こんばんは。
室内でいると特に何とも感じませんが、外へ出て少し歩くだけでかなり汗ばみます。
湿度がそれだけ高いのでしょうね。
梅雨ですので当然ですけれど、この季節があるからこそ稲も育つのだろうと思います。
そんな雨が降る田んぼ近くではツバメが低く飛んでいるようでした。
このところ、しつこいくらいにしんどい感満載;でしたけれど、どうした自分;もうそんなお年頃になっつまったのか;と自分で自分に突っ込む
思いでしたけれど、おそらくこれが原因というのがわかりました;。
何のことはない、この三日の一斉清掃の疲れが出ておったのでした、あぁ;。(苦笑)
普通筋肉痛といえば早ければ次の日に出てきますけれど、年を重ねるとどうやらかなりな時間差、タイムラグが発生するようです;。
つまり日曜日の次の日、月曜日は確かに多少はしんどいなと感じておりましたがそれほどでもなく、ましてやあの美しい環天頂アークを撮るのに
夢中になれたくらいですので元気はまだあったのだと思います。
それが火曜、水曜となってきて、また水曜は午前中にかなり気合をいれてお祓いをさせて頂いておりましたし、その後くらいからどうにも腕も肩も
何故かしら張って凝ってしんどい;と思っておったのでした。
それにしてもそこまで腕が痛くなることはしてないけれど;と思っておりました。
ふと、あ、そういえば、と日曜日に草とはいえその茎がまるで小枝ほどにも伸びていた蓬を何十本と小さく手折ってゴミ袋に入れる作業を、粗方
掃除も終わった後で何人かの方と作業しておったのを思い出しました。
言ってしまえばたったそれだけ;なことなのですが;。
左腕は一昨年に骨折しており、右胸の肋骨は十年以上前にひびがはいったことがありました。
どちらもそんな古傷ですけれど、どうやらそんな部分が時間が経った後でかなり堪えたのか;どうにもだるさが抜けない程にしんどくなった理由の
ようでした。
何ともお粗末な身体でございます;。
それでも自分で納得の行く;?理由が見つかりましたので、何もなく疲れたのではないことがわかっただけでも良かったと思っております。
皆様、グズグズと申し訳ございませんでした。(苦笑)
写真はやっと咲き出した我が家の狭い庭にある榊の花です。
昨日までは蕾でしたが、夕方見てみると何輪か蕾が開いてきていたようでした。
神殿にも榊の枝を生けておりますが、どうにも室温が高くなってくると途端に萎れたようで、此方のは上手く咲いてくれるかどうかわかりません。
それでも花が咲けば神殿は良い香りに包まれて芳しく感じます。
ただこの花の香りはとても独特で、自分はとても高貴な香りに感じるのですけれど人によってはあまり好きではないとおっしゃる方もおられ、やはり
人それぞれのようですね。
今朝は祝詞奏上の前後に感じたことを書かせて頂きます。
祝詞奏上後、瞑想
その前グーグルマップで吉備津神社等のある山を見ていた
最初はその道のため
でもふと山中を見ると彼方此方に磐座(いわくら)と思しき遺跡?
ひとつひとつ見ていくとまさに古代の磐座
写真等にもよるけれど不思議と心落ち着くような感じ
古の人々は此処で神と思しき存在と多くの繋がりを持っていたのか?
平野の中にポツンポツンと山があるような岡山平野の中で
ましてや明るい陽光の中で、あたかも天に近い場所で繋がりを持とうとしたのでは?
機会があれば訪れてみたいけれど
そんなことを思いつつ 大神に伺うけれど
女神のような柔らかい波動の存在?
違うのか?
