視覚障害者きうっちの自立への道

視覚障害者きうっち(S52年生)が気の向くままに日々の生活をツラツラとつづるブログ

地獄の入院生活(04年3月)

2011-10-01 18:00:00 | 闘病日記
今月分の記事も一応、この入院生活を記した記事のバックナンバーはこちらに目次形式で記してあるので、ご希望の方はどうぞ。

■自分の太腿って実は結構重いんですよ
 車椅子に乗った体勢で、自分の片方の足の太腿に手をかけ『ふんぬー!(by 桜木花道(笑)』と持ち上げ、もう片方の足の太腿の上に乗せる-。この頃から自分は、リハビリの先生についてもらってこんなリハビリを始めました。
まぁようは単純に腕力を鍛えるためにこんなことを始めたわけなのですが、これがもう、本当に大変でした。まさに泣きながら、鼻水をたらしながら己の太腿を必死に持ち上げていましたからね(涙)。
でも何でそんな思いをするの?たかが自分の太腿を持ち上げるくらいで?-。そう疑問に思った人は多いかも知れませんね。
まず大前提として、この頃の自分はまだまだ腕の力が絶対的に不足していました。上で挙げているように、ようやく車椅子に座っている自分の体をプッシュアップで持ち上げられるようにはなりましたが
それでも普通の人たちと比べたらまだまだでしたね。そしてこの時の自分はまだ、自分の意思で足が全然動かせなかったというのが一番大きかったと思います。人間、自分の手の力だけで足を上げているつもりでも、足が自由に動けば無意識に足が動くものですからね。
でも人間の太腿って意外に重いんですよ、これが。うそだと思うのなら、みなさんも椅子か何かに座って自分の太腿を持ち上げてもう片方の足に乗せようとしてみてください。
意外なその重さにみなさんも『あれ?』と思うと思いますよ、ホント。まさに『世界・不思議発見!』な気分になれると思います(笑)。

■プッシュアップ!オン 車椅子
 ところで、みなさんは車椅子に乗っている人がたまに使っている『プッシュアップ』という言葉をご存知でしょうか?この言葉は、簡単に言うと両手を車椅子の肘かけに添え、
両腕の力で自分の体を『ひょい』と浮かせること。車椅子に乗っている人は、基本的にずっと自分のお尻が(車)椅子の上にあるわけなので、
ずっとこのままの状態にしておくと、お尻が圧迫されて褥瘡ができてしまいます。人間が眠っている時に寝返りを打つことも同じような理由からですね。

 で、話を自分のことに戻すと、自分も入院以来ずっと車椅子での生活を余儀なくされてきたわけなので
本来であれば自分もこの『ぷっしゅアップ』を定期的に行なう必要がありました。だいたい2時間おきにしてください、とこの時看護士さんには言われましたが。
でも自分はこれまでこの『プッシュアップ』が出来なかったんですよね。何故出来なかったのか?でもその理由はとっても単純ですよ。
だってこれまでは自身の腕力に自分の体を持ち上げることができるだけの力が無かっただけですから(泣)。これをやろうとして肘かけに両手をそえ、両腕に目一杯力をこめたとしても
『フンッ!』と自分の掛け声がむなしく響き渡るだけ、というのがこれまでの関の山でしたね。

 でも、これまで腕の体操をして腕の動きを少しでも良くするように努めてきたり、壁際の手すりに掴まって
腕立て伏せの真似事のようなことをして筋力を少しずつつけてきた結果、この頃くらいから自分にもこの『プッシュアップ』が出来るようになったんですよ!
いや~一番最初にこれをして自分のお尻が『自分の力』で持ち上げられた時は本当に感動でした。苦節6ヶ月、全然動かせなかった、ナースコールさえまともに押すことが出来なかった自分がようやくここまできたのだと。
で、せっかくこの『プッシュアップ』が出来るようになったので、この頃から先月あたりから始めていた、壁際の手すりに掴まってやっていた
『腕立て伏せの真似事』を少しずつこのプッシュアップに切り替えていきました。実際にやってみると分かると思いますが、腕への負荷はプッシュアップの方が明らかに高いですから。
ただ正直、最初は連続10回くらいしか出来ませんでした。でもこれをやり始めてから腕力がみるみる戻っていくのが分かりましたね。
朝ご飯の前に30回を3セット、昼ご飯の前に30回を3セット、夜ご飯の前に30回を3セット-。とりあえずはこれを一日のノルマとして設定し、ほぼ毎日繰り返した結果
退院直前の5ヵ月後には、腕の力はほぼ病気前と同じくらいに戻せましたからね。それにこの運動、やっていて楽しかったですよ。何より自分自身の力が回復していくのを本当に『肌』で感じることができましたからね。

