視覚障害者きうっちの自立への道

視覚障害者きうっち(S52年生)が気の向くままに日々の生活をツラツラとつづるブログ

地獄の入院生活(04年2月)

2011-09-17 18:00:00 | 闘病日記
今月分の記事も一応、この入院生活を記した記事のバックナンバーはこちらに目次形式で記してあるので、ご希望の方はどうぞ。

■再び口から物を食べられるようになるために
先月末(04年1月末)に病院をこの国リハ病院に移って以来、最初の1週間くらいはそれこそ検査検査の嵐でした。
レントゲン撮影、音がガンガンうるさいMRI検査、それから一応の眼科での視力検査、神経内科での問診etc…-。その中でも、この時の自分にとって一番気になっていたのが『飲み込みの検査』の結果だったのかもしれないですね。

 これまで何度も書いてきた通り、自分は口から物を飲み込んでそれが正しく胃に送られず肺にいってしまうように体がなっていました。
ま、ようするに口から食べた食べ物が正しく飲み込めなかったわけです。この『飲み込みの検査』では、この時の自分が入院当初の頃と比べて飲み込みの力が回復しているのかを診る目的の検査でした。
で、その結果は-。結果は入院当初の頃と全く変わっていなかったらしいです(涙)。
もうこの病気を発病して5ヶ月近く。これだけ経って、ほとんど『飲み込みの機能』は戻っていないわけですから、もう自然治癒の力だけで再び口から物が食べられるようになる見込みは、この時点でかなり薄いといえました。
だったら人為的な力で再び口から物を食べられるようにするしかない-。ということで、この時担当医に進められたのが『ノドを手術して飲み込みの機能を人為的に回復させる』という方法でした。

 ところで、口から飲み込んだ食べ物が胃の中に送られていくというのは、次のような原理で成り立っているそうです。
人間が口から飲み込んだ物は、ノドを通り気道から食道を通り胃の中に落ちるわけなんですけど
この際、気道を通る時には通常『ちょっとした仕掛け』が働いて胃に物が落ちるようになっているんです。
人間というのは普段、口と肺とが気道を通じて繋がっていて、その気道を通って酸素を取り込み、いわゆる呼吸をしているのですが
ただ、その普段は酸素を取り込んでいる肺があるあたりには、実はピンボールのフリッパー(または踏み切りの遮断機の方が分かりやすい?)のようなものがあって、気道から何か食べ物が落ちてきた時には『ちょっとゴメンよ』という感じでそのフリッパーが上に上がり、気道と食道とが繋がって、食べ物が胃に落ちるようになっているんです。
みなさん何か食べ物を食べた時には、いわゆる『ノドちんこ』が上がっていると思うのですが、実はそのノドちんこが『グイィ』と上がっているタイミングで上で挙げているフリッパーのようなものが上がり、食道を通って食べ物が胃に落ちているんです。興味のある人は何か食べ物を食べた際に自分でノドちんこを触って確認してみてください。

 で、話を自分のことに戻すと、この時の自分は上で挙げているような『食べ物を口から食べた際に上がるはずの、肺の近くにあるフリッパー』が全く上に上がらなくなっていました。
その結果、口から食べた食べ物が胃に落ちなくて肺にいってしまい、そのまま食べ物を摂取してしまうとあっという間に肺炎になってしまう-。こういう理由で、この頃の自分は口から食べ物を食べることができなくなっていました。
それで、上のような自分の体の状態を治そうというのが今回の手術の主旨で、その方法としてこの時の担当医が示してきた手術の方法が以下の3つでした。

1.気道のフリッパーを完全に取っ払ってしまい、口から食べ物を食べられるようにする方法。ただし、これをしてしまうと以後、完全に声を出すことができなくなってしまうらしい
2.手術は行なわないで、現状のままにしておく方法。この方法だと、口から物を食べることは一生できなくなるが将来的に声を出せる可能性は高い
3.上で挙げているフリッパーを人為的に上げ下げさせられるように手術をする方法。この方法を取れば、口から物を食べられるようになり将来的には声も出せるようになる可能性が高い

