大事なのではと、自分自身、殊に最近は感じておるところです。
前に進むことは大事ですけれど、しっかりとメンテナンスしつつ歩んで行きたいものですね。
昨年の今日、自分で書いたブログですが毎日このgooブログよりこういうのを書いていましたよ、と伝えてくれます。
https://blog.goo.ne.jp/kimibluekimi/e/5348138584430f4188b2ac16b8b5207c
自分のここでの表し方が今ひとつ良く分からないので申し訳なのですけれど、昨年の6月23日のブログ『あちらの世界』と称して書かせて
頂いておりました。
いつに変わらぬ稚拙な文章ですけれど、目を通して頂けますと幸いに存じます。
こうして書いておりますと、どうにもこの中古のパソコン、以前からあまり調子は良くないと申しておりましたが、本当にどうにも症状が頂け
ない;状況になってきておるようです;。
いい加減、やはり早いうちに次の候補を見つけたほうが良いようですね;。
そのためには先ほどのテラの言葉ではありませんが、『此処はひとつ より踏ん張って仕事させてもらわはって 稼がせてもらうことやね』と
このように励まさせて頂きたいと思っております;。
いや、ほんと;。
もうひとつ、実はテラからの言葉がありましたがかなり今日はてんこ盛り気味となりましたので、この言葉はまた明日伝えさせて頂ければと
思います。
またその言葉と共に皆様にもお伝えさせて頂きたいことも考えておりますので、しばしお待ち頂ければと存じます。
ま、大したことじゃないですけれどね;。(笑)
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。