■今月のその他のリハビリメニュー
 上では既に今月していたリハビリを2つ紹介したのですが、今月はさらにこんなリハビリをしていました。

1.先月に引き続き、パソコンを使ったリハビリ
2.これも先月に引き続き、背もたれのない椅子になるべく長い間座る練習
3.これも先月に引き続きのリハビリ。手でニギニギするグリップを用いて、握力を鍛える訓練。

 …というわけで、上で挙げている2つ以外は実は先月からしていることはほとんど変わらないんですけどね。この3つの中であえて変わったことをしたことといえば
3.のリハビリでニギニギグリップの重さを少し重くしたといったところですね。

■障害者手帳を手に入れる
 この頃、既に申請していた自身の障害者手帳が自分の手元に届きました。2月初旬にやたら検査をしていたのは、これを交付してもらうためでもありました。そして、これで自分も立派な視覚障害者の仲間入りです(苦笑)。
ところで、若手女優の沢尻エリカがまだ悪名を轟かせる前(笑)主演していたドラマに1リットルの涙という作品があるのですが(このドラマ自体もかなり泣ける、とてもいいドラマではあるのでまだ未見の人にはぜひ観てもらいたいのですね)
そのドラマの中に沢尻エリカ演じる主人公が、自身の障害者手帳を手にして、『これでわたしはもう…』みたいな気持ちになるシーンがあります。
自身の障害者手帳を手にしたこの時の自分の気持ちが、まさにこのドラマのこのシーンのような感じでしたね。
自分がこのドラマそのものを初めて観たのが、これより約2年後のことだったので、この話はだいぶ前後するのではあるのですが
このドラマの上記のシーンを観た時は、自分が障害者手帳を初めて手にした時の姿とダブって見えたことを覚えています。

 ところで障害者手帳にはその人の抱えている、障害の程度を表した『等級』というものが必ず記載されています。
その等級も結構細かく区分されていて、例えばこの人は視覚障害○級、この人は肢体不自由の障害○級みたいな感じですね。
そしてこの時自分に交付された障害者手帳の等級は-。この頃から自分はほぼ目が見えていない、全盲の状態だったので
当然視覚障害は1級です(これは2011年9月現在も変わらず)。そしてもう1つ。この頃の自分は両足を全く動かすことができませんでした。当然移動は車椅子です。
なのでこの頃交付された自分の障害者手帳には、視覚障害1級の他に下肢(いわゆる下半身)の肢体不自由の1級も記載されていました。

 ちなみにこの時交付された障害者手帳、実はわたくし、2011年9月の時点でもまだ持っていたりするんですよね(苦笑)。
で、役所の福祉課に様々な手続きをしに行った際、『この』障害者手帳を提示することがしばしばあるのですが
その時役所の人には大概驚かれますね。手帳に書いてある障害の内容と今(2011年頃)のきうっちさんの状態、何か全然違いませんか?-。と。
そうすると役所の人に自分の病の経緯や回復してきた経過などをイチイチ説明しなければならない。これが実は結構面倒くさいんですよね。…ま、それを説明することも自分自身が『そこまで体を戻すことができた』ということを改めて実感することができるので、それはそれでちょっと嬉しい気分になることも事実なんですけど(苦笑)。
そういうわけで、この頃(2004年3月)交付された自身の障害者手帳に記載されている内容と、2011年9月現在の自分の体の状態とでは、両者にかなりの乖離があります。
なので自分は近々、障害者手帳の内容を改めるために更新の手続きを取ることになるかもしれません。
その時にはきっと肢体不自由の方の等級は無くなってしまうかもしれませんね。以前、職リハへ入所する際に診断書を作った時にも医者にそんなことを言われたような気がしましたし。

■手術をするための転院
 確か3月の20日頃だったかな、ついに『飲み込みの手術』をするために新宿にある国際医療センターへ転院することになりました。
でも今回の転院は手術をするためだけの、短期の転院で手術が終わったらまたこの国リハ病院に戻ってくるということは初めから分かっていたので
『あ~また転院かよ。めんどくせ~』という感じはあまり無かったですね。それよりも『やっと毎日の食事を口から摂ることができるかもしれない♪』という喜びの感情の方が大きかったですから。