この時、自分が洗濯したのが当然3つ目の選択肢。そりゃ誰だって、自由に物が食べられて声が出せるようになった方がいいってもんですから。
ただ、何故この時担当医が1.と2.の選択肢を提示してきたのかというと、回復力があまりないお年寄りなんかにはこの手術、それなりにリスクはあるみたいなんですよね。
なので一応、ということでした。でも自分はまだこの時れっきとした20代でしたし(苦笑)この話をしてきた担当医の方も『きうっちさんはまだ若いから3.の手術をする方向で考えた方がいいよ』と言ってくれましたから、自分にも当然迷いはありませんでした。
それほど年配の人でなければこの手術、成功率は相当高いみたいですし(というか失敗する確率は何十万分の1らしい)。
もし万が一3.の手術に失敗したとしても、1.の手術はまだできるみたいでしたからね。そんなわけで近々この手術を受ける方向で調整していくことになりました。

 ただこの手術、この時自分がいた所沢の国リハ病院ではできないとのことでした。なので『この手術をするためだけに』短期で違う病院、具体的には
新宿にある国際医療センターという病院に近々転院することになりました。ところでこの手術を受けることが決まった時の自分の考えていたことなのですが、本人としては『ここに転院してきたばかりなのにまた転院すんのかよ…』というめんどくささと
『これで、やっと口から食べ物が食べられるようになる!』という喜びの感情が入り混じっていたことを覚えています。それとこの時手術に対する不安というのはほとんどありませんでした。
この手術の失敗する確率が相当低いということももちろんあったのですが、ただこの時の自分の中では『だって受けるしかないじゃん、この手術。だってそうしないと病気前のように元に戻ることはできないんでしょ?』という思いが強かったですし、
先月の時点で『もう再び目が見えるようになる可能性はほとんどない』ということも分かり、色々なことにちょっと捨て鉢になっていた部分もあったのかもしれません。この時の自分はまだ、正直前向きに物事を考えることはできませんでしたね。
何かをしなければ物事が前には決して進まない、というのは認識はしていましたが。でもそれを自らのプラスの方向へ変えられる発想がありませんでしたね、この時の自分には。

■かなり久しぶりの歯磨き。でも…
 この時期、担当医からお許しが出て久しぶりに歯磨きをすることができました。それに歯磨きをする際には
歯を磨いた後に口の中を水でゆすげるわけで、実はこれが一番ありがたかったんです。それまでカピカピに乾いていた口の中を水で潤すことができたわけですから。
いや~本当に気持ちのいいの何のって……病気で倒れて以来4ヶ月以上、口の中にまともに水を含んだことは無かったので、ホントこの時には『口の中に水分を含めることのありがたみ』をこれでもかと噛み締めていましたよ。

 ただ久しぶりの歯磨きは正直『歯を磨く』どころではありませんでした。というか歯ブラシで歯を『磨く』というよりは『撫でる』という感じでしたね、久しぶりに歯磨きをした時には。
何でそんなことになってしまったのかというと、それはこの頃の自分には腕にほとんど力が入らなかったから。片手で歯ブラシを持つことはさすがに大丈夫だったのですが、
問題になったのは手にした歯ブラシを歯に添えてもそこで力が全然入らないということ。みなさん何かを磨こう(または拭こう)としてもらえれば分かると思うのですが、何かを磨くためには
それなりに腕に力がいるということが改めて分かると思います。そうしないと磨く対象にブラシを『添えて撫でている』だけになってしまいますから。そして、この時の自分が『歯磨きをしている』状態がまさにそうでした(涙)。
前述のように片手で持った歯ブラシを歯に添えても全然力が入らないので、両手を使い、両手を横に並べて必死にゴシゴシと歯を磨いていましたね、この頃の自分は。
そう。まるで普通の人がクルマを洗車する際に大きいブラシでクルマのボディをゴシゴシと磨くように。…でもまぁ、実はそれでも力の入っていたレベルとしてはどうにか『撫でる』から『磨く』といえるようになったかな?というくらいにしか手に力が入っていませんでしたけどね…。

■あお向けに寝たまま入れるお風呂♪
 04年1月分の入院生活を記した記事でも触れましたが、先月ようやくお風呂(シャワーを浴びる)に入れるようになりました。
ただ、その記事でも触れていた通り、この段階では車椅子だったので湯船につかることはかないませんでした。またその時には『寝たまま入れるお風呂』があればこの時の自分でも湯船に浸かれるともチラッと触れていました。
…そして!そしてです!この国リハ病院ではその『あお向けに寝たまま入れるお風呂』があったのですよ!
おかげで自分も入院生活5ヶ月目にしてようやく、本当にようやく湯船に浸かることができましたよ(感涙)。

