「Dr.コトー診療所2006」を見ながら、また泣いてしまった。
あやかさんの気持ちと自分の気持ちが重なった。
辛いのに辛いと言えない、頼りたいのに頼れない。
ただ、自分に後遺症が残ったとしても、自分自身がリハビリで克服することで、同じような人の支えになれるかもしれないと、前向きに考えることで自分の気持ちを精一杯支えようとしている気持ち。
泣いてばかりで、カウンセラーに話すことさえ出来なかった本当の気持ちを、ドラマの中で、改めて気がついてしまった。
先週、私は堕ちてしまった時に、婦人相談所に電話を掛けた。
本当は、カウンセラーに指摘されなくても、私が一番わかっていたのだ、
自分にとって語る場所が必要なことを、それは自分と同じ経験をしている人たちの中でだと・・・
私は、自分の身に何度も起こる自分では押さえきれない感情を、どうしていつまでもこんな風になってしまうのかと受け入れられずにいた。
でも、それは私だけに起こってしまうことではないのだと、同じような体験をしている人に同じように起こっているのだと、他の人のブログで知った。
自分ではコントロールすることの出来ない、不安や怖れや、そして自分を責めてしまう気持ちが、他の人にも起こっていることで、安堵した。
それでも、何度も何度も、予期せずに起こってしまうこの感情を自分では受け止め切れなかった。
その辛さを誰かに共感して欲しいと思った。
同じような体験をブログではなくて、生の声で聞きたいと思った。
婦人相談所で、DVの被害者の自助グループを教えて欲しいと相談した。
でも、活動休止中だった。
自分で自助グループを始めることは可能なのか、場所の提供をしてもらえるか尋ねた。
DVの自助グループは、他のグループとは違って、加害者からの被害を受けないために、完全にクローズされている。
ミーティング場所も、担当者も公表されない。
どこかを介してではないと、詳細を教えられない仕組みとなっている。
私は、自助グループの必要性を訴えた。
でも、相談員を紹介しますという回答しか得られなかった。
自助グループの必要性を、職員の人は考えていないみたいだった。
私は、仕方なく相談員についての詳細を聞いた。
特に、資格はなく、募集の条件は30歳以上の女性だということだった。
私は、自分が今の状態を乗り越えられた時に、そうやって誰かの話を聞いてあげることが出来たらと思った。
自分の経験が誰かを救うことが出来るのなら、私は今の状態を受け入れようと思った。
自分の身に何が起こっているのか、しっかりと見つめることで、知ることの出来る何かがあるはずだからと思った。
催事中、PTSDについての本を買った。
自分の中で起こっていることを、しっかりと知っておこうと思った。
そうすることで私は自分を支えた。
でも、それら一連の行動は、意識的に行ったわけではなくて無意識だったから、カウンセラーに話すこともなく、カウンセラーがネットの世界ではなくて、現実の社会で吐き出すことの必要さを唱えても、私は、何も言えず、ただ泣いていた。
どうしてこんなにも涙がこぼれるのだろうと思っていた。
カウンセリング中、「どんな気持ちだった?」と感情を聞かれてもよくわからないことがある。
出来事は覚えていても、感情が浮かんでこない。
涙が流れても、悲しいのか辛いのか、嬉しいのか悔しいのか、よくわからない。
何にも感じないのだ。
そして、後になって、じんわりと感情だけが訪れてくる。
カウンセラーに、もっとミーティングでって言われた時に、そうしようと思って出来なかったことさえ思い出せなかった。
頼る場所がなくて、絶望的に感じたことも、何故か忘れてしまって、カウンセラーの話に苦しさを感じながら、何故だろうと思いながら、思い出せなかった。
つい忘れていたことではないはずなのに、なんで忘れてしまうのだろう。
「しないんじゃなくて、出来ないんだよ。
東京みたいに、そんな場所、たくさんないんだよ。」って言ってもいいはずなのに、すっかり忘れていて・・・
でも、私の中ではよくあることで、後になって、なんで言わなかったんだろう、あの時、気がつかなかったんだろうということが良くある。
本当の自分の気持ちってなんなのだろう。
自分でもわかっていないのかな。
必要がないから、思い出せなかったのかな?
忘れていたのには、理由があるのかな?
