さくら日記でございます。

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★悩んだときには良い言葉にふれて 心のお掃除、「ひろさちや」さんの本

2020-10-30 21:16:00 | 「本」


お疲れ様です。
みなさまお元気ですか?

最近、毎日の仕事
なんだか納得いかず「もやもや」した感じ

若かりし頃は
そんなものに負けるもんか
と言い聞かせ、頑張っていたのですが

年齢を重ね、いろいろと体験すると
がむしゃらに頑張ってもなあ・・・
なんて思ってしまいます。

今ある「もやもや」に対して
前向きに取り組み、最善をつくす
それが、答えなのかもしれませんが
なかなかそんな気持ちになれないのが現実です。
あなたは、そんな時ってありますか?

という心境なので
図書館から、またこんな本を借りてきてしまいました。

タイトルは
「いい言葉が、心を掃除する」
サブタイトルは
「つらいとき、困ったときは
仏教にふれてみよう」


「ひろさちや」さんの本です。

ちょっと検索すると現在、84歳
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日本の宗教評論家であり、
多数の一般向けの解説書を執筆している。
本名は増原 良彦。自称「仏教原理主義者」。

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と書かれてました。

そんな「ひろさちや」さんが
「最澄」「空海」「法然」「親鸞」
「道元」「日蓮」「白穏」
日本の名僧の言葉を
わかりやすくピックアップ
してくれてます。

では、その中を少しみてみます。
まずは、仕事でもやもやしているので
仕事がらみのところからです。

◆「最澄」の言葉で「自分の仕事に意味を持たせる」

<原文>
「国宝とは何物ぞ 宝とは道心なり 
 道心ある人を名づけて国宝となす」


 国の宝とは何であろうか
 宝とは道を求める心である
 その心を持っている人こそ
 国の宝といえるのである

そんな言葉です。

この最澄の時代、国は将来を見据え
新しいことを学ぶべく
遣唐使として先進国である唐へ人材が送らていました。

当時、最澄は気鋭の学僧として都に名を轟かせており
命をかけて唐へにまで行かなくても
僧としの出世は保証されている立場でした。

ですが、日本に最高の仏法を伝えることは
命を賭してもやり遂げるに足る仕事であり
その先にあるのは
己の利益でも功名心でもなく
救わなければならない無数の民

そんな想いから唐へ渡ることになります。

本にもありましたが
日々の仕事はお金を稼ぐための手段
社会的な意味を感じられないかもしれません
もし、自分がいなくなったって
いくらでも変わりがいる
それが社会である
とも書かれてます。

ですが、
その仕事に意味を持たせることができるか
もっと言うなら自分の存在を
「国の宝」にまで高められるかは
自分の心一つにかかっているのではないでしょうか?


己の歩む道を求め、
それを信じて邁進できる人こそ
社会の宝となる資格がある


こんなふうに語っています。
これは、そのとおりだと思います。
ですが、今の私
そこまで気持ちを高められないのが事実
どうしたらよいのでしょうか?

続いて本では

◆「最澄」の言葉で「愚直に歩めば道は開ける」

<原文>
「道心の中に衣食あり 衣食の中に道心なし」

「道を求める心があれば衣食のことは
 自然とついてくる
 だが衣食のことばかり
 追い求めていたら道を求める心はおきない」


という言葉
そして、

◆「最澄」の言葉で「目標を宣言すれば実行力もついてくる」

<原文>
「能く言いて行うことあたわざるは国の師なり
 能く行いて言うことあたわざるは国の用なり
 能く行い能く言うは国の宝なり」


「弁は立つけれども実行は伴わない人は国の指導者
 実行力はあるが弁舌が苦手な人は国の担い手
 能弁かつ実行できる人こそが国の宝なのである」


と続きます。
たしかにそのとおりだと思います。

もしかすると
今の自分は、生活の為に働き
これと行った目標も持っていない
だから、何かもやもやしてしまう

これを読みながらそんなふうに感じてきました。


ですが、そんな目標を導きだすことができるのでしょか?
とまだ疑問が残りますが
本を読み進めました。
そして、本の一番最後に出てきたのがこの言葉です。

◆「白穏」の言葉で「こだわりを捨てなさい」

<原文>
「たとい萬貫長者でも死んで身につくものはなし
 妻も子供も金銭も捨てて冥途の旅立ちぞ」


「たてえどれだけの富豪になったとしても
 死んだ後に身につけていけるものはない
 妻も子どもも金銭も捨てたうえで
 冥途に旅立つことになるのだから」


そして、
あなたは、家財道具や衣服など
いったい何個のものを所有していますか?

と問われます。

ちょっと見渡しただけでも
あるわあるわ
たくさんの物に囲まれています。
それでも、あれが欲しいなあ・・・
その気持ちにはきりがないような感じです。

ものを買うことで
生活を楽しみたいと思うことは当然のことですし
買い物の喜びが生きがいになることもあるでしょう

しかし、それが度を過ぎ
所有すること自体に執着を示すようになると
それは「苦」に直結する
ことになります。
とありました。

たしかに、ものがあればあったで
こうせねば、ああせねばと
次の悩みの種が出てきているのは事実
だと思います。

「ものの執着こそ、地獄への一里塚」
なんて言葉もありましたが
まったくそのとおりです。

そうはわかっても
なかなか、執着を手放していくこは難しい
これが問題なんですね

まだまだ、
高僧の教えがいろいろと
書かれています。
いろいろと納得させられるのですが

最終的には
なにやらもやもやした気持ちは
心の中にたまったいる
いろんなゴミのせいではないか
自分的にそんな結論に達しました。

いろんな感情を一度手放して
ニュートラルになることが
まずは第一歩
そんなときに
ちょっとした手助けに
一歩進むきっかけになるのが
先人からのメッセージなのかあ
そんなふうにも感じた次第です。

というこで
今日は
悩んだときには良い言葉にふれて
心のお掃除、「ひろさちや」さんの本
でした。