 ところで、これを読んでくれている大抵のみなさんは疑問に思ったことと思います。
一体どうしたらあお向けに寝たまま湯船に浸かれるのか?-。と。それはこういうことです。
まず横の幅が2メートル、縦の幅が60cm程度の皮製のソファーを想像してみてください。
この大きさのソファー(のようなもの)の外側にあたる四方全てに同じ皮製の、高さ20cmくらいの仕切りがあると思ってください。
ここがお風呂の『湯船』にあたる部分で、ここに解除者本人(この場合は自分)が寝転がります。後はこの『湯船』にシャワーなどで
お湯をジャージャーと溜めれば『あお向けに寝たまま浸かれる湯船』の完成です。でも、文章だけの説明ではちょっと分かりにくいかもしれませんね。
また、体や頭はこの『湯船』に浸かったまま洗うことになるのですが、この『湯船』に浸かった自分を4人くらいの看護士さんでよってたかって洗う(介助)することになるわけです。

 そういうわけで、結構大掛かりで人手がたくさんいるわけですから、この時点での自分がこの『お風呂』に入れるのは
だいたい1週間に一度といった程度でした。でもまぁ、この頃の自分にとってはこの『お風呂タイム』は本当にありがたかったですし、この頃の数少ない楽しみの一つでもありましたね。
4ヶ月以上もお風呂に入れなかったことを考えると、やっぱり大変な生活環境の改善でしたよ。

■ボタン付シャツを着る練習
 自分は04年1月末頃にリハビリ専門の病院である、この国リハ病院に転院してきたわけなのですが、
そのおかげというべきなのか、これまでやってきたリハビリの内容も一変してしまいました。
その一つがここで紹介する、ボタン付のシャツを着る練習をしたことでした。

 このリハビリは、ようは車椅子に乗った状態の自分が『自力で』ボタン付のシャツを着れるようにする練習、まぁようは普通の人が
毎日普通にこなしていることを自分にもできるようにしようと。ちなみにこの頃の自分は、毎日の服の着替えは手の力や腕の動きが悪かったこともあって、自分一人の力ではできなくて看護士さんなどの助けを借りる形でしていました。
当然このリハビリの目的は自分にもそろそろ一人で服を着れるようにしようというのが主旨なわけなんですけど、服を着る作業をすることで今まで(病気になってから)してこなかった腕の動きをすることになったり
視力に全く頼らずにボタンを留められるようにするなどの手元の器用さを鍛えることにも繋がっていました。

 ただ、最初の頃は本当に大変でしたよ、服を一人で着るのは。
この頃の自分はまだ両腕があまり自由に動かせませんでした。具体的には両腕が肩の高さより少し高く上がるくらいだったので
まず腕が服(この時練習で使用していたのは長袖)の袖に上手く通すことができません。さらにやっとの思いで袖に腕を通して、服をはおることができたとしても
次に待っている難関がボタンを留めること。最初の頃はこれにかなり苦労させられましたね、ホントに。
まず目が全然見えていないわけですから、ボタンを留めるための『穴』を探すことが成れていないと結構大変なんですわ、これが。
そしてこの頃の自分はまだ手にそれほど力が入りませんでしたから(握力でいえば10より少しあるかな?という程度)ボタンを留める穴を見つけることができても、その穴に上手くボタンを通すことができませんでした。
また、目が見えてないおかげで服の右側のボタンと左側のボタンを通す穴が一つズレるなんてことは日常茶飯事でしたしね。
でもまぁ、このあたりは手の力が徐々に戻っていくのといわゆる『成れ』のおかげで徐々に改善されてはいくんですけどね。1ヶ月半も経つと、もうほぼ完全に一人でボタン付のシャツは着ることはできるようになっていましたし。…別に何も自慢できることではないのでしょうが(苦笑)。

