私が離婚を決めた理由

離婚するまでの経緯のつもりでしたが、考えているうちに、AC、共依存などにぶつかっています。

カウンセリング56

2006-12-04 17:06:41 | カウンセリング
昨夜までとても身体が重く、辛かったことを話していきました。
それと昨夕、ゴミを棄てにマンションの前に行った際、車に乗った旦那を見たこと、慌てて走って帰ったこと、でも、パニックは起こらなかったことを話しました。
今朝は、身体が軽く、朝から冷蔵庫の掃除、ソファーカバーの洗濯、ソファーを移動させてソファーの下の掃除、そしてスウィートポテトを焼いたことを話しました。
薬の副作用が原因だと考えられること、何も出来ない状態がとても不安で、それがきっかけで、精神的に堕ちてしまったと思うと話しました。

常に何かに対して一生懸命頑張っていなければ、自分の価値を見出せないのかもしれないこと、それが出来なくなったことに対して、自己価値が下がってしまったこと。
消えてしまいたい。自分はいないほうがいい。そういう感情が噴出してしまって、いくら自分で言い聞かせてもだめなこと。
自分だけを見つめてくれる誰かに抱きしめられたいと思ってしまうこと。

普段の私とは違う、もう一人の私がいて、そうなってしまった時には、自分の感情では操れなくなってしまうこと、ボーダー(境界性人格障害)の症状とまったく同じ状態だと思うことを伝えました。
これまでは、普段の私と、もう一人の私とは、そこまで差がなくて、感じることがなかったけれど、普段の私が回復すればするほど、その差は大きくなってしまって、まったく違う人格が私の中に存在するような気がすると話しました。

そうなっている間中、とにかく寂しくて、泣いてばかりいたこと。
子ども達と過ごしている時はいいけれど、一人になると涙が止まらなくなったこと、トイレの中でも泣いていたことを話すと、
「つらかったねぇ」のカウンセラーの声に思わず涙がこぼれてしまいました。

たぶん、今までは、この寂しさをなんらかで紛らわしていたというか、寂しさがあるのに、何かのせいで寂しいと思えるような状況下を作ってきたような気がします。
寂しさは、元々私の内側で起こっていたのに、何かのせいにしていた。
そうすることでしか生きて来れなかったんだなと思います。

先生「寂しい自分、埋めても埋めても埋まらない自分を、二本の足で立って、きちんと受け止められたじゃない。すごいじゃん。」

私「この寂しさって、だんだんなくなっていく?
  回復したら、なくなる?」

先生「なくならない。」

私「それってひどい。すごい冷たい言い方じゃないの?」

先生「だって、本当になくならないもの。」

私「じゃあ、先生は、どうしてるの?」

先生「ミーティングに行くとか、誰かと話したり、ぼーっと映画見ながら寝ちゃったり・・・」

私「自分だけを見てくれる誰かに抱きしめられたら、楽になれるような気がするんだけど・・・」

先生「そんな人いないよ。」

私「どうして、そんな冷たいこと言うん(笑)」

妄想なのかなぁ・・・
堕ちている時だけでいいんだけどなぁ・・・
眠りにつくまで、抱きしめて頭撫でながら、傍にいてくれるだけで、他の時はいなくてもいいんだけどなぁ・・・
でも、それは結局、アルコール依存症者がアルコールを飲むのと同じで、過去と同じように、堕ちている時とそうでない時の境界がなくなって、ズルズルと生活してしまうことになるのでしょう。
アルコール依存症者は、完全にアルコールを断ち切ってしまうそうですが、恋愛を断ち切ってしまわないと、ズルズルになってしまうのかなぁ・・・

「ちょっと前までは、バスの中から旦那の車を見ただけで、1週間くらい『ひゃあ、ひゃあ』言っていたり、Kさんに対してどっぷりと共依存していた時に比べたら、変わったよねぇ・・・」と言われました。
自分では、変わっていない点について焦点を当ててしまいがちになるので、そういう風に言っていただけると嬉しかったです。

パキシルを続けて飲むことによって、アップダウンが緩やかになって、ダウンした時が楽になるかもしれないと言われました。
カウンセリングと同時に薬物療法も少し頼ってみようかなと思います。


アメリカの「アミティ」という団体の活動を話していただきました。
アメリカの5から6箇所くらいの刑務所の中で、死刑囚がプログラムをして回復し、施設内で死刑囚達が、他の囚人に対してプログラムを実施したりしていて、何もしていない場合の再犯率が77%なのに比べ、プログラムをした場合、20%になるそうです。
東アメリカでは、認知行動療法が主流なのに対し、西アメリカでは、このような受容共感をベースにしたプログラムが主流であること、日本では、認知行動療法が主流で、なかなかこういうプログラムが受け入れられていないんだそうです。

私にとっては、認知行動療法的なカウンセリングを学び、ピンと来なくて、現在のカウンセリングを選んだのですが、子どもの頃の共感や受容の経験がないがために嗜癖が起こるという考え方は、自分にぴったりと当てはまることもあり、受容と共感の必要性を感じています。

現在、育児本においても、今までのような認知行動療法のような本ではなくて、受容と共感において自己肯定感を育てようというようなものが増えているので、これからは少しずつ変わっていくのかなと思います。


追記
カウンセリングを始めたばかりの時にカウンセラーに、将来、フェミニズム系の活動をしそうな気がすると言われました。
その時は、話をしなかったのですが、元々、女性参画などに興味があり、仕事でそういう会社と付き合いがあったりします。
今、自分が、他の人よりも、女性として色んな経験をしてきたことは、もしかしたら、自分には、何か役割を与えられているのではないかと思うこと、そう思うことで、自分自身が救われていることを話しました。
他の友達は、『子ども』に焦点を当てるのに、私はどうしても『母親』なんだとも・・・
カウンセラーに、
「母親ねこは、まだまだ癒されていないんだよ。
 癒されたいから、そう思っちゃうんじゃないかなぁ~」
そんな風に言われちゃいました。

もっと、もっとミーティングに参加して癒されたほうがいいってことでした。
何を言っても(もちろん他人を傷つけることはだめだけど・・・)受け入れてもらえ、言葉はなくとも、うなずいたり、一緒に涙を流してくれる仲間の存在は偉大です。
回復は、当事者活動が一番なのかな?
もし、私のカウンセラーが、回復者でなく、同じ痛みを持たない別の人(たぶん、援助職につこうと思う人は、なんらかの傷を持っているのでしょうが)であれば、私は、これほどまでに信じてついて行こうなんて思わなかったかもしれないと思うのでした。
そして、カウンセラーが私の前で(性格には電話だけど)回復した姿でいてくれることが、私にとって大きなしるべになっているような気がします。




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