さて、旧川越街道を巡って、板橋、練馬、和光と歩き回って見たけど、一旦はこれでお終い。また気が向けば、この先にも行ってみたいような気がしている。川越街道は江戸時代でも日帰り行程だった道筋だし、これだけ見所があったということは先の方にも期待できるのではないかとも思っている。
さて、その和光市の新倉という辺りである。前回掲載した午王山(ごうぼうやま)の裏側に当たるところのお寺、祥光山金泉禅寺という臨済宗のお寺である。十二~三世紀の開山という、歴史のあるお寺だという。
参道にはお地蔵様が並んでいる。
しばらく歩くと、ようやく山門に到達する。
扁額は山号が記されている。祥光山。揮毫は鎌倉建長寺の管長さん。
長屋門もある。長い歴史のあるお寺だけに、なんだかすごい。
本堂。堂々とした佇まい。
思わず呆然と見とれてしまう。禅寺であるだけに、凛とした雰囲気もあって整然としている。
鐘楼。土台などを見ると、さほど古いものではなさそう。しかし、もう少し下調べをしてから行くべきだったとも思っている。午王山遺跡がこの寺の境内にあったことなど、知らないままであったので、そこまで見ずに帰ってきてしまった。もったいなかった。
そして、笹目通りの方へと歩いて行くと、立派な門構え。ここも古くからのお宅なのだろう。
笹目通りを越えてさらに行くと、吹上観音下へ出た。ここで交差する道は、白子川と並行する道で南下していくと旧川越街道の白子宿のところへ行く。吹上観音まで辿り着いて、この日はエネルギーを使い果たしてしまい、階段を上がっていく余力がなかった。その辺り含めて、この辺はもう一度行ってみないと、と思っている。ちょうど、私が自動車免許を取得した自動車学校がこのすぐ近くで、路上教習で随分この周辺は走り回った覚えがある。
このすぐ横にも、長屋門が残されている。
さて、その和光市の新倉という辺りである。前回掲載した午王山(ごうぼうやま)の裏側に当たるところのお寺、祥光山金泉禅寺という臨済宗のお寺である。十二~三世紀の開山という、歴史のあるお寺だという。
参道にはお地蔵様が並んでいる。
しばらく歩くと、ようやく山門に到達する。
扁額は山号が記されている。祥光山。揮毫は鎌倉建長寺の管長さん。
長屋門もある。長い歴史のあるお寺だけに、なんだかすごい。
本堂。堂々とした佇まい。
思わず呆然と見とれてしまう。禅寺であるだけに、凛とした雰囲気もあって整然としている。
鐘楼。土台などを見ると、さほど古いものではなさそう。しかし、もう少し下調べをしてから行くべきだったとも思っている。午王山遺跡がこの寺の境内にあったことなど、知らないままであったので、そこまで見ずに帰ってきてしまった。もったいなかった。
そして、笹目通りの方へと歩いて行くと、立派な門構え。ここも古くからのお宅なのだろう。
笹目通りを越えてさらに行くと、吹上観音下へ出た。ここで交差する道は、白子川と並行する道で南下していくと旧川越街道の白子宿のところへ行く。吹上観音まで辿り着いて、この日はエネルギーを使い果たしてしまい、階段を上がっていく余力がなかった。その辺り含めて、この辺はもう一度行ってみないと、と思っている。ちょうど、私が自動車免許を取得した自動車学校がこのすぐ近くで、路上教習で随分この周辺は走り回った覚えがある。
このすぐ横にも、長屋門が残されている。
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