■音声読み上げソフトとの出会い
 この国リハの病院は『リハビリ専門の病院』というだけあって、本当に色々なリハビリをやらせてもらえました。その中でも、今後の自分の人生で欠かせなくなるスクリーンリーダー、いわゆる音声読み上げソフトを
紹介してもらったことは本当にありがたかったですね。というか、この音声読み上げソフトに出会った時は本当に衝撃でした。
病気になるまでの自分は『パソコンの画面に映っている内容や、自分が打った内容を音声で案内してくれるアプリケーション』なんてものがあるなんて想像もしたことが無かったし、
目が見えなくなってこのかた、自分がまた再びパソコンのキーボードを触ることになるなんて考えもしてなかったですから、そのことはちょっとした感動ですらありました。

 そもそも何でこの『音声読み上げソフト』を紹介してもらえたのかといえば、その時の主治医の先生に自分がパソコン関係(厳密には違うのですが、他の人に説明する時はかなり面倒なので一言で『SE』としてしまいますけど(苦笑))で仕事をしていたことを話したところ
『じゃあきうっちさん、もし良かったらパソコンのリハビリメニューやってみる?』ということで、この音声読み上げソフト、別名スクリーンリーダーを紹介してくれました。
ただ、パソコンのリハビリメニューといっても、単純にメモ帳にちょっと長い文章を打つだけの、病気前はパソコンを仕事の生業としていた自分には少し物足りない感じのリハビリのメニューでした。…一見すれば。

 ここで一見すれば、といったのは病気前の目の見えていた自分と病気後の目の見えなくなっていた自分とでは、同じキーボードを打つのでもだいぶ勝手が違っていたということでした。
まず、そもそもこの頃の自分と病気になる前との自分とでは手の力や指の動きのよさが全然違うということ。こういう状態を経験して初めて思い知ったのですが、
一見それほど力が無くても支障が無さそうなキーボードの入力も、実はそれなりに手の力や持久力がないと結構しんどいということが嫌というほど分かりましたね。病気になって、こういう状態でキーボードを操作してみて。
それともう1つ。自分は大学時代、勉強はあんまりマジメにやってはいなかったのですが(汗)ブラインドタッチだけは結構真剣にやっていました。
だから、例え目が見えなくなっていてもキーボード入力に関しては大丈夫だろ?とタカをくくっていたところもあったのですが-。実際はそうでもありませんでしたね。その目論見は完全に甘かったです。

 自分以外の、目が普通に見えているパソコンを使っている人の大概の人もそうなのかもしれませんが、目が見えているとブラインドタッチでキーボードを入力しているつもりでも
ついつい下をチラチラと無意識に見てしまうと思うんですよね。かくいう自分も、目が普通に見えていた頃はそうでした。
でも目が完全に見えなくなって、まさに『本当のブラインドタッチ状態』になった時にその『メッキ』ははがされるということです。
普段、よく押すことが多かった数字やアルファベットのキー(ABC…)はまだよかったのですが、それまであんまり使うことが無かった記号のキー(¥や’など)は、その時いたリハビリの先生に聞かないとどこにあるか分かりませんでしたから。
それに目の見えていた頃には、Altキーやキーボード右側のCtrlキーなんて使わなかったですしね。さらにいうと、画面上に表示されているブラウザの内容なども、目の見えていた頃と音声の案内のみで操作している『現在』とでは見える景色が全然違っていましたし。
結局、この頃からまた自分はパソコンに関しては一から勉強していくハメになりました。それも独学で。…まぁでもおかげさまで、目が見えていた頃よりもパソコンは遥かに使いこなせるようにはなりましたけどね。まさにケガの巧妙ってヤツですよ(笑)。

■今月のその他のリハビリメニュー
 上で挙げているボタン付シャツを着る練習やパソコンを使ったリハビリ以外にも、リハビリの先生がつく正規のリハビリも自分で勝手にやっているものも含めて、この頃はこんなリハビリをしていました。

1.背もたれのない椅子(病院の待合室なんかにある長椅子を想像してもらうと分かりやすいかも)になるべく長い間座る練習
2.先月まで行なっていた両腕の体操。これをリクライニングベッドを立てた上でやるのではなく、車椅子に乗った状態で行なう
3.これも先月に引き続きのリハビリ。手でニギニギするグリップを用いて、握力を鍛える訓練。
4.病院の壁際にある手すり。それに向かって車椅子を垂直方向に向け、その状態から壁際にある手すりを両手で掴む。すると上半身だけ腕立て伏せのような体勢が出来上がるので、その状態から腕立て伏せのような動きをするリハビリ