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メンタルヘルスジャンル 恋愛・結婚(離婚)ジャンル
あやかさんの気持ちと自分の気持ちが重なった。
辛いのに辛いと言えない、頼りたいのに頼れない。
ただ、自分に後遺症が残ったとしても、自分自身がリハビリで克服することで、同じような人の支えになれるかもしれないと、前向きに考えることで自分の気持ちを精一杯支えようとしている気持ち。
泣いてばかりで、カウンセラーに話すことさえ出来なかった本当の気持ちを、ドラマの中で、改めて気がついてしまった。
先週、私は堕ちてしまった時に、婦人相談所に電話を掛けた。
本当は、カウンセラーに指摘されなくても、私が一番わかっていたのだ、
自分にとって語る場所が必要なことを、それは自分と同じ経験をしている人たちの中でだと・・・
私は、自分の身に何度も起こる自分では押さえきれない感情を、どうしていつまでもこんな風になってしまうのかと受け入れられずにいた。
でも、それは私だけに起こってしまうことではないのだと、同じような体験をしている人に同じように起こっているのだと、他の人のブログで知った。
自分ではコントロールすることの出来ない、不安や怖れや、そして自分を責めてしまう気持ちが、他の人にも起こっていることで、安堵した。
それでも、何度も何度も、予期せずに起こってしまうこの感情を自分では受け止め切れなかった。
その辛さを誰かに共感して欲しいと思った。
同じような体験をブログではなくて、生の声で聞きたいと思った。
婦人相談所で、DVの被害者の自助グループを教えて欲しいと相談した。
でも、活動休止中だった。
自分で自助グループを始めることは可能なのか、場所の提供をしてもらえるか尋ねた。
DVの自助グループは、他のグループとは違って、加害者からの被害を受けないために、完全にクローズされている。
ミーティング場所も、担当者も公表されない。
どこかを介してではないと、詳細を教えられない仕組みとなっている。
私は、自助グループの必要性を訴えた。
でも、相談員を紹介しますという回答しか得られなかった。
自助グループの必要性を、職員の人は考えていないみたいだった。
私は、仕方なく相談員についての詳細を聞いた。
特に、資格はなく、募集の条件は30歳以上の女性だということだった。
私は、自分が今の状態を乗り越えられた時に、そうやって誰かの話を聞いてあげることが出来たらと思った。
自分の経験が誰かを救うことが出来るのなら、私は今の状態を受け入れようと思った。
自分の身に何が起こっているのか、しっかりと見つめることで、知ることの出来る何かがあるはずだからと思った。
催事中、PTSDについての本を買った。
自分の中で起こっていることを、しっかりと知っておこうと思った。
そうすることで私は自分を支えた。
でも、それら一連の行動は、意識的に行ったわけではなくて無意識だったから、カウンセラーに話すこともなく、カウンセラーがネットの世界ではなくて、現実の社会で吐き出すことの必要さを唱えても、私は、何も言えず、ただ泣いていた。
どうしてこんなにも涙がこぼれるのだろうと思っていた。
カウンセリング中、「どんな気持ちだった?」と感情を聞かれてもよくわからないことがある。
出来事は覚えていても、感情が浮かんでこない。
涙が流れても、悲しいのか辛いのか、嬉しいのか悔しいのか、よくわからない。
何にも感じないのだ。
そして、後になって、じんわりと感情だけが訪れてくる。
カウンセラーに、もっとミーティングでって言われた時に、そうしようと思って出来なかったことさえ思い出せなかった。
頼る場所がなくて、絶望的に感じたことも、何故か忘れてしまって、カウンセラーの話に苦しさを感じながら、何故だろうと思いながら、思い出せなかった。
つい忘れていたことではないはずなのに、なんで忘れてしまうのだろう。
「しないんじゃなくて、出来ないんだよ。
東京みたいに、そんな場所、たくさんないんだよ。」って言ってもいいはずなのに、すっかり忘れていて・・・
でも、私の中ではよくあることで、後になって、なんで言わなかったんだろう、あの時、気がつかなかったんだろうということが良くある。
本当の自分の気持ちってなんなのだろう。
自分でもわかっていないのかな。
必要がないから、思い出せなかったのかな?
忘れていたのには、理由があるのかな?
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