皆様❤️こんにちは🎵
今日も暑いですね~💦
新しいスマホGALAXYにも随分慣れて来ました🎵
今日も木彫り脱線ブログです。(・・;)
少し長いですが、よろしければお付き合いください😁
今日は懺悔ブログです😔
FBの友達が少し前に👇
『人の為と書いて 偽と読む
感じるまま 閃くままに生きなさい』
と言う神様の教え…
って書いていました(*^^*)
後には、彼女のエピソードが綴ってあり、共感しました✨
そして、自分を振り返ったとき、
う~ん。
小さい頃から
「人の嫌がることをしてはいけない。」
「人の為になることをしなさい。」
「人は皆同じ。」
と言われて育ち、子供たちにもそう教えて育てました。
ところが…
旦那さんの為、子供の為、家族の為と、
我が身を省みることなく生きてきた15年。
ふと気付けば子供たちは無事に親離れし、それぞれの世界ができた。
無事にそれぞれ独立した年に、単身赴任だった夫は、1年早く退職して24時間側に。
旦那さんは、自分の為に素直に生きられる人。家族を守ることも、家族の為ではなく、自分の為。だからぶれない。
逆に私は、誰かの為なので、タマにぶれる。
そのせいか、子供たちから
化けそこないの狸で『たぬ』とあだ名を付けられた(・・;)
子供たちはよく見ている
私自身も父親役(お母さん)と、母親役(たぬ)を使い分けたつもりだったので、このあだ名結構気に入っている(*^^*)
「たぬ」と呼ばれるときは、フレンドリーで楽しかった。
お金のかかるとき、何か問題が起きたときは「お母さん」から始まるので、ドキドキしたのが懐かしい。
大変だけど、充実していた約20年
料理好きの旦那さん。
「残りの人生、好きなもの食って過ごしたい」とのたまった(・・;)
実は、40代で糖尿病になり、同居していた時は、「あなたの為」という名目で、カロリー計算を毎食し、食事制限はかなりハード
旦那さんも理解を示し、素直に従ってくれた。
でも、
「残りの人生、食べたいものを作って食べたい。」と言うからには思うところがあったのだろう…
退職し同居が始まり、嬉々として台所に立つ旦那さん。
「ありがとう。いただきます🍴🙏」
と言いつつも、私も料理好き(´・ω・`)
別居生活長すぎて、味付け濃い(ToT)
作ってもらって食べるようになって、
初めて、『食べたいものを作って食べる』ありがたさ を知った。
旦那さんは単身赴任している間に、気付いたのだろう。
今考えると、「あなたの為」のキツイ食事制限は誰の為?
半分は主人の為だけど、後半分は私と子供の為。
人の為と偽って生きてきた私には、その時は気づきもしなかった。
それどころか、台所奪われストレス溜まっていると悔やむ始末。
友人に悔やんだところで、当然誰も理解してくれない
「羨ましい❗いいなぁ✨」
「のろけ?ごちそうさま❤️」
「そんなので文句言ったら、バチがあたるよ❗(笑)」
確かに…そうなんだけど…(・・;)
その時は、誰にも理解してもらえない事や、旦那さんに素直に感謝出来ない自分が嫌になった。
自分で台所明け渡しておきながら、
居場所がなくなったように感じて虚無感に襲われたり…😔
挙げ句、誰にも必要とされていないのに何故生きているんだろう?
とまで考えたりして…寂しかった
幸い、仕事はあったので、それで紛らわせていた…
当然、やり過ぎて失敗も多かった気がする😁ごめんなさい。
そう。
誰かの為、人の為に生きてきた矛盾
自分を取り戻すまで、結構長いこと迷子だったなぁ…😁
誰かの為になってもならなくても、私は私と気付かせてくれた友がいる。
その友に感謝❗️
今は、我が儘と映るかも知れないけれど、閃くままに生きている✨
自分を認め受け入れられたら、自然と相手も認め受け入れられるようになった❤️
『ねばならぬ』の時は、自らではなく義務的にしていたので、ストレスはMAX❗
で、必ず『~のに』がつく❗
今はとっても楽❤
だって
『しても、しなくても私』だから(*^^*)
『~のに』が付きそうになったら止める。
だから、
相手が『しても、しなくてもあなた』なので、OK❤️😁
許せちゃうから不思議❗
おお~い
子供たち❗お母さんは変わったよ❤
ちょっと間違えて育てた所は申し訳ないが、自分たちで修正してね🎵
と言ったら、どんな顔するだろう😃
人も物も日々変化する。
移ろわず同じものなどこの世にはない。
だから面白いと思う❤️
今日もお立ち寄りくださいましてありがとうございました✨