まずここで少し整理。ここで挙げた1.はリハビリの先生がつく正規のリハビリで、2.から4.が自分で自主的に行なっていたリハビリでした。
で、1.のリハビリは先月までしていたベッドサイドに座り、自分の目の前に配置された簡単な机を支えにして座る練習をもう少しレベルアップさせたもので、
具体的には先月まで自分の目の前にあった『支えにしていた』机を無くした状態で座る練習をしていました。
この時期の自分はまだ何の支えも無しに、背もたれのない所には座れませんでしたから、当然何かを支えにして座ろうとするわけで、そうするともう、自分が体を支えようとして掴む場所は
自らが座っている長椅子の外側の部分しかないわけです。でもちょっとその姿を想像してみてください。この姿勢って実はかなり不安定なんですよ。
この頃の自分は足の感覚や力もまだほとんど無いですから、自分の体は両手で掴んでいる長椅子とかすかにあるお尻と腹筋や拝金の力だけで支えている状態。
だから唯一まともな感覚がある、長椅子を掴んでいる両手には相当の負担がかかっているわけです。よって、この頃の自分では、たった10分だって、この姿勢を維持することはとても大変でした。

 そして2.と3.のリハビリに関しては先月にしていたことなので、ここでの詳しい説明は省略しますが
2.に関してはリハビリをしていた場所が先月までのリクライニングベッドの上から、車椅子の上に変わりました。
正直、それほどの環境の変化ではないと思うのですが、先月までは自分の首が疲れてくれば
すぐ後ろにあった(目一杯立てていた)リクライニングベッドの上にもたれかかればよかったんですけど、車椅子に乗ってリハビリをしている今月からはそういう『逃げ道』は無くなってしまったわけです。ま、そういう意味では少しだけ変化はあるのかな…。

 そして今月から自主的に始めた4.について。2ヶ月くらい前の03年末には車椅子に2時間くらいは乗っていられるようになった、と書きましたが
この時期の自分はもう、それどころか4時間以上だって乗っていられるようになっていました。なので、この頃くらいから自分は
何もすることがない時は基本的に車椅子に乗っているように習慣つけていました。こうすることで、ベッドの上に主にいた時には、ついウトウトと昼ねをしてしまい、夜間眠れなかったというのを防ぎたかったというのもありました。…中々その目論見通りにはいかなかったのですが(苦笑)。
…話を戻します。で、この頃の自分は普段はなるべく車椅子に乗っているようにしていたわけですが
そうすると『できること』がベッドに主に寝ていた頃と比べると格段に増えることになります。その一環の中で始めたのが、このリハビリでした。
このリハビリはまず病院の壁際まで車椅子に乗った状態の自分を連れていってもらい、
続いて上で紹介しているような『腕立て伏せのような体勢』を取るわけなんですけど、そこから先はもうひたすら腕立て伏せのような動きの繰り返し。
この時期の自分がこれについて立てた具体的な一日のノルマは、だいたい100回を1セットとしてそれを1日3セットから5セットといったところ。
この頃の自分は足の方は正直全く動かせませんでした。それどころか感覚すらもあまりありませんでしたからね…。
ただ、その代わりといってはなんですが、腕を中心とした上半身はだいぶ自分で動かせるようになっていました。
そしてこの頃くらいから自分には、これまでの入院生活の経験から得た確信めいたものもありました。腕や足はとりあえずある程度は動いてくれさえすれば、後は自分がひたすら酷使(運動)させればぐんぐん回復するものだと。
実際、動き始めるのが足に比べて早かった上半身を中心とした腕は、この時期くらいから飛躍的に回復していくスピードが早くなりましたしね。
だから自分としては、こう考えました。とりあえず、まだ動くか一生動かないか全く分からない足を中心とした下半身はほっといて
今は自分の力である程度動かせる腕を中心とした上半身を徹底的に鍛えようと。でもまぁ、この時の自分には『そうするしかなかった』ということもあったのは事実なんですけどね…。

 ところで、自分の入院生活を記したこの闘病日記も今回で丁度半分といったところですね。
…それにしてもまだ半分か……完結までは先が長いなぁ…。
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