東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

目黒を歩く~その六:槍ヶ崎と猿楽塚

2015-04-26 18:30:54 | 渋谷区
さて、目黒新富士を見てから駒沢通りに出て来て、旧山手通りの終点でもある槍ヶ崎交差点のところに出て来た。旧山手通りを望んだところ。このすぐ先、右手に向けて道が分かれていき、並木橋へ向かう道になっている。


こちらは駒沢通りの恵比寿方面を望んだところ。この左手の側、もう少し行ったところにかつて恵比寿ラーメンがあったんだっけ。深夜に通り掛かると、何時も繁昌していたのを思い出す。もう随分と前の話になってしまった。


駒沢通りを渡って、新道坂を望む。中央の線路は東急東横線で線路の中央を日比谷線が上ってきている。向こうには中目黒駅が見えている。駒沢通りの坂は、新新道坂ということになるらしい。


代官山交番前の交差点から、目黒川よりに少し入るとこんな感じ。この先は道が右手に折れて目切坂という急坂を目黒川に向けて下っていく。この辺も、渋谷区と目黒区の境界線。


地蔵尊が二基祀られている。
「地蔵・道しるべ 猿楽町30番
 地蔵尊が現世と来世の間に出現して死者の霊を救済するという信仰は、民衆の間に広く信じられてきました。また、小児の霊の冥福を祈る意味でも地蔵尊が像立されました。道の辻などに建てられた場合には、道路の安全を祈ることのほかに、道しるべになることもあります。この地蔵尊は、文政元(一八一八)年の造立で、その台座正面には「右大山道、南無阿弥陀仏、左祐天寺道」と刻んであります。地蔵堂背後の坂道は、目切坂または暗やみ坂といい、この坂を下って目黒川を渡ったあと、南へ進むと祐天寺方面に達し、北へ進むと大山道(国道二四六号線)に達します。また、堂前を東へ進むと並木橋に達します。江戸時代には、人家もまばらな、さびしい道で、旅人はこの道しるべを見て安心したことでしょう。
 渋谷区教育委員会」


その前から、代官山交差点を振り返るとこんな感じ。人家もまばらなさびしい道を想像するのが難しい。


旧山手通りに戻り、少しヒルサイドテラスを覗いていったところ。横断歩道のあるところ、向こうへ道が延びているが、どうやらこれが鎌倉道であったらしい。


ヒルサイドテラスには何度も来ていたのに、この存在には全く気が付かないままだった。敷地の中央に猿楽塚という古墳がある。


「猿楽塚 猿楽町29番 ヒルサイドテラス内 区指定史跡 昭和五十一年三月二十六日指定
 ここにあるこんもりした築山は、六~七世紀の古墳時代末期の円墳で、死者を埋葬した古代の墳墓の一種です。ここにはその円墳が二基あって、その二つのうち高さ五メートルほどの大型の方を、むかしから猿楽塚と呼んできました。この塚があることから、このあたりを猿楽といい、現在の町名の起源となっております。ここにある二基の古墳の間を初期の鎌倉街道が通っていて目黒川にくだっていました。渋谷区のように開発が早くからはげしく行われた地域に、このような古墳が残されていることは非常に珍しいことです。
 渋谷区教育委員会」


古墳の上には猿楽神社が祀られている。
「猿楽神社縁起
 古よりこの地に南北に並ぶ二基の円墳があり。北側に位置する大型墳を猿楽塚と故障している。この名称は、江戸時代の文献「江戸砂子」「江戸名所図会」等にも見られ、我苦を去るという意味から、別名を去我苦塚と称したとも言われている。六~七世紀の古墳時代末期の円墳と推定され、都市化その他の理由により渋谷区内の高塚古墳がほどんど煙滅したなかで、唯一現存する大変貴重な存在であり、昭和五十一年三月十六日に、渋谷区指定文化財第五号に指定された。この地に移住する朝倉家は戦国時代からの旧家であり、遠祖は甲州の武田家に臣属し、後に武蔵へ移り、中代より渋谷に住み、代々、無比の敬神家として、渋谷金王八幡宮と氷川神社の両鎮守への参拝を常とし、また氷川神社改建の折にも尽力している。朝倉家では、大正年間に塚上に社を建立し、現在、天照皇大神、素戔嗚尊、猿楽大明神、水神、笠森稲荷を祀り、二月十八日、十一月十八日を祭礼日と定めて、建立以来、一族をはじめ、近隣在郷の信仰を集めている。
 平成十四年十一月十八日 朝倉徳道 撰」


水神が祀られているのは、この前の旧山手通り沿いに三田用水が流れていたからだろう。金王八幡宮、氷川神社共に、渋谷川の向こう側に位置しており、朝倉家のスケールが伺い知れる縁起のストーリーだ。


多くの人で賑わうヒルサイドテラスの中心部にあるのに、静謐の中にあるような空間になっている。


この一画だけが、隔絶されたような雰囲気が面白い。


木々が茂っているので、余計に騒音も遮られている。たしかに、物寂しいような江戸時代を微かに想いを馳せることのできるスポットになっている。


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