ともあれなにか坐す(おわす)
目を閉じてしばらくすると非常に明るい影がない光だけの世界へ囲まれたよう
何とも言えぬ心地
知らず知らずに腕が大きく弧を描きながら上へ向く
ゆっくりと動く 気持ちよい
ふと もしかすると 古の巫女と呼ばれる女性が舞いを舞ったというのは
こんな自然と湧き出るような動きを系統化していったのではと感じる
心地よい
何か光と一体となった感覚
ともあれ近いうちに訪れよう
故あって岡山の吉備津神社へ幾度か足を運ばせて頂いております。
理由を話すと長いのですけれど、どうも自分自身の母方の血筋と関係あるようです。
ようです、というのは結婚、主人と一緒になることにも何か理由があったようで、それらのことは自分が大神に逐一伺って出てきた話です。
ですので実際の史実というのか家の歴史というのか、そこから少し逸脱した話、亜流の話となるのかもしれません。
なんのこっちゃ;?ですよね。
つまり自分が大神の伺った話は、もしかすると自分という魂に繋がるけれど別の次元の自分のご先祖なり御霊なりの話なのだろうということです。
ますますややこしい話となってきましたけれど;。
ともあれ、自分のご先祖と思しき方がこの吉備津神社へ関係していたようでした。
此処の話はまたいずれ詳しく述べたいと思います。
そんな関係で、主人が元気なうちは毎年お正月を過ぎた頃に此方の神社へ参拝させて頂いておりました。
主人が具合が悪くなってからはとても行く時間はありませんでしたけれど、息子が大学卒業後に二人で久しぶりに訪ねたことがありました。
多分、今くらいの時期だったかと思います。
境内へ参るには階段を登るか、或いは長い回廊を登って行くかの二通りの道があります。
最初にこの地を訪れた時、それまで見たこともない場所であったにもかかわらず、ああこの回廊は覚えがある、何度も此処を歩いていた、と古い
記憶が蘇ったように感じたのを覚えております。
自分の中の遺伝子、DNAに刻まれた記憶だったのでしょうか、不思議な感覚でした。
そんな吉備津神社ですけれど、以前からこの神社がある山自体、何かあるのかなと感じておりました。
その頃は今ほどネットで何でも検索出来る時代でもなく(今から二十年ほど前の話ですけれどね;)せいぜいがその地の地図を買い込み、行く道順を
ある程度は頭に叩き込んで出発するのがせいぜいでした。
神社へ参拝し、ぐるりと回ったところへ位置する吉備津彦神社へも同様に参拝させて頂いて帰るというのがその頃のスタイルでした。
申すようにご縁ある処ではありますし、せめて一年に一度位は参らせて頂きたいと思いつつも最近では先に申したように三、四年程前の事です。
久しぶりに参らせて頂こうかと先日より考えておりましたので、今朝、さてどの道を通ろうかといつものグーグルマップを見ていたところから今日
の話へと繋がってきます。(此処まで長いですよねぇ;;、すみませんです;)
さて、吉備津神社へ参るのに、現在息子が倉敷へ居ることもあり、どうせなら一緒に参ろうかと、それも併せて良い道を探っておりました。
ご存知のようにグーグルマップ、当然地図ですから;上から俯瞰して各所の名称を入れてあります。
道を見ながらもそうして見ておりますと、あれ?吉備津神社等があります山の中、山中にあれこれと古墳とか石室等の文字が見えます。
なんだろう?とそこを拡大し詳しく見てみると、結構少なからずの方の口コミが載せられていたり写真も添えてあります。
その写真を拝見すると、なんとも大きな岩、それこそ磐座が数多くあったのでした。
自分があたかもそこへ居るかのように想像してその場所へ身を置いてみるとしたらば、果たしてどのように感じられるのか、そんなことを思いつつ
見ておりました。
そこは眼下に広がる平野が見渡せ、頭上には大きく開けた空があるきりです。
古には、その磐座へ神を降ろし、人間と神とが一体となって祭り事を行っていたのではないのか、そんな風に感じました。
また祭り事とはすなわち政り事でもあり、その当時はその辺りを支配する豪族なりの統治する場所であるが故に余計に一般の人々の出入りを禁じて
いた場所であったのかもしれない、とも思いました。
ただし、どこまでいってもこれは自分の憶測に過ぎませんけれど。
またその場所で神の御籤(みくじ)を降ろしたであろう巫女はある種トランス状態となり舞を舞うが如くの状態を示したのかもしれません。
けれど、自分が今回感じたのは、神の前で目を閉じて静かに瞑想した際、ただ座っているだけなのに、自ずと腕が上がり自然に舞うような格好を
取っていったのではないのか、ということでした。
ただただ降りてくる感覚に従い、腕を上げ下げし、そのうちに身体も舞を舞うが如くに動いたのではないか、それが後にある程度の部分を系統だた
せて、その神社なりに伝わる巫女舞へと変化、進化していったのではないのかな、そのように感じました。
ただし幾度も申しますようにあくまでも自分の憶測の域を出ません。
そうであったかもしれない、そう思うだけの話です。
