今年の郡山城のお城まつりもよかった!
今年も大和郡山の郡山城のお城まつりに行ってきたんですが、良かったですよ
例年よりも桜がきいれでよかった。その分人も多かったですがね
展望台からの眺めは最高でした。また来年も行きます。
今年の郡山城のお城まつりもよかった!
今年も大和郡山の郡山城のお城まつりに行ってきたんですが、良かったですよ
例年よりも桜がきいれでよかった。その分人も多かったですがね
展望台からの眺めは最高でした。また来年も行きます。
清流の川音を聞きながらゆったりと<やはた温泉>
榛原駅から大又行きのバスにのって自然の中を走っていくと「やはた温泉前」があり、ここで降りればすぐのところにあります。
やはた温泉は、四郷川の上流、美しい渓流沿いの山に囲まれた自然豊かところにありますので、日常とは離れた静かで気持ちのよい温泉につかりながら、今も残る懐かしく美しい里山の景色を眺めながら入れば、心も体も癒されますよ。
ヒノキの香がリラックスさせてくれる古代ひのき風呂や、天然の御影石を使った岩風呂など、景色を見ながら温泉三昧もいいもんですよ。
温泉の泉質は単純温泉で、低張性・弱アルカリ性・低温泉で加熱しています。効能は、神経痛・筋肉痛・関節痛・五十肩・疲労回復などに効き目があるそうです。
ふるさと村「いちえ」
いちえは、東吉野村・深吉野の山懐に抱かれた、明治時代の建築、旧八幡小学校の校舎にありなんだか懐かしい気分になります。
いちえでは、明治の太い梁の下で、郷土食や新鮮な川魚・山菜料理が評判で、味には定評のある料理長が腕をふるってくれますよ
天理教教会本部の桜は今が盛り
天理のよろず病院に用事があって昨日行った時、あまりにも道沿いの桜がキレイだったので天理教の本部に行ってみました。(信者ではありませんよ)まあ見事としか言いようがありませんでした。
来ている方に聴いてみると、「毎年、こんな感じですよ」ということでした。天理教というなんだか足が向かないという方もいますが、気軽に入っていけるところですので、よければ行ってみて下さい。
東吉野村<たかすみ温泉・たかすみの里>
そろそろ桜も見飽きたころではないですか?そこで、今度は温泉でゆったりと日頃の疲れを流すというのはどうですか?今回紹介するのは少し遠いですが、東吉野村の<たかすみ温泉>です。
たっぷりのお湯は、大自然からの贈り物。木々の緑を眺めながら、身体も心もリラックス。木の香りがすがすがしい贅沢なマキ風呂、ヒノキ風呂などいろいろなお風呂でゆったりと過ごす時間は至福の時間ともいえるのでは。
岩風呂 マキ風呂
休憩用に畳コーナーもご用意致しました。初めて訪れても、どこか懐かしい。心のふるさとで、ゆっくりとお過ごし下さい。
効能:神経痛、筋肉痛、五十肩、冷え性、病後回復期、疲労回復など
是非、一度行ってみてください。景色もいいしすごく気持ちいいですよ。
お近くで食事を楽しむなら「天好園」さんがありますよ
紅葉や春はお花見、初夏は新緑と季節を通して楽しめますよ。もちろん東吉野の川魚料理やキジやボタン鍋と楽しめます。たかすみ温泉で疲れを癒し、天好園さんで、東吉野の新鮮な野菜や川魚料理を楽しむなんてなんと贅沢な。
古事記でめぐる奈良の旅<春日大社>
今から約1300年前、平城京鎮護のため、白い鹿に乗って強大な力を持つ武神が御蓋山(みかさやま)に降り立ちました。平城京の守護神であり、ひいては国の守り神、ご祭神として春日大社に祀られるタケミカズチノミコトです。
「古事記」でも日本国創世の重要な場面で登場します。「神生み」のくだりでは、イザナキノミコトが火の神の首を切り落とした際、剣についた血が飛び散って生まれた神と記されています。「国譲り」の段では大国主神(おおくにぬしのかみ)に、日本の国を高天原の神々に譲るよう談判。この時、大国主神の子の一人が力比べを挑むも、その手を握りつぶし、体を投げ飛ばして圧倒的な力で一ひねり。国譲りが完成し、これが相撲の起源とされています。
その後、大和を平定する「神武東征(じんむとうせい)」でも、苦戦する神武天皇の一行をタケミカズチの剣の威光が救ったとされています。御蓋山の中腹に社殿を構える世界遺産の春日大社は、ほぼ20年に一度行われてきた「式年造替(しきねんぞうたい)」を平成27年~28年に迎え、社殿や調度を新調・修繕し、ご神威を力強く若々しくするこの最も重要な儀式を記念して、禁足地の御蓋山浮雲峰(うきぐものみね)でも期間限定で参拝ができました(現在は行っていません)。遥拝所の鳥居から神降る山の頂を拝めば、厳かな空気に包まれます。
春日大社参道より
興福寺 五重塔 若草山
奈良の昔話とゆかりの地<五条市>
奈良県の中央部西端、金剛山の南麓に広がる五条市は和歌山県橋本市に隣接しております。その五条市の北の山間の村に、かつて、龍がしばしば現れては、村人らを怖れさせていたのです。稗や粟畑を荒らし、牛や鶏をさらっていったのです。
「龍の寺」というお話
ある夏の終わりのこと。その年は豊作で、村人らは「今年こそ腹いっぱい食べられる」と大喜びであった。
ところが、ふいに、金剛山の上に黒い雲が湧き、誰かが「龍の雲だ」と叫んだ。突如、金色の稲妻が走り、あの恐ろし形相の龍が襲いかかってきたのだ。
体長は五尋(ごひろ・約10m)、頭には尖った角、鱗が光る太い胴体と鋭い爪の足。目は真っ赤に燃えていた。悲鳴をあげ、死に物狂いで逃げ惑う村人たち。
とそこへ、一人の行者が通りかかった。行者は数珠を張り上げて必死に祈り、ついにその呪力で龍を退治した。
龍の体は三つにちぎれた。それぞれが落ちたところに龍頭寺・龍胴寺・龍尾寺を建て、村人らは手厚く供養した。今、三寺が合併されたとされる草谷寺(そうこくじ)が北山町に残っています。
あとがき
巨大な龍が伏せたような、不気味な静けさをたたえて南に続く金剛の山並み。大きく蛇行し滔々(とうとう)と流れる吉野川。ここ五条市は、かつては、交通の要衝、宿場町として賑わった町です。
東へは伊勢街道、西へ紀州街道、南へ西熊野街道、北へは奈良に続く下街道。さらに、奥吉野で伐られた木材は筏で吉野川を下り、紀州へ運ばれました。五条はその集散地で、また江戸時代には代官所が置かれ、行政の中心ともなりました。
今も、旧紀州街道にあたる新町通りには江戸、明治時代の古い町並みが残り、煙出しのついた瓦屋根に白壁、格子の窓、造り酒屋や餅屋の看板など、遠い昔に迷い込んだような懐かしさが漂っています。その中に、今も人々が住み、生活が息づいています。
八月十五日、十六日に吉野川の大川橋上流川原で開かれる「吉野川祭り」。花火が華麗に夏の夜空を照らしてくれます。これが過ぎると、やがて、暑かった夏もゆっくりと去り、夕暮れになるとふと涼風が頬を撫ぜて通り過ぎていき秋の始まりを感じるのです。
清流・吉野川 吉野川祭り・花火大会