 で、今回は所沢→新宿の病院への移動時間はクルマで2時間ほどでした。
この時期には自分の体もだいぶ回復してきていたので正直、車椅子に乗ったままクルマに乗って移動することも考えたのですが
担当医の判断として『それはまだちょっと厳しいかな…』とお許しが出ず、今回もストレッチャーに寝たまま新宿にある国際医療センターに転院することになりました。
ところで全然関係のない話ですが、転院先の国際医療センターには割りと分かりやすいところに『霊安室』がありました。
実はこの国際医療センターは割りと病院内のフロアが狭い病院で、自分が自主的にリハビリをしようと思ったら
この霊安室の近くしかリハビリ運動をする場所がありませんでした。だから、こんなあまり縁起のよくない場所?でしかリハビリをする場所が無かったのですが、
霊安室の周りって思ってたよりもずっと涼しいんですよね、実際に近くにいってみると。まぁ『仏さん』が安置されている場所の近くなのだから、よく考えてみればそんなの当たり前なんですけどね。

■再び口から食べられるようになるための手術
 3月30日。いよいよ待ちに待った、そしてほんの少しだけ不安のあった手術の日を迎えました。
これまで何度も触れているように、今回の手術は再び口から食べ物を食べられるようにするための手術。
ちなみに手術の前日には『この手術に際して例え失敗してもわたしは病院側を訴えたりしません』みたいな契約書にサイン(当然代筆)をさせられたりもしました。
胃瘻を取り付ける手術の時にもそんなものにサインはしなかったので、その話を出された際にはさすがにちょっとビックリしましたね。
契約書を出された瞬間は『おい、この手術、失敗する確率はほとんどないんじゃ無かったのかよ!?』って感じでした。まぁ病院側としては、確かに失敗する確率は限りなくゼロに近いけど
万が一失敗してしまったら自分の体に与えるダメージはでかいからこういう契約書を出してきた、と自分は勝手に想像しています。

 ところで今回の具体的な手術の内容を記しておくと、ノドの辺りをパックリと切り開き、そこから例のフリッパーに
かなりの強度の超細~い糸のようなものを取り付けて、食べ物を食べた時にその糸が『グイィ』と持ち上がり、その糸が取り付けられているノドのフリッパーも一緒に持ち上がって
普通の人と同じように、口から食べた食べ物が食道を通って胃に落ちるようにする-。正直、あんまり上手く説明できていないような気もしますが、これが今回の手術の概要といったところです。
ところでこの手術、上でも触れている通りノドをパックリ切ることになるので、当然全身麻酔をして
自分の意識を無くさせてから手術をすることになります。そんなわけでこの手術、手術全体にかかる時間は数時間にも及ぶ、結構規模の大きいものらしいのですが
全身麻酔のおかげで、自分の意識があるのは最初の5分程度でしたから、手術にかかった時間の割りには
この手術、何だかあっという間に終わってしまった感じでしたね。手術が始まって5分くらいは何をされていたのかハッキリと覚えているのですが
それから知らない間に意識が落ちていて、気がついたら自分の病室のベッドの上でしたしね。

 というわけで手術は(あくまで自分の中では)あっという間に終わりました。もちろん手術は成功しました。
これでめでたく、本当にめでたく念願の『口からご飯』を食べられるようになりました!-。と書きたいところなのですが、そうは問屋がおろさなかったんですよ、実は(泣)。
確かに手術は成功に終わったのですが、医者がいうには『述語、1週間くらいは様子見』とのことで口から物を食べるのはまだお預けの状態。
さらに口から物を食べられるようになったとしてもいきなり『お米』のような形があるものは食べられないとのこと(涙)。最初はヨーグルトやゼリーのようなものをゆっくり食べる練習から始める、と言われちょっと拍子抜けした覚えがありますね。
さらにさらに、そのヨーグルトやゼリーを食べる練習も店員前の、所沢の国リハ病院に戻ってから始めると言われさらに拍子抜けした覚えがあります。
そんなわけで実際に口から食べる練習を始めたのは、実は手術からかなり後の4月15日以降でした。
来月(04年4月)以降は『この話』を中心に記事を書いていこうと思います。何といっても自分自身にとっても、この話は入院生活後半のメインでしたからね。

~来週へ続く
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