彼の地で神を降ろして行われたことは、これも申すように政り事であっかどうかは全くわかりません。
そちらの方面ではなく、純粋に神と人間が繋がることを目的としておったのかもしれません。
そのような山、地であるからこそ、その周辺には社寺が今もなお多くあるのではとも感じます。
またその山へと降ろされたと思しき神なり存在を思うと、どこかしら優しい女性性を感じました。
吉備津神社、ならびに吉備津彦神社で御祭神とされておりますのは共に大吉備津彦命とされており、男性神のようです。
ですので自分が捉えた存在とは別の神、或いは存在なのかもしれません。
これもまた、いつか機会があればその山中に残る磐座なりをこの足で訪ねて行き、その場の空気を吸いながら感じ取って来れればと思うところです。
何かまた面白い発見?があるかもしれませんね。
これもいつかツアーでも組んでみましょうかね;。(笑)
毎朝、スピ系の方の書かれたブログを拝読するのが日課とも書きましたけれど、その中にさとうみつろうさんの書かれた「笑えるスピリチュアル」と
いうブログがあります。
今日、彼のブログでもこの磐座について少し触れておられました。
ただし彼のいう場所は広島県。
なんと自分の住まう県でもあります。(広島にも近いらしい(笑))
これも何とはなしに、今日はどこか自分達の頭の上のクラウド辺りで同じような話題について感じる部分があったのかな、もっと言えばシンクロ
する部分があったのかな;?と僭越ながら思った次第です;。
そう思うと、どこかで誰かと何がしかで繋がっているのかもしれない、とますます妄想は肥大化して行きそうです;。(苦笑)
今日は大いなる瞑想ならぬ妄想話;でございました。(笑)
それでも想像、否、妄想;することはとても楽しいことでもあります。
皆様はどんなことを妄想するのが楽しいでしょうか。
どうぞ素敵な方向へ想いを膨らませて行ってみて下さい。
いつかはその想像が本当になっているかもしれませんよ。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。
室内でいると特に何とも感じませんが、外へ出て少し歩くだけでかなり汗ばみます。
湿度がそれだけ高いのでしょうね。
梅雨ですので当然ですけれど、この季節があるからこそ稲も育つのだろうと思います。
そんな雨が降る田んぼ近くではツバメが低く飛んでいるようでした。
このところ、しつこいくらいにしんどい感満載;でしたけれど、どうした自分;もうそんなお年頃になっつまったのか;と自分で自分に突っ込む
思いでしたけれど、おそらくこれが原因というのがわかりました;。
何のことはない、この三日の一斉清掃の疲れが出ておったのでした、あぁ;。(苦笑)
普通筋肉痛といえば早ければ次の日に出てきますけれど、年を重ねるとどうやらかなりな時間差、タイムラグが発生するようです;。
つまり日曜日の次の日、月曜日は確かに多少はしんどいなと感じておりましたがそれほどでもなく、ましてやあの美しい環天頂アークを撮るのに
夢中になれたくらいですので元気はまだあったのだと思います。
それが火曜、水曜となってきて、また水曜は午前中にかなり気合をいれてお祓いをさせて頂いておりましたし、その後くらいからどうにも腕も肩も
何故かしら張って凝ってしんどい;と思っておったのでした。
それにしてもそこまで腕が痛くなることはしてないけれど;と思っておりました。
ふと、あ、そういえば、と日曜日に草とはいえその茎がまるで小枝ほどにも伸びていた蓬を何十本と小さく手折ってゴミ袋に入れる作業を、粗方
掃除も終わった後で何人かの方と作業しておったのを思い出しました。
言ってしまえばたったそれだけ;なことなのですが;。
左腕は一昨年に骨折しており、右胸の肋骨は十年以上前にひびがはいったことがありました。
どちらもそんな古傷ですけれど、どうやらそんな部分が時間が経った後でかなり堪えたのか;どうにもだるさが抜けない程にしんどくなった理由の
ようでした。
何ともお粗末な身体でございます;。
それでも自分で納得の行く;?理由が見つかりましたので、何もなく疲れたのではないことがわかっただけでも良かったと思っております。
皆様、グズグズと申し訳ございませんでした。(苦笑)
写真はやっと咲き出した我が家の狭い庭にある榊の花です。
昨日までは蕾でしたが、夕方見てみると何輪か蕾が開いてきていたようでした。
神殿にも榊の枝を生けておりますが、どうにも室温が高くなってくると途端に萎れたようで、此方のは上手く咲いてくれるかどうかわかりません。
それでも花が咲けば神殿は良い香りに包まれて芳しく感じます。
ただこの花の香りはとても独特で、自分はとても高貴な香りに感じるのですけれど人によってはあまり好きではないとおっしゃる方もおられ、やはり
人それぞれのようですね。
今朝は祝詞奏上の前後に感じたことを書かせて頂きます。
祝詞奏上後、瞑想
その前グーグルマップで吉備津神社等のある山を見ていた
最初はその道のため
でもふと山中を見ると彼方此方に磐座(いわくら)と思しき遺跡?
ひとつひとつ見ていくとまさに古代の磐座
写真等にもよるけれど不思議と心落ち着くような感じ
古の人々は此処で神と思しき存在と多くの繋がりを持っていたのか?
平野の中にポツンポツンと山があるような岡山平野の中で
ましてや明るい陽光の中で、あたかも天に近い場所で繋がりを持とうとしたのでは?
機会があれば訪れてみたいけれど
そんなことを思いつつ 大神に伺うけれど
女神のような柔らかい波動の存在?
違うのか?
ともあれなにか坐す(おわす)
目を閉じてしばらくすると非常に明るい影がない光だけの世界へ囲まれたよう
何とも言えぬ心地
知らず知らずに腕が大きく弧を描きながら上へ向く
ゆっくりと動く 気持ちよい
ふと もしかすると 古の巫女と呼ばれる女性が舞いを舞ったというのは
こんな自然と湧き出るような動きを系統化していったのではと感じる
心地よい
何か光と一体となった感覚
ともあれ近いうちに訪れよう
故あって岡山の吉備津神社へ幾度か足を運ばせて頂いております。
理由を話すと長いのですけれど、どうも自分自身の母方の血筋と関係あるようです。
ようです、というのは結婚、主人と一緒になることにも何か理由があったようで、それらのことは自分が大神に逐一伺って出てきた話です。
ですので実際の史実というのか家の歴史というのか、そこから少し逸脱した話、亜流の話となるのかもしれません。
なんのこっちゃ;?ですよね。
つまり自分が大神の伺った話は、もしかすると自分という魂に繋がるけれど別の次元の自分のご先祖なり御霊なりの話なのだろうということです。
ますますややこしい話となってきましたけれど;。
ともあれ、自分のご先祖と思しき方がこの吉備津神社へ関係していたようでした。
此処の話はまたいずれ詳しく述べたいと思います。
そんな関係で、主人が元気なうちは毎年お正月を過ぎた頃に此方の神社へ参拝させて頂いておりました。
主人が具合が悪くなってからはとても行く時間はありませんでしたけれど、息子が大学卒業後に二人で久しぶりに訪ねたことがありました。
多分、今くらいの時期だったかと思います。
境内へ参るには階段を登るか、或いは長い回廊を登って行くかの二通りの道があります。
最初にこの地を訪れた時、それまで見たこともない場所であったにもかかわらず、ああこの回廊は覚えがある、何度も此処を歩いていた、と古い
記憶が蘇ったように感じたのを覚えております。
自分の中の遺伝子、DNAに刻まれた記憶だったのでしょうか、不思議な感覚でした。
そんな吉備津神社ですけれど、以前からこの神社がある山自体、何かあるのかなと感じておりました。
その頃は今ほどネットで何でも検索出来る時代でもなく(今から二十年ほど前の話ですけれどね;)せいぜいがその地の地図を買い込み、行く道順を
ある程度は頭に叩き込んで出発するのがせいぜいでした。
神社へ参拝し、ぐるりと回ったところへ位置する吉備津彦神社へも同様に参拝させて頂いて帰るというのがその頃のスタイルでした。
申すようにご縁ある処ではありますし、せめて一年に一度位は参らせて頂きたいと思いつつも最近では先に申したように三、四年程前の事です。
久しぶりに参らせて頂こうかと先日より考えておりましたので、今朝、さてどの道を通ろうかといつものグーグルマップを見ていたところから今日
の話へと繋がってきます。(此処まで長いですよねぇ;;、すみませんです;)
さて、吉備津神社へ参るのに、現在息子が倉敷へ居ることもあり、どうせなら一緒に参ろうかと、それも併せて良い道を探っておりました。
ご存知のようにグーグルマップ、当然地図ですから;上から俯瞰して各所の名称を入れてあります。
道を見ながらもそうして見ておりますと、あれ?吉備津神社等があります山の中、山中にあれこれと古墳とか石室等の文字が見えます。
なんだろう?とそこを拡大し詳しく見てみると、結構少なからずの方の口コミが載せられていたり写真も添えてあります。
その写真を拝見すると、なんとも大きな岩、それこそ磐座が数多くあったのでした。
自分があたかもそこへ居るかのように想像してその場所へ身を置いてみるとしたらば、果たしてどのように感じられるのか、そんなことを思いつつ
見ておりました。
そこは眼下に広がる平野が見渡せ、頭上には大きく開けた空があるきりです。
古には、その磐座へ神を降ろし、人間と神とが一体となって祭り事を行っていたのではないのか、そんな風に感じました。
また祭り事とはすなわち政り事でもあり、その当時はその辺りを支配する豪族なりの統治する場所であるが故に余計に一般の人々の出入りを禁じて
いた場所であったのかもしれない、とも思いました。
ただし、どこまでいってもこれは自分の憶測に過ぎませんけれど。
またその場所で神の御籤(みくじ)を降ろしたであろう巫女はある種トランス状態となり舞を舞うが如くの状態を示したのかもしれません。
けれど、自分が今回感じたのは、神の前で目を閉じて静かに瞑想した際、ただ座っているだけなのに、自ずと腕が上がり自然に舞うような格好を
取っていったのではないのか、ということでした。
ただただ降りてくる感覚に従い、腕を上げ下げし、そのうちに身体も舞を舞うが如くに動いたのではないか、それが後にある程度の部分を系統だた
せて、その神社なりに伝わる巫女舞へと変化、進化していったのではないのかな、そのように感じました。
ただし幾度も申しますようにあくまでも自分の憶測の域を出ません。
そうであったかもしれない、そう思うだけの話です。
彼の地で神を降ろして行われたことは、これも申すように政り事であっかどうかは全くわかりません。
そちらの方面ではなく、純粋に神と人間が繋がることを目的としておったのかもしれません。
そのような山、地であるからこそ、その周辺には社寺が今もなお多くあるのではとも感じます。
またその山へと降ろされたと思しき神なり存在を思うと、どこかしら優しい女性性を感じました。
吉備津神社、ならびに吉備津彦神社で御祭神とされておりますのは共に大吉備津彦命とされており、男性神のようです。
ですので自分が捉えた存在とは別の神、或いは存在なのかもしれません。
これもまた、いつか機会があればその山中に残る磐座なりをこの足で訪ねて行き、その場の空気を吸いながら感じ取って来れればと思うところです。
何かまた面白い発見?があるかもしれませんね。
これもいつかツアーでも組んでみましょうかね;。(笑)
毎朝、スピ系の方の書かれたブログを拝読するのが日課とも書きましたけれど、その中にさとうみつろうさんの書かれた「笑えるスピリチュアル」と
いうブログがあります。
今日、彼のブログでもこの磐座について少し触れておられました。
ただし彼のいう場所は広島県。
なんと自分の住まう県でもあります。(広島にも近いらしい(笑))
これも何とはなしに、今日はどこか自分達の頭の上のクラウド辺りで同じような話題について感じる部分があったのかな、もっと言えばシンクロ
する部分があったのかな;?と僭越ながら思った次第です;。
そう思うと、どこかで誰かと何がしかで繋がっているのかもしれない、とますます妄想は肥大化して行きそうです;。(苦笑)
今日は大いなる瞑想ならぬ妄想話;でございました。(笑)
それでも想像、否、妄想;することはとても楽しいことでもあります。
皆様はどんなことを妄想するのが楽しいでしょうか。
どうぞ素敵な方向へ想いを膨らませて行ってみて下さい。
いつかはその想像が本当になっているかもしれませんよ。
本日もこのブログへのお付き合い、真に有難うございました。
感謝申し上げます。