平間街道(旧池上通り)と大田区中央四丁目で交叉する道が、尾根を上っていき長く延びていく道になっている。地形に合わせるように曲がりくねる道筋は、古い時代からあったものなのだろう。その道を辿りながら、沿道を見ていこうと思う。「大田区の史跡と歴史」サイトによれば、この道は遠く田無まで繋がる田無街道と江戸時代には呼ばれていたようだ。出発点は新井宿。平間街道から曲がったところには、数軒の商店があって、どこか昔の町並みの面影を感じさせてくれるところがある。元は新聞の販売店であったのだろうか。
しばらく北へ向かって進むと、かつてはパン屋さんであった面影のある建物。
新旧入り乱れた町並みを眺めながら歩いて行く。理髪店。
坂の上り口が見えてくる。臼田坂という坂で、臼田姓の人が多く住んでいたからその名が付いたという、割と身も蓋もない由来が坂上の標柱に書かれていた。
坂の途中を右手に入ると、都営南馬込三丁目アパートがあるのだが、その手前には長く石垣が続いている。
今は整備されて公園のようなスペースになっている。元は何があったのだろうか。
その向かい側には、萬福寺朝日観音がある。
「古地図に載る朝日観音堂は、源頼朝が髪の中に守護仏として入れていたという小さな十一面観音像を祀った御堂と言われる。」(「大田区の史跡と歴史」サイトより)
そういえば、品川から目黒への道を辿った時に、途中にあった地蔵の辻という二股があった。あそこにあったのは、朝日地蔵といっていたことを思い出す。
萬福寺はここから少し北寄りのところにある寺で、この後で取り上げる予定なのでその時に詳しく。しかし、この朝日観音については、ネット上ではあまり情報が出てこない。萬福寺のサイトにも記載がないのがやや不思議。安永六年(1777)四月二十三日 宕秀齋庵主の銘のある石仏。
そしてこちらは天和二年(1682)正月の銘のある仏像。
この観音堂は、古い建物とコンクリート打ちっ放しの建物のハイブリッド構造になっている様で、面白い。ただ、この観音堂についての案内などがないのがちょっと寂しいところ。
しばらく北へ向かって進むと、かつてはパン屋さんであった面影のある建物。
新旧入り乱れた町並みを眺めながら歩いて行く。理髪店。
坂の上り口が見えてくる。臼田坂という坂で、臼田姓の人が多く住んでいたからその名が付いたという、割と身も蓋もない由来が坂上の標柱に書かれていた。
坂の途中を右手に入ると、都営南馬込三丁目アパートがあるのだが、その手前には長く石垣が続いている。
今は整備されて公園のようなスペースになっている。元は何があったのだろうか。
その向かい側には、萬福寺朝日観音がある。
「古地図に載る朝日観音堂は、源頼朝が髪の中に守護仏として入れていたという小さな十一面観音像を祀った御堂と言われる。」(「大田区の史跡と歴史」サイトより)
そういえば、品川から目黒への道を辿った時に、途中にあった地蔵の辻という二股があった。あそこにあったのは、朝日地蔵といっていたことを思い出す。
萬福寺はここから少し北寄りのところにある寺で、この後で取り上げる予定なのでその時に詳しく。しかし、この朝日観音については、ネット上ではあまり情報が出てこない。萬福寺のサイトにも記載がないのがやや不思議。安永六年(1777)四月二十三日 宕秀齋庵主の銘のある石仏。
そしてこちらは天和二年(1682)正月の銘のある仏像。
この観音堂は、古い建物とコンクリート打ちっ放しの建物のハイブリッド構造になっている様で、面白い。ただ、この観音堂についての案内などがないのがちょっと寂